●『没後10年 麻田浩展』
田浩の作品について知識がほとんどなかったので、今回の京都国立近代美術館での展示は、その全貌に触れるにはまたとない機会であった。



d0053294_055157.jpg日本画家の麻田辯自の次男で、兄が日本画家の鷹司ということを聞けば、麻田浩の名前をあまり知らない人でも「ああそうか」と思うことだろう。筆者もその程度の口だったし、また正直な話、麻田辯自や鷹司の日本画をあまりいいと思っていなかったところから、浩の作品も油彩ながら、それと似たような感じの作かと先入観があった。今回は300号、400号の大作揃いで、銅版画や本の表紙絵の仕事も紹介されるなど、今後なかなか同じ規模で開催は望めないと思うが、入場者数は驚くほど少なく、知名度、人気度がよくわかる気がした。最後の大きな部屋だったろうか、麻田が兄に捧げた「御滝図」という縦長の、那智の滝を描いた絵は、非常に珍しくも日本画を意識した作品で、それが兄に捧げられているところに、何となく最期の遺言としての絵を思わせられたが、麻田の自殺はその絵の7年後の1997年、66歳のことであったから、「御滝図」から展開すべき仕事がまだまだあったはずなのだが、それはほとんど見られなかった、あるいは道半ばであった気がする。「御滝図」は東京の根津美術館所蔵の有名な14世紀の絹本著色画の掛軸「那智瀧」に霊感を得た作品で、図録を買わなかったのでうろ覚えだが、麻田は日本で最も美しい絵と思っていたようだ。滝がそのまま神として崇められていることに、日本の神の独自性を見たのであろうが、麻田は後年洗礼を受けもし、晩年には巡礼の旅をしたいと言っていたから、洋の東西を問わず聖なるものとその表現に魅せられていたと思える。根津の「那智瀧」はあまりに有名なので、筆者はいつ知ったかも忘れたが、記憶に強いところでは、1979年1月に郵送で購入した出光美術館開催の「アンドレ・マルローと永遠の日本」という展覧会図録だ。そこに白黒写真で同作品の図版が掲載されていて、これを真先に思い出した。同図録には、マルローが実際に那智を訪れ、その滝を見ているところを背後から写した写真も掲載されている。マルローにとって那智の滝は日本の代表的景観で、それをそのまま描いた絵は日本で最も美しい絵のひとつと思えていた。同図録に新聞の切り抜きを2枚挟んでいて、その1枚は、セコム・スペシャル「世界はこれからどうなる」と題するTV番組の紹介だ。これはフランス革命200周年を記念して、『二十正規の巨人アンドレ・マルロー(1901-1976)の思想を見直し、日本と日本人の未来への指針を見い出してみようとする壮大な番組』ということで、マルローの一人娘のフローランス・マルロー・レネが来日して、『マルローが天啓を受けたという熊野・伊勢をたどり追体験』をしたものだ。そして滝の前で微笑むレネの写真が載っている。この新聞記事がいつのものかはわからないが、フランス革命をバスティーユ襲撃の1789年とすると、1989年のものとなる。紙はそれほど黄ばんでいないが、もう20年近くも経ったのだ。
 マルローが那智の滝を訪れたのは1974年で、当時の『芸術新潮』にもそんな記事があったように記憶するが、根津の「那智瀧」を見たのもその年からさほど遡らないかもしれない。そこでふと思ったのは、麻田がこのマルローの考えに影響を受け、それで「御滝図」を描いたのではないかということだ。洋の東西を問わず、鋭い審美眼を持っていたマルローだが、ヨーロッパ絵画にどっぷり浸かって現地生活も長かった麻田にとって、日本は絶えず意識してしまう存在であったはずであろうし、そんな時、マルローから教えられることもあったのではという気がする。でなければわざわざ「那智瀧」を引用模写して描き、それを兄に捧げるはずもないと思える。とにかく麻田には、そうした日本の絵を引用する作例はほかには見られない。子細に比較すると、「那智瀧」に描かれる朝日が「御滝図」にはなく、滝筋の両側に立つ樹木も麻田は倍に増やし、画面幅を大きくしている。それに麻田の絵はダブルどころか、いくつものイメージが重なったように描かれるのが常で、「御滝図」には「那智瀧」にはない細々としたものが加えられている。そして色彩もそうとう異なって、麻田の絵は夢のような非現実感が強く、夜を思わせる青が主体だ。それは硬質あるいは冷徹と言えばよいが、強靱な性質と力量を、そして完成度への強い憧れが見えるにもかかわらず、不安定で落ち着かない、流動的、浮遊的な印象が強く、そのため、描かれる対象は強固さよりも、ぼろぼろと崩れるはかなさが露になっている。簡単に言えば風化の心象風景ということになるが、モノの向こうに精神を見ていて、その象徴として土、風、水、空気といった元素的なものを強く感じさせる画題を選択し続けたのであろう。