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●音楽雑誌『relix』ザッパ特集、その8
weezil(ドゥイージル)のインタヴュー記事からもう少し書いておこう。



6つ目の、推薦番は何かという質問に対しては、『アポストロフィ』と『オーヴァーナイト・センセーション』の2枚を上げている。この2枚をリアル・タイムで聴いた筆者の意見を言えば、確かにこの2枚から音ががらりと変わった記憶がある。そのため、この2枚は今でも新鮮さを失っていない。後者の方が曲がみな区切られてアルバムとしてはまとまりがあるように感じられるが、前者は組曲風に編集され、しかも特にザッパしか書けない曲ばかりで構成され、ロック・アルバムの概念からは逸脱している。ドゥイージルのこの2枚の推薦は、最近出たDVD『クラシカル・アルバム』でも繰り返されている。それはスタジオ内でドゥイージルがこの2枚のマスター・テープを操作しながら、多重録音された各パートのヴォリュームを上げながら、あれこれと説明するというシーンで、ドゥイージルが改めて父親が作った音楽に感嘆している様子が映像とともによくわかる。同DVDについてはまここのブログで取り上げる予定でいるが、ドゥイージルがこの2枚を最も気に入っていることから生まれた企画で、しかもそれは去年の今頃のこの雑誌インタヴューですでに予告されていたことがわかって興味深い。一方3番目の質問では、ドゥイージルはザッパのベスト・ギター・サウンド曲として「Watermelon in Easter Hay」を上げている。これは以前からよく知られたことだが、ザッパがギター・ソロをどのように特徴的な方法でいつも録音していたかを分析し、演奏そのものではなく、そうした科学技術に属する点でも工夫をしていたことに今さらに感心している様子がうかがえる。これについて関係するのが2番目の質問だ。ドゥイージルは自分のギター装備によって一応は父親のサウンドを模倣する、あるいは少なくとも音楽の内容に沿ったものを演奏すると答え、父親とは違ったスタイルを持っているが、父親の音楽を演奏する時には誰でもその慣用句的な何かを演奏する必要があると続けている。だが、ドゥイージルにもこだわりがあって、父親が演奏しなかったマリンバやキーボードの興味深いメロディを学んでいると加えている。「フランクはふたつの独特な様式を持っていた。奇妙な音のグループと、発音法とピッキングだ。これはぼくにはまね出来ない。それほど独自のものなんだ。ぼくはそれを鶏と蜘蛛の戦いと表現するよ。フランクはピッキングの最中にかすれた音を許容したしね。ギター様式の核はブールス要素だった。そしてジョージ・ベンソンやヴァン・ヘイレンのように単音を際立たせる様式に固執する演奏者ではなかった。フランクの方法と音色は張り合うにはもっと複雑なものだったんだ。それは経過を通しての全く違った、そしてある確かな感情的な応答に由来するものだったからね。フランクがソロを演奏する時は、矩形や長方形といった、空気を彫刻することを考えたんだ。自分の音を聴きながら同時にそのこと全部をやり続けたんだ。ほとんどのギター演奏家はこんなもんだけどさ、『ヘイ、ぼくの演奏ちゃんと見な!』」。直訳で硬い表現になったが、原文の単語をイメージしてもらうにはその方がいいだろう。明日もう1回ドゥイージルのインタヴューについて書こうと思う。

