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●「LIVE TO TELL」
るで伝道士のことを歌っているようなタイトルで、歌詞の内容に興味が涌く。だが、筆者がこの曲を最初に聴いたのはマドンナが歌うオリジナル・ヴァージョンではない。



●「LIVE TO TELL」_d0053294_1512784.jpg発売後2年であった記憶があるので、95年と思うが、中古店でビル・フリゼルの『HAVE A LITTLE FAITH』を買った。800円ほどだったと思う。そこにこの「LIVE TO TELL」と題する曲があった。ビルのアルバムは初めてで当時何度も聴いた。その後すぐに何枚か入手し、今では9割以上のビルの録音は聴いたが、結局一番好きなのはこのアルバムと、もう1枚ライヴ盤だ。なぜこのアルバムがいいかと言えば、アメリカのクラシック音楽の古典からフォーク、行進曲まで、幅広いジャンルから選曲して5人でうまくアレンジして聴かせ、その隙間の多い音空間がアメリカの広々とした大地や空を感じさせるからだ。他のビルのアルバムも大体同じようなゆったりとした音で、どこまでもビルはアメリカそのもののミュージシャンであることを確認させる。広々とした大地と空気となればアメリカ南部ということになるが、ビルは実際南部にこそアメリカ音楽の本当のルーツがあると思っているかのようだ。ビルは筆者と同じ世代だが、10代でビートルズ、そしてザッパの音楽も聴いていて、そのことが現在の音楽観の大きな基礎のひとつにはなっている。ジョン・ゾーンと一時よく演奏して、前衛音楽寄りのジャズ・ギタリストの印象が強かったが、日本で人気を得て来日公演をするようになった時期からは、簡単に言えば癒し系の音を奏でるギタリストのイメージが強くなったのではないだろうか。それまでの尖っていた部分がとても丸くなり、完璧な構成の楽曲も演奏するが、ムード、いやアンビエントと言った方がいいだろうが、今まであまり存在しなかった音形と音質によって独特の情感を喚起させる表現をして来ているように思う。悪く言えば取りとめのないそうした音楽は、サティにひとつの源があるが、エレクトリックな音を使用してもっと多彩に、そしてどこか夢見がちな音空間を作り上げるビルの音楽はジャンル分け不能と言ってよい。先の『HAVE A LITTLE…』にしてもカヴァー集であって、ビルはギターとアレンジを担当したことになるが、どんな曲をカヴァー演奏しようが、ビル好みの音に仕上がっているところがよい。もちろん自作曲も演奏するが、それとカヴァー曲との間に本質的な差がない。それは自分が本当に好む曲を見つけて来て自己のものにしたうえで演奏しているからだろう。そこからはオリジナルとレプリカの問題を思ってしまうが、ことさら名曲ではなくてもそれを独自のものに変貌させる腕前はたいしたものだ。ビルがアメリカ的、しかも南部的なものに関心が強いとして、そのことを改めて考えてみると、ジョニー・キャッシュの音楽にもビルが関心を抱いたかということになるが、それは当然あるだろう。『ウォーク・ザ・ライン』にはビルの演奏が使用されていたことは書いた。そこがジョン・ゾーンのどこまで行ってもニューヨークの音楽とは大きな違いだ。ビルは南部出身ではなかったと思うが、アメリカ人が南部に音楽のルーツを求めるのは自然なことであろうし、それはイリタア系のマドンナでも同じではないだろうか。
