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●『花鳥画の煌き-東洋の精華』
古屋にボストン美術館が出来たのはいつのことだろう。今夜取り上げる展覧会は図録に第14回展とある。年2回の展覧会とすれば、逆算して1999年に第1回展が開催されたことになるが、たぶんその頃ではなかったろうか。



●『花鳥画の煌き-東洋の精華』_d0053294_251371.jpg本展は昨年10月22日から今年5月21日までの開催で、ちょうど7か月間になるから、年2回の開催としても半年毎ではないことがわかる。これは見なかったが、つい最近まで神戸でボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵展が開催されていた。その終了後に名古屋ボストン美術館に巡回して8月下旬までおよそ2か月公開されるが、どうやら展覧会の内容によって会期は不規則で必ずしも年2回とは言えないようだ。それはいいとして、この美術館の宣伝は関西に行き届いているとは言い難い。また先の肉筆浮世絵展のように関西で鑑賞出来るのであれば、名古屋にまで行く必要はないから、より多い集客のためには、展覧会の内容がよほど特筆すべきもので、しかもこの館だけの開催の必要がある。東京はまだそうした地位を保っていて、東京のみでしか開かれない大規模な展覧会は常にある状態と言ってよい。さて、名古屋ボストン美術館の存在を知っていながら、足がなかなか向かなかったが、去年秋に今回の展覧会が開催されることを知り、ようやく同館を訪れる気になった。内容もさることながら、会期7か月では関西への巡回はまず考えられないからだ。春に行くつもりが、ようやく会期終了前日に見た。名古屋市内はもう20回ほど訪れたことがあるのに地理は詳しくない。Fさんの案内で地下鉄で行った。金山駅の地上に出てすぐ右手のビルだ。そのあたりの雰囲気はちょうど四国のJR丸亀駅前の猪熊弦一郎の美術館をどことなく思わせたが、こちらの方がややせせこましく、そして人は何十倍も多い。この美術館は写真ですら知らなかったので、ビル全体を占めていたのは意外であった。正面の幅広い階段を上がり、エスカレーターで4階まで行くと、そこが展示室だが、3階のオープン・ギャラリーでは写真展が開催されていた。これも同館所蔵の作品を展示するもので、4階を見る人は無料で入れる。ただしこの3階だけ見る場合は料金が必要で、「オープン・ギャラリー」は「フリー・ギャラリー」の意味ではない。エスカレーターでジグザグと4階まで行く間にガラス越しの向こうにコリント式かイオニア式か、ギリシア神殿に見られる石の柱が2本ほど見えた。ビルの外観からは思いもつかない演出で、これは本国アメリカのボストン美術館の雰囲気を模すつもりで設置したものだろう。だが、ビルの構造とは直接には関係のない装飾であるはずで、その点にこの館の臨時的な意味合いが象徴されているように思えた。
 図録は会期が始まって間もなく郵送で入手していたが、同館の賛助会員を印刷した紙が1枚挟まれている。ざっと数えて230ほどだろうか、名古屋のさまざまな業種の企業、あるいは個人の名が連なる。これは館の維持管理費や作品を持って来る経費などを賄うためだが、入場料金だけではどうにもならない状況をよく示す。ところで、名古屋にこの美術館が出来たことを知った時、ついにそこまで来たかと思ったものだ。今までにボストン美術館展は何度も開催されているが、そうたびたび開催するならばいっそのこと日本に出張所的美術館を作る方が何事も便利に運ぶし、半ば常設的に長期に作品を展示することも可能とはなる。だが、筆者が思ったことはそれ以外にもある。ボストン美術館所蔵の日本美術や中国美術は、フェノロサやビゲローが明治時代に買ったもの、あるいはそれに続く人々のまとまった寄贈が主になっているが、フェノロサ以外の人々の寄贈は遺言によって門外不出となっている。このいわば足枷を取り除くには、外国にボストン美術館を設ければよい。どんなことでも例外や抜け道はあるもので、ボストン美術館から外に出しては行けないとされる作品でも、分館がたとえば名古屋に出来れば、そこで展示してよいことになる。名古屋に出来たのはおそらくそうした理由もあったのではないだろうか。