これははかなさを表現するというより、逆に風化を避けられないモノよりも精神をこそ表現したかったということで、きわめて日本的な感性を麻田は持っていたと思える。だが、精神性重視の態度は日本独自のものではない。モノが瓦解して、そこにまだ何らかの精神が宿るという見方は西洋にも当然あるはずで、麻田は西洋にも東洋にも共通して存在するものを描きたかったのであろう。つまりマルローが見ていたような世界だ。だが、ふと思ったのは、マルローがもし麻田の絵を見た時、どんな意見を発するかだ。そこに真に世界主義的で理想的な絵画のひとつのあり方を認めたかどうか、これはわからない。筆者も展覧会後、ずっと考え続けているが答えのようなものが見つからない。一昨日、昨日と、芸術についてあれこれ書いたが、それは今日の麻田のことが脳裏にもあって、その序奏であったとも言える。
 ここで簡単に麻田の経歴について書いておく。京都の紫野の船岡町の辺りであるから、筆者には子どもの頃からそこそこ知る土地だ。そこで1931年に生まれた。筆者よりちょうど20歳年長になる。3歳で龍安寺に転居、1951年に同志社を出て4年後に大丸に入社した。絵を描き始めたのはその前年の23歳からで、新制作協会の桑田道夫に師事した。今回は当時の作品も展示されたが、いかにも時代を感じさせるアンフォルメルな画風で、団体展の影響が強い。だが、麻田は1960年代の終わり頃まで同協会に出品し続ける。転機となったのは、1970年の万博記念の第22回の京展で、万博賞を受賞した。荒涼とした夢幻的な心象風景で、大理石の模様を見て自由にイメージを広げたような感じで、思わずロジェ・カイヨワが見ればどう思うかなどと考えた。だが、案外カイヨワは見たかもしれない。大丸に在職したのは1962年までで、63年には父、兄とともに渡欧し、8月からはヨーロッパをひとり旅し、翌年2月に帰国した。この時の経験が大なり小なり万博賞の作品にも結びついたかもしれない。72年はイタリアを訪れ、色彩銅版画を学んでいる。74年はベルギー、オランダ、パリへ行き、82年まで留まった。同地から日本の団体展に意欲的に大作を出品し続け、それらも今回並んだが、81年に慢性肝炎を患っている。帰国後は京都に住み、83年に市立芸大の教授、97年に龍安寺のアトリエで命を絶った。今回はアトリエ内が再現されて、恵まれた環境に見えたが、それは経歴からもわかる。就職もそこそこに渡欧し、画業に専念出来たということは、経済的には問題はなかったのであろう。京都にこだわったのかどうか知らないが、新制作協会は京都に勢力をあまり及ぼさず、麻田の50から60年代の仕事は、新制作協会で主流であった非具象からモダニズムという展開とは関係がないようだ。京都の洋画と言えばすぐに須田国太郎を思い出すが、その方向とは全く違う画風に進んだ麻田は、自由でいられた反面、ローカルな存在として損をしたかもしれない。この展覧会が東京に巡回するのかどうか知らないが、関東での評価はどうなのだろう。まだ歴然と日本は関東と関西で通用する画家に違いがある気がする。麻田は京都の画家ということをことさら主張もせず、国際派を自認したであろうが、日本の世間ではそうは見ないかもしれない。だが、父や兄の日本画を一方で見据えた研究も今後は行なわれるはずであろうし、それもある程度は意味がある。小さいところはそうで、大きく捉えると新制作協会、あるいは70年代以降の日本の美術界、そして渡欧経験のある画家としてといったように、いくつもの視点を通して全体像がつぶさに吟味されるのが今後であるだろう。今回はまずその端緒の機会ということだ。
 麻田は行き詰まったのであろうか。自殺の理由はさまざまあるはずで、肝炎といった体の悩みもあって絵のことだけとは限らないから、あまりそのことを麻田の作品は結びつけて色眼鏡で見ることはよくない。麻田の絵を一言すれば、全体に位色調が多く、また月面か火星の表面、あるいは漂着物がたくさん辿り着いた海辺、さらには夢に登場するようなひっそりとした家屋といった画題が中心で、どの絵もまるで迷路のように緻密複雑に構成され、どれか1点が特別優れた絵というよりも、全体がひとつとなって麻田を表現しているように思える。つまりどの絵も断片的なのだ。技術も優れて完成度も高いにもかかわらず、完成とは見えず、いつでも細部に加筆出来るようなところがある。未完成的な完成で、油彩画にはそもそもそんなところが本質的にあるが、麻田の絵は時に楽しんで機械的に描き込んでいるようでいて、時に計算し尽くして手も足も出なくなったという閉塞感のようなものも感じる。細々とした小さなものをたくさんばら蒔いたような作品が多いので、絵のごく一部を切り取れば小品になるような感じもするが、麻田はそういう作品を描かなかったようだ。