 『HAVE A LITTLE…』で最も好きな曲はこの曲だ。買ってから毎年必ず夏になるとよく聴いて来た。ちょうど今頃から梅雨明け頃までに聴くと、すかっと晴れた空がイメージ出来て心地よい。去年はさすがに飽きてあまり聴かなくなったが、毎日リピートにセットして2、30回は聴いたので、おおげさではなくこの10年で1000回は聴いたかもしれない。そしてこの曲がマドンナ作曲であることがとても不思議で、2、3年後にようやくマドンナのオリジナル曲が収録された輸入盤を買った。ビルのヴァージョンに馴れ過ぎた耳からはあまり感動はなかった。それに改めてマドンナの曲を元によくぞ雰囲気が異なる複雑な演奏を録音したものだと思った。マドンナとビルの曲とではまず長さが違う。ビルは倍の10分ほどを費やしてよりドラマティックに仕上げている。マドンナ・ヴァージョンのフェイド・アウトは採用せず、起承転結がはっきりとして、楽曲としての完成度がきわめて高い。終わりや始まりがはっきりしないようなアンビエント感覚はここでは楽曲の全体から浮かび上がる情感に解消している。マドンナのヴァージョンは歌が主のため、バックの演奏はあまり目立った特徴があるとは言えないが、広々とした感じは濃厚で、そこはビルのものと共通する。それは調性やメロディ、音質といったものが関係しているからで、たとえば日本のミュージシャンが演奏しても同じことになると言えるはずだが、実際はそうではない気がする。マドンナはこの曲によってどこかアメリカ南部の大地や空を意識して作曲し、また歌っている。そしてビルが演奏するのもそこだ。主役はアメリカ南部の自然なのだ。それがあってこの曲のメロディやアンサンブルの音が生まれて来た。その意味で、この曲を聴くとビルやマドンナの才能の魅力とは別に、アメリカの根を見つめて味わっている気になれる。それはちょっと形を変えればカントリー音楽になり、あるいはフォーク・ソング、ロカビリー、ロックンロール、リズム・アンド・ブルースやジャズ、さらにはコープランドやアイヴスの音楽にもなるというもので、ビルはそうしたかすかなとも言えるアメリカ音楽に共通する味わいをすくい上げて独自の音楽に仕立て上げることに関心があるかのようだ。
●「LIVE TO TELL」_d0053294_1521465.jpg ビルのヴァージョンは途中で調性を変え、かなりアヴァン・ギャルド風に変化することで全体が単調になることを避けているが、マドンナは取り立てて特徴のある構成ではなく、完全なポップス仕立てだ。同じキーで演奏されているが、さきほどメロディを拾ってみると、ニ短調だ(Aのフリギア旋法でも同じ音の並びだが、Dが支配的だ)。教会旋法的で、どこか不安定でさまようようなその不思議なメロディはジャズでは持って来いであるし、歌詞内容と照らし合わせてなおのことこの曲では暗示的だ。当初さほど面白くないと思ったマドンナ・ヴァージョンも、何度も聴いているうちによく思えて来たが、何と言ってもオリジナルはマドンナなのであるから、謗るのはよくない。クレジットにはマドンナともうひとりパトリック・レナードという男の名前があって、歌詞がマドンナで作曲がパトリックかもしれない。あるいはマドンナの粗書きの歌詞やメロディをパトリックがまとめ上げたかだ。いずれにしてもマドンナの名が先に書いてあるので、マドンナの才能が入った作曲であることには変わりがない。筆者はマドンナに関心はない。デビュー当時、その不謹慎とも思える名前にびっくりしたが、アメリカで有名になるにはそれくらいの衝撃は必要であるだろう。まずみんなに気づかせることが大切で、その点ではマドンナのデビューは名前やステージ衣装など、人に印象づける要素には事欠かなかった。筆者が買ったCDは95年の『SOMETHING REMEMBER』で、たぶんヒット曲を集めたベスト盤だと思うが、ジャケットが白のドレスを着て白の壁にもたれるマドンナ、裏ジャケットがちょうど今頃に咲く泰山木(大山木)の花で、これがなかなか暗示的でよい。泰山木の花は筆者は何度も写生したことがあるが、肉厚の白い花弁を持って直径30センチ以上にもなる堂々たる花で、ほかでは見られない豪華さがある。この花はアメリカ南部が原産で、ここにもマドンナのアメリカ南部志向が見られると言えば穿ち過ぎだが、アメリカで絶大な人気を獲得するには南部のファンを制覇する必要があるし、ビートルズがたとえばカール・パーキンスの音楽を忠実にカヴァーしたのもそういう理由による。南部はキリスト教保守派の地であるから、マドンナがセックス・シンボル丸出しの挑発的なスタイルで歌っていた当時はきっと眉をしかめられたことと思うが、それから脱皮してより大人の雰囲気を売りにしようとした時、南部も視野に入れた戦略を立てたことだろう。よくはわからないが、常識に考えてそうだと思う。そこで最初に書いたように、伝道師のようなつもりなってこの曲の歌詞を書いたのかと思うわけだ。
