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●梅雨の晴れ間に思いつくまま書くと、
しくも今朝は早起きした。裏庭の合歓木にとまってさえずる鳥の声に目覚めた。スズメではない。何の鳥かはわからない。



長年鳴き声は知っているが名を知らず、姿を見たことのない鳥がある。だが、今朝のはそれとも違った。寝るのはいつも午前3時過ぎ、時には4時前になるので、起床はどうしても9時台になってしまうが、それでは午前中はぼんやりして終わってしまう。ここ数年はずっとそんな調子で、ブログを始めてからはさらにひどくなった。昨夜、ブログの投稿を済ませば2時になっていたが、NHKが以前の番組の再放送をしていた。その内容がちょうど夜更しをすると体調が崩れて病気になりがちの体質に変わって行くというもので、前にも見て知っていたが、急に自分への警告に思えた。毎日4時前に寝るでは昼夜逆転で、これでは番組が伝えるように前立腺癌の発病率が3倍になってもおかしくない気がした。ザッパは52で前立腺癌で死んだが、夜更しで有名であったし、それに食事もろくなものを食べず、タバコが食ベものと言っていたから、癌も当然であったかもしれない。筆者は体調もよいし元気だと思っているが、昔から案外胃腸が弱く、すぐに下痢をする体質で、また年齢もあるが、腹の周りが大きくなって、ズボンのサイズも20代とでは10センチほど大きくなった。今、思い出した。昨日の夕方、近くの川沿いの公園を散歩して合歓木の古木まで行った。自転車道路を歩くのだが、犬を連れた人やジョギング、あるいは早足で散歩している人など、たくさん行き交う。そんななか、ひとりのでっぷりと太った20代の男に出会った。本当に丸々とした大きなボールのような体で、200キロほどはあると思ったがが、擦れ違い様、男は筆者を横目でじろりと睨んだ。眼鏡をかけて目つきが悪く、「俺の行く前を邪魔するな」とでも言いたげな表情をした。それでも少しでも体を動かして体重を減らそうと心がけているのだろうが、なぜそんなに太るまで平気だったのかと思う。アメリカでは太い人る男は会社でもいい地位に就けないと言われていたが、それは自分を律する精神に欠けるという理由からであった。太る病気があるのかどうか知らないが、その原因が精神的なものであるにしても、それならその精神をどうにかするのは当人であるだろう。つまり、太るのは自分がそうなるまで放っておいた点で当人の責任だ。であるからこそ体重を減らそうとするのは積極的な行動として評価されるべきだが、それにしてもあの男の悪い目つきを思い出すと、体重はそう簡単には減らないし、減ったところで人か好かれる人間にはなれないだろう。
 目つきで思い出した。さきほど朝刊に目を通した。朝7時台に読むのは何年ぶりのことだろう。それはいいとして、日銀の総裁の記事が第1面以外にもあちこち書かれている。5、6年の間に村上ファンドに預けた1000万が2500万近くになっていたそうで、確かに本人にとっては1000万や2000万は小遣い程度の端金だろうが、総裁の立場では弁明も歯切れ悪く響く。若手の有能な企業家に投資することは自分の責務だとも語っていたが、これは儲からなくてもどんどん奉仕精神で貸すということだろうか。つまり、若手芸術家がいるとして、そうした人々にぽんとお金を与え、後は好きなようにさせるというパトロンの意味も込めているだろうか。全くそうではないだろう。事件が初めて報じられた時に総裁の顔を知ったが、何となくすばしっこくてずる賢い目つきを第一に感じた。先日盗作騒ぎで話題になった画家の顔にどこか共通点があり、さらに自分の小中学校にも似た顔の奴がいたと思った。どんなに偉い地位に就く人物でも小中学生時代はあり、その当時に同窓生からどう思われていたかは、大人になってもけっこう重要なことのように思う。何も人気者である必要はない。小中学校の人気者にけっこうお調子者や強がりを言うだけのつまらないのは多いからだ。10歳そこそこの世界ですでに大人社会のそのままの縮図であり、無邪気な子どもなどということは大人の勝手な幻想に過ぎない。村上社長もどんな小中学生であったかは充分に想像出来る気がするが、成績の悪い者には鼻もかけず、何でも理屈で言い負かしていたことだろう。筆者の小中学校でも似たような奴はよくいた。大体が両親がそこそこの会社のサラリーマンで教育ママだ。