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●『生誕80年記念 マリリン・モンローの綺麗のヒミツ』
う1か月が経つ。先月4日に難波高島屋で見た。チケットがあったし、大阪に出たついであった。そのためあまり書くべきことはないが、マリリン雑感として思いつくまま綴る。



●『生誕80年記念 マリリン・モンローの綺麗のヒミツ』_d0053294_2114579.jpgさきほどTVでクリント・イーストウッド主演の1968年のアメリカ映画『マンハッタン無宿』を見た。この邦題はスティーヴ・マックイーンのTVドラマ・シリーズの『拳銃無宿』をよく知る世代に向けてのものだろう。『拳銃無宿』を楽しんだのは筆者より年上の世代で、1940年代後半以前に生まれた人たちだろう。つまり、『マンハッタン無宿』はそうした人々が面白く見るだろうとの予想のもとに邦題がつけられたと思う。それはアリゾナからカウボーイ・ハットにブーツ姿でニューヨークにやって来たイーストウッド演ずる田舎刑事が、マリファナやゴーゴー・ダンスといったヒッピー文化を目の当たりにしてやや顔をしかめる様子からもわかる。つまり、この映画はカウンター・カルチャーを好ましいものとは描いていない。それどころか、そうした最先端の文化に染まる若者はみなろくでなしとして登場している。そこに監督の若者文化に対する苦み走った顔が見えそうな気がした。それはいいとして、映画に出てきたニューヨークま街はまるでホッパーが描いた時代と同じような古風な感じが強く漂っていた。超高層ビルが見えず、ビルはみなレンガ色をしていた。映画の最後の場面はパンナム・ビルの屋上からヘリコプターが飛び立つ様子をさらに上空から飛行機で撮影したもので、その部分だけ見るとあたりは今と変わらぬ高層ビルがたくさん建っていたが、マンハッタン島を少し外れるとおそらく田舎っぽい雰囲気のところもまだまだ目立ったのであろう。古い映画は、話の筋とは関係のない見所があるのが面白い。で、68年のニューヨークにそんなに田舎っぽい感じの場所があったとすれば、さらに時代を遡ればもっとそうで、たとえばマリリン・モンローが死んだ62年はどうであったかと思う。それだけマリリンは遠い昔の人になっているが、マリリンのイメージがさまざまな形で繰り返しメディアに登場するので、普段はそんなに古い時代の女性とはあまり思えない。これはビートルズでも同じだ。今でも若者のファンが生まれ続けているから、おそらくそうした人は『マンハッタン無宿』の上映時はもうほとんどビートルズが解散寸前になっていたことはまず信じられない。これはメディアに情報が繰り返し流される度合いの差であろうか、それともやはり『マンハッタン無宿』とビートルズは同時代の産物と思う人の方が多いだろうか。
 68年と言えばヒッピー時代で、当時の音楽を今でも聴く筆者からすればそんなに古い過去とは思えないが、マリリン・モンローはツイストが流行していた頃に死んでいるから、本当に古い時代の女優であることを改めて知る。この展覧会は生誕80年記念だが、80歳のマリリンの姿は想像出来ないし、したくない。永遠のイコンとなるには夭折する必要があり、その意味ではマリリンは神格化されるに充分な年齢で逝った。ちなみに1926年生まれであるので36歳だった。マリリンの死から5年ほど経っていた頃か、『LIFE』誌にマリリンの特集が載ったことがある。10代後半の一時期筆者は同誌を取っていて、その特集はよく記憶している。プールの中から片足を上げて上がって来ようとしている瞬間を捉えた大きな写真もあった。それに死亡時の顔もあったと思う。死の原因はいろいろ取り沙汰されたが、睡眠薬の取り過ぎか、顔は染みが出て病的に見えていた。その後かなりしてからケネディ大統領と関係があったことが伝わって来たが、そうなると死因はよけいにミステリーめいて、大きな陰の力によって潰されてしまった可能性があることを誰しも思う。だが、そんな可能性があったとしても、あのケネディでさえ、本当の暗殺者が誰かわからず今なおTVでは特集番組が組まれる。一俳優に過ぎないマリリンの場合は、死因を詮索する記事も相変わらずあるとはいえ、ひたすらその美しかった様子を思い出して讃えるという動きの方が何百倍も多い。マリリン曼荼羅と言おうか、日本の画家かイラストレーターかに、裸のマリリンを漫画的に無数に密集させて描く人がいて、昔『芸術新潮』でちょっとした紹介がされていた。その記事を確認しようと思ってさきほど手持ちの同誌を全部確認したが見つからなかった。記事内容はよく覚えているので、見つからなくもかまわないのだが、こうして書くからには一応確認しておこうと思ったのだ。「漫画的な裸のマリリン」とは、つまり陰部の割れ目がくっきり、しかも大きく描き、あくまでもマリリンのセックス・シンボル性を強調した描き方で、これはマリリン自身が見れば嘆くかもしれないが、一般、特に男性に流布した彼女のイメージはそれとは大差ないものだろう。であるから、マリリンかもしれない女性のポルノ・フィルムが発掘されたと言えば、それだけでもまた大きな話題になって雑誌に特集がいくつも登場する。役者をセックスの偶像の眼差しで見つめることは今に始まったことではない。日本でも昔々からそれはあって、役者と売春的行為は切り離せない部分もあった。これも昔、今東光が若者向きの雑誌で人生相談を受け持っていた時、ある若者がタレントの誰それが真剣に好きでこの思いをどうすればいいかと質問すると、今東光曰く、女性芸能人はみな売春婦と同じでそんなものに真剣な恋心を抱くなといった答えをしていた。これには全く同感だ。
