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●無料回収車、つながる赤信号待ち
料回収車です。使わなくなったパソコン、ギター、ミシン、電気製品など、無料で回収いたします。こんな文句を拡声器で流しながら、よく軽トラックが近所をゆっくりと走る。



1年ほど前に、邪魔になったWIN98のパソコン一式をそのおっさんに持って行ってもらったことがある。ここ数日、急に調子が悪化しつつあるパソコンのモニターを、いずれまたそのおっさんに持って行ってもらおうと思って、今日は大阪に出かける前に、わが家の近くに止まったそのおっさんのトラックまで歩み寄った。顔をよく覚えてくれていて、「また何かありまっか?」と言うので、「いいえ、近いうちにまたパソンコの画面でも…」と答えたところ、「去年10月から京都市に頼むと7000円ほど徴られるようになったから、もうただでは持っていけまへんで」の返事。それでいくら支払ったら持って行ってくれるのかと訊ねると、「メーカーや年数にもよりまっけど、ま、2000円ほどですかな」。市に頼めば7000円が、なぜ2000円と安いのかわからないが、使用出来るものは調整するなどして外国に輸出するのかもしれない。去年は無料でパソコン一式を持って行ってもらったが、今から思えば、それを置いておけばよかった。今使用中のものは1995年製の17インチ画面で、Mimi D-Sub15ピンで接続するが、これでつなぐ液晶ものはあまりないのか、ネット・オークションでは15インチ・サイズで5000円以上している。だが、ブラウン管のものだと、1円でも入札がない。これは処分するのに7000円といった金額を支払うことを誰しも知っているからだろう。今使っているものを処分するのに2000円、同じような中古を買っても同じ程度の額がし、しかも数年後にはまた処分する必要がある。だが、必要に迫られているから、ひとまずその方法で凌ぐ必要があるが、いずれ本格的に考えた方がいいかもしれない。今のパソコンを買い代えると、スキャナーやプリンターやMOなど、SCSIカードでつないでいる周辺機器は全部使えなくなる。それを思うと何度も書くように面倒だ。それはそうと、おっさんの軽トラックの荷台にはぎっしりとパソコン、ギター、フェンダーのアンプ、ミシンなどが積まれていた。パソコンは筆者のものよりまだ新しいものであった。ギターも新品同様で、買ったもののすぐに飽きたので手放したという感じだ。それにフェンダーのアンプは、ネット・オークションではそこそこの値段の張る大きなものであった。こういうものをおっさんは価値がわかっているのだろうか。
 家電製品は、ひとつ壊れ始めると、次々と寿命が来るとよく言うが、実際そのとおりで、ここ2、3か月、わが家のガス給湯器の調子がにわかにおかしくなり始めた。全く点火しなくなったので、一度ガス屋から来てもらったが、何とその時は何も修理もしないのにすぐに点火出来た。それでも出張費として3000円支払ったが、その後はどのようにすれば点火可能かのテクニックを次第に覚えた。だが、それは騙し騙し使っているのであって、もう完全に寿命が来ている。調べると15年も前に設置したものだ。そう言えば、わが家の洗濯機は今時珍しい二漕式だが、ここ数年脱水器の調子がすこぶる悪い。もう20年以上使っているものだ。壊れないのでそのまま使っているが、いい加減買い換える必要がある。だが、買うならまた二漕式がいいと思いながら、ついつい機会を逸している。そのうち、40年前の扇風機を使って発火したのと同様のことがわが家で生じるかもしれない。パソコンのモニターが発火したというニュースは聞かないが、その第1号が筆者になれば、一気に有名人になるか。モニターが急にピュンという音を立てて一瞬真っ暗になるのは、精神衛生上悪い。そのため、ここ2、3日はスイッチを入れても5分程度しか見ないようにしている。で、この文章も、パソコン画面に向かって打つのではなく、また以前のようにワープロを使っている。これを別のワープロでMS-DOS変換してフロッピーに移し、そのフロッピーをパソコンで読み取るのだが、そうすれば、パソコン画面を長く使用せずに済む。