少しでもいい成績を取っていい高校大学に進み、そして他人よりもいい社会的地位に就くことだけが人生の成功と思い、親子でそんな価値観を共有している。そして大体そういう連中は学校の成績のプラスにならないこと以外には関心を抱かない。昔のそんな顔が今こうして書いていていくつか浮かぶが、どんな人生を歩んでいることだろう。きっと日銀総裁や村上社長の小粒になっているに違いないが、嫌われ者になっているに決まっている。「あんたは昔からそうだったけど、やっぱり嫌われ者だな。人生はどこでつまずきが待っているかわからないけれど、全部自分が招いたこと。なるようにして今の境地になったわけ」。
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 身柄を拘束される直前に開いた記者会見で村上社長は自らを「プロ中のプロ」と語ったが、あれは格好悪かった。1度ならまだ許せるが、確か3、4回繰り返した。よほど尊大な性質に見える。プロという言葉をそんな低いレベルで簡単に使ってもらいたくはない。それに結果的に言い逃れに使用したから、よけいに始末が悪い。プロはもっと真面目で口数が少なく、実行したことだけでそれを証明する。自分が今後国のためにどんな役に立つか考えたいとも喋っていたが、これもよほど自分を重要人物と思って鼻持ちならない。そんな勘違いがはなはだしい、面の皮が厚いだけの輩がどう日本の代表的な顔になって人の役に立とうと言うのだろう。変なことをせずにどこかの片隅でドブ掃除かゴミ拾いをやってくれればいい。その方がよほどみんなのためになる。本当に日本の役に立ちないならば、そんな仕事に携わっている人の心がわかって、もっと謙虚な心がまえから出発すべきだろう。朝っぱらから毒舌が過ぎるが、久しぶりに朝早く起きたというのに、新聞にろくな記事が出ておらず、人を騒がせる人物の顔写真の醜悪さに気分が悪くなった。本当に日本の有名人にいい顔をした者がいなくなった気がする。近頃有名なスピリット何とかでも油ぎって太った男が出て喋り散らしているが、先日はその人物の会社か団体のブログからトラックバックがあった。ただちに消去したが、そんな売名行為も芸能人だは思えば腹も立たないが、それでも人心にまるで神様のようにあれこれ見透かして勝手な意見を言う商売は下の下だ。そんな人物がわが者顔で頻出するのが今の日本のTVだ。女優にしても同じで、晩年の上田秋成も言っていたが、女が果たして美しい存在かどうかは大いに疑問に思う。本当の美人は昨今の女優に存在しないと思っているが、逆に言えば、きっとどこかにいることであり、それはもはや想像の中にしかいないのと同義だ。女がそうであるとすれば男も同じこと。いい顔をした本物の男はあまり人に知られることなく、ひっそりとどこかで真面目な日常を送っているだろう。それで、また思い出したが、ひっそりと1本だけ広々としたところに立つ合歓木の開花具合を昨日の夕暮れに見に行ったのだった。もちろんいつものはがきサイズのスケッチブックと色鉛筆の入った筆箱を持って。梅雨の合間の晴れた夕空はいいものだ。河川敷の草むらの中、ごく間近で鶯がしきりに鳴いていた。
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 一昨日掲げた写生は2002年6月15日のものだ。スケッチブックの用紙が全然違うために、同じ色鉛筆でも発色が違う。本当は本格的な水彩絵具を揃えるなりして描くのがいいが、筆者が携えるのは半端物で色数も10色程度と少ない。36色では持ち歩けない。4年前のスケッチとは5日遅れたが、花はかなり少ない。何年か前の台風で枝がかなり折れてしまったからだ。木が小振りになったのもそうだが、周りも変化した。4年前は川向こうの川沿いに大きなボーリング掘削機が1本立っていたが、そこには世帯数が数百はあろうか、かなり大きなマンションが2棟並んで完成した。雑草の生い茂る空き地はまるで罪ででもあるかのように今はすぐに開発されて何かが建つ。人口が減少しているのに、建物の増加は加速化していて、この調子ではいずれ国民ひとりで10軒ほども持つことが流行するだろう。そしてそんなことを囃し立てる手合いがTVや新聞に盛んに登場するに決まっている。その一方で家1軒当たらずにホームレスになる人はいっこうに減ってはいないに違いない。