●2001年10月28日(日)夕 その1
昨夜は続きを書いたのだが、BGMをアマリア・ロドリゲスの歌声にしたためか、内容が一段と暗くなってしまい、続ける気が失せ、全部消してしまった。それはこの日記を始めて最初の行為だ。ということは昨日書いた内容は全体的にかなり毒の効いたもので、読者にしても面白くないかもしれず、いっそ全部消そうかと思わないでもないが、それももったいないか。紙に書くのとは違って、ワープロの場合は一瞬に消去できるのはよいが、消した後では内容をもう正確には再現できない。それで今日はまた別のことを書こう。昨日の朝、府立総合資料館に電話して、伏見人形についての蔵書の有無を確認した。実は一昨日、寺町の商店街の古本屋で伏見人形の本があるかどうか訊ねた。すると、丹嘉の大西重太郎が3、40年前に出した作品解説の限定本が最近1万円少々で売れたが、それ以外にはもう1冊昭和30年頃に出た薄い本を知る程度で、長年この商売をやっているのにほとんど他には見たことがないとの話であった。それで早速資料館に問い合わせたのだった。すると伏見人形の本は数冊あるが、大西重太郎著の限定本は京都のどの図書館にもないとのこと。昭和30年頃の薄い本というのは重太郎の父信太郎の著作で、それはあると言う。しかし貸し出しはできないので、資料館内で見るしかない。昨日の午後は思いきって出かけるはずが、向こうに着いても読書の時間がさほどないので諦めた。それにしても改めて本というものの存在の大きさを思う。著者が死んで何十年経っても、図書館に資料として蓄えられる限りは、見ず知らずの人がその本に直接に出会える。仮にそれが100万か1000人にひとりいるかいないかの物好きであっても、そのひとりの物好きがその本を読むことで、本の内容がまたどんな形で広まって世間に反響を呼び起こすかわからない。以前書いたように京都の市立中央図書館は人気のない蔵書は10年ほどで廃棄しているようだから、総合資料館に長年収蔵されるような幸福な本は案外少ないのかもしれないが、最低でも500とか1000冊印刷される本であるので、つまらない本でも1冊くらいは100年後にもどこかで残るのだろう。先月は100円で「週間現代」のビートルズ来日一週間前の号、つまり1966年6月頃発売の古本を買ったが、その表紙が黒を背景にした女性写真で、今と同じなのに感心したが、内容も今の週刊誌とほとんど何も変わっていない。印刷が全体によくなっただけで、懐かしい反面、こんなものだろうなという気分であった。それでも内容はともあれ、その気になれば当時のレタリングやレイアウトの好みがよくわかるので、デザイナーにすれば面白い資料になる。古い本というのはそのように内容以外の物としての全体的な骨董的味わいが楽しい。『大論2』はどういう表紙デザインになるかまだデザインが届かないが、2001年の現在最新の味がそこに盛られるとしても、筆者がいなくなった50年後にそれを手に取る人は、何と古い時代の産物と感じるだろう。しかし50年後にいったい誰が図書館で読もうとするか、あるいは資料として保存している図書館があるかどうか。それに日本の国が海に沈没しているかもしれない。
 今日はついにチケットを買ったままになっている映画を観に出かけたが、立ち見ということで引き上げた。火曜日にまた出直すことにして、せっかく河原町に出たので、あちこち寄り道した。そして百貨店のNTTコーナーで無料インターネットを一時間ばかり。日本のザッパ関連のホームページをいろいろと覗いたが、たいした動きはなかった。ヤフーのオークションを見ると、ザッパのCDなど新たに追加している売り物があったがこれもたいしたことなし。伏見人形を検索すると、以前にあった3点がまた同じ値段で再登録されていたが、今回は1点新出品があった。丹嘉製の「熊乗り金時」で、これは先日筆者が買った「松引き」と同じ大きさだ。金時の顔や体は全く同じ(ただし熊に乗っているので体はふたまわり小さいはず)で、写真で見る限りは新品同様だ。丹嘉店内のウィンドウには同じものが飾ってあった。今は作っておらず(つまり在庫切れ)、今度作ったとしても2万は下らないだろう。これが最低落札価格1万円であった。まだ誰も入札していない。残り5日とある。友人に頼んで入札してもらおうか。しかしこの調子で次々買うととめどがなくなる。5000円ならすぐに買うつもりだが、1万円ならまたいつか出るだろうという思いもある。そんなことをあれこれ考えながら帰って来た。その出品者は業者のようで、今までたくさん同じような骨董小物を販売している実績があることもわかった。それにしてもインターネットで写真で物を確認できるのは不完全とはいえとても便利だ。デジタル・カメラがあればすぐに写真を撮ってパソコンに取り込めるから、パソコンを買うならカメラも一緒だなとは思う。筆者の本職にも意外に役立つか。この日記にしても、CD-Rに焼きつけをするならば写真掲載が可能であるはずだから、毎日こんな文章だけではなく、必ず1枚写真がついていれば、もっと楽しいものになったろう。「写真付日記風随筆的五月王大雑葉論弐」などというタイトルの特典とすれば、より話題になったかも。

by uuuzen | 2007-05-27 10:33 | ○『大論2の本当の物語』
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