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●アルバム『Joe’s Xmasage』解説、その2
飾り伝説(The Corsaga)として、ジョー・トラヴァースが編集するザッパの未発表音源が今後どの程度の枚数のアルバムとなって完結するのか、ファンなら誰しも考えるところだろう。



このシリーズは、ジョーがザッパの自宅地下室に保管していた録音テープを順次調べ上げて編集しているものだが、せめて後20年ほどで終わってほしいものだ。昨夜書いた『Joe’s Xmasage』はこの同シリーズの第3弾で、それとほぼ同時の今年1月に出た『Imaginary Diseases』もジョー・トラヴァースは編集に携わっているが、こっちはシリーズの1枚とは数えられない。このシリーズは『…Xmasage』と同様に60年代前半の、つまりマザーズのデビュー前の音をばかりとは言えないから、シリーズになるべき録音がどのようなものか今ひとつ不鮮明な状態にある。だが、『…Diseases』からわかるように、ザッパ自身がアルバムとしてほとんどそのままの形で発売してもいいような状態にまでミキシングや編集などを済ましていた音に関しては同シリーズには含めず、たとえばリハーサル音源といった楽曲として未完成的な扱うようだ。これはザッパが生存していればまず発売しなかったものとみなせるので、同シリーズを冷やかに見るファンは少なくないだろう。アルバムの曲順にまでザッパの采配があることがオリジナルの条件であって、他人が勝手に音源を編集すれば海賊盤に限りなく近いものとなる。だが、その作業はザッパの妻たちの管理下が行なわれるから、海賊盤と呼び切るにはかなり抵抗がある。それに最晩年のザッパ自身が病床の中でそうした行為について指示していた可能性も否定は出来ない。92年に筆者はサイモン・プレンティスに、ザッパ没後にザッパの音楽をよく知る誰かが未発表音源のCD化を行なうことをゲイルにかけ合うべきと伝えたが、当然同じような考えはサイモンもゲイルも想像はしていたはずで、結果的にそれがジョー・トラヴァースの起用という形になった。ザッパ没後の未発表音源の発売が、全集という形である程度ジャケットなどのデザインが統一された状態であれば本当はありがたいが、現実はさまざまなフォーマットになって、かなり雑多な印象を与えている。時代に則した体裁があるから、それはそれで面白いが、かつてのLP時代を知るファンからすればまとまりに欠けて捉えどころがないように感じられる。だが、「The Corsaga」シリーズはひとまず体裁は共通しているから、このまま同じ形で続々と発売されることを期待する。
 このシリーズの楽しみのひとつはジャケット写真にある。毎回初めて見る写真が使用されている。『…Xmasage』は3枚の中でも特によい。髭を生やさない若いザッパがアルバム・ジャケットに登場するのは初めてのことだ。この机に着く写真は、時代の空気をよく伝えて見飽きない。22、3歳頃で、ビートルズ旋風がまだアメリカに上陸する前だ。写真は50年代の空気を引きずっているように見えるが、アメリカは当時も大変であった。ところで、ザッパがレニー・ブルースのように海軍にでも入っていたならば、マザーズの誕生があったとしても、かなり遅れたことだろう。そして、60年代半ば以降のロック・シーンにおける2、3年のデビューの遅れは、ザッパやマザーズの音楽をかなり違ったものにしたはずだ。昨夜も書いた「財布」という語りの曲の大部分は、若い女の子の手紙を面白おかしく読み上げることで占められているが、そこにもアメリカ海軍の存在が垣間見える。冒頭の内容を少し書く。女の子はザッパと同じロサンゼルス郊外の砂漠に近い町に住んでいる。去年家出をしてハワイでサーファー生活をしていたジョンが戻って来た。彼は来週海軍に入ることになっているが、女の子は「ジョージとお前はまだつき合っているのか」と訊ねられた。そうだと答えたところ、ジョンは残念がったが、その様子を見て女の子はジョージに対して、自分とつき合ってくれなければジョンとすぐまたくっつくわよと手紙に書いている。強く言い寄ってくれる方になびくぞと脅しをかけて、本当は好きな男をものにしようという手だ。西海岸の若者が海軍に入るのはこの当時はごくありふれたことであったのだろう。ザッパが徴兵を受けなかったのは、以前に監獄に収容された経験があって、兵士として不適格者とされたからだ。