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●ミラー・シアターでの現代音楽演奏会、ジェスロ・タル風デザイン
ェスロ・タルが1991年に発売した「Catfish Rising」、つまり「鯰が跳びはねる」と題するアルバム中に「Rocks on the Road」という、ちょっと印象的な曲がある。




●ミラー・シアターでの現代音楽演奏会、ジェスロ・タル風デザイン_d0053294_10403811.jpgこの曲はタルのリーダーのイアン・アンダースンが気に入っていたのか、2枚組みのシングルCDとして同年に独立して発売され、その箱のデザインが「Catfish Rising」の黒を基調としたものとは全然違って、いかにもアメリカ的であった。そして、そこに取り上げられた写真には、「LIQUOR」と大書されたネオン看板が目立ち、それはミラー・シアターの今シーズンのプログラムの表紙デザインをそのまま思い起こさせる。タルはアメリカをツアーして回った時、各地で大型のネオン広告と、しかもからりとした青空に強く印象づけられたのであろう。「路上の岩」と訳せるそのシングルCDのタイトルは、各国を長期ツアーしながらいろいろと感じたことをそのまま曲作りに生かしたことをなぞらえているわけだが、「岩」はもちろんロック音楽の「ロック」で、なかなか洒落ていて面白い。典型的なアメリカの光景として、大型のネオン広告を連想するのは、ジェスロ・タルのようなイギリス人だけではなく、どうやら世界共通の了解のようで、ミラー・シアターのプログラム表紙がそれをあえて踏まえてそのような要素をデザインしているところもまた面白い。話は少し脱線するが、アメリカの風景の代表的要素であるこの大型ネオン看板塔とでも言うべきものは、アメリカの有名な建築家も強く意識して、自分の作品に積極的に取り入れたことがある。建築家の大西さんならすぐにその名前が出るだろうが、筆者は今急に思い出せない。それはさておき、プログラム表紙がそうしたアメリカの代表的要素を全面的に用いているからには、この劇場で上演される音楽はみなメイド・イン・アメリカ、しかもなるべくニューヨークらしいものになるのは当然であろう。昨夜書いた「DANCE」の次のページに掲載される演目はオペラだ。プログラムでは見開きで紹介されていて、大西さんは別に長い形の、つまり大型はがきも持って来てくれた。タイトルが「LOST HIGHWAY」で、どうやら今シーズンの目玉のようだが、それを意識したために、プログラム表紙に大型ネオン広告がデザインされたのかもしれない。