●「LIVE TO TELL」_d0053294_1533838.jpg 表向きは歌詞にはキリスト教との関係は見られないが、そうとも一概に言えないようなところがあってなかなか興味深い。タイトルを格好いい邦題に訳すのは難しい。そのため86年に日本でシングル盤が発売された時もそのまま「リヴ・トゥ・テル」となった。だが、これでは何のことかわからない。たぶん誰かに愛の告白でもするのだろうと思うだろうが、歌詞には「LOVE」の単語は登場しない。歌詞全体は短いので理解はたやすいはずだが、それでも真意を汲み取るのは簡単ではない。うまく訳しても意味がよくわからないと思うが、今ひとまず全部直訳する。「伝えたい話があるの。時々それは隠し通すことが出来なくなる。壁に書かれたことを見るにはあまりに盲目過ぎて、堕落するままだった。人(男)は千の嘘をつける。今まで充分学んだわ。その秘密を伝えるために生きたい。その時までにはそれはわたしの内部を焼きつくしている。美の生きているところを知っている。それを見たことがあるの。彼女が与えてくれる温かさを知っている。誰も決して見ることの出来ない光がわたしの内部で輝く。誰もそれを持って行くことが出来ない。真実は決して遠い背後にあるものではない。あなたはそれをすっかり隠していた。もしわたしが知った秘密を伝えるために生きるなら、わたしはもう一度変わる機会を得ることになるかしら。もし逃げ出していたなら、わたしはとても遠くへ行く力を持つことはなかったわ。あの人たちはどのようにわたしの心の鼓動を聴くでしょう。それは冷たくなるものかしら。わたしが隠す秘密、それをわたしは育てるわ。彼らはそれをどう聴くでしょう。どう学ぶでしょう。どう知るでしょう」。1回だけ登場する「a Man」を「人間」と考えるか「男」と考えるかでこの歌詞全体はがらりと内容が違って来る。マドンナのことであるので「男」とすると、この曲は男に騙されないために女性に向けて経験談をマドンナが伝授したいという意味にも解せる。だが、そうではないだろう。「彼女」と出て来るのはそれこそ「マドンナ=聖母マリア」のことと捉えないと意味が通じない。ここにあるのは信仰の厚い南部のキリスト教徒が喜びそうな、人生における改心を指しているように感じ取れる。今までセックス・シンボルとして音楽活動していたマドンナの転身としてはこれは見事な変身振りを示す内容であるし、これならば南部の人も喝采を送る。キリスト教は生まれながらにして信仰している必要はない。もっとも、マドンナはイタリア系であるからカトリックだが、新たにプロテスタントに鞍変えしようが、それはアメリカでは歓迎される。ボブ・ディランが同じように南部の音楽に強い接近をし、そしてキリスト教信仰を新たに表明したが、それと同じことをマドンナはこの曲で考えたのかもしれない。マドンナの音楽や行動については無知なのでみな想像に過ぎないが、この1曲からでも筆者が知るデビュー当時のマドンナの姿からは遠い印象を受ける。歌詞をまともに吟味したのは今が初めてたが、この曲のムードに南部色があると感じた筆者のかつての思いは当たっていた。86年に出たアナログのシングル盤は入手していないが、そのB面は2分未満にまとめられたインストゥルメンタルだ。ビル・ヴァージョンはそれに触発されたのかもしれない。
by uuuzen | 2006-07-08 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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