 さらに話はあちこち飛ぶ。筆者の寝床のすぐ頭のうえには大きなポスターがここ5、6年貼ったままにある。壁土がこすられてぽろぽろと落ちるのを防ぐ意味からで、たいした理由はないが、そのポスターはオランダのあの木靴を半分脱いで座るマリリンの白黒写真だ。小さなキャプションには確か『荒馬と女』とあったと思う。この映画は昔見たことがあるが、ポスターと同じ姿のマリリンが登場していたかどうかは記憶にない。いや、ポスターの『荒馬と女』は記憶違いであるかもしれない。すぐに階下で確認出来るが面倒なのでこのまま書き進む。その写真のマリリンはかなり疲れて見える。幸福そうではない。演技でそんな表情を作ったのだろうか。そうではないように思える。撮影の合間のごく自然な格好に見えるからだ。それに写真の粒子も荒く、大型カメラでの撮影ではないだろう。人も羨むような有名人になったマリリンが孤独であったと言えば、美人コンテストやあるいはレース・クイーンなどに応募して有名人の仲間入りを切望している日本の若い女性たちはせせら笑うかもしれない。何が何でも有名になりたいと思う女性は少なくないだろうし、女性として美しい20そこそこの年齢であれば、自分の才能や努力はどうであれ、とにかく自分を誇示してみたいと思う方が正常な感覚とも言える。そうした女性の大半はごく普通の男性を獲得してそうした夢を鎮めてしまうのが、なかには偶然に左右もされ、とんとん拍子でマスメディアを一時期賑わせる有名人となる者もいる。だが、マリリンほどの国際的な、時代を画するような大きな存在になるのはもういないように思える。ハリウッドがかつてのような圧倒的な力を持っていないし、たとえばマリリンの肖像写真をシルクスクリーンの版画にして作品を作ったアンディ・ウォーホルのような才能もないからだ。確かにマリリン時代よりももっと当たる映画はたくさん作られてはいるが、俳優たちはみな小粒で、どんな俳優が演じてもそれなりにヒットするように脚本が作られ、撮影もされているように思える。となるとマリリンは天の賜物と言ってよい存在であったかもしれない。だが、最初からそうではなく、今回も展示されていたが、ごく若い頃の写真を見ると、とても後年のマリリンとは思えない田舎の普通の娘に見える。脚光を浴びて俄然あか抜けしたのだ。となれば、そこそこの才能と美貌があれば誰でもマリリンになれたのかもしれない。「マリリン」の位置が空いていて、そこに現実の女性がたまたま嵌まっただけと言ってもよいかもしれない。世界的に有名になる人というのはみなそんなようなものではないだろうか。有名人物用の場所が予めあって、そこに誰でもよいから誰かがおさまり、そのおさまった人の名前とイメージが有名人用の場所で輝き続ける。有名人は偶像という考えだ。
 マリリン自身がそんなことをふと思った瞬間があったかもしれない。有名人にはなったが、自分がはたして幸福かどうかはわからなかったのではないだろうか。幸福というもの自体がもとより何かはなかなかわからないもので、それを意識した途端、どこかへ消えているような気分になる。マリリンというイメージがどんどんひとり歩きをし始めた時、現実のマリリンがそのことに戸惑っていた可能性はあるだろう。特に俳優という職業はそうだと思える。映画はたくさんの人の共同作品であるから、自分がスクリーンに映ってはいても、それが自分ではないような気がすることがマリリンになかったとは言えない。今回はそのようなマリリンの内面の本当の吐露とみなせる言葉が会場のあちこちにたくさん掲げられた。これはアメリカのマリリンのファン・クラブが限定で出版したデジタル・フォト・アート集「マリリン・バイ・ムーンライト」に掲載された秘蔵写真を大きなパネルに拡大して印刷したものだが、あまりたいしたものではない。デジタル・フォトはマリリンの生前にはなかったから、これは単にあちこちから発掘された珍しい写真をスキャンしてデジタル画像に加工しただけの話だ。鮮明とは言い難いから、そこにマリリンの言葉をいろんなフォントで加え、さらに色飾りを足して各ページを作っている。その限定本は通常の展覧会には常備される図録代わりになっていたが、6000円ほどだったろうか、高価であるし、また各会場にわずかしか用意されていないようで、会場内にいた人は誰も手に取って見ていなかった。