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●アルバム『Joe’s Xmasage』解説、その7
つこく書いて来たザッパのアルバム『Joe’s Xmasage』も今夜でおしまいにする。



昨夜はギター・ソロ曲についた書いたが、もうひとつ5曲目に「The Muthers/Power Trio」がある。この曲は『Mystery Disc』に「Power Trio from The Saints ’n Sinners」と題されて発表された時は、今回よりもベースの音がかなり小さくなっていた。同じテープからこうも違うものが生まれるかというほどの変わりようだが、それはザッパが最初にレコード化した時からすでに20年近く経ていることもあって、音質の改良には目ざましい進歩があったかからだろう。このアルバムでは「Audio Restoration」としてジョン・ポリトの名前がクレジットされているが、これは録音テープの原音のミキンシグを忠実に守りつつも聞こえ映えがするように各楽器の音質を改良したことを意味するだろう。とにかく筆者の好みを言えば、迫力が増した今回の方が断然よい。3分16秒の演奏時間は前のわずか34秒に比べて6倍ほどもあるが、今回は前の34秒の後にそのまま続くギター・ソロが収録され、長さはちょうど倍になった。またイントロに4秒ほど新たな音、そして演奏終了後にはザッパの語りが2分近くが、肝心のパワーある演奏も1分少々では満足出来ない。イントロの4秒は演奏とザッパのかけ声だが、このいきなり絶頂から始まるイントロ以前に長い演奏があったことは確実だ。まさかここで発表されているより前部分の演奏の録音が存在しないことはないだろう。最初の発表では「from The Saints ’n Sinners(「聖人と罪人」から)」となっているので、「聖人と罪人」と題する曲のギター・ソロということになる。トワンギー・ギターで有名なデュアン・エディに同じ名の曲があり、おそらく同曲を演奏していたのであろう。また、それがカットされたのは、8曲目「GTR Trio」が10分以上の長いトリオ演奏であるから、今回はもうひとつ同じような長いトリオの演奏は不要と考えられたからに違いない。そのため、また別のアルバムでこのパワーのあるトリオの方は本格的に発表されると思う。
 問題はギター・ソロよりも、それが終了した後のザッパの語りだ。これは後年のザッパがライヴ・ステージで頻繁に実行した「ダンス・コンテスト」の原型で、これまたこのアルバムがザッパのその後の活動の根本になっていることを示す。熱いトリオ演奏は乗りのいいブルースで、その点はクリームさながらだが、イギリスのクリームが登場した時、ザッパは彼らにさして関心を示さず、むしろアイリッシュ・トラッドのレコードを聴いて演奏していた事実は、1964年録音のこの曲からでもよくわかる。ザッパにすればクリーム・スタイルはすでに実行済みであったのだ。演奏終了後、ザッパは観客に向けて、ショー・タイムだと言う。これは観客をステージに上げて興を盛り上げるザッパ流のステージ運びで、日によって何が登場するかは予見出来なかった。ここでは観客に「キャラヴァンを演奏したい!」と言う男がいて、それを受けてザッパは拍手でステージに迎える。音が少々外れた下手な演奏は、この手を上げたジーンという名の素人男によるものだ。ザッパはそばでにやにやして見ていたのだろう。演奏がどう進んだのか聴きたいものだが、この夜のステージはテープを回しっ放しにして録音されたに違いなく、案外それだけをまとめてまた「花飾り伝説」のシリーズに登場するかもしれない。ザッパの語りの背後に聞こえるざわめきは、いかにも田舎の場末のバーをよく伝え、その点でこのアルバムをまたいっそう特色豊かなものにしているが、そうした小さな場所での演奏は、後年のザッパは『ロキシー・アンド・エルスウェア』以外にほとんど行なわなくなることを考えれば、その意味でもこの曲は特別の面白い味わいを感じさせる。『Mystery Disc』では「モンクレアーのオレンジ摘みたちが集まるバーでの週末の演奏で、気のおかしなメキシコ野郎がオレの髭を引っ張ろうとした…」とザッパは説明していて、荒くれ者が集まるバーであったことから、レパートリーは誰しも知る曲や陽気なダンス曲であったことだろう。1964年はまだザッパ/マザーズはレコード・デビュー2年前で、このバーがザッパ・ファンやスノッブが集まる場でないこともあって、オリジナル曲中心の演奏は難しかったに違いない。ザッパがどんな曲をカヴァー演奏していたか興味が涌くが、そうした録音があるのかどうか、ほとんどオリジナル曲の発表しかされないため、ザッパの根としての部分のさらなる根本がどういうものであったかの想像はしにくくなっている。
