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●「NEVER MY LOVE」
今朝の朝刊の死亡欄にアイ高野の名前と写真があった。55歳だった。ごくたまにTVのナツメロ番組に出ているのを見たものだったが、日本のグループサウンズの連中も老いて死者が出る時代となったか。



●「NEVER MY LOVE」_d0053294_1301266.jpg中学生時代、筆者は日本のグループサウンズには全く関心がなかった。みんな欧米のまねに思えていたからだ。実際、アイ高野がドラマーをしながら「好きさー好きさー」と歌っていた曲もオリジナルではない。日本では50年代後半から欧米のロックをレコードを買ってそのまま楽しむ人と、日本語で歌うカヴァー・シンガーをもっぱら聴く人とに分かれていたように思う。ロカビリー時代はステージに紙テープを盛んになげて騒ぐ女性ファンがいたが、彼女たちがレコードでのみ知る外国のミュージシャンを追いかけるよりも、生のステージでより身近に感じられる日本の歌手に熱をあげたのはよく理解出来る。プレスリーにしてもアメリカでは同じようにアメリカの女性を楽しませていたし、日本は日本のプレスリーを必要としたからだ。そのため、英語の歌を英語のままで歌うのではなく、日本語に置き換えて歌う方がより歓迎され、それがある程度進んだところに日本のオリジナル曲の登場があった。ビートルズ以降、同じようなバンドが日本にもたくさん登場したが、カヴァー演奏だけでは間に合わないことや、また外国のまねではないことを印象づけるためにオリジナル曲が求められた。それでも根本は結局のところ欧米のまねだ。10代前半の年齢でもそのくらいのことはわかる。そのため、TVに登場する日本のグループサウンズをそれなりに横目で見てはいても、楽しみはもっぱらラジオやレコードであった。そこには最先端の音楽があった。当時の音楽に思い入れが強いというのではない。懐かしいというのも当たっていない。筆者はいつも新しいものが好きであるし、10代、20代を回顧して昔はよかったなとはほとんど考えない。だが、この「新しいもの」は「今生み出されているもの」という意味のほかに、「自分にとって新しいもの」という意味がある。筆者にとっては後者をもっぱら指す。そのため古くて知らないことに関心があることになる。古いことを知らないと新しいことがわからないと言いたいのではないが、古いことをよく知れば新しいことの新しいゆえんがわかる場合は多い。
 誰しも時代とともに生きるしかないから、「思い入れ」ではないにしても、ある特定の時期に聴いた音楽がその後の好みを左右することはある。あるいは、左右しなくても否定はしたくないという感情を抱く。その音楽が仮に世間でどう評価されていようと、自分が楽しんだものであれば、贔屓目で見たくなるのは人情だ。そのことを冷静な判断ではないと謗るのは簡単だが、そう言う人もまたある特定の何かに「思い入れ」をしている。たとえば筆者はビートルズ第1世代だが、筆者より4、5歳年下の洋楽ファンは最初からビートルズをある意味では色眼鏡で見ている。そしてまともに聴かない。なぜなら、彼らには彼らの時代を代表した音楽があり、ロック特有の年長者に対する反発の精神のようなものにある意味で毒されて、なおのこと評価したくない思いがある。これは筆者自身を考えてもわかる。筆者はプレスリーのファンではないし、ビートルズよりうんと才能のないミュージシャンだったと思っている。それが本当かどうかは別に問題ではない。プレスリーは筆者にとっては年配者の音楽で、本格的に聴く機会も当時は全くなかったが、あったとしてもきっと考えが変わらず、より新しいビートルズの方に軍配を上げたことだろう。自分の時代の音楽であるからだ。評論する場合、そうした個人的な感情や事情を持ち出すのは具合がよくないことはわかるが、それでもどうしようもないものではないか。