そして門外不出でない作品はついでに日本各地を巡回し、そうでないものは名古屋のみでたとえば半年ほどの長期といった期間で「不出」扱いの展示をするのだろう。つまり、今回の展覧会はそのような門外不出作品を中心にするものであって、今開催されている肉筆浮世絵展はそうではないということだ。ただし、この考えはあくまでも想像だ。それにしても同館は日本の経済力をよく示す好例であるだろう。今後もし経済的収支が成立しなくなれば、撤退はあり得るだろうし、そう思えば同館がある間にせっせと足を運んだ方がよさそうだ。また、最近ロシアのエルミタージュ美術館が同じように日本に出張美術館を設置する動きが進んでいるようで、美術品を膨大に所蔵する諸外国の美術館が日本をターゲットに商売を考えることは当分なくならない気がする。ぼろい商売にはならなくても、本元の美術館のちょっとした維持修繕費の足し程度にはなるだろう。じっと保管しておいてもそうした資金は出て来ないから、保険をしっかりとかけて日本に運んで展示するのは大賛成というところだろう。
 ボストン美術館から多少の作品を借りて日本で展示することは、戦後は60年代にはすでにあったが、まとまった数が初めて来たのは1972年の「ボストン美術館東洋美術品名品展」だ。これは図録は所有するが見に行かなかった。その後78年「ボストン美術館展 名作が語る人間像」、79-80「フランス絵画の巨匠たち」、81「近世日本屏風絵名作展」、83「日本絵画名品展」、83-4「ルネッサンスから印象派まで」の5つは見て図録も買ったが、その後もコンスタントに開催され、89年「19世紀フランス絵画の名作」や95年「19世紀ヨーロッパの巨匠たち」は見はしたが、相変わらず同じような内容なので図録はもはや買う気になれなかった。このようなますます強くなったボストン美との縁を見れば、名古屋に出来たのも時期が熟していたと言える。このようにひとつの美術館から頻繁に作品が持って来られるのは他に例がないが、そもそもの同館とのつき合いが岡倉天心やフェノロサの時代に遡り、日本と最もつながりの強い外国の美術館であるから、名古屋に出張所が出来るのも当然のようなところがある。姉妹都市の京都になぜ出来なかったかと思うが、名古屋は京阪神と関東に挟まれた位置にあって、集客の面からは立地がよい。さて、今回の展覧会に関心を抱いたのは、72年展を思い出させたからだ。72年展は当時としてはよくやったと言うほどの優れた内容で、それこそ門外不出作も混じっていたはずだが、東京国立博物館が創立100年を迎えた年でもあって、例外扱いとなったのであろう。72年展の図録の表紙は今回も最大の目玉であった徽宗皇帝(1082-1135)描く「五色鸚鵡図」であった。これは写真ではただ全体が茶色にうす汚れた鈍い絵に見えるが、実物はもっと匂い立つような気品と繊細さが見られ、桁違いの貫祿があった。本物の絵に対峙して受けるそのような印象はかすかなものだが、にもかかわらずそのかすかな感覚は長年保たれる。それこそが実物を見る意味で、遠くまで出かける意義もある。物も人も出会いとはそのようなものではないだろうか。「五色鸚鵡図」は中国にあれば国宝間違いなしの巻物で、そうした宝物が清末期のどさくさに流出したのは歴史のドラマだが、日本も事情は同じだ。激動の時代をいくつも潜り抜けてそれが名古屋で展示されているのであるから不思議な気がする。徽宗は北宋最期の皇帝で、晩年には金軍に捕らえられて幽閉されて死んだ。芸術を庇護し、自らも描いた人物として名高いが、当然芸術熱心なあまり国を崩壊させたと後世の批判もある。歴史にはたまにそうした王様が現われる。国は滅びても人間は生存するから、ならば後世に伝わる芸術が生まれる方がいいではないか。