河川敷の雑草は今が最も生い茂る時期だが、昨日はかなりきれいに刈り取られて坊主頭のように地肌が露出しているところが目立った。そこまで徹底して刈ることは以前はなかったが、方針が変わったのだろうか。ところが全く放置されて昔よりひどく生い茂ってジャングルになっている場所もある。自転車道の際に何本か並んで立つ大きなレバノン杉は健在で、伸び過ぎた枝もきれいに手入れをされていたが、数年前に1本歯が欠けたように根本から切り倒されたものはそのままだ。その様子が何となくこの公園の将来を予感させるようで心もとない。環境破壊がひしひしと迫っていて、この調子では200年もすればすっかり公園は処分され、マンションが建ち並んでいるかもしれない。変化がゆっくりであれば誰もそれに気づかないし、文句も出ない。世代が変われば前の世代のことなどどうでもよく、徹底して自分たちの好きなようにやるだろう。人間はずっとそうして来た。破壊がなければ創造もないとの便利な言葉があるではないか。
 合歓木の近くの芝生でムクドリが100羽ほど集っていた。これだけたくさん集まっているところを間近で見るのは初めてだ。よく裏庭上空を飛んでいるのを見るが、庭向こうの畑にいるミミズなどを目当てにしているのだろう。この鳥はずんぐりして無様、鳴き声もうるさいだけで決して美しくないが、それでも人が近づいてもあまり恐れるないところは親しみが持ててよい。鳥には鳥の生活がある。彼らもまた必死なのだろうが、夕暮れにたくさん仲よく集まって餌をついばんでいる様子は心を和ませる。群れになっていることが羨ましいからではない。筆者は群れることは好まない。小中学校から始まって今まで仲間外れにされたことやいじめられた経験の記憶はないが、集団でやる球技などのスポーツが苦手で、よく協調性を欠いていると通知票で評価された。だが決してそうではないつもりだ。息子が小中学生の頃は積極的にPTAに出て役目を引き受けたし、今でも町内では筆者が筆頭になってよく物事を決め、事を運ぶ。決して偏屈者ではないと思っているが、他人の思いはわからない。また思い出した。昨日の昼食時、ぼんやり裏庭を眺めていると、小川のすぐ向こうに動くものがある。最初犬かなと思った。だが、そこには犬は入れない。次の瞬間、大きな猿であることがわかった。すぐ目の前の山には猿が何百と生息している。はぐれた雄が時々こうして麓に下りて来るのだ。それが畑を荒らすため、あちこちネットで覆われているが、猿が相手では効果がない。猿はごくたまにわが家のベランダにもやって来る。網戸をしているが、簡単に開けてしまうことだろう。猿は慣れているが、真夜中に近所の犬が大きく吠える理由が鹿と聞いてちょっとびっくりした。猪や鹿まで山から下りて来る。それがみんなわが家の裏手の小さな畑を目指す。このあたりもそれほどに畑が消失して家が建て混んだ。裏の畑になぜ家が建たないのかだが、事情通によれば、通りから自動車が入るための敷地が別人の登記になっていて、その人が頑として畑の主に売らないからとのことだ。このありがたい処置によって、ここに引っ越して来てずっと裏の畑はそのままで、向こうに嵐山が広々と見わたせる。もし畑が売られてマンションが建てばさっさと引っ越しをしたいと考えている。せめて毎日窓からの景色を楽しめないのであれば、ここにいる必要はない。とはいえ、離れ猿のようにひとりで自由にどこにでも寝起きする生活は出来ず、家をかまえる必要がある。となればまた銀行から借りなければならないが、もうそんな歳ではないし、余裕もない。ははは。合歓木を写生し終わってまた来た道を戻っていると、真正面に小倉山が見え、ちょうどその背後に夕日が沈んだ。それを見て咄嗟にまた立ったまま描いた。山裾の端で焚き火をしているのか、煙の立ちのぼりが見えた。夕日の沈むのはあまりに早い。描いている間に景色は変化した。筆者のこれからの人生もきっとそうだろう。残された年月で何が出来るか、何をすべきか。何がしたいか。ともかく早起きと思って、今日はそれが実行出来たわけ。3日坊主にならなければよいが。「ムクドリのついばむ群れを笑みつ過ぐ」
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by uuuzen | 2006-06-21 12:21 | ●新・嵐山だより
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