だが、本当にどういうモニターを買えばよいだろう。フラット画面の液晶はいいが、ドット数が少ないものは、文字の表示がどうも勝手が違って慣れない。ここ数年は今使用している画面に慣れてしまったので、別の画面となると、写真の加工の場合、色目が少し違うなど、戸惑うことが多いだろう。図書館のインターネットで自分のブログを最近見たが、わが家で見えているのと全く違って、背景の模様、つまり独自の壁紙模様がほとんど白に近くなっていることに驚いた。それが正常ならば、ホームページのさまざまな画像を作り直す必要がある。いったい何が正常な画面であるかは、写真の色合いに本当のものがないのと同様、存在しないに決まっているが、それでも図書館のパソコンと筆者のものとではあまりの差があって、自分のやっていることが徒労に思えたものだ。何だかこういう話題は全くしみったれていて、書いていても面白くないから、読む人はもっとそうに違いない。文字だけ多く連ねていいというものではない。だが、昨日はほとんど書かなかったので、今日はその穴埋めのつもりもあってもう少し書いておこう。
 2日前用事で外出し、四条烏丸通りを北上して歩いた。四条烏丸の交差点から3キロ弱だろうか、北に行くと烏丸丸太町という交差点がある。これを京都以外の人は、「からすまるまるふとるまち」と読んだりすることがあると、昔新聞の笑い話に出ていたが、実際は「からすままるたまち」だ。なぜ丸太町なのかと言えば、江戸時代は京都の建築用木材は、丹波の山から切り出して、保津川を筏で下って、嵐山やその下流の松尾付近までやって来た。嵐山には臨川寺という有名な、夢窓国師の菩提寺があるが、そのすぐ前は明治まで筏でいつもいっぱいであった。そういう写真が残っている。筏は保津川左岸に陸揚げし、そのまま東へと進んで、今の丸太町通り沿いの材木商が扱った。今でも嵐山から東方面、しかも洛中に至るまでの間に材木商の多い一帯があるが、それはそうした名残だ。その話はどうでもよくて、四条烏丸交差点から北へと歩き始めた話をするのであった。3キロほど歩いて烏丸丸太町まで行くつもりはない。その場所ならば地下鉄を利用する。地下鉄を使うには中途半端な場所に行く必要があったので歩いたのだが、面白いことに気づいた。いや、これは1年ほど前にも気づいていて、その時ブログに書こうかと思いながら忘れてしまったことだ。他愛ないことなので、何をまたおおげさなと思われるのを承知で以下に書く。四条烏丸は銀行が多く、一流会社が並ぶオフィス街だが、地下鉄が下に走っているので、他地区に比べてバスはほとんど通らない。そのため、車がとても多い。そして東西の通りにぶつかるごとに信号があるが、不思議なことに、筆者が歩いた時は最初の信号から赤が続いた。赤なので立ち止まり、青になって歩き始めると、次の信号でまた必ず赤に引っかかる。これが例外なくそうなのだ。筆者は早足の方だが、ごく普通にすたこらさっさと歩いて、横断歩道の前付近に来ると、ぱっと赤に変わる。最初の2、3回は腹立しく思ったが、しまいには呆れ、どこまで北上すればそうでなくなるかと思い始めた。だが、烏丸二条で西に折れる必要があったので、その交差点までしか確認出来なかった。そして結果を言えば、四条烏丸から烏丸二条までの全交差点で赤に遭遇した。その調子では当然すぐ北の烏丸丸太町やもっと北に行っても同様であったに違いない。なぜ信号がそのように設定されているか。それは歩行者を歩かせないためだ。市は少しでも地下鉄を使うように仕向けているのだ。そうとしか思えない仕打ちだ。いや、ほとんど出歩かなず、まるまるふとり続ける筆者には、それもまた運動になってよかったか。だが、歩いては止まるを繰り返すのが最も疲れるという。やはり市の策略だ。はい、つまらない話でした。

●2002年5月3日(金、祝)夜 その2