●アルバム『Joe’s Xmasage』解説、その7_d0053294_344938.jpg さて、『Xmasage』を最初に聴いて一番驚いたのは7曲目「The Moon Will Never Be The Same(月は変化する)」と10曲目「Musie’s First Xmas(ムージの最初のクリスマス)」だ。ギター・ソロはギター好きな青年ならば習練次第でどうにかサマになるし、そうした才能は今でも無数にある。60年代初頭でも事情は同じで、格好いい流行音楽に熱を上げてプロを目指す者は何か楽器をマスターすることに励んだ。ザッパがギタリストだけの存在であったならば、ザッパの別格的な評価はなかった。レコーディング・スタジオを経営し、週末にバーやラウンジでバンドに加わったギターを演奏するということだけなら、おそらくザッパ以外にも何人もいたことだろう。だが、ザッパの音楽への眼差しはそれだけにとどまらなかった。それをはっきりと証明し、ちょっとした音楽志向の若者を意気消沈させるのがこの2曲だ。どちらもの曲も管弦楽を主体にし、部分的に電子音を混ぜたりテープ速度を変えるなど、SF的な仕上がりを施した現代音楽志向の小品だが、その凝り具合もまたいかにも後年のザッパを先取りしている。たとえば88年の『ジャズ・ノイズ』における「キング・コング」の中間部の管弦楽曲の断片と大差ない趣があり、四半世紀を経てもザッパのやりたいことの本質が全く変化していなかったことがよくわかる。管弦楽の部分をどこで収録したか不明だが、総譜を自ら書き、それを楽団を指揮して演奏させ、その録音をさらに他の音を混ぜて加工するという手間からは、すでにプロ中のプロを目指す思いが充分に伝わる。7曲目はアメリカ国家の変奏が少し混じるが、アンサンブルの響きはまるで再晩年に一緒に仕事をしたアンサンブル・モデルンの演奏かと思わせるほどで、本当に60年代前半の録音かと何度も疑ったほどだ。まさにこの1曲だけでも20代前半のザッパの途方もない仕事振りがよくわかるが、そこから浮かび上がるのは、ひたすら家の中、机に着いて仕事をする姿で、どのようにして音楽仕事に割く時間を配分していたのかと思わせる。ザッパと自然豊かな風景は全く結びつかないが、それほどにザッパは家にこもって仕事をし続け、たまに人前に出て演奏したと言ってよい。つまり、本アルバムのジャケット写真はいかにもザッパに日常を示している。
 これら2曲は出版するためにタイトルがつけられていたが、それほどにザッパにすれば気に入った作品であったのだろう。管弦楽とテープ操作を重ねる作品はエドガー・ヴァレーズに倣ったもので、デビュー・アルバム当時ザッパが盛んにヴァレーズへのオマージュをジャケットに記したことのその音楽的証はこの2曲にこそあった。その意味でもまたこのアルバムがザッパにとって種子や根に相当する最重要アルバムと評価すべきだ。そして、ザッパにとっては管弦楽曲を書くこと、録音すること、ギター演奏することなどはみな相互につながった音楽行為で、どの曲も他の曲と関連があった。この2曲にしてもただちに想起されるのは、たとえば『Mystery Disc』の「Speed-Freak Boogie」だ。同曲はギターによるブギの曲だが、テープ速度を変えたいくつかのトラックをダビングし、SF的な実際に演奏不可能なサウンドを作っている。それはザッパよりこのアルバムの音より10数年早いレス・ポールのギター演奏でさんざん試されて人気を博した音楽と同じものだが、よりワイルドなロック、よりビザーな調子に仕立て上げ、その一方で同時期に同手法を管弦楽曲にまで応用してこの2曲を作り上げているところに、レス・ポールより後の世代、そしてある特定のジャンルの音楽にとどまることを拒否する総合音楽家への姿勢が見られる。10曲目の「ムージ」についてゲイルは自分の家族の思い出をライナー・ノーツに書いている。それはゲイルが自分の子どもたちと一緒にムージという名の人形を店で見つけた思い出で、ゲイルがムージと出会うよりはるか前にザッパがすでにこの曲にその名前を使用していたことの偶然の一致の驚きだ。つまり、ゲイルにすれば本アルバムはこの1分に満たない短い曲を含むことで、個人的なクリスマスの思い出を作り上げることが出来た。それはこのアルバムの冒頭でザッパが先妻と一緒にクリスマスのダンス・パーティに参加している夜を超えるものだろう。何と言ってもゲイルはザッパの子孫を4人も生んだのであるから。