ここには大きな画面にこだわってそれに見合う画題を描き込もうとする決意が見られる。これは重要なことで、団体展に出品される大半の大きな絵は、ただ小下絵を大きく引き伸ばしただけの意味のないものだが、ヨーロッパでじっくり絵画を見て麻田は、大画面には大画面にふさわしい画題の用い方があることを自分に課せていた。それは麻田のような緻密に描き込む画風では大変な労力を要することで、たとえばブリューゲルにも見られないほどの巨大な画面に同じような密度で描き込むことを決意したようで、その点において正直であったのはよいが、命を削ることにもつながったように見える。大画面は大画面として鑑賞しなければ本当の味わいはわからないから、麻田の絵は図録では本質は全く伝わらないだろう。あまりに縮小されて麻田がそうあるべきと描いた細部が全然見えなくなっている。巨大な画面を写実的なタッチで綿密に描くとなると、下絵の段階でかなり計算する必要があるが、それがどの程度行なわれたかは興味ある問題だが、いくつかの作品に共通して登場するトンボの大きな羽模様といったものを初め、麻田にとって普遍的かつ象徴的な素材を通じて、どの絵にも隠喩を込めたものと思える。それは後述するように、確固とした存在感とは別の、いや、確固とはしていつつも変移し続ける何かを見ていたゆえと言えばよいか、端的に言えば、麻田の絵は何か確かなものを見たというよりも、かすかな何かを感じたという方がより当たっていて、そのことを伝えるために麻田は精根を詰めて細部を重視した描き方をし続けたように思える。それは壮大な無駄のようでもあるが、そうした無駄を通じなければ見えて来ないものがある。大画面に固執したのもそうしたことが理由ではないだろうか。
 油絵具と、日本画用の顔料で描かれてしかも経年変化した風合いとは比較するのはそもそも無理があるが、麻田がとにかく歴史の蓄積した古い絵画に魅せられていたことは「那智瀧」の引用からよくわかる。同じことは、「御滝図」近辺に展示されていた「蕩児の帰宅」からも言える。同作はボッシュ(ボス)の「放蕩息子の帰宅」を模写しつつ、やはり麻田特有のダブル・イメージの要素が描き重ねられている。「蕩児の帰宅」は、ボッシュに代表される西洋の緻密な描き込みに対する尊敬の念の表明もさることながら、麻田自身が本当に自分のことを放蕩児と思っていたとも考えられる気がしたが、それは麻田の自殺を大きく捉えるためかもしれない。もう1点、面白いと思ったのは「遠い風景(パティニール讃)」と題する横長の風景画で、実際パティニールのひっそりとした静かな風景を思わせる絵で、麻田がシュルレアリストたちが再発見したような絵を愛していたことがわかり、そこから麻田の歴史的位置づけも今後はごく簡単に行なわれる気がした。岸田劉生が北方ルネサンス絵画を日本画に取り込もうとしたことから始まって、日本の洋画家は西洋画を貪欲に消化し続けて来ているが、麻田の絵がたとえばタンギーやエルンストといったシュルレアリストをどこか思わせるところからは、正直な話、筆者はとても切ないものを感じた。もちろんそうしたものの亜流には留まっておらず、1970年代という時代性がそこには強く反映しているが、そのことが欠点として立ち現われることもある。それは麻田の絵が重層的なさまざまなイメージを重ねて、画面に厚みをもたらそうとしているのはいいとして、そのイメージの中にかなり陳腐なイラスト的、つまり安易なイメージとでも言うべきものが混じっていて、それが時代のうすっぺらさをそのまま表現しているようにも感じた。今それをひとつずつ指摘することはしないが、たとえば先のトンボの羽はいいとして、やがて鶴が飛翔したりし始めることには、俗っぽい日本回帰趣味に見えて恥ずかしい思いがした。麻田がいくら抜群の技術を持っていようと、タンギーやエルンストが吸った時代の空気を吸うことは出来ず、明確に70年代以降を刻印するしかない。その時、自分が好むシュルレアリスムあるいはそうした流派が尊敬して発見した過去の大家の作風を学んでも、それは一種のアナクロニズムとして作用するしかない。だが、そう言い切ってしまうには麻田の絵にはまだ複雑な要素があるし、またそれ以前の仕事で培ったものから引きずっている物の見方というものがあろう。
