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●『嵐山だより』投稿再開
断していた『嵐山だより』をまた始める。中断期間を、『嵐山だより』としてこうしてこのブログに載せることを予想だにしなかった8年前の執筆時に行なったそれと一致させるつもりが当初にはあったが、少し早めることにした。



というのは、ザッパ関連のめぼしいニュースがこの2か月半ほどの間に生じたからで、それを早めに書いておく必要が出来たからだ。ともかく2月中旬までパート2としてまとめて書いていた内容を週6回投稿し、その後はまたしばらく中断して、機会を見つけてパート3を順次載せるつもりでいる。パート2と3はザッパにほとんど関係ない日記内容で、そのためにもここで『嵐山だより』というカテゴリー名称にしているが、こうして日記の前段に現時点で書き添える毎日の内容にはザッパ関連のことを書く予定でいる。8年前の日記に次第にザッパ関係のことを書かなくなったのは、ネタがなくなったからというより、筆者に新しい関心が芽生えたからだ。その関心はさらに別の関心へとつながり、現在に至っている。そのため、筆者にすれば、このパート2以降の『嵐山だより』の内容は思い出が深い。このパート2、すなわち2002年秋以降の大きな変化は、友人からもらったWINDOWS95のパソコンインターネットを使って自宅でインターネットを始めたことだ。今も同じパソコンを使用しているため、パソコンのハード面は変化していないが、パソコンが次第に生活をかなり変えて、資料調べに大きな役割を持つことになった。もちろん今までどおり、自分の足で歩いて得た情報の分量も減ってはいないと思うが、それもパソコン、ネットが役立っていることがしばしばで、自分にはネットが似合っていると思う。ただし、充分にそれを活用しているかどうかは疑問で、せっかくこうして書いているブログや、あるいはホームページを見てくれる人が微々たる数で、そこから時代遅れになっている自分に感づきもするが、時代遅れもそれはそれでひとつの意味もあろうかと考えて、こうして書き続けている。前段はこれくらいにして明日からザッパ関連のことを書こう。

