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●「MES AMIS,MES COPAINS」
水取りで焼かれた若草山にも若草がぐんぐん生え出していることだろう。昨日とは打って変わった好天気で、窓から見える光に満ちた景色が楽しい。菜の花や白い蝶、遠くには開花した桜が見える。



●「MES AMIS,MES COPAINS」_d0053294_2154121.jpg今日は何度も迷いながら、カトリーヌ・スパークの「若草の恋」について書くことにした。1965年のヒット曲で、当時14歳になるかならない頃の筆者は、ラジオのヒット・パレードで聴いてとてもよく記憶している。ヒットしたのはビートルズの「恋を抱きしめよう」より少し前だった気がするが、あまり歌が上手でない、いかにも素人という感じの若い女性がイタリア語かフランス語でけだるそうに、またちょうどほどよいテンポで歌うことに惹きつけられた。当時の洋画通ならばカトリーヌ・スパークがどういう顔をしていて、どういう映画に出ていたかを知っていたろうが、中学生であった筆者はまだその部類ではなく、長年顔も知らなかった。だが、名前が格好よく印象的で、若さのシンボルのような響きがある。何年か前の夜、この曲を思い出し、所有する60年代のヒット曲を録音した10本近いカセットを取り出して順に聴いたが、不思議にも録音していなかった。それからしきりにレコードがほしくなった。幸いなことに、ネット・オークションではたまに出品されるようで、運がよければ1000円程度で買える。スパークは今でも特別に人気があるようだ。よく行く中古レコード店に訊ねると、もっとレアなシングル盤が別にあって、それは○万円もするとのことだ。スパーク出演の映画のDVDも割合に高値で買えるが、まだ今のところはぜひとも観たいとは思わない。CDも出ていて、そのジャケット写真はなかなか魅力的だ。それだけでも買ってもいいかなとふらっと思ってしまう。それは一言すれば、女性のフェロモンということになるだろう。『冬のソナタ』には、「好きには理由がない」といったセリフがあったが、まさにそれだ。気づけば魅力にはまっているということが人間にはよくある。中学生の筆者がラジオから流れるこの曲の歌声に魅せられたのは、曲がよいことが最大の理由であったが、実はそれだけではなしに、声に自分よりやや年長の若い女性のフェロモンの発散を感じ取っていたかもしれない。「フェロモン」と言えば、何だかおっさん臭い表現でよくなく、「エロスの見えない力」とでも言い換えれば、もう少し高尚っぽく聞こえそうだが、ま、そういう「何か」を感じることが出来るようになっていたのが当時の筆者であったのだろう。だが、もう少し子どもの小学3、4年生であってもことは同じであったかもしれない。
 思春期がいつから始まるのかは個人によって差があるが、改めて思えば、「思春」という言葉も何だか言い得て妙で、その「春」に込められる意味はとてもエロティックだ。これは「売春」という言葉が連想されるからでもあるが、「春」の字にはとかく色っぽいイメージが付与されて来た。話は変わるが、昨夜のTVで今年の桜の開花に因んで、日本のソメイヨシノが温暖化のためにだんだんと生息出来なくなって来ていることを伝えていた。これは沖縄ではソメイヨシノが咲かないことを思えばよく、大阪や東京が年中レゲエを聴いて、暑い暑いと言って過ごす都市になるのもそんなに遠い先のことではないようだ。花見の贅沢はごく一部の金持ちが青森あたりに行ってするものということになったらなったで、庶民は桜ではなく、別の花で花見をする風習が生まれているかもしれない。春もいろいろで、筆者は桜はあまり好きというほどでもなく、春先に咲く梅の方が清楚でよいと思う。梅も桜も同じバラ科であるのに、両者は全然違った感じがあって、これも咲く時期が異なるからだ。桜が咲く頃は温かくて過ごしやすく、それはそれでとても気持ちよいが、物事をじっくりと考えるには不適切で、どうしても心が浮き立ってしまう。あたり一面に花の色が溢れるからだが、酒が入って酔っぱらうこととも関係する。梅に茶は似合っても、派手な桜は酒がなくては始まらないからだ。そして、桜の花見をする時、地面には若草が生えているもので、そこに敷物をして花を愛でることになるが、地面に座って花見をする桜と違って、梅は必ず立ったまま見る。ここにも両者の違いがよく表われている。