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●音楽雑誌『relix』ザッパ特集、その15
き残しがないようにと、『relix』のザッパ特集ページを見直すと、コラムのシリーズがふたつある。これもついでに説明しておかねばならない。



まずひとつはザッパへの讃辞で、9名が寄せている。これら9名を順に書くと、レス・クレイプール(Les Claypool)、ヨーコ・オノ、ディスコ・ビスケットのジョン・ガットウィリッグ(Jon Gutwillig,The Disco Biscuits)、ゲイリー・ルーカス、アル・ヤンコヴィッツ、アンフレイズ・マギーのジェイク・シニガー(Jake Cinniger,Umphrey’s McGee)、ミーのチャック・ガーヴェイ(Chuck Garvey,mee)、ウェイン・クランツ(Wayne Krantz)で、英語表記を加えた者は筆者は知らない。各人文体が違ってそのまま人柄を表わしているが、讃辞であるから内容は月並みで、基本的にみな似ている。レス・クレイプールは、ザッパの曲では「ダム・オール・オーヴァー」が気に入っているようで、驚くべきほどタイムリーに作られ、ユーモアがあるとしている。ヨーコ・オノは、『大なり小なりザッパはわたしと同じ背景、つまりクラシックの前衛からやって来たが、その表現においては全く違っていた。作曲家としては、ロック指向の作詞作曲歌手の点において、わたしは彼のことを戦友と思っていた。彼はわたしたちの時代の天才のひとりであり続けたし、これからもますますそう評価されることでしょう』と書くが、さすが9人の発言の中では最も光っている。ジョン・ガットウィリッグはザッパのクラシック音楽家からの影響をまず書き、次にザッパのギター演奏より作曲家としてオーケストラの力を感じさせる曲により霊感を受けたとし、「エキドナのアーフ」「レジプシャン・ストラット」「チープニス」「誰が平和部隊を必要としているか?」「イット・マスト・ビ・ア・キャメル」といったように、好みのザッパ曲を上げている。次にギタリストのゲイリー・ルーカスだが、ちょっと凝った文章で、9人の中では一番自意識の強さを感じさせる。特に冒頭部分が目を引くが、だいたいこんな内容だ。『フランク・ザッパが死んだ時、他の若者のリーダーと同様に、政府のある機関によって「消された」としても自分は驚かないという気がした』。これはたとえばジョン・レノンと比べているわけで、表向きの死因とは別に政府の影を感じるという表現だが、ルーカスに限らず同じように感じた、感じている人は今でも多いことだろう。筆者も全く同じであったが、ケネディ大統領暗殺を思えば、政府にとってつごうの悪いロック・ミュージシャンなど簡単に抹殺出来るわけで、ザッパの死もそうした印象をもたらしているところ、今後天才に祀り上げられる材料に事欠かないと言える。次はアル・ヤンコヴィッツだが、パロディを売りとするかなり変わった音楽家で、個人的な話になるが、筆者はいつも東京のUさんを思い出してしまう。まともにヤンコヴィッツの音楽を聴いたことはないが、『ジュラシック・パーク』をパロディにしたビデオを何年も前に購入したことがあって、それを見て即座に彼のやろうとしていることがわかった。ザッパのパロディとは違って、辛辣さよりも温かい冗談さが前面に出ているのが特徴で、敵というものをあまり作らないのではないだろうか。ヤンコヴィッツの書く内容をまとめると、『自分のパロディはあたかもそのパロディされる本人がやると思えるものを作り出すことに主眼があるが、ザッパをパロディの対象にする時は特別のプレッシャーを感じた。彼は自分のヒーローのひとりであり続けたし、そのことを茶化したくなかったからだ。ザッパの様式がたくさんの部品から出来ているように、天才というものは9分間以上の長さがあるものだが、それを自分の3、4分間で張り合うのはザッパに対する冒涜というものだ。彼は自分の心の中にいつも温かい位置を占めている…』といったことになるが、謙遜と尊敬がよく感じられる文章でありながらユーモアもあり、さすがヤンコヴィッツという思いにさせる。残り4人のうち3人は写真があってギタリストであることがわかるが、筆者は知らないので割愛する。

●2001年10月31日(水)午前 その2
パソコンのワープロ・ソフトではどうなっているのか知らないが、筆者の原始的なワープロでは、一文書内に書き込み可能な原稿枚数は60から、無理しても72程度までで、前にも書いたが、これは不便でもあり、また思考の区切りになってつごうもよい。『2』の構造のかなりの部分をこの条件が規定した。一文書に数百枚単位で書き込みできたならば、『2』はもっとだらだらとした文章の流れになっていたはずだ。筆者の思いはすでに別のザッパの気がかりなアルバムに飛んでいるが、今はまず時代に逆行したような分厚くて重い『2』の売れ行きがよくなることを祈るばかりだ。さて、この日記は60枚単位の文書を順に増やして、昨夜まででちょうどそれが9つ終了した。つまり540枚書いたことがただちにわかる。今日の分はいわばおまけであり、10枚書けば、合計550となって、『2』の価格5500円の10分の1で何となく語呂合わせのようになる。書き始めた頃に書いたように、80年代末期に友人知人に毎月100枚の手紙を丸3年続けて出したことの久々の再現がこの日記であった。B5用紙にびっしり書くと原稿2枚分にはなるので、この約2ヵ月間のゴー・ゴー主義による550枚の日記はその手紙の再来と同じ規模だ。最初から人に読んでもらうという目的があるので張り切れるのだが、その分わざとらしさが混じったかもしれない。何の得にもならないどころか、非難轟々で骨折り損が関の山は覚悟だが、ま、こうして書くことが楽しければそれでよい。多くは期待しない。そんなことを思いながら、最後のつじつまを合わせようとしているのだが、そうはうまくは行かないか。本職の方はキモノがふたつ注文が入っているが、来年4月までに納入すればよい。しかしその仕事をせねば他には収入がないので、いよいよ取りかかって年内には納めたい。それに昨日は染色の個展を観て、創作もやらねばならないという気持ちがふつふつと湧いて来ている。次の個展会場の画廊は今春に紹介者の立ち会いのもとに決めたが、『2』の作業がずれ込んで作品の制作がストップしたまま。来春どころか秋でも無理かもしれない。狭い世界に作家が無数に存在するし、半端ものの筆者はアマチュアのごとく誰からも期待されていないので、無理して作品作りをする必要などないのだが、何もしないでは退屈。自分のできることは他にないので、『2』の仕事が終わった今はまた本職に戻らねばならない。次の日曜日にリストラされた友人とは難波で飲むことにしているが、気落ちしているのをどう慰めていいやら。人の経済状態を心配するより、自分の尻にいつも火がついているのに呑気なものだ。その友人宅から近い談山神社に今年こそ紅葉を見に行きたいし、今朝の新聞を見ると、明日から司馬遼太郎の記念館がオープンし、2万冊の蔵書を天まで届くかのように本箱に整理した館内が見物できるとある。これも見に行きたい。それに『天神さまの美術』を初めあちこちの展覧にも行かねばならない。また明日からは梅田の阪神百貨店は秋の「ジャンボ雑端市」を開催する。明日は石原さんにこの日記の21日以降の分を送信するために大阪に出ようか。ゴー・ゴーという陰の声が聞こえる。これでちょうど550枚の特典終了。得点は何点? 難点だと? 何てんこと言う!
by uuuzen | 2007-06-05 12:07 | ○『大論2の本当の物語』
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