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●『2006 日本アンデパンダン京都展』
月にネット・オークションでこの展覧会の招待券はがきを200円で落札したが、18日に京都市美術館の会場入口に行くと何と入場無料であった。



●『2006 日本アンデパンダン京都展』_d0053294_141712.jpgそれに同じはがきの新品が束になっておいてあった。アンデパンダン展は審査がなくて誰でも出品出来るから、入場料不要はあたりまえなのであったが、はがきには「招待券 2名様まで入場できます」と印刷されているから、オークションの出品者も有料の催しと勘違いしたのだろう。わざわざこの展覧会を見るために家を出たから、何だか騙された気になったが、さらに追い討ちをかけるように、会場に入ってすぐ、20年ほど前に同じ京都市美術館で開催されていた読売新聞主催のアンデパンダン展とは様子が違うことに気づいた。てっきり同展のようなダダ的で大がかりな現代芸術作品が並んでいるとばかり思っていたので、すっかり拍子抜けしてしまった。だが元を取る気になって、しっかり見ることにした。京都市美術館の1階北の大展示室が使用されていたが、ここは広くて天井が高い。がらんとして殺風景な感じがする場所だが、それがまた画家の大きなアトリエのようでよい。日本アンパン展は見るのは初めてだ。東京と広島、京都で毎年開催されているようで、東京では今年59回を迎えた。出品内容は、平面作品、日本画、水彩画、版画、デッサン、漫画、彫刻・立体、インスタレーション・パフォーマンスと何でもありなっている。これはアンデパンダン、つまり「独立」の精神からすれば当然で、かつての京都アンパン展でも同じであったはずだ。だが、現実には京都アンパンではほインスタレーションが主流になっていた。それはそれで面白く、ほとんど毎年欠かさずに見たものだ。まだ小学生であった息子や甥を連れて行ったこともある。甥はよほどその何を出品してもかまわないという展覧会の趣旨が印象的であったらしく、今年正月に会った時、急に思い出したのか、もう開催されないのかと筆者に訊ねた。それを記憶していたので、つい先日また甥にあった時、昔と同じように京都市美術館でアンパン展があることを伝えた。甥はとても喜んでいたが、その内容が昔見たようなものとは違って、もっぱら絵画を見せるものであることを知れば落胆したかもしれない。
 京都アンパン展がなぜ消滅したのかは知らないが、出品者が固定化し、またそれらの出品者はみなそこそこ個人的に目立った活動をしていることもあって、ある種の権威主義と言えるようなものが支配的になっていたからかもしれない。実際、規模の大きい作品が目立ち、年1回のその出品のために費やすエネルギーや経費は、日曜画家的な個人が考えるものからはかなり遠くなっていた。それは別に悪いことではないかもしれない。だが、美術館サイドが誰でも参加自由と謳ったおきながら、ほとんど常連的出品者たちが前夜から美術館前に泊まり込んで見栄えのよい展示場所を確保したり、あるいは以前の出品作とシリーズを構成したりするため、そうした先輩たちに知り合いのない初出品者はなかなか仲間に入れてもらえない雰囲気が強くなっていたと思う。つまり、自由独立はいいのだが、前衛を自認して、それをリードしようという一部の人たちの発表の場と化していたわけだ。そうした機会は各人が個展やグループ展をするか、あるいは美術館がアンパンという形ではなく、別の企画展に委ねるべきものとも言える。また、京都アンパンに幕が引かれた理由は、若手の出品が次第に少なくなっていたことも考えられる。これは発表の場が多様化し、アンパンに頼る必要がなくなったことを示すが、京都市美術館の大きな展示室という場所に見合った作品を作ることの閉鎖的とも言える不自由さを思ってのこともあるだろう。無審査はいいのだが、京都アンパンはすでにひとつの特色が強くあって、そのこと自体がもう「独立」とは呼べない不自由さを囲っていた。前衛はそれを自覚した途端に古くなってしまうと言ってよく、美術館で何を発表してもいいと条件を示されても、今の若い美術家の中にはそのことを足枷と思うこともあるに違いない。美術館や博物館は作品の最終的な収まり場所とも言えるから、そうした場所とは無縁のところで表現し続けている作家であっても真の前衛が混じることはある。美術作品は美術館にだけあるのではない。むしろそれを意識せず、そこから遠い場所で創造されるべきだ。そうして生まれた作品が作家が死んでずっと年月を経て回顧展の形で美術館で紹介されるというのが自然な姿に思う。その点、京都アンパンは確かに前衛と言ってよい作品は並んでいたが、美術館に展示出来るという一種の権威に寄りかかる思いが作家にあった気がする。美術館に展示されるいわゆるまともな作品を風刺する作品を考えるアンパン作家が少なからずあったが、前衛も何もわからない人から見れば、そうした作品も結局のところは美術館に展示される点において同じ穴のむじなだ。古い前衛作家が自惚れている間に時代が変わり、若手はもっと広い社会に創造の精神を還元したいと考えて、美術館に通常並ぶ作品とも違い、また京都アンパンに積極的に出品した作家でもないような立場を取って現われて来ているのだろう。
