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●『ポーラ美術館の印象派コレクション展』
7日に見た。天気がよかったので四条烏丸から歩いて京都駅まで行った。地下鉄ならば5分とかからないが、今年1月に値上げになったし、四条烏丸のあの深い地下のホームに潜ることを考えると、景色を見ながら地上を歩いた方がいい。



●『ポーラ美術館の印象派コレクション展』_d0053294_18183263.jpg晩年の蕪村の住んでいたあたりのすぐ近くを通るし、京都駅までは20分ほどの距離だ。これなら散歩と思えばよい。運動不足がはなはだしい筆者であるので、この程度なら喜んで歩かせてもらうという気持ちになる。だが、雨や暑い夏は駄目だ。あくまでも天気のよい歩きやすい季節に限る。JR京都駅の伊勢丹にある美術館はあまりたいした展覧会は開かれないが、いつも人が多い。アクセスが便利で買物ついでの客が多いのだろう。逆に見ると、「ついで」と考える人が多く、たいした内容の展覧会は開催されない。展覧会はコアな美術ファンとさほどでもない人を対象にしたものとに二極化していると言ってよく、筆者が採り上げたいのは前者だ。だが、このブログでは片っ端から見たものを書いているので両者が混ざる。それに、前者と後者が完全に分かれるわけではない。筆者はもうあらゆる美術展を見て来たので、全く初めての内容というものが極端に少なくなっている。何度も書くように、毎年新しい美術