逮捕の原因は、大学生の年齢をしたまだ20少しの年齢の若い男が音楽スタジオに一日中こもっているのは、きっと何かいかがわしいことをしているに違いないという警察の憶測のためだが、それはゲイルがアルバムのライナー・ノーツに書くように、シチリア系、ギリシア系、アラブ系、イタリア系のアメリカ人で街中をぶらぶらしているような連中に対して当時注がれたものだ。ある意味ではザッパは海軍に入ることも権力から拒否された存在であった。また面白いのは、シチリア系、ギリシア系、アラブ系、イタリア系のいずれもがザッパに当てはまる事実で、その後有名になったザッパが権力風刺を強く込めた曲を盛んに書いたのは、こうした若い頃の理不尽な経験が心中に強く刻まれていたからとも言えるだろう。だが、徴兵されて2、3年を外国で兵士として暮らしていたならばどうであったか。それでもザッパの権力風刺に変化はなかったであろう。レニー・ブルースは海軍生活から帰国してあのような風刺の笑いを売り物にするスタンダップ芸人になったが、ザッパが同例になる必要がなかったのは結果的にはありがたい。海軍に行かなかった代わりにまたせっせとスタジオZの中で録音する生活を続け、それがたとえばこの「花飾り伝説」のシリーズとなっているから、ザッパにとって面白くなかった逮捕収監劇もその後何にどう作用するかわからなかった。
 ザッパのような移民の子孫がアメリカ政府に忠誠を近い、市民として認められたいために行動することは本当は当然のことであろう。実際ザッパは反政府主義者ではなかった。だが、若い頃にたいした理由でもないのに警察に逮捕されたとの思いは、政府に受け入れられないという疎外感をさらに強く抱かせたに違いない。自由と平等があるとはいえ、それは表向きのことで、結局権力を持っている者、金をたくさん持っている者が世を支配する。20代前半のザッパがどういう思いで音楽活動をやっていたかは、当時録音した曲から想像するほかないが、たとえば『…Xmasage』からは濃厚に当時のアメリカのごく普通の若者が感じていたあらゆる空気が伝わる気がする。若いので当然異性のことが眼中にあるし、当時の若者の娯楽であった映画や音楽などの分野でいかに独自のものを生み出そうかとの思いも見える。それらはすでにザッパ特有のアングラ的色合いを持ったもので、60年代初頭の世のムードを反映してもいる。それはマザーズとしてデビューしてからのアルバムには見えないものだ。62、3年からわずか数年でアメリカの空気が変化したからだ。ビートルズのアメリカ上陸前までは、まだどこかのんびりとした、それでいてどこか不気味な空気が流れていて、そのことが『…Xmasage』全体に刻印されている。筆者がこのアルバムをとても面白いと思うのはその点だ。ひとつ例を上げる。11曲目の「ジ・アンクル・フランキー・ショー」は12分近いザッパのディスク・ジョッキー風語りだが、そこでザッパは自作の映画の脚本の概略を素早い調子で喋り続ける。その内容は次から次へととんでもなく変化して、まるでザッパの後年のアルバムを聴くような気分がするが、一言すれば1本の映画の中にあらゆるジャンルのものをつなげ、当時の若者に人気のあった映画を全部引用してまとめ上げたものを思えばよい。だが、ひとつずつの話はよくまとまっている。たとえば「I Was Teen-age Artichoke」と題する部分はこんな内容だ。お眠りパーティをしている女の子たちがいる。コーラを飲んだり枕を投げつけ合ったりおかしな電話をかけたりしてわいわい騒いでいる。そしてみんな眠りに就くが、ある女の子が叫んで起きる。自分の腕や頭がアーティチョークの葉に変化しているのだ。やがてみんなも起きて、彼女を友だちにしておきたいかどうか決めようとする。すぐにみんなは彼女のことを忘れる、そしてまた枕を投げつけ合ったりおかしな電話をかけたりし始める…。この小さな物語はSFではなく、現実のありのままと言ってよい。ここに見られる恐怖は、女の子がアーティチョークに変化することよりも、彼女のことをすぐに忘れて何事もなかったかのように過ごす若い女の子たちの生態だ。ザッパの女性観が見られるだろうし、世間というものに対する冷静な眼差しもある。ザッパが見る60年代初頭のアメリカはそういう世の中であった。その眼力の強さは生涯衰えることはなかった。

●2001年9月22日(土)夜 その1