 今回の図録の表紙は時代を感じさせる体裁、そして印刷の仕上がりで、72年とは雲泥の差がある。一見ボタニカル・アートの部分図かと思える拡大図で、図録の裏や折り返しにも絵がそのままつながっているのはありがたい。保存もよく、また色鮮やかな様子からしてただちに清時代のものであることはわかる。銭維城(1720-76)が描く巻物で、彼は乾隆帝時代の高位の官僚で宮廷での指導的画家であった。高さは36センチ、長さ3メートル50ほどある絹本著色で、輪郭線のない没骨の描法によるため、全体に女性的な優しさ華やかさがある。絵具がいいのか、赤やローズ色、藤色が濁らず、また現在のような無機質の色合いではない。花弁のぼかしはまるで型友禅のそれのようにうまく表現されていて、筆ではなく小さな刷毛、しかも型紙を使用したように見える。また、この絵をボタニカル・アートとしても問題はないほど画家の科学的観察は行き届いているが、中国のことであるので、ヨーロッパの同時代の植物観察画が宮廷にもたらされていたことは充分にあり得る。ただし、同時代のヨーロッパのそうした絵画には見られない愛らしさと言ったものがあって、そこにヨーロッパとアジアの対比を見る思いもする。ヨーロッパのように徹底して物事の本質を見る科学的態度がなく、ただ美しければよいといった情緒に流れて清は滅びたと言えるかもしれない。そうしたはかなさがこの植物画には漂っている。さて、65点の展示数は72年展の72点と大差ない。だが、今回は花鳥画に的を絞っているので、内容はかなり違う。「東洋の精華」の副題はいかにも曖昧な表現で、作品数の割りに内容の絞り込みが出来ていないことを伝える。これはボストン美にあるものだけで構成し、しかもなるべく広範囲な作品を網羅することで多くの人に関心を抱いてもらうという目論見からは仕方がなく、また有意義でもある。全体は1「花鳥モチーフの起源」、2「宋代画院 宮廷花鳥画様式の陥穽」、3「花鳥モチーフの多様性」、4「朝鮮美術の中の花鳥」、5「日本の花鳥表現」の5つのコーナーに分けられ、さらに3は「百鳥朝鳳」「萬艶同春」、5は「日本における花鳥画」「浮世絵にみる花鳥」「日本の小道具に施された花鳥装飾」にそれぞれ分類されて作品が並んだ。
 これらの各コーナーごとに愛好家がいるはずで、また見所があると思える作品も各自で異なるだろう。だが、1は玉や青銅器、さらに時代が下って唐の陶器や銀器などのわずか6点、5は1990年にロックフェラー・コレクションでまとめて展覧されたことのある広重や北斎の浮世絵、あるいは刀の鍔など、比較的よく見る機会があるものが中心で、特に取り立てて言うものはない。ただし、絵画としては名古屋を意識してか、梅逸のなかなか見事な牡丹と梅を描いた大幅の掛軸が出ていて、これは特に目を引いた。見所のコーナーは2、3、4ということになるが、4はわずか6点で物足りなかった。銀の器と青磁の1点ずつはいいとして、17世紀後半の「花鳥図(かけす図、かささぎ図)」の2幅対の水墨掛軸は作者不詳の、どこか民画を思わせる素朴さも漂って、日本にはない独特の感覚に見応えがあった。同じく「花鳥図」と題する紙本の2幅対も作者不詳ながら、こちらは著色画で、しかもさらに民画風の逞しさやユーモラスな感覚があって、中国にも日本にもない味わいは忘れ難い。2における特筆すべき作品は前述した「五色鸚鵡図」だ。このほかは5点の展示で、うち2点が工芸という点で4の朝鮮と同じ扱いだ。結局今回の中心は3「花鳥モチーフの多様性」にあった。「百鳥朝鳳」のコーナーは「鴛鴦雙喜」「松鶴延年」「君子九思」「鳳凰百鳥」、「萬艶同春」は「四季の花々」「蓮」「花中君子」「蝶恋花」とそれぞれ4つのさらなるセクションに分けて展示された。これは「花鳥モチーフの多様性」をわかりやすく教育的に見せるものいとしてはよい試みだ。図録のその意味で花鳥画の歴史や広がりを知る資料としてよく機能するだろう。陶磁器の4点以外はみな絵画で、この点でもこの展覧会がめったに見られない中国の古い絵画を鑑賞するよい機会であったことを示す。またどのコーナーにも工芸を少し混ぜることで、いかに花鳥画が道具類に及んでいたかを確認させ、その点もよく内容が吟味されていた。図録の説明はサイ・ウンという中国系のボストン美術館のアジア・オセアニア・アフリカ美術部の顧問学芸員が書いていて、中国美術に重点が置かれた今回の内容にはふさわしいだろう。それにしても日本の花鳥画が中国古代から始まって朝鮮を経た位置にあることを改めて確認して、中国の圧倒さを思わないわけには行かない。
by uuuzen | 2006-06-17 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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