緊張の梅と弛緩の桜と言い換えてもよい。だが、梅の緊張があった後で桜の弛緩が訪れるのは、順序としてはとてもうまく出来ている。カトリーヌ・スパークのこのレコードのジャケッイトはピンク色を主体にし、梅より桜といった感じだが、「若草の恋」とはよくぞ名づけたもので、原題ばやりの近年にあっては得難いセンスだ。原題そのままがよいとの意見があるが、この曲の「メザミ・メコパン」では日本では大ヒットしなかったろう。ジャケット・デザインもなかなか優れていて、手書きのレタリング文字と無駄のないレイアウト、黒とピンクだけの2色刷りによって、スパークの初々しさをよく引き出している。何でもフル・カラー印刷があたりまえになった現在は、かえって面白い感覚のデザインをすることが困難になっているように思うが、60年代半ば頃までは、邦楽洋楽ともにシングル盤のジャケットはみなこうした墨に色版1色という印刷が主で、それが筆者には年々懐かしく、また貴重なものに思えるようになって来ている。限られた製造原価の中でデザイナーが腐心したことがよく伝わり、その努力の跡が好ましい表現として昇華したのだ。
 このレコードのスパークの顔は選り抜いたものではないだろう。ごく限られた資料写真があって、その中からどうにかましなものを選んでトリミングした感が強い。だが、かえってそれがスパークの飾らない様子を伝えて生々しい親近感を伝える。ここに写るスパークはびっくりするほどの美人というわけではない。もともとスパークはそういうモデルめいた顔をした美人というわけではない。体格がよく、肉体派と呼んでいいが、顔にあどけなさがあって、しかも全体に品がある。ジャケットの裏面の木崎義二の解説には、『1944年(’45年の説もあり)、「外人部隊」、「嘆きのテレーズ」など、幾多の名作を送りだしているフランスの有名なシナリオ・ライター、シャルル・スパークとクローディ夫人の間に生まれました。…』とあり、持ち合わせた雰囲気は有名人の娘として生まれたためと納得させられる。この写真が撮影されたのは、20歳かそれより以前ということになるが、今なら日本でもよく似た顔の女性はいくらでもあって驚かないにしても、65年当時の日本では女性の顔は違っていた。ある国のある時代の作る一般的な顔というものがあり、今の日本人の顔は40年前のものとは違うのだ。つまり、40年経って日本はフランス並みになったということかもしれない。「スパーク」は芸名かと思っていたら、父親の姓で、どうやら本名らしい。家内から聞いたが、スパークは60年代末期頃には結婚して子どもをもうけたのに、すぐに離婚したはずとのことだ。今生きていれば60歳少しでどんな容貌に変化していることかと思う。先日カトリーヌ・ドヌーヴがTVに出ていたが、おばさんにはなったものの、昔と変わらぬ美貌で感心したが、スパークもそのように老けていてくれればと思う。だが、若い頃にこうして曲が大ヒットして、極東の一少年に感じ入られ、40年以上も経って思い出を書かれるとは、芸能人冥利に尽きるのではないだろうか。仮に現在のスパークが見る影ないほどに容貌が崩れてしまっていたとしても、若い頃の美しさが人々に記憶されるのは、他に変えられない財産だ。このように書くと、いかにもスパークが筆者の女性好みにかなっているかのようだが、実はそうでもない。鑑賞用と言えば語弊があるが、見ているだけで充分で、実際に目の前に現われると、仮に言葉が通じても持てあますことだろう。
 スパークの顔を見ていて筆者にはふたりの女性のことが思い浮かぶ。このことは何かで前に書いたが、また書いておく。ひとりは近くの銀行の窓口業務の新米として入社して来た女性だ。ふっくらとした顔立ちで、先の言葉で言えば、フェロモンがスパークとそっくり、彼女の周囲には違う空気がいつも漂っていた。入金したり、通帳をわたして残高を打ち込んでもらうなど、2か月に一度くらいは顔と上半身の姿だけは近くから見ていて、そんなことが数年続いたろうか。次第に仕事にも慣れ、てきぱきとこなすようになって行ったのは当然だが、それにつれて化粧が濃くなり、態度にもぶっきら棒さと言えばよいか、どことなく生活が乱れているかのような雰囲気が漂い始めた。そんなある日、彼女の担当する窓口の前のソファに座って待っていると、彼女より10歳ほど年長だろうか、ひとりの男性が入って来て、彼女の窓口に行き、筆者の目の前で彼女に目くばせし、何か少し話し、そのまますぐにまた外に出て行った。