 それで、日本アンパンだ。最初に感想を言えば、とても面白かった。とにかく今までこのブログに取り上げて来た展覧会にはないエネルギーを感じた。ひとり1点の出品で全部で180点ほどだろうか、9割以上が絵画で、残りが立体であった。この後でもうひとつ展覧会を見る必要があったため、鑑賞に30分ほどしか費やせなかったのが残念であった。翌日はフンデルトヴァッサー展を見るためにまた岡崎に訪れたが、午後4時半頃には帰宅しておく必要があったため、もう一度見ることは出来なかった。おそらく無名かそれに近い作家ばかりであるので、県展や画廊での日曜画家のグループ展によくあるおとなしい空気を想像してしまいがちだが、もっと破天荒で過激であった。つまり、思ったよりもダダ的で、あらゆる表情の作品が渾然となって、全体として無垢の、健康的な精神をかもしていた。それはうまくきれいに描いて受賞を狙うといった下心がないからだ。無心の勝利とでも言うべきものがどの絵にもある。それでいて絵がへたで見るに耐えないというのではない。100号、200号という大画面が目立ったし、タッチの荒いものでもよく描き込まれていたし、逆に写真のようにリアルに描いた達者な技術のものも、変ないやらしさがなかった。これは誰か巨匠なり流派のまねをするというのではないからであろう。アンパンの名にふさわしく独立独歩なのだ。1点ずつ見て行きながら、ますます愉快になれた。こういうことは珍しい。有名団体公募展に漂う、つんと澄ましていい子ぶるようなところがない。だが、俗っぽくて下品かと言えばそうではない。入口の受付で目録のパンフレットをもらった。最初に「日本美術会の趣旨」が書かれている。全8条からいくつか引用する。1「日本美術会は、日本美術の自由で民主的な発展とその新しい価値の創造を目的として運動する美術家の集まりである」。2「日本の現代文化には、高度な資本主義社会の生むさまざまな歪みが現れており、古い体質も残っている。美術界の制度や気風を改善し、真の人間的な日本美術を生み出すために努力する」。5「われわれは、積極的に他の文化部門との交流をはかる」。6「かつて戦争は日本の美術を傷つけ破壊した。戦争に反対することは美術家の責務である。われわれは人類の生存を脅かす核兵器廃絶をめざし、戦争と侵略をやめさせ、ファシズムの防ぎ、表現の自由を確保し、平和な世界をつくるために美術家としてあらゆる努力をする」。
 会場に入って20点ほど見たところで、戦争や原爆をテーマにした絵がちらほらあることに気づいた。そういう絵は絶対に日展や院展、創画展といった有名団体展にはないはずだ。美術は反戦活動といった政治につながるようなところとは一線を画すべしという暗黙の了解があるからだろう。戦争の悲惨さをテーマにしたいと思っても、佐川美術館における平山郁夫が描くサラエボの廃墟をテーマにした絵でも明らかなように、そこに描かれるのは希望を持った人の姿だ。これは悲惨さを悲惨なように描いても誰も楽しくはないというサーヴィス心からかもしれない。そのため丸木位里・俊の「原爆の図」のような絵は日本の絵画の歴史からは傍流のものとして退けられる。今回の招待はがきの表面下半分は講演会の案内が印刷されている。「ケーテ・コルヴィッツ-人と創作-」と題して町田市国際版画美術館の学芸員が講師となった。その下には日本美術会の住所として、東京の「平和と労働センター内」とあるから、上記の会の趣旨とともに、おおよそこのアンパン展がどういう立場にあるものかわかる。丸木位里・俊の絵の仕事はケーテ・コルヴィッツに近い位置にあるが、ダダやドイツ表現派が好きな筆者は、日本の美術でも政治権力と戦ったような動きには関心がある。概して日本美術にはそういう動きは少ない。京都アンパンでも前衛を目指す割には政治の矛盾を断罪するような作品は見かけることはなかった。日本においては前衛美術でも政治風刺は御法度のようなのだ。その点、今回のこのアンパン展は違った。反戦を無邪気に唱えて能天気というのでは決してない。もっと一市民、一個人としての率直な考えを述べるという様子が伝わって来る。