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●ミラー・シアターでの現代音楽演奏会、「作曲家の肖像」の6人
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●ミラー・シアターでの現代音楽演奏会、「作曲家の肖像」の6人_d0053294_21364420.jpg

ミラー・シアターの去年秋から今年春にかけてのシーズンの演目を掲載したプログラムの話の続きだが、「LOST HIGHWAY」の次には、緑色地の3ページにわたって「作曲家の肖像」と題して、計6名の作曲家の公演がまとめて掲載されている。各作曲家はトランプになぞらえて肖像が掲げられているが、これはプログラム表紙の下に写るサイコロと関連している。緑色地は、ルーレットで使用するコインを賭ける数字を印刷したフェルト生地に通じているからだが、この小冊子全体がラスヴェガスの賭博場のイメージに強く関連づけられ、「作曲家の肖像」の3ページ以降に印刷される古楽やジャズなどの出し物にも同様のイメージが使用されている。つまり、今シーズン全体がひとつの系統立った図像によってまとめられているわけで、こうしたセンスは日本ではまず許されないのではないだろうか。そこには、いかにも楽しい、そして音楽に分け隔てのない様子を視覚的に示していて、どんな音楽でも楽しもうという積極的な意気込みが見られる。「作曲家の肖像」の6人を順に書くと、ジョン・ゾーン、ジュリアス・ヘンフィル(Julius Hemphill)、エドガー・ヴァレーズ、フランク・ザッパ、スティーヴ・ライヒ、キンモ・ハコラ(Kimmo Hakola)で、筆者はヘンフィルとハコラの音楽は聴いたことがない。説明によるとヘンフィルは黒人でジャズ畑の人だが、1938年生まれで95年に亡くなっている。クラシックとジャズを同等に扱って曲作りをした人で、当然予想されるようにブルース感覚が基調になっているようだ。アンソニー・ブラクストンなんかを思い出してしまうが、ジャズを背景にする黒人現代音楽家の系譜があるのは充分に想像出来ることで、そういうところからこうしたシリーズの公演で紹介しようというのは、人種が多様なアメリカとしても当然あるべき姿なのだろう。ハコラは名前からしてアメリカ人でないことはわかるが、1958年生まれのフィンランド人だ。ミラー・シアターでは初登場、しかもニューヨークでは最初の大規模な公演で、その音楽は「intense and chaotic(激しく混沌とした)」とある。弦楽四重奏などの室内楽曲でいったいどのような派手な音を聞かせるのか興味が涌くが、アメリカと強い関係があるのかないのか、外国の作曲家を紹介するところからは、このシリーズ公演がさらに開かれたものであることがわかる。おそらく日本で同様のものを企画しても、いくらでも日本人作曲家がいるという理由で、外国人は排斥されるに違いない。フィンランドと言えば、即座にシベリウスを思い起こす知識に乏しい者からすれば、同国の現代の作曲家がどういう表現をするのか関心がないではないが、アメリカの有名な映画監督にフィンランド系がいて、そこから類推するに、フィンランド系の社会が案外アメリカに根を張っていて、ハコラの紹介を促したのかもしれない。

●2001年9月30日(日)深夜 その2
最も印象に残ったのはイソップを基にした『アリとキリギリス』だ。冬になって死ぬ寸前のキリギリスは食料を乞いにアリ(フィルムでは婦人として象徴化されていた)を訪れるが、アリは夏の間ヴァイオリンを弾いて遊んでばかりしていた報いだと言って家の扉を閉ざしてしまう。生き倒れになっているところをリスやネズミが助けて、暖と食を与る。そして地中の部屋で再びキリギリスはヴァイオリンを奏でる。その音楽をふと耳にしてやって来たアリは、リスから「夏の間食料を溜め混むばかりで、困っているキリギリスを助けなかったではないか」と追い返されかけるのだが、キリギリスはそれを止めて、アリを部屋に招き入れ、みんなでまた踊れるよ言ってヴァイオリンを奏で始めるところで終わる。このキリギリスはジプシーの象徴やあるいはライニガー自身のことと思ってもよいだろう。日本ではこのイソップの話は馬鹿なキリギリス対賢いアリというように教えられて来たものだが、ヨーロッパではそうではない。溜め込むばかりのアリはつまらない存在で、人を助けようともしない無慈悲な神経をしているのであって、本当はみんなが楽しめる音楽を奏でてくれるキリギリスを助けてこそ、みんなの生活に潤いがあるのだという教訓だ。日本は音楽などにうつつを抜かす存在を軽視して世界に冠たる経済大国にはなったが、溜め込むばかりの性質は相変わらずで、キリギリス的存在の芸術家などどうでもよいと考えていることは、バブル崩壊後のメセナの急速な萎みによってもよくわかるのではないか。話がえらいところにそれた。今回3回目を迎えた京都映画祭のポスターやチケットのシンボルは、子ども用のセルロイド製の鞍馬天狗の仮面で、おそらく30年代のものだ。今でも夜店などには仮面屋があって、筆者はそれを眺めるのが好きだが、さすがに鞍馬天狗は売られていない。もはや時代劇の時代ではないのだ。目につくのは仮面ライダーやアンパンマンのキャラクター・シリーズやキティちゃん、それにディック・ブルーナのあのウサギなどで、こうした仮面は永遠に作り続けられて、どうやら伏見人形より長生きしそうな気配だ。丹嘉には大黒やえびすなどの土仮面が入口に掲げてあったが、伏見人形が衰退したのは国鉄が敷かれて街道を歩く必要がなくなったことと、ブリキやセルロイドの玩具が登場したことによる。軽くて強く、割れずに汚れが簡単に拭き取れるのであるから、土人形の人気がなくなるのは無理もない。京都映画祭のシンボル・マークがセルロンドの仮面であるのはなかなか意味がある。映画が登場した頃とそれはおそらく軌を一にする。つまり間違っても伏見人形が映画祭のシンボルに使用されることはない。アメリカのトム・ウェッセルマンは日本のセルロイド仮面と同じような裸体のセルロイド・レリーフ作品をしばしば作っているが、実はザッパ仮面を3年前に筆者が作った時、セルロイドで量産する方法はないものかと思ったりもした。ところで、この日記における伏見人形の話は、つまりザッパ仮面から派生したものであることをここで再確認してほしい。
by uuuzen | 2007-04-02 21:38 | ○『大論2の本当の物語』
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