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●「Zappa Plays Zappa」ツアー、その3
は残念ながらCクラスで、周囲の喋りや観衆の盛り上がりもあって、ほとんど何を演奏しているかわからない部分もある。



このビーコン・シアターでの演奏、まず最初に登場してメンバーを紹介する男の声は、ザッパそっくりな低音で驚かされる。これはドゥイージルだ。大西さんの録音ではわからないが、DVDを見て一番印象的であったのは、ドゥイージルが「チャンガの復讐」を演奏する場面だ。この部分を大西さんの解説からまず引用する。『…81年のハロウィーンの時にニューヨークのパラディアムでのザッパ先生のコンサートが、MTVに出来て直ぐの頃で、この演奏がオンエアーされました。この曲はその中には、含まれなかったようですが、衣装などから、多分その時のものと思われます。大きなスクリーンに映し出されたザッパ先生がソロを演奏し、ドゥイーズルのバンドが、バックを演奏するという親子競演物です。これは、もう胸キュン状態で言葉が、ありませんでした。最後のメロディの所は、画面が、終わり、消えた後、ドゥイーズルのバンドだけの演奏で締めくくられました。感動ものでした。初日のアムステルダムでは、彼は、この時、涙したそうですが、良くわかる気がします。』ザッパの衣装とは、赤シャツで、ヘア・スタイルから80年頃とわかる。DVDでは、ZPZの演奏がやがてザッパの昔のギター演奏にバトン・タッチし、ドゥイージルはその画面を眺めて涙するというもので、アムステルダム公演だけではなく、かなりの回数で同じように泣いたのだろう。ここにもザッパの遺産をそのまま受け継いでいるZPZであって、今までのカヴァー・バンドとはわけが違うということをアピールしたかったようだ。だが、これは重要な問題も提出している。かつて筆者が「大ザッパ大雑把論」で書いたように、ザッパの音源を利用して、それに息子が手を加えて別の何かを生み出すということが現実化しているからだ。ザッパ没後十数年して、ザッパが残した音源は新たな段階を迎えている。そのひとつの出発点がZPZということになりそうだ。
 さて、「チャンガの復讐」が終わって時間切れになったらしいが、ゲイルの指示によって30分追加された。これはニューヨークでは組合の力が大きく、決められた時間をわずかでも超えると別料金を支払う必要があるからだ。盛り上がった演奏を見て、ゲイルはそのまま中途半端で終了するに忍びなかったのだろう。最初の曲目は「Imaginary Diseases」で、これはザッパの同名新譜に合わせた選曲だ。先日来よく書いた『relix』でもザッパの演奏する同曲をサンプラーに提供していたから、ゲイルにすれば、ZPZもそうだが、フランクのCDをもっと売りたいというのが本音だろう。ドラムスはジョー・トラヴァースが担当したが、ゲスト・ミュージシャンにテリー・ボージオが登場したので、ドラムのバトルという場面もあった。テリーはシースルーの黒のシャツを着て、昔と一応同じ若さに見えたが、高声はさすが苦しそうだ。ベースは大柄のピート・グリフィンで、一見したところ、パトリック・オハーンに似ている。面白いのは女性がひとりいて、かつてのルースを思い出させる。このシーラ・ゴンザレスは名前からしてヒスパニックだが、豊満な体をよく揺すりながらサックスを吹いたり、キーボードを演奏する。アーロン・アーンツというキーボード奏者がもうひとりいるが、寡黙な雰囲気だ。強いて言えばかつてのドラマー、チャド・ワッカーマンに似ているか。リズム・ギターのジャミー・カイムやパーカッションのビリー・ハルティングも同様で、やはりドゥイージルやゲスト・ミュージシャンの引き立て役といったところだ。こうしたことも大西さんの録音や文章からはわからない。その意味でもZPZの演奏がDVDで出る計画は正しい選択だ。

●2001年11月5日(月)夕