●2001年9月23日(日・祝)夜
夜。先ほどぶらりと河原町を散歩して来た。百貨店でまた展覧会を観て、NTTコーナーでインターネット無料体験。ザッパのホームページは復活していた。新しいニュースはなし。ザッパの紙ジャケCDを店頭で見るつもりが、行くのを忘れた。また新京極のお土産店で伏見人形を眺める。若冲展のカタログを持参して行ったので、若冲の描いた布袋像と同じものが在庫であるか訊ねようとした。すると今回は80歳近い主人が出て来て、いろいろと伏見人形について教えてくれた。終戦後は伏見人形ブームがあり、店にあるもの全部をほしいという客もあったとのこと。またカレンダーの写真としてよく使われもしたが、今はめったに売れない。伏見稲荷北の丹嘉と菱屋の2件だけが作っていて、作風が違う。後者はごく細々と作っているそうだ。前者も正月の干支人形が主な仕事で、その合間にごくわずかに伏見人形を作る。主人の弟が丹嘉に勤めていることもあって、同店では扱っているが、これも頼み込んで買わせてもらっているという。丹嘉の7代目は今90を越えており、まだ健在で作っている。古い図案帳が今もあり、そのとおりに彩色しているとのこと。筆者が訊ねた若冲の絵にある布袋があるかどうか、主人は電話で確認してくれたが、今は作っていない。丹嘉に行くと人形の種類は多いそうだが、それでも価格はかなり高いらしい。新京極の店が安いのは昔買い込んだ在庫品であるためだ。ふたつほしいものがあると言うと、大事にしてくれるならば1割は安くするということであった。しかしそう急がなくても売れないはずだから、ここへ寄るたびに見ればよいではないかと言われた。丹嘉で今後は作らないかもしれないものが1万円ほどで買える。これは手にいれなければならない。ほしいと思ったら絶対にどんなものでも手に入れる性分だ。あるいは絶対に手に入らないものや、簡単に入手できるものは最初からほしいと思わない。
 帰りの電車の中で考えたが、ミッキーマウスやウルトラマンなどのキャラクターが出現して、伏見人形の豊富なキャラクターはみんな古ぼけたものとなってしまった。戦後のブームの一時期に歓迎したコレクターも今は高齢化し、おそらくそれらは骨董になるか、廃棄される運命にある。京都では呉服業界がこの30年ほど下降線を辿る一方で、慢性的な不況だが、それでも時代に則した新しい模様と色の感覚の染色が細々となりにも行なわれ美大でも教えられている。伏見人形が生き残るとすれば、そのように時代に応じた新しい形の人形を生み出すしかないと思える。だがその手のものはプラスティックやウレタンなどを使用して、他のメーカーが大量生産する。手作りで少しずつしか作れない伏見人形は価格も高くなるから、その分安っぽくなりがちな斬新な形に向かうより、古典そのままを再生産するしか道はないのだろう。その日本独特のどろりとした感じはまだ京都でこそ辛ろうじて似合うもので、100年後には完全に後継者も途絶え、人々からは忘れ去られているかもしれない。伏見人形についての図版本があるのかどうかまだ調べていないが、なければ今のうちに作り手にインタヴューもして集大成的な本を作っておくべきだ。しかしそんな本は売れないから、どの出版社も企画しないだろう。つくづく惜しい。ザッパと何の関係もないような事柄ばかり書いて、読者は退屈だろうが、筆者の本職の友禅染と伏見人形の行く末を重ねたい思いと、その失われて行くものの中に実はザッパも含まれるのではないかという思いがある。また誰に教えられるのでもなく、自分で価値を発見する対象物にひときわ愛着を覚えるのは誰しもあることで、おそらく筆者はこうした伏見人形遭遇ドキュメントにザッパ遭遇の記憶を無意識のうちに重ねている。

by uuuzen | 2006-06-24 23:59 | ○『大論2の本当の物語』
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