●2001年9月29日(土)夜 その2
『目覚める夢を見た』はジョン・ブーアマン監督の作品で、アイルランドの美しい自然がふんだんに映る中、チーフテンズの音楽がいろいろとずっと鳴り続けた。またパディ・モロニィ自身も出演してユーリアン・パイプを奏でるシーンがあった。雄大な湖や森林の風景の中に請け幻想味や、そしてユーモアも忘れない作品で、同監督の映画をよく知る人は必見すべきだ。大島渚の作品『キョート・マイ・マザーズ・プレイス』は日本では未公開で、京都映画祭にふさわしいものだった。筆者の住むすぐ近くの嵐山から始まり、そしてこれも筆者の庭のように近い松尾大社のシーンで終わるのだが、監督の意外な経歴がよくわかったし、京都という1200年を越す歴史の地の、人を知らず知らずに影響を及ぼす呪術的とも言うべき魅力をよく伝えていた。京大法学部に在学しながらも勉強はほとんどやらずに、西部講堂の楽屋に浸りっ放しで演劇活動ばかりに明け暮れていた語るシーンでは、実際に同講堂を訪れて撮影したシーンが映るが、『大論2』では同講堂のことを詳しく書いたので、これは帰ってからこの日記で触れておかねばと思った。50年頃に大島渚は同講堂の改革案を大学に提出したというが、共産党支配の京都ではその案は受け入れられないものであったと語っていた。どのように改革されればよいと思っていたのだろう。建物をもっと立派なものにしてほしいと訴えたのだろうか。もしそうなっていればザッパの公演は開かれなかったかもしれない。モホイ・ナジの3本の短編は、ナジの芸術からすれば、さほど凝ったものではなかったが、その分ナジの出自がどこかで反映したものとも思える。特に『大都会のジプシー』はよかった。ジプシーが道行く人の手相を見たり、物乞いのような行為をしたり、あるいはギターやヴァイオリンを持った楽士が何人も集まって演奏するはと、子どもや女も寄って来てみんなで踊る。この時、生演奏のクァルテットのひとりはヴァイオリンに持ち替えて、フィルムのヴァイオリンの動きとぴたり合わせてジプシー・ヴァイオリンを奏で、その激しい演奏で筆者も踊り出したくなるほどであったが、今夜の演奏の圧巻がそう数分であったとしてよい。モホイ・ナジはナチが政権を握ってからはアメリカに移住して、新しいバウハウスの設立に奔放するが、フィルムに映されたそれら多くのジプシーたちが、その撮影直後にナチによって捕らえられ、強制収容所送りになったことを思うと、なおさらそのフィルムがよくぞ撮られたと感に耐えない。
 『伯林-大都会交響楽』はカメラ・ワークと編集が見物で、題名が表すように、映像に添える音楽を充分に考慮して編集されたという。ナチ時代にはレニ・リーフェンシュタールと組んで名作を撮るカメラマンというから、その腕は確かだ。ナジの短編の後にこの作品が来るのは全体の構成をよく考えている。『アスファルト』の冒頭ではベルリン市内の交通整理の様子や夜の雑踏がふんだんに映ったが、それとも呼応している。69分の作品で、ベルリンの朝から夜まで、あらゆる社会階級のあらゆる人々の生活を5幕に分けて綴る。それで驚くのは、本でよく書かれているように、この20年代のベルリンで現在の都市文化が完成したということだ。本当に今見られるものはすべて当時のベルリンにあったと言える。女性ファッション・ショー、マネキン人形のあるショー・ウィンドウ、通勤ラッシュ、交通渋滞、ビルの間を走る列車、新聞の印刷、オートメーション工場、ジェット・コースター、大金持ちと貧乏人などなど、本当に何もかもある。首と腰を振る女の子と男の子の高さ十数センチの人形が映ったが、今のよくあるキャラクター人形そのものだし、夜の歓楽街で映画館の看板に「トム・ミックス」の文字が光っていたのは、アメリカの西部劇がベルリンでも人気があったことがよくわかって興味深かった。もちろんトム・ミックスはザッパが69年春に住んだロサンゼルスフのログ・ハウスの元所有者で、間接的にはザッパと関連がある。20年代のベルリンの映像のそんなごく些細な箇所を見ると、それが70年以上も前のことだとはとうてい思えないし、第2次大戦で焦土と化してしまったこともまた想像しにくい。その意味で映像とはとても不思議なものだ。そんなことを思いながら、30分かけて夜の河原町通りを徒歩でとぼとぼ南下したが、今見ている京都の町が70年後にどう変貌しているだろうと考えると、何だか自分を影と感じた。そして新京極の伏見人形を売る例の土産屋の前を通ると、筆者が買った後に空いた場所にはまた別の人形が占めているのがちらりと見えた。そうして失われた場所には常に新しい何かがやって来て後を埋める。筆者は十代からドイツ美術が好きで、92年に訪れた時、ロンドンにはさほど感激はなかったが、フランクフルトは何となくがさついた街であるにもかかわらず、ドイツの方がいいように感じた。あまりに上品に澄まして整然とした街より、雑然とした感じの方を好む。それは大阪育ちであるためか、今もって京都にはなかなか馴染めず、よそ者のように感じる。ここが本当に自分が求めていた場所だと、『目覚める夢を見た』では監督が独白していたが、そういう安らぎの場所に巡り会えるのは幸せ者だ。さて、帰宅すると工作舎からはゲラ刷りが届いていなかった。それでまた食事後にこれを書き始めた。この調子では明日も届くかどうかわからない。京都映画祭は明日が最終日で、ドツイ文化センターではロッテ・ライニガーの影絵アニメ特集がある。当日券は1000円也。またとない機会なので、明日も午後から映画鑑賞ということにしよう。

by uuuzen | 2007-03-31 10:41 | ○『大論2の本当の物語』
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