夕方。今日のように小雨が続く肌寒い日は1階では風邪を引きそうなので、それで校正は陽当たりのよい上の仕事部屋で行なうことにしたのだが、ステレオとCDプレーヤーのスイッチを押すと、プレーヤーの液晶表示がふっと消えて、うんともすんとも鳴らなくなった。先日から演奏中に液晶表示が消えかかったりしておかしいなと思っていたのだが、ついに作動しなくなった。過去に2回修理に出しているのだが、こんな故障は初めてだ。修理に出すのは重くて面倒だし、1万円ほどの出費も覚悟せねばならない。それに入ったままのCDを聴きたいのに取り出せない。この日記をつけ始めてからはラジカセを聴きながら1階のボロ机の上で作業を続けているので、ステレオはほとんど聴いていなかった。それが故障の原因とも思わないが、寿命なのだろう。妻に言わせると、一般人の10倍は聴いているので、壊れても当然とのこと。そのとおりだろう。しかし7、8万ほどした機種だし、愛着があるので修理に出すつもりだ。故障が『2』の作業が終わった後で本当によかった。ラジカセでは秒数表示がないし、音も悪いのでいろいろと不便だからだ。しかしこのラジカセも京都市が主催する市民リサイクル情報で、ある若い女性から2500円でつい数ヵ月前に買ったものだ。このラジカセは『2』の執筆には大いに役立った。さて、ステレオは諦めてつまらないTVのワイド・ショーをつけながら、ゲラのはみ出し箇所の訂正を始めて、さきほどそれを終了した。作業は簡単に済んだ。しかし、ふと見ると「冷める」とすべきところが「覚める」になっていたりして、間違いがまだまだありそうだ。やはり最初からもう一度順に読み返すべきか。読み返せば、また直さなくてもよい箇所に手を加えてしまうはずで、きりがない。筆者は友禅の仕事を全部ひとりでこなすが、それは外注費がかかることのほかに、失敗されることを一番恐れるからだ。他人の仕事を信用していないのではないが、多くの人の仕事を受けている外注は作業が機械的になりがちで、こちらが期待するように注意はしてもらえない。それに、手でする仕事を外注に出すということは、自作からは限りなく遠くなる。クールベも自信作は絶対に弟子などの手助けを受けなかったはずだ。ザッパもおそらくできるならば全部ひとりでやりたかった人間だ。ところが友禅では弟子や外注に大部分を任せて平気ということが常識となっている。それで作家と呼べるだろうか。当然自分でやっても間違うが、それは自分で直せるし、腹の立つ度合いも少ない。外注に出した場合は生地が行ったり来たりする移動時間だけでもかなり要し、結局仕事の完成は遅れる。ゲラに手を入れたくても、それでまた予想のできない事態や間違いが発生するかもという不安があるため、たいして違わない表現はもう直さないでおこうという気分になる。ワープロの1行40文字と『大論2』の1行28文字の違いに常々不便を感じていたが、先月ワープロの右端設定や左端設定が簡単にできて、1行を28文字にできることを発見した。それで前回の校正の最終段階では、その機能を存分に使用して本では何行の文章になるかかがあらかじめわかってとても便利であった。ザッパがシンクラヴィアを導入した際、分厚い解説書の隅々まで読むことをせず、簡単にできることでもいちいち回りくどい方法で入力していたそうだが、機械好きな人でも同様のことは経験があるだろう。このワープロを何年使用しているのに、1行の文字数が簡単に変更できることがわからなかった。というより、うすうす気づいていたが、面倒そうなのでわかろうとしなかった。それで、その便利な機能を使用しての前回の校正完了であったのに、どういう理由からか、半分しか思いどおりにならず、原稿がはみ出たり、逆にあまってしまった。その理由のひとつは前述したが、先ほどのチェックでわかったのは、ワープロで1文字分を占有する括弧などの記号が、本では半分の文字として処理されていることだ。つまりワープロで厳密に行数を整えても、ずれが生ずる。そういうように、厳密にこちらが作業を行なっても限界があることを知ると、なおさら誤字発見以外はもうほどほどの手直しでよいかと思ってしまう。それは昨夜の飲み過ぎの疲れもあるか。
by uuuzen | 2007-06-16 10:13 | ○『大論2の本当の物語』
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