人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●「ロックの殿堂」続きその1
設紹介のパンフレット寸法の国際基準としてA4サイズが主流で、その縦方向を3つ折りした縦長の封筒サイズが日本でも基本になりつつある。「ロックの殿堂」も同様だ。




●「ロックの殿堂」続きその1_d0053294_752557.jpg開館以来デザインは何度か変更になっているだろうが、大西さんが去年訪れた時のものは、両面が赤茶の地色で、表紙は「EXHIBIT GUIDE」の文字にエイリアンやギター、車、サックスなどのオブジェが絡みついたデザインになっている。A3に広げた中身には、ボブ・ディランの大きな顔写真を背景に施設各階の説明が書かれる。このパンフレットとは別にA3を3つ折りしたものと同じ大きさの両面印刷した資料もある。こちらは地図が載り、建物の写真からはガラスのピラミッド型の概観がよくわかる。日本のように鉄道網が発達していないので、車で訪れるしかないが、クリーヴランドは五大湖最南端のエリー湖畔にあって、シカゴやデトロイトが近い。このことからも音楽に因む街であることがわかる。近いと言ってもアメリカの距離感で、日本で言えば数百キロだ。ニューヨークからは西に600キロ程度で、アメリカではさほど遠くない感覚か。ロックンロールという言葉を生んだ街、そして「ロックの殿堂」によって、今後ますます街の名声も高くなるだろうが、ロックンロールがこの半世紀の間に多様化し、単にロックと呼ばれる音楽や、パンクあるいはレゲエその他、あらゆる要素が混交したことを思うと、今後どのように拡散して、しまいにはロックンロール、あるいはロックという言葉が時代遅れになるかもしれず、文字どおり「ロックの殿堂」が古色蒼然とした博物館としての機能しか果たさなくなる可能性もある。前述のはがき大資料の地図が印刷される面には、プレスリーを思わせるロカビリー歌手の下半身写真が採用されているが、そうした音楽は今の10、20代の若者には完全なレトロ以外の何物でもないであろうし、すでに「ロックンロール」が死語に近いものになっている感さえある。いや、「ロック」という語感ですらそう言えるだろう。だが、どのように今の流行音楽が呼ばれようと、その源にロックンロールが大きく占めていることは紛れない事実だ。新しいものは必ず過去の遺産にその萌芽がある。遺伝子の宝庫として、こうした施設を建てて顕彰することは恩義とも言うべきだろう。

●2001年10月19日(金)夕方 その1
夕方。午後3時頃に出かけた。丹嘉へ行った。今日は京阪電車の伏見稲荷ではなく、ひとつ北側の駅の鳥羽街道で降りた。地図で見るとどちらで降りてもちょうど中間で、歩く距離は変わらない。電車賃も同じ。丹嘉のウィンドウは前とは違って、大きな飾り馬がなかった。煉瓦色の暖簾がかかっていて、ブザーを押してから扉を開けて中へ。奥で座敷犬が2匹けたたましく鳴く。女性が出て来たが、見るだけと断るとすぐに引っ込んだ。左手に大きなウィンドウがあり、そこは全部見本品が並べられ、鍵がかかっていた。ざっと300種はあっただろうか。びっしりと並んでいて、どれも色彩が美しい。ただただ圧倒された。これほどのものがこの場所で生き続けている。ただの1件だけかもしれないが、それでもこうして確実に技術が伝えられているのであるから、将来は安泰だと思えた。右手の小さなウィンドウには販売品が2、30並べてあった。新京極の店にあるものもある。ただし新京極の店にあってここではないものもある。筆者が買った力士大黒は見本を並べるウィンドウにもなく、また買うと予約している松引き金時もなかった。となると、見本として並べられていないものがまだまだあるはずで、数百種の型が存在しているのが実感できる。右ウィンドウの後ろ、つまり入口を入ってすぐ右は畳の部屋で応接用兼事務質に使用されており、その奥にもウィンドウがあって商品が並べられていた。パルス・プラザで買ったのと同じ礼者猿があった。4000円だった。見ているとどれもこれもほしくなる。しかし、骨董屋で昨日見かけた鯛抱き童子と似たものはあったが、同じ形のものはなく、それに丹嘉のものはやはりどう見ても戦後の色合いをしている。昨日のは色合いが違って懐かしさは勝っていた。古いものが価値が出るのはわかる気がする。そうこうしている間にサラリーマン風の30代のスーツ姿の男性が入って来た。てきぱきと猫ばかり3、4点指さして買った。17000円ほどであった。おそらく猫ファンなのだろう。もう何度か訪れてよく知っているという雰囲気で、明らかに言葉からして関東に人であった。筆者もひとつ買ってもよかったが、ほしいと思ったものが新京極の例の店でも同じ価格で出ている。商品ウィンドウに並んでいるものが予想外に少ないので、そのことを訊ねると、品切れが多いそうで、次にどれをいつ作るかは決めていないという。何とものんびりとした話だ。型と商品見本があるので、いつでも同じものが作れるのだが、その大半が品切れで、見本のウィンドウを覗き込んで楽しむしかないとは、時間の感覚が違う。300年くらい続いている老舗とはそういうものだろう。つまり、ほしいと思ったものはすぐに買っておかないと下手をすると一生入手できない恐れがある。新京極の店の人が言ったのはそのとおりで、丹嘉にないものが新品であるからこそ、商品を全部買いたいという業者もあるということだ。よく知っている人だけを相手にして充分に商売が成立する。実際、丹嘉の店内の貫祿は他ではあまり見られないもので、そこだけ時が止まったままのようだ。今後100年どころか、2、300年でもそのままに続く店のように思う。見本の中には絣の着物を着て、学生帽子を被った少年の人形が数体あった。これは他とは異質で目を引いた。明治か大正期に新たに作られた題材であろう。ほとんど初めて見るもので、これら全部がカラー刷りの本になっていないのが何とも惜しい。それにしても改めて京都の奥深い文化遺産を見る思いがした。当分伏見人形についていろいろと考えてしまいそうだ。
by uuuzen | 2007-05-07 07:54 | ○『大論2の本当の物語』
●ザッパと「ロックの殿堂」 >> << ●「ロックの殿堂」続きその2

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?