●2002年8月8日(木)昼 その1
●『嵐山だより』投稿再開_d0053294_11243615.jpg再開した日記を5月8日に終えた時、8のつく日の8月8日には1日だけその後のことについて書くつもりであった。そして真夏日の今日、この3ヵ月間の出来事の中から、甲日記、口実記、後日記の三位一体のこじつけ、つまり捏学狸念で思いつくまま書く。5月9日から昨日まで毎日のことをメモ書きしていたから、正確に日々の日記を再現することができるが、読み手からすれば日づけば案外どうでもよいことで、後日記であっても全く差し支えない気がする。もともと読み手想定の日記というものが不純であり、小説めくから、なおさら厳密に当日毎の出来事をリアル・タイムで書く必要もない。それで今日まとめて3ヵ月間を振り返るのも日記として許されると、こう口実を作ってみる。とはいえ3ヵ月の間にはいろいろとあって、いろいろ考えもした。今日のみでそれらがまとめられるだろうか。それにもう少しすると河原町に行かねばならない。図書館に明日返却するために今日中に読み終えたい本もある。来月8日にも日記をつけるつもりであるから、今日書き切れない分は来月に回す。そして来月は『本当の物語』を書き始めてちょうど1年であるので、その日で本当に『本当の物語』の区切りをつけよう。合計1400枚ほどの原稿になるだろう。面白いか黒いか、全部を読んでくれる人がどれだけあるのやら、想像がつかない。結局、4月8日から5月8日までの日記はその後、石原さんにデータ送信した。密かに日記のその後をつけていたことを手紙で明かしたのは7月6日のことだ。同月22日に大阪の友人宅にフロッピーを送り、23日に送信してもらった。19日にその友人宅に赴いて目の前で送信してもらったところ、手違いでデータが一瞬に消えてしまった。もう一度出かけ直すのは面倒であるので、もう一度MS-DOSに変換して、今度はフロッピーを郵送したのだった。現在、石原さんはその日記を読んでいる最中のはずで、読後の感想はまだ届かない。『大論2』の出版前に書いたその前の分とは違って、同じ日記ながら、過去を思い出して書いた部分が多いため、熱気が変質しているはずであるし、面白度がどう変化しているのか、厳しい意見が帰って来そうでやや心配もしている。にもかかわらず懲りずにまたこうして続きを書いている。「8月8日と9月8日には1日ずつ、日記の続きをまた書くことにします。『大論2』以降、それにザッパの紙ジャケットCDのその後の展望や、『大論3』への見通しなどもある程度は定まっているでしょうし、そういったことをその2日分の日記に書いて、『本当の物語』全体を締め括りたいと思っています」。手紙を読んだ石原さんが7月12日にかけて来た電話で、そう伝えておいた。
 この3ヵ月間の最大の仕事は振り袖を1点作ったことだ。2月に注文を受けた。そして同じ月にわが家に着用する女性に来てもらって彩寸などを済ましていたが、どのような絵にするか思考する時間も必要であるため、すぐには仕事にかかれない。そして5月上旬から本格的に作り始めて、つい先日やっとのことで完成した。丸3ヵ月を要した。振り袖は全く儲からない。実制作時間が日曜祝日も返上しての3ヵ月もかかり、そこに生地代や蒸し水元の外注費、それに仕立て代も必要だ。おまけに今年は猛暑で、7月中旬からは仕事部屋の気温が連日35度を越えている。ひどい日は37度を示す。そんな中、クーラーなしの状態で生地を電熱器で炙りながら少しずつ色を塗り進める。その工程が一番重要で、しかも楽しくもあるのだが、手元の温度はおそらく50度近い。下手するとやけどをする。また、あまりの熱のために生地が焦げるかもしれない。その作業を毎日最低12時間程度続ける。1日も休まずに2週間少しで終わったが、春の虫さされが癒えたのに今度は体中があせもだらけだ。それでも生地を汗で汚さないようにと緊張しているので、指や腕は不思議にも汗が吹き出ない。模様部分の筆による彩色工程(これを友禅と狭義に呼ぶ)は、模様の輪郭を糸のような細い防染糊でくくった部分から色が滲み出ないように、しかもむらにならないように塗る必要があるから、そうでなくとも緊張の連続だ。火で炙りながら塗るのは、早く乾かして色を糸目からはみ出させないためだが、早く乾くと塗りむらができやすいから、作業は思うほど簡単ではない。とはいえその作業は友禅染全体の一部に過ぎない。とにかく最初は真っ白の反物の生地で、そこにどういう絵柄を染めるかは、着用者と相談のうえおおよそを決め、後はこちらの創作だ。真っ白からスタートして、ある程度は何をどう染めて進んでもよいから、職人技のほかに、創作者としての、つまり他には絶対になく、しかも自分でも今まで試みたことのない新傾向を盛り込もうとする意欲と実行力が欠かせない。つまり自ら設計図を描いて、自らの手でそのとおりに作る。経済的不安と失敗作を作るのではないかとの板挟みになりつつも、次作を作るのは常に新鮮かつ不安であり、その緊張感がたまらなくよい。これは他の人にはなかなかわかってもらえないかもしれないが、普段は到底我慢できない暑さ熱さであっても、緊張感のある仕事の中に限りない愉悦の瞬間が訪れる。痩せ我慢ではない。かなりマゾヒスティックでもあろうが、発狂しそうなほどの高い室温の中で、心に熱気を抱いてこつこつと頭と指を使って仕事をしている間、ふと窓の外の入道雲を見ると、たとえようのない充足感が湧き上がる。そうしてついに完成した作品を見ると、また次作を早く作りたい気分がやって来ている。さあ、再び雑踏の中へ出発だ。しかし今は今日の日記を仕上げることに邁進。

by uuuzen | 2008-01-05 11:30 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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