●無料回収車、つながる赤信号待ち_d0053294_22251785.jpgさて集中的に伏見人形のその後について書いている。私的なことで『本当の物語』以降で伏見人形に関して経験したことをもうひとつだけ書いておこう。『本当の物語』にもたびたび登場する画廊から去年の秋に、四条大宮近くに伏見人形を扱っている人があると耳にした。場所がよくわからないので、伏見人形を売る新京極の土産屋のお姉さんに訊ねると、その店の主の弟のMさんが以前同じ新京極通りで伏見人形の店を開いていたが経営が成り立たなくなり、今は自宅で細々と伏見人形を扱っているという話で、正しい場所も教えてもらった。そのあたりはよく歩くのだが、今まで伏見人形に興味がなかったので看板に気づかなかった。また『本当の物語』に書いたように、筆者がその新京極の伏見人形を売る店で買った松引き金太郎や俵に腰かけた力士スタイルの大黒さんなどの古い在庫品のすべては、そのMさんが新京極で商売をしている時に仕入れたものだそうだ。さて11月22日のことだが、妻と一緒にそのMさんの自宅を訪ねた。年齢は70だったか。大柄の人なつっこい感じの人で、コーヒーまで出してもらって1時間ほど話をしていただいた。何も買わないでは悪いので、招き狸一対を買った。安かった。昔の仕入れた値段そのままだという。在庫だけを売っているのではなく、全国に伏見人形のファンがあって、個人的に注文をくれるという。その注文がある程度まとまれば丹嘉に注文するらしい。このMさんも実に伏見人形には並々ならぬ愛情があり、しかも京都の文化を誇るという気概に溢れている。自分では作らないが、アイデアはいろいろとあって、そのアイデアを具現化するために土鈴や清水寺界隈の土人形など、今まで新商品をいろいろと作って来た。それらを逐一見せてもらったが、郷土玩具の本には実際に製作した人の顔や名前は出ているが、実は最初に案を出してプロデュースしたのはそのMさんなのだ。
 どのような世界でもあると思うが、京都の呉服業界ではそういったプロデューサー的な存在は大いに目立った仕事をする。Mさんはそのようなアイデアマンらしく、人形だけではなく、歌舞伎やいろんなものをたくさん見ていて知識が豊かな人で、よい意味での遊び人だ。いや、遊び人という言葉はだらけた印象でふさわしくない。御本人が使用されていた言葉を転用すれば数奇者だ。「伏見人形を好きになるのは数奇者だけです」とまるで駄洒落で語っていたが、明言だろう。いつの時代でも数奇者は一定数は存在するだろうし、そう人が支えて行けばよい。12月にももう一度ひとりで訪れて額の張り出た福助を1個買ったが、それっきりになっている。まだほしいのがあるが、それは4万円する。ただし10年前に買った値段とのことで、今ではもっと値上がりしているし、常に在庫があるものでは全くない。また依頼しても1点では作ってもらえないかもしれない。毎月1万円の月賦でもかまわないという話であり、骨董市でも見かけたことのないものだけにいつかはほしい。だがあまりにも他に出費が嵩むものがあるし、必要順位から考えると、なくても我慢できる境界にある。Mさんは他にも数万から10万くらいまでする豪華な品を所有していて、その中には非売品もある。それらを取り出して見せてくれる時の表情からは、あたかも自分の後半生の思い出が宿っているといった感じが伝わった。また高いものを何個もまとめ買いするといった人にはあまり譲りたくないそうだ。そこからは単純に金に代えられないものが人形にはあるという心意気が見える。あくまでも人形の魅力に惹かれている人だけを相手にするという感じで、であるからこそ新京極の店も儲からなかったのだろう。風貌や語り口調から決して空威張りから売り惜しみしているのではないことがわかる。数奇者とは変人と紙一重であり頑固者でもあるから、それぐらいの気概はあるものなのだ。郷土玩具研究家として著名であった故朏健之助は『玩味のわかる人に金儲けのうまい人はいない』といったことを書いていたが、まさにそのとおり。金で面を叩くようなことをさびしいと思う人だけが人形の微笑みに心を慰める。

by uuuzen | 2007-09-16 22:25 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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