「表情の可愛らしさ」「スクリーンの中の輝き」「プライベートの魅力」という3つのテーマで会場が構成され、バービー人形のマリリン版が何体もあったが、顔は似ていないものが多かった。マリリンの顔は似顔絵でもなかなか本物には似ないものだ。それだけアメリカ人としても変わった顔をしている。映画デビューは1948年で、前述の『荒馬と女』は61年、最後の作品で、その間確か10数本だったか、あまり出品作は多くないが、「紳士は金髪がお好き」(53)、「七年目の浮気」(55)、「王子と踊子」(57)、「お熱いのがお好き」(59)、「恋をしましょう」(60)といった作品でマリリンが用いたドレス、靴、宝石、小物類といった、誰しも予想がつくものがいろいろと並んでいた。映画を上映してくれればよかったが、それでは1時間も2時間も居座ってしまう人ばかりで困るだろう。訪れた時間帯が閉館間際30分であったのでなおさら人は少なかったのだろうが、それにしてもさびしい感じがあった。それはマリリンのさびしい晩年と響き合ってのものであったかもしれない。マリリンを思い出す時、決して陽気一辺倒ではない、か弱いイメージがいつも浮かぶ。
 デジタル・フォト・アート集からマリリンの言葉をいくつかメモして来た。その中から適当に選ぶ。「I was never used to being happy.That wasn’t something I was ever counting on…」。幸福だったことはないが、それは取るに足らないと言う。なかなか殊勝な言葉で健気さが伝わる。「I wouldn’t want a child of mine to go through what I’ve been through.」。これも自分のそれまでの人生をよく思っていないことの表われで、実際マリリンは自分の子どもを持つことはなかった。「I’d sit in the front row and I’d think how wonderful it would be to be an actress.Whether what I saw was bad or good,It did’t matter.」。自分が美しいとかそうでないかはどうでもよく、とにかく女優に憧れを抱いた物おじしなかった性格が伝わる。「After one month,five magazine covers appeared and they signed me…Then they dropped me after a year!」。5つの雑誌の表紙に載ったというのに、1年後には契約中止。これもまたよくあることだ。「A sex symbol becomes a thing…Big breast…Big ass…Big deal! Can I be anything else! Gee,how long can you be sexy?」。セックス・シンボル一点張りに辟易していた様子が伝わる。いつまでも容貌を持続出来ないことを知っていたとも言える。とはいえこんな言葉も発している。「I feel that beauty and femininity are ageless.」。つまり、年を取ってもそれなりの美を備える必要を感じていた。しっかりした考えを持っていたことがわかる。「Fame stirs up envy…people wonder,”Who does she think she is,Marilyn Monroe?”」。これは言うまでもない。有名になると妬まれるのは世の常だ。「マリリン? なんぼのもんじゃい!」というわけだ。「An actress is not a machine,but they treat you like one…A money machine.」。これも芸能人がある限り続く構図だ。有名である間に周りもがっぽり稼がせてもらおうというわけだ。「I knew I belonged to the audience,that I belonged to the world.」。マリリンはみんなから有名にさせてもらっていることをよく知っていた。それは今も同じだ。有名人は大体不幸な場合が多いが、自分が大衆を喜ばせていることを知ればそれも一時期は忘れられるのではないだろうか。有名人でない者にはわからないことだが。最後にウォーホルが版画にしたマリリンの有名な写真(Frank Powolny撮影)の口元だけを拡大して染めた自作の友禅屏風を掲げる(縦横180センチ)。唇は百合咲き品種の赤いチューリップの密集から成る。マリリンの口元を忠実になぞった青空のもとの花、雲、石だ。

by uuuzen | 2006-06-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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