その間10数秒だろうか。ふたりの態度は表向きは行員と客のそれだったが、間近でふたりの様子を見た筆者には親密な間柄であることが即座にわかった。服装と物腰からしてどう見ても男は遊び人で、危険な匂いがあった。そんな男と彼女がつき合っていたとしても、筆者はその時はもう驚かなかった。そういうことが何となく予想出来たからだ。それから2か月ほどして銀行に行くと、もう彼女はおらず、その後見ることもなくなった。主婦になってそれなりに元気でやっているのだろうが、最初のいかにもおぼこそうな初々しさを知っている筆者からすれば、男次第でどうにでも変わってしまう、またそれだからこそよいとも言える女性の性というものを思わないわけには行かない。もうひとつ。近所に筆者の息子より5つほど年下の女の子がいた。当時筆者は少年補導の役員やらその他地域のことをいろいろと手伝っていたこともあって、小学校によく出入りもしていて、その女の子を見る機会が多かったが、とにかくかわいい子で、下校時に家の近くにやって来ると写真を2、3度撮らしてもらったことがある。その女の子が今にして思えばスパークに似た雰囲気があった。筆者にはロリコン趣味はないので、その日本人形のようにあどけなくかわいい様子に、ただただ自分の子どものように微笑ましい思いがしていただけだが、よく撮れた1枚だけは今でも部屋の同じ位置に飾っている。そして、その子が1、2年生の頃まではよく見かけたが、その後は筆者の興味が失せたわけでもないが、見ることはなくなり、2、3年に一度思い出して家族で話すといった程度の存在になった。引っ越しをしたのではないようなので、会わないのが不思議だったが、近くに住んでいても生活のリズムが違えば何年も会えないものだ。ところが、急な時に出会いはある。10年ほども会わなかったのに、先頃会った。夜、満員の電車に乗っていると、制服を着た女子高校生と若い男が背後で話合っている。男は女より2、3歳年上かもしれない。甘えた声で結婚したら御飯を炊いてくれるかなどと、睦まじいことをしきりに話しかけているが、逆に女は無口だ。列車が駅に着き、ふたりは筆者の前を急いで行き、すぐに改札口横の待合室に入った。そこには死角になる場所があって、場合によっては恋人同士には格好の無人室になる。近頃の女子高校生はませているなと筆者は思いながら、切符の精算機の前に行った。そして切符とお金を入れてボタン操作をしている時、その機械の背後に見える待合室に無意識に目をやった。すると、ガラス越しに筆者を驚いたように見つめる正面顔に出くわした。彼女にはわかったのだ。そして筆者にもわかった。彼女は10年ほど前、筆者が写真を撮ったあの女の子であった。彼女の傍らで男は相変わらず何事かをささやいているようであったが、彼女は凍りついたようにこちらを見続けた。目が合っていた時間は4、5秒ほどだったろうか。彼女は先に書いた銀行窓口に勤務していた女性とそっくりな容貌に変化していて、大人の美しさを濃厚に漂わせ始めていた。
 女性ヴォーカル・ポップスのヒットは、だいたいがその女性のフェロモンに負っている。そしてそのフェロモンは生来のもので、身につけようと思って出来るものでは絶対にない。また、ある時期だけに発散されるもののように思う。中学生の時、筆者には密かに憧れる女性があったが、そう思うのは筆者だけではなかった。特別に美人ということでもないし、成績がよく、またスタイルがよいというのでもないのに、なぜかいつも気になっていて思い続けていたが、今にして思えば、その女性のフェロモンに筆者の何かが反応していたのではないだろうか。今はその女性のことを思い出しても何とも思わないが、それは冷静に見つめられるようになったからか、あるいは、もはや女性のフェロモンに反応しなくなった老化現象ゆえかもしれない。10年ほど前のフランス映画だったが、当時の人気女優を主人公にした作品のひとつにそうしたことをテーマにしたものがあった。ある男がある女に猛烈に魅せられ、ふたりの間にはいろいろあって、結局両者は別れ、そして映画の最後の何年も経った場面において、男は女を空港で見かける。その時、男は女をごく普通のどこにでもいる存在に思い、昔はなぜあれほど熱を上げたのだろうと不思議に思う。ここには男女間の重要な真実が言い含められていて、さすがフランス映画と思ったものだ。そこでまたこの「若草の恋」に戻ると、筆者にとってはこの曲は全く色褪せせず、同じ状態で10代半ばの記憶や空気を温存してくれている。