 「御滝図」や「蕩児の帰宅」のような、絵の中に名画を引用する手法は、麻田に限らず70年代以降は特にひとつの流行になったと言ってよい。これはコラージュと同義に置いてもよい。もっと意味のない安易な名画引用をしている洋画家がいるので、麻田のはむしろやむにやまれず、正直な自己表明としてそうした名画の引用をしたが、それでもそこには過去のそうした名画とどうにかつながっていることを確認したいという切実な思いは見える。そこが精神的な弱点に見えなければよいと思うが、今後どう評価されるかはわからない。なぜこんなことを書くかと言えば、同じように自殺したマーク・ロスコの場合は、作品は誰のものとも似ていなかったし、過去の名画とつながっていることすらも拒否したように思えるからだ。いやこう書けば語弊があるか。ロスコも精神的なものを強く求めて、宗教的な感情を絵画に盛りたいと思ったが、それは麻田とはいささか違っていたように思える。どちらが孤独であったかはわからない。麻田はヨーロッパに住んで異邦人としての違和感を覚えた意味での孤独はあったろうから、ロスコよりまだ抱えていた問題は大きかったと言えるが、「那智瀧」のように、西洋のルネサンス期の日本にもいい絵があったという発見をした段階では、孤独を克服した思いがロスコより強かったかもしれない。いや、この話はこれくらいにして、麻田の絵が時代をいろいろと刻印していると思えたのは、先にも書いた月面や火星の表面に見えるような作品群だ。一方それらは吹き寄せられたガラクタにも見えて、麻田の内面に溜まり続ける何かをどう整理してどう画面に定着すればよいかという悩みの正直な吐露にも見えたが、細かく描き込まれたそれらのひとつひとつの意味不明と思える要素が見る者に対して何を語りかけるかは、鑑賞者の自由な考えに委ねられているとしても、そのあまりの要素過剰性に戸惑いを覚えることも確かで、そこにはシュルレアリストの末裔そのものの姿を見る思いがある。そのつながりが何となく筆者には切なく見えるのだ。たとえば緻密に描き込まれた絵ではあるが、部分的にはシュルレアリスムお得意のデカルコマニーの技法を駆使して、ほとんど日本の墨流しのようにひとつの様式としているが、それが時として安易で便利な装飾的作画手法に見え、そうなると、謎めいた細々とした物体の断片も、先に書いたように日本的「吹き寄せ」の変種として見ることも出来、麻田は結局は日本画的感性を捨てなかった、捨てられなかった画家と思えて来る。そうなれば、シュルレアリスム的な部分も単なるポーズにも見えて、底の浅いものに転じて見え始めるが、その微妙なところは筆者もまだ判断しかねているのが実際のところで、まだもっと時間が経たねば見えて来ない本質はがあるかもしれない。
 父や兄が日本画家として立っていて、自分ひとりが油彩画に進み、そしてヨーロッパに住んで油絵の歴史の蓄積を間近に感じるにつれ、自分がどうあるべきかを悩み続けたことは想像にあまりある気がする。真剣になればなるほどそれはますます大きく肩にのしかかり、何をどう描くかを模索してそれなりの解決を見い出しながらも、またこれでいいのだろうかといった不安のようなものが頭をもたげて来たのではなかったか。だが今は「那智瀧」のような古画をそのまま描く時代ではないし、それは求められてもいない。個性重視という絶対信仰の孤独の中で、自分のアイデンティティをどう確定して自分の仕事を突き詰めて行くか。その時、自己の存在が国や時代とどうつながっているか、またつながり得るかということも考え続ける。それは簡単に解決出来るようなものでありながら、考えても永遠に答えの出ない問いにも思える。麻田は真面目にそれを全部引き受けて、矛盾を抱えているならばそれもそのままに絵に投入するしかないと思ったのではないだろうか。その誠実さがそのまま絵に現われているとしても、他方でどうしようもなく行き詰まった重苦しさも感じる。シュルレアリスムは時代の産物であったが、そこで発見されたある精神に視点を定める態度は普遍的なもので、シュルレアリスムという言葉はなかったが、同じ領域に属する絵画は綿々と西洋では描き続けられて来たことを麻田は感じ、そこに自分も参加し、何か寄与するものがあると思ったのかもしれない。何だか堂々巡りをしてとりとめのないことを書き連ねているが、がらがらの館内からは、麻田の絵が今後どのように評価されて行くのかも含めて、美術館のあり方も強く思った。芸術家が悩みながら作った作品に人々はどのように対峙すればよいか。麻田の絵は決して楽しくない。娯楽性を求めるだけの人にとってはなおさらだ。だとすれば麻田の絵にどれほどの意味があるだろうか。麻田を尊敬する人がいたとして、その人も同じように精根を作画に費やし、その果てに自殺ということになれば、芸術は絶望の連鎖に過ぎず、夢も希望もそこには見い出せないことになる。しかし、夢も希望も越えたところに芸術があるとも言える。麻田はそんなところに思いを馳せていたかもしれない。
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by uuuzen | 2007-09-10 00:06 | ●展覧会SOON評SO ON | Comments(0)


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