夜。午後3時頃に急に思い立って伏見深草の石峰寺に行った。途中四条大橋の上空を見上げると、風が天上高く吹くせいか、完全に雲がない青空であった。こういう空は生まれて初めて見た。本当にぐるりと四方を見回してもわずかな雲のかけらもなかった。去年秋は京都国立博物館で伊藤若冲の没後200年記念の展覧会があった。筆者が若冲の作品をまとめて観たのは81年秋の尼崎での展覧会で、ちょうど20年前のことだ。それは去年のものより小規模の展示数であったが、もっと印象に残っている。京都中京の錦小路の野菜問屋に生まれた若冲は85まで生き、晩年を石峰寺で過ごして、境内の山に五百羅漢の石像を彫らせた。その作品をずっと観たいと思いながら、行こうと思えば1時間で充分着くのに、何と20年がそのまま経ってしまった。石峰寺は伏見稲荷大社の南にある。伏見稲荷はもう何度も訪れたし、20年前には月に1回は京阪の伏見稲荷駅に下り立つ用事を作っていたものであった。今日はまず伏見稲荷境内の土産店で伏見人形を見ることにした。若冲は異端の画家と評価されるが、その凄味を知ると、もはや他の日本画家がつまらなく思えるほどだ。その若冲は最晩年に伏見人形をしばしば題材にして描いたことはよく知られている。もちろん20年前の展覧会にもそういった作品が数点出ていた。カタログで確かめると、伏見人形の代表的な像である布袋さんだ。昨日の東寺での弘法さん市では、高さ30センチの新品に近い伏見人形とおぼしき布袋さんがあって、価格を訊くと、3000円という。これは安い。安過ぎる。しかし像の底がなくて、からっぽの中身が丸見えであるのが気にかかった。伏見人形はそうはなっていないからだ。それで買うのを迷って、小雨の中、もひと回りして、同じ出店に行くと、今度はおばさんがいて、1万円と言う。アホらしくなって買うのを止めた。値段などあってないようなもの。その時の気分で出鱈目を言う。しかし本当は1万円は妥当な価格だろう。というのは今日伏見稲荷で見た30種ほどの新品のうち、高さ30センチに達するものはなく、20センチほどのものでも4万円くらいしていた。ここまで高いともはや美術品で、簡単には手が出ない。それでも実に面白い形や色で、どれもほしくなった。新京極の土産店で見たのとは違う店から仕入れているとのことで、作風がうんと違った。図書館で調べた本に載っていた代表的な像の写真のものはほとんど伏見稲荷境内のこの店では揃っていた。若冲が描いた布袋さんと全く同じものがほしかったのだが、それと同じ格好のものはあったが、残念なことに色が全く違っているため別物の印象がある。それでそれを買うのは止した。
 本によると、布袋さんを7年か12年かけて小さいものから順に買い揃えて、合計で7点並べて飾ると火除けになるらしい。それでその布袋があるといいなと思っていたところ、店の奥にはちゃんとそれがあった。おばあさんに話を訊くと、量産ものであるから必ずいつも七種類は揃っているという。それで一番小さな10センチのものをついに買った。1100円也。昨日の高さ30センチのものに比べるとかなり見劣りする。というよりまるでおもちゃだ。7つめの最大のものでも高さ20センチほど。5000円ほどだったか。それでさえもごく雑に顔や衣服を描いていて、美術品的な風格にはほど遠いのだが、遠目には色鮮やかで、でっぷりとして笑顔の布袋の立ち姿は貫祿がある。毎年買って7年か。おそらくすぐだろう。7つ揃うのが楽しみだ。本当は伏見人形の製造元へ行くつもりであったが場所もわからず、その時間も今日はなかった。布袋像より大黒像が好きなのだが、伏見人形の代表格が布袋では仕方がないし、7つ揃えるという楽しみがあるので、まあいいかという気分だ。なぜ布袋像があまり気に入らないかといえば、『大論2』を書くためにほとんど家にこもっていたこの2年間で筆者は大いに体重を増やしてしまって、腹が出てズボンが合わなくなってしまった。まるで布袋さんだ。自分の姿があそこまで太ってしまうと想像すると恐ろしい。伏見稲荷境内の10軒ほどある大きな土産店や食堂はみながらんとしていて、界隈のさびれ具合が手に取るようにわかった。こういった調子だから伏見人形が廃れたのは無理がない。賑わいの街道が交通の要所ではなくなってから、どんどんこの界隈は京都を訪れる人からは忘れ去られるに至った。人の動きが変わると物作りの伝統まで一気に消滅する。安価であったはずの伏見人形が今ではたいへん高価なものになっているというのはいたし方がない。今日買ったささやかな布袋で、せめて若冲が活躍した江戸中期の伏見の賑わいを思い浮かべたい。

by uuuzen | 2006-06-13 23:59 | ○『大論2の本当の物語』
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