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●若者の貧困と拝金主義
覚は敏感ではないが、そんな筆者で感じる口臭、体臭があって、昨日はそんなことについて少し書いた。



2か月ほど前か、TVのニュース番組だったか、東京の職のない若者がネット喫茶を根城にして暮らしている様子を、20代前半の若い女性も含めて何人かを追跡レポートしていた。それにはショックを受けた。その中の若い女性は紙バック2、3個に詰まっているのが全財産で、銭湯に行けない日が何日も続くと言っていたが、若い女性でも悪臭がする時があると昨日書いたのはそんな状態にあるのかもしれない。そういう状態も結局本人が招いたこととして、自己責任を言う声がきっとある。難しい問題だ。何かの歯車がどこかで少し狂うと、それがどんどん大きくなって、知らぬ間に自分が予想していたのとは違う境遇に置かれるということはよくある。自分の力だけではどうにもならない場合は確かにあるのだ。たとえばの話、先日の地震でもそうだ。まさかと思っていることが突如自分に降りかかり、その後人生が違った方向に動き出す。それがいい場合もあれば逆もある。いい場合のことをすべて自分の能力のなせるわざと思い込むのも勝手だが、心のどこかに優しさを持っていなければ、それが顔や態度に出てさびしい人生にならないとも限らない。それでも腐るほど大金があればそれに群がって来る人間はいっぱいいるから大丈夫などと思っているのが、何とかファンドや何とかドアの社長だったりするのだろうけど、そういう連中は元をたださなくとも、ちょっと小賢しいごく普通の何の魅力もない男だ。世間に恥を晒してもちっともそうは思わないほど鈍感なそんな連中を片方に置き、もう片方に先のネット難民の若い女性を置くと、何ともやり切れなくなる。若いから当然恋もしたいしお洒落もしたいはずなのに、銭湯にたまに行くお金にすら事欠くというのは、もう変な仕事の餌食になるか、悪事に手を染めるか、自殺するか、そのまま老いるか、尊厳を持とうにもそれが許されない残酷な境遇だ。親がいったい何をしてるとの意見もあろうが、親は親で必死かもしれず、あるいはその子は虐待を受けたか、ともかく親が当てに出来ない場合はいくらでもあって、そんな意見は言ったところで始らない。
 これもTVの話だが、先日ある有名人が、人前によく出るようになってそれなりに身だし並みに気をつけるようになったと語っていた。若い場合はまださほどでもないが、顔に皺が増えたりたるんだりする年齢になると、人はその着ているもので年収などを値踏みする。これは知り合いの保険セールスマンも言っていた。初対面の人に会っても、即座にその人の年収がわかるらしい。つまりどういう物を身につけているかを見るわけだが、冷徹な経済本意の社会が存在していることに改めて気づかされる話で、ははは、筆者なんかその最低レベルだなと面白く思ったものだ。筆者は体育館ほどの広い部屋はほしいと思うが、ロレクッスの時計にも何の興味もないし、ゴルフにも無関心で、年収がきっと今の100倍になっても身なりも変わらないと思うが、世間ではどうもそうではなく、年収が多いと人前に出ることも多くなり、そのために衣装もそれに見合ったブランドものか誂えということになるらしい。これは金持ちになればみんな似て来ることを示していて、トルストイが『アンナ・カレーニナ』の冒頭に書いた、幸福な家庭はみんな似ている云々は普遍的な名言であったなと思わせられる。人前に出ることのない筆者はお洒落の必要もないので気楽だが、それでもそういうわけに行かない場合もたまにある。とはいえ、衣服代の何十倍も本に費やしているから、余裕はない。何年も前に買った服をまた着るということになるが、その服もそう何度も着ていないから、なおさらまた新しいものを買う気がしない。それでまたなるべく人に会わないでおこうということになる。つまり悪循環だ。だが、ここは考えを変えるべきかもしれない。これもTVで何年か前に見た話だが、ある職人さんだったか、その人は人と会って仕事をもらうのだが、初対面の相手に侮られないため、衣服には特に気を使い、あえて高価なものをいつも着ると言っていた。それは年収から言えばとても釣り合わないほど高価なのだが、相手はその人の格好をまず見るから、自分の仕事を高く売るには必要なアイテムなわけだ。これはよくわかる。よい仕事をする職人と世間で噂されても、その人がだらしないと思われかねない格好をしていると、仕事も安く見られる。『あんた、そんな身なりの生活じゃ、この程度の金額で充分でしょう』といわけだ。また、職人は正直であるから、どうせ今の自分の生活が維持出来ればそれでよいと思うし、安く見られてそれなりの支払いしか受けなくも文句は言わない。そのため、職人もそれなりにお洒落をして相手に侮られないように心がけ、出来る限り自分の仕事を高く買ってもらうに限る。買う人も高額ほど人に自慢出来るのであるから。そのことを筆者は昔からわかっているはずなのだが、小心者ゆえ、相変わらず自宅にこもってネット難民並みの生活をしている。体育館のような広い仕事部屋は、地震が来れば明日にでも近くの体育館に引越しを余儀なくされて実現するか。