そうした絵を嫌悪する人は少なくない。権力者やそれに近い人はそうであるし、お上に楯突くことをしない羊のようにおとなしい人々も加わるだろう。あるいは純粋に造形というものを考えたい人だ。だが、美術というものがどこまで自由な表現が可能なのかを考える時、あからさまとも言える反戦絵画がもっと描かれていいし、そうあるべきだろう。そういう絵画が後の時代に評価されて名画の殿堂に入るといったことを、当の画家たちが望んでいるというのではない。絵を描く人のごく一部であってもいいので、そうした絵を常に描いている必要はあるのだ。そうしてはいても戦争は起きる時には起きてしまうだろうが、何もしないでやっぱりねとシニカルに言うよりも、抵抗をしたという自覚があればまた先に希望をつなぐことは出来る。良心を担うそういう人もいなければ、他国からは決して尊敬もされることはないだろう。
 どの絵もそれなりに面白かったが、特に気になったものを列挙しておく。石口ひとみ「道程」は、画面手前にひとりの少女がこちらを向いて立っている。上半身だけ描かれる。背後の両脇は緑だ。そして葉があちこち浮いている。どこかの団体公募展に出してもいいようなごく普通の雰囲気だが、妙に印象に残るものがある。上原二郎「テロを戦争で無くす偉い政治家」は、そのタイトルが示す主張は筆者好みだ。デ・クーニング風の荒々しいタッチがなかなかよい。大島和子「彼らの帰還」は、画面上半部は星条旗や柩の群れ、下半分は兵士の足が描かれる。いかにも反戦絵画だが、新聞の写真ではすぐに忘れることでもこうした油彩画を見れば記憶に残りやすい。香川久司「虐待」は強烈で恐い絵だ。尻尾を括られた一匹の悲しい表情で脅える犬が大きく描かれる。尻尾のすぐ下には棍棒の端と人の足元が添えられている。ゴヤの現代版といったところだが、この虐待の光景が日本ではもうどこにでも日々生じていることを思うとそっちの方が恐ろしい。川口亨「1946年憲法公布の日」も忘れ難い。青空を背景に20人ほどの固まりとなった老若男女がみな左方向を見つめている。顔は灰色だ。その何ともぽつねんとした孤独感は人々の内面をよく表現しているように思える。小山景子「痛い魂」は、原爆ドームを左上に描き、下に童画風の趣のある子どもたちのさまざまな顔や姿、そして灯籠流しの光景をだぶらせて描く。ヒロシマを今後も静かに伝えようとする意思が見える。坂下雅道「不帰(こんどは日米同盟だとさ)」は、ドクロを3体描く。色合いは坂本繁二郎風だ。関田毎吉「3月10日東京大空襲の記憶」は、18枚のデッサンと地図、資料、新聞切り抜きなどを大きな紙に貼り合わせたもので、生々しい体験を伝える。創作的な絵ではないが、記憶を絵にしておこうという意思はよく理解出来る。しかも内容が東京大空襲だ。誰かがこういう仕事をしておく必要がある。田辺政雄「開聞岳のかなたに」も戦争画だ。上部に飛行士が8人が、下には格納庫と飛行機の残骸が描かれる。切なさが染みる。峠徳美「”九条”よさこい」は3枚パネルの巨大な絵で、描写力も圧倒的だ。最上段に憲法9条、その右に憲法前文も描くが、画面の中心はよさこいを踊る若者たちの大きな姿だ。そしてあちこち自衛隊や空爆の光景がだぶっている。人々が浮かれ騒ぐ一方、軍備拡張や戦争が行なわれている現実を突きつける。根岸君夫「自画像(戦後60年に…)」は、他の作品とは違って珍しく古典的写実だ。作者の絵を描く全身像がほとんど何もない部屋の中でリアルに描写される。顔はどこか憂いを帯び、全体にどこにでもいるような中年男性の姿を示している。背後には「憲法9条いまこそ旬」と文字が印刷されたポスターが左右反転になって描かれている。これは鏡を見てそのまま描いたからだ。同ポスターは鶴見俊輔や作家の井上やすしの写真があって、この画家の政治的立場を暗に伝えている。藤原興紀「静かに時を刻む時限爆弾(アスベスト)」は、赤紫の背景にドクロが4体描かれる。どこか滑稽味があるが、時事的な話題を即座にこうして描く態度も忘れてはならないものだ。切りがないので最後にもうひとつ。矢田健爾「米軍戦争司令部お断り」は、横長の大きな水墨掛軸で、反戦集会だろうか、たくさんの人々の集まりを緻密な筆遣いで描く。なかなかの腕前で、有名なプロとして活躍されているのかもしれない。
by uuuzen | 2006-05-22 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『舎廊房(サランバン)という空間』 >> << ●『アルフォンス・ミュシャ展-...

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