大昔のたとえばルネサンスの画家を論じるならば、それこそ公平に画家たちの業績を見つめることも出来るだろうが、時代とともに歩んだ、人生の一部となっている音楽についてどう正当に評価し得るだろうか。出来たとしても、それでもなお自分が好きなものはそうした評価とは別にあるというのが実情だ。今は安価なCDがあるので、たとえばプレスリーをいくらでも聴くことは出来るが、60年代はそうではなかった。今の若い人は筆者の若い頃とは違って、もっと簡単に大量の音楽に触れ得るし情報にも事欠かない。そのため、ようやくロック音楽の評論の時代が訪れていると言ってよい。そして、その評価が後世の評価につながって行くことは確実だろうが、評価のある部分は時代とともに変化するだろうし、たとえば自分の好きな音楽が将来どう評価されていようが知ったことではないとの思いがある。「自分はこの曲が好きであった」。これしか書けないし、それで充分だとも思う。そこに筆者の人間性が滲み出て、関心を抱いてくれる人があればそれでよし、またそうでない場合もあるはずで、それもまた仕方がない。人間の世界とはそんなものだからだ。
 昨日は朝から風が強く、ジ・アソシエイションズの「ウィンディ」という曲を布団の中で思い出していた。アソシエイションズを知っている人はよほど古いロックに興味のある人だろう。同曲がB面に入った「ネバー・マイ・ラブ(かなわぬ恋)」というシングル盤が手元にある。紙袋の中央の穴に1969.9.13の日づけがあって、18歳の時に買ったことがわかる。「ウィンディ」の方が先にヒットしたので、ひょっとすればこれをA面にしたレコードが先に発売されたかもしれない。「ネバー・マイ・ラブ」がヒットし、「ウィンディ」を買っていなかった人に今度こそ買ってもらおうとレコード会社が考えたのかもしれない。「ウィンディ」は、66年の「チェリッシュ」という全米ナンバー・ワンのヒット曲に続いて、翌年に2枚目の1位となった曲た。これに続いて「ネバー・マイ・ラブ」が同じ67年に全米第2位まで上昇し、3枚目のゴールド・ディスクとなった。「チェリッシュ」も爽やかないい曲だが、彼らのヒット曲の中では「ネバー・マイ・ラブ」が最も好きだ。シングル盤を買ったほどであるので、当時よほど好きであったことになるが、録音が出来ず、しかもラジオでたまに聴くだけなので、いつでも聴きたいとなればレコードを買うしかなかった。一体どこが好きなのか、さきほど改めて考えてみたところ、コーラスが美しいことや、出だしの5つの音によるリフが印象的であったり、オルガンのソロがしみじみといい味を出しているなど、それにまた歌詞「my whole life depends on you」の「you」がとても長く引き伸ばされて歌われる箇所があって、その途中でおもむろに冒頭の5音の音形が始まる部分が特に個性的だ。ビートルズに近い曲だが、もう少し大人っぽい印象がある。さきほど演奏してみたところ、調性はC♯であったが、メロディの甘美なムードは陽気で力強い調子の「ウィンディ」とは大きく違って、このグループの潜在能力の高さを示すと思う。アルバムを聴いたことがないので他の演奏をあまり知らないが、60年代半ばはアメリカでは大人気で、一時代を画したバンドと言える。日本ではどの程度の知名度があるのか知らないが、60年代に多少のヒットを生んだバンドということでほとんど忘れ去られたも同然だろう。ネットで少し調べたところ、84年にタートルズと一緒にツアーをしたことがある。これは60年代の空気を知る者にとってはよく納得出来る。タートルズも同時期に「ハッピー・トゥゲザー」の大ヒットがあり、しかも同じ西海岸を根拠地にして活躍したから、共通点は少ないのだ。ついでながら、アソシエイションズは11人編成のアメリカ初のフォーク・ロック・バンド「The Men」から6人が65年に新たに結成したバンドだ。コーラスが美しいとさきほど書いたが、それで思い出すのはたとえばレターメンで、うるさいロックを好まない人には特に愛好されるタイプの音をしている。これはフォーク・ロックが基礎にあったことにもよるだろう。タートルズにも似たところがあるが、彼らが解散後ふたりとなって活動したフロ・アンド・エディはコミカルなことも好んだので、そこがザッパとは馬が合った。もしアソシエイションズのメンバーであればどうであったか、筆者にはそれを想像するだけの彼らの音楽に関する知識がない。だが、ひょっとすればそういうことがあったかもしれないという可能性を考えることで、逆にザッパの音楽のアメリカのおける位置というものも見えるはずで、ザッパとは一見何の関係もなさそうなこうした曲を知るのは視野を広くすると思う。