●2002年4月19日(金)朝 その3
●若者の貧困と拝金主義_d0053294_1233516.jpgウーム、バリバリバリバリ、タケノコをたくさん食べたせいか、パワーが溢れる。この段落からは新文書が始まる。文書の頭は必ず日づけが変化するように区切っているのに、今日はそれを無視してなお新たに以下に書き進む……。1000個ものミニ招き猫をどこかから仕入れた骨董業者が語っていたが、転売した相手の業者は1個500円で売るという。初辰神社では赤い文字を印刷した紙袋に入れて500円で売っているのであるから、土で汚れ、しかもあちこち欠けているようなものが500円とは無茶な話だ。それでも初辰さんを知らない人は珍しいと思って買うだろう。こっちはそれを知っているから業者には1個250円にさせ、しかも2ヵ月で40個ほども買うのであるから4個をおまけとしてつけさせた。ちゃんと毎月お参りして集めないことには御利益もないはずだが、筆者はせっかちだ。手っ取り早く集められる機会があればそれに頼る。それにまだこのミニ招き猫が実際に売られているのかどうかわからず、それを確認するためにこそわざわざ訪れたのであった。骨董業者は同時に中サイズの初辰招き猫も3体得たらしく、それを筆者に買えと勧めたが、水にひどく濡れたために顔料がひどく垂れ、無残な色合いになっている。それを3つで1万、いやそれが駄目なら7000円ではどうかとしつこく迫る。1個500円ならばまだしもだが、そんなに高くては誰も買わないだろう。と、こう書いている間にそれが新品では昨日1個5000円していたことを思い出している。最近インターネット・オークションで丹嘉製の高さ5、6センチの招き虎一対が数千円で売りに出ていて、すぐに誰かが買った。売り主は「阪神ファンはどうぞ」などとコメントしていたが、その後今年のプロ野球が開幕し、今までにない好成績を記録している。その招き虎は招き猫とほとんど区別がつかない型を使用し、ただ色を塗る段階で顔を虎にしているから、色が垂れてしまった先のものを買って、顔を虎として塗り直せば、どこにもない大きさの招き虎人形となる。なぜなら丹嘉が作る招き虎はサイズが5、6センチのものだけで、それより大きなものはないからだ。そうして作り変えたものをインターネット・オークションに出せば、この阪神ブームであれば1個1万円でも買い手がつくのではないだろうか。とはいえわざわざ汚れたものを塗り直して売り飛ばすには忍びない。自分のオリジナルとして保存するだろう。もっとも、そんな塗り直しの時間は今のところはない。
 ジョニ・ミッチェルの98年のアルバムが、トラ猫を抱くミッチェルの自画像で、これはザッパのLP『ロンドン交響楽団』の第2弾のジャケット写真を連想させるが、アルバム・タイトルは『テイミング・ザ・タイガー』と洒落ている。これはもちろんシェイクスピアの『テイミング・ザ・シュリュー』に引っかけたものだが、この『じゃじゃ馬ならし』に倣えば、『テイミング・ザ・タイガー』は「虎を手なづけて」つまり「猫と成す」ということになる。ついでに思い出したが、『ロンドン交響楽団』は紙ジャケCDではどうなるのだろう。第2弾のジャケットは第1弾の素っ気ないものと比べてカラフルでいいが、これが縮小されて紙ジャケになるのかどうか。さて、『本当の物語』以降の伏見人形に関する事柄のあれこれは書くことが大量に溜まっているが、5月8日までのこの日記にできる限りぽつぽつと挟んで行こう。もうひとつ思い出した。先月下旬の京都のパルスプラザでの大骨董市で、この中サイズの初辰招き猫一対が木箱に入った状態で売られているのを見かけた。4万円していた。昨日神社で見たところでは、ミニ招き一対を同じような箱に入れて2500円で売っていた。つまり箱代が1500円という計算だ。中サイズのものは箱入りのものがなかったが、たぶん5000円程度だろう。すると一対プラス箱で、1万数千円であり、骨董的価値のない新しい作りの、これと全く同じものが4万とは馬鹿に高い。それでも初辰さんを知らない人は珍しいと思って買うだろう。知識がなくては損をするのが骨董の世界だ。どこの世界でも同じだが。しばらくすると食事をしてボロジッシャ(ボロ自転車)で外出するが、その前にもう少し書く。せっかく乗り放題チケットを使用するのであるから、住吉大社だけではもったいない。神社に行く前にまず梅田の百貨店でミロ展を観た。先日画廊でもらった招待券があったため。75年作の聖フランチェスコのアッシジに題材を得たシリーズ版画『太陽の賛歌』はなかなかよかった。他に油彩や彫刻。初期のものはなく、70年代が中心であった。74年作の『頭部』と題する数点はまるでザッパの『スリープ・ダート』のジャケットに登場する怪獣そっくりで、その同時代感覚が面白かった。聖フランチェスコに題材を取るというのは、数年前に買っておいたのに聴く機会がなかったメシアンのオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を思い切ってちょうど先月じっくり聴いたことと符合するようで、タイムリーな出会いを感じた。ま、この話は長くなるので止めておこう。百貨店を出るとJRのコンコース端で『北京佳日』と題して、中国の子どもたちの雑技団による京劇の上演を小さな舞台でやっていた。これがよかった。人の頭が多くて、背伸びしても全体は見えなかったが、それでも気迫がひしひしと伝わった。このような劇は絶対に実際のものを間近で見るに限る。1日に3回やるそうだが、もっとまともに見るために住吉大社に行くのを止めようかと一瞬思ったほどだった。ワウワウ・サンウドの原型のような金属打楽器、それに12音音楽をどこか思わせるような弦の響き。それに何よりも身長よりも長い鳥の羽根を2本頭に指した派手な衣装と化粧の女の子の曲芸的な踊りや、刀を使用した男児の舞いなど、100人ほどの観客は絶えず拍手を送る。京劇を間近で見るのは初めてだが、何と魅力的なことだろう。踊りが終わって舞台上に並んだ10人の子どもたちは、通訳を介して日本の若い女性インタヴュアーからいろいろと質問を受けていた。12や3の年齢で学業と雑技を両立させているのだから偉い。この調子では中国の伝統芸能の未来も安泰だろう。

by uuuzen | 2007-07-24 12:33 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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