それが不思議だ。記憶はなぜ裏切らないのだろう。流行歌といえども、個人にとってはかけがえのない貴重な記憶、あるいはそれを思い出すよすがを作ってくれるものであり、その記憶の中にたとえばスパークの声や容貌が渾然となって凝固していることに、ただ感謝したい気持ちになる。筆者と同じような思いを抱くファンはきっと多いはずだ。それはスパークのフェロモンが喚起した集団妄想に過ぎないとしても、そういう作用を及ぼす存在があるということ自体、人間が面白く、芸術行為が面白いとつくづく思う。たかが女性ヴォーカル・ポップス1曲になんとおおげさなと思われそうだが、そこからベートーヴェンやレンブラントの高尚な芸術へも案外近いのではないか。これは世間一般の評価と個人のそれを混同していることと受け取られかねないが、独立した世間というものがあるとしても、それもまた個人が感じ取るものであって、まず自我ありきという真実の前からすれば、スパークを絶賛するにやぶさかではないことになる。特に人間の本質にエロスが欠かせないことを再認識したいのであればなおさらだ。
 また、これは今思ったことだが、スパークはその後の日本のポップスのアイドル路線を用意したのではないだろうか。スパークと同時代に日本でヒットを飛ばしたフランス、イタリアの歌手はほかにもいるが、女優である一方で歌も歌ったとなると、限られる気がする。「若草の恋」の原題が「メザミ・メコパン」(前半はリエゾンで分けないのがよいが、後半は正確にはメ・コパンとすべきか)というのは、曲を聞けば理解出来るが、イタリア語がわからない人にもこれが「わたしの友、わたしの仲間」という意味であることは想像がつく。ジャッケト裏面の解説には、『恋の為に友を裏切っていった女性が、やがて失恋という悲しみと共に、再び昔の友だちに仲間入りを願っている曲』とあり、その前には『フランス製の曲に名作詞家モゴールがイタリア語の詩を付けました。ギターの刻む軽快なスウィング・ビートに乗って、カトリーヌはイキイキと歌いこなしています。』と書かれているが、これだけではどんな曲かは想像しにくい。そこで捕捉すると、いかにも60年代半ばらしく、演奏は2分20秒と短い。またスパークの歌を中心にして伴奏は全体に少なめで音はかなりすかすか気味だ。当時のイタリアの映画音楽やカンツォーネにありがちなアレンジだが、途中でリズムがスカに変化するところはとても斬新で、ごく一部にクラリネットを入れるなど、短い中にも音の多様さには工夫が凝らされている。前半はGマイナー、後半は半音上がるが、どこか物悲しく甘酸っぱい曲調は、当時のヒット映画やヒット曲をよく知る者にはたまらない味わいと言ってよい。現在このような曲はいくらでも量産出来るだろうが、あえてレトロを目指して同じ感覚をすべて獲得出来ることはまずない。作品は本来特定の年度と特定の地域だけが生み得るものであって、一度限りのものだ。60年代半ば以降、日本は限りなく洋楽を模倣してそれなりの成果を得て今に至っているが、その要素のルーツと呼んでいいものをひとつずつ記憶している者からすれば、たいていは剽窃のはなはだしきものに感じられて、どうせ聴くならオリジナルに限ると思える。そうしたオリジナルなものの中に、スパークのこうした曲が厳然としてあったという事実を覚えておくべきだろう。60年代半ばはビートルズが代表して語られるが、実際の日本ではもっとほかのさまざまなヒット曲があった。それらはナツメロとしてみなひとまとめにして語られることが多いが、本当はそれはいいことではない。ビートルズとてスパークと同じ60年代の空気を吸って曲作りをしていたわけで、ビートルズをよく知るには、本当はこうしたスパークの曲を聴くことも大事だ。たとえば「アイ・コール・ユア・ネーム」の途中にはスカのリズムが入るが、それは本曲とは同時代性を保っていると言ってよい。そして、もしビートルズがこの曲をカヴァーしていたら、どのように演奏したかを考えてみるのも面白い。ビートルズに熱中した筆者だが、若い女性のフェロモンとでも言うべきものを暗に伝えてくれたのはスパークのこの曲だったような気がする。
by uuuzen | 2007-03-26 21:54 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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