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●ドライな社会
らい雨が降り続く。九州では1000ミリになるというが、空梅雨で水が減って困ると先日まで言っていたのが嘘のようだ。



先日淀川に関する面白い本を数日かかって読んだが、そこに江戸時代に淀川の氾濫について書いてあって、その想像を絶する大災害に改めて河川の水害の恐怖を思った。火事や地震も恐いが、水害も同様に大規模な被災者を生む。人間は水がなくては生きて行けないから、なるべく河川の近くに住むのが便利で、淀川でも昔からその水利を巡って住民が争って来た。つまり水の確保は農作物に影響して死活問題であるからだ。だが、水辺に近いと便利なのはいいが、氾濫があればひとたまりもない。便利と危険が裏表にある。同じことは現代でも言える。話をまた運動不足につなげれば、手を伸ばして何でも届くところにあると、運動不足になって、しまいに病気になる。快適さを追求した果てに深刻な病が待っているとは皮肉なものだが、そんなことは最初から人間はわかっていた。快適はだいたい金持ちが手に入れるものであるから、金持ちがぶくぶく太って病気になりやすいかと言えば、これまた金の力でジムに通ったり、またしばしば医者に診てもらうなど、健康管理を怠らないから、かえって健康であったりする。日本もアメリカ風になって来て、ぶくぶくさんは貧しい人ということになっているのだろう。何だか、今朝起きた時に書こうと思っていたことからどんどん話がずれて行く。そこで強引に書こうと思っていたことに話を転換させると、ネットというものはドライなつき合いで、簡単にある人のホームページやブログなどを見なくなってしまうということを枕にして、あれこれ書こうかと思っていた。筆者は2年ほど前から何人かのブログを毎日見ていたが、ある日急に興味をなくした。それは同じようなことが日を巡ってまた書いてあるからで、その人のライフ・スタイル、考えというものが何だか全部わかってしまったように感じたからだ。それでもなおその人の書くことに興味が持てる場合もあろうが、なかなかそれほどの筆力のある人が素人にいるわけがない。ごくたまにまたその人のブログを見るのだが、すぐに前と同じ空気が漂っていることを感じて、やはりまた改めて関心を失ってしまう。もちろん筆者がその人のブログを見ていることを当人は知らないから、筆者が関心をなくそうがまた復帰しようが、その人には何らわからないが、その人が筆者のような考えを抱いたことがあるかなとふと思う。どういうことかと言えば、こうして書く筆者の文章もまた、ある人にとって急に面白くないものとして忘れ去られるかもしれないことをよくよく認識しておきたいのだ。つまり、可能な限り他者の目で見つめる余裕をどこかに持っていなければならない。玉石混交のブログでも、大半が石であるのは、そういう視点が欠如していることにも一因がある。だが、玉のようなブログであっても飽きられる時は飽きられる。人間にとってその飽きとはどのようなメカニズムで訪れるのか、それを見極めたいなと、今朝目覚めた時にぼんやり命題として脳裏に浮かび上がって来たのだ。そしてすぐに思ったことは、それはひょっとすれば相手の問題ではすべて自分の問題で、感受性が鈍くなって来ている証拠かなとも考えた。あるいはそんなおおげさなものではなく、単に好みが変わっただけか。いずれにしてもネットは使い棄ての関係を最初から前提にしていて、今朝のような大雨とは全然違うドライなものであることを知っておくに限る。であるから、なるべくドライなことをドライなふうに書いた方がいいのかどうか、それはまだよくわからないが、飽きられないように、また自分でも飽きないように趣向を凝らすことを忘れてなならないかなとは思う次第であります。

●2002年4月16日(火)朝 その1
●ドライな社会_d0053294_11413061.jpg昨夜のTVの天気予報図では関西は雲と傘マークで占められていたが、ところによっては大雨と雷があるとも言っていた。夜中からしとしと雨が降り始めたものの、8時半の今、曇り空だが雨は上がり、あちこちでピヨピヨと鳴いている小鳥たちの声が聞こえる。また降り出しそうな気配で、あちこち外出を決めていたのに躊躇してしまう。昨夜は夜に頭が痛み始めた。体温を計ると平熱で、それで安心して、いつもより早く12時半頃に寝た。そのために今朝はいつもより少しは早く起きた。『本当の物語』に書いたように、去年の10月下旬だったはずだが、風邪のために2、3日寝込んだことがあった。そんなことは数年に1回も経験したことはなかったのに、先日長浜へ行く直前の4日の午後に急に発熱した。半年ほど経ってまた同じように寝込むとは、やはり50を越えるとこのように体力が落ちて行くのか、いやはや情けない。水銀は37度5分を示す。さほど高くはないが、いつも33度3分の冷血人間なので、これは大変な上昇だ。5日は終日寝込み、氷嚢に氷枕とお粥で過ごした。喉奥の右側が腫れてしまって、水の飲み込むのさえ勇気がいる。それでまた冷蔵庫からはまたお隣りさんにいただいたカリン酒が登場したが、アルコール分がかえって喉を傷めたのか、腫れはいっそうひどくなった。6日の土曜日はある人と約束があったので午前中はどうしても外出せねばならず、盛んに冷汗をかきながらも用事を済ました。その日は天候はからりと晴れて、桜もまだ咲いていたが、こっちの気分はそれどころではないのだが、会った人にそれなりの愛想を振りまく必要もあって、熱があることは自分でも忘れてしまっていた。帰宅してから体温計を脇に指して計るとほとんど平熱に戻っている。外出したのがよかったのかなと冗談を言って、その日の午後は過ごしたが、夕方になってまたしんどさがぶり返して来た。また体温計。するとこれ以上目盛りがないという38度3分まで水銀が上昇している。もう少し脇に指していると、水銀が体温計の頂上を突き破って、ガラスが割れ、脇から血がたらりと落ちたかもしれないななどと、『天才バカボン』のパパのような漫画的なことを考えた。こんな体温の上昇は生まれて初めてのはずだが、それほど気分に余裕があるほど、苦しさを感じなかった。頭が痛むわけでもなし、動悸が激しくもない。ただ喉だけが痛む。しかしこれも物を飲み込む時だけ大変なだけで、喋るのはどおってことがない。つまり我慢できる状態であった。また氷枕にして寝ればよいと思ったが、昨日1日中そうしていてもいっこうに治らなかったので、これは絶対に病院へ行けと妻はうるさい。しかし雨が降っているうえ、土曜日の夕方6時になっているし、1・5キロほど離れている病院はもう閉まっている。無理して診療してもらうと急患扱いで、健康保健も3割で済むところが5割負担になって馬鹿らしい。とはいえそんなケチなことを言っている場合ではない。熱が下がらず、そのために脳が行かれてしまったらどうすると妻は『天才バカボン』のパパの妻のようなことを言う。どうせ行かれてしまっている頭なので、かえってよくなるのではないかと思ったりもしたが、そんな漫才をしている場合ではなく、明日は朝一番に起きて東寺の骨董市に出かける必要と、その後は8時半に京都駅に集合して長浜の日帰り旅行に参加しなくてはならない。つまり1日中かなり強行に活動する必要がある。それで洗濯屋に出そうと思っていた冬コートをまた袋から引っ張り出し、それを着込んでボロ自転車に乗って病院へ行った。その間も全く体は元気で、体温が高いことが嘘のようである。
by uuuzen | 2007-07-14 11:41 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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