 「ネバー・マイ・ラブ」を「かなわぬ恋」という邦題とした理由は今もわからない。何となくこれは合っている気もするが、曲の雰囲気はどう考えても失恋を歌うものではない。前述したように、とても甘美で、とろけそうな恋愛の真っただ中のふたりにふさわしいものだ。「かなわぬ恋」なら、短調で悲しげな、あるいは切羽詰まった様子であろうが、この曲にはそれはない。今でいう癒し系の音楽で、聴いていて心が落ち着く。筆者が好きになったのもその点だ。「ネバー・マイ・ラブ」の言葉は歌詞に登場する。少し意訳すると、「わたしのこといやになる時が来るかって訊くけど、絶対にそんなことはないよ。ぼくの人生はすっかり君あってのことだと知っているくせに、なぜ愛が終わるなんて思うんだい?」とあって、「ネバー・マイ・ラブ」は「そんなことないよ、君」という部分に相当する。筆者にもこの歌詞と同じような恋愛の思い出はあるが、今では遠い過去だ。最近知った蕪村の名句のひとつに、「老が恋わすれんとすればしぐれかな」というのがある。これを書いているちょうど今、しとしと雨が降り続いている。蕪村の何歳の作か知らないが、「老い」と言うからには50を越えていたろう。となれば筆者の年齢も含まれる。そして今の筆者にはこの蕪村の思いは実によくわかる。そんな状態でこの「ネバー・マイ・ラブ」を聴くと、若い人々も大変だなと思う。そう言えば、昔サラリーマン時代に上司がこう言ってくれた。30年前のことだ。「君の年齢ではこれからまだまだ生きて行かなくてはならんが、それは本当に大変なことだよ」。今までそうだったかもしれないし、逆に「ネヴァー」とも思えるが、「老い」が本格的に訪れてこの言葉を噛みしめるかもしれない。話を戻して、今この曲の短い歌詞を読みながら、不安な愛が歌われていることを思った。そのためもあって破局をいずれ迎えることを知った恋、すなわち「かなわぬ恋」としたとも考えされる。この歌詞は時代を反映したものかもしれない。1967年当時、アメリカは激動の中にあって、お互いを見つめ合って何の心配もないとばかり言っておれないものがあったと見るのは穿ち過ぎだろうか。曲が大ヒットするのは時代に則した何かを大勢の人々が感じ取っていたからであるし、その何かは仮にアソシエイションズたちが意識しなくても、日常から知らず知らずのうちにすくい取って歌詞の行間に潜ませたものであったと考える方が自然だ。若者たちが恋のさなかにあって不安を口にするのはどの時代でも同じだが、この曲のそれが特に大ヒットして古典化したところに、当時のアメリカの大多数の人々の思いを代弁していた何かがあったと見たい。だが、当時でもきっとそんな見方をした評論家がいたはずだ。そして、そういう見方をするしないにかかわらず、この曲の完成度が高く、長く人々に愛されるだけの価値があることは確かで、評論作業が作品に対するちょっとした添え物に過ぎないことを結局は認めざるを得ない。さきほど久しぶりに聴いて意外であったのは、記憶の中ではもう少しゆっくりしていたのに、テンポが予想以上に早かったことだ。60年代でもけっこうせわしなく物事が動いていたことを再認識した。
by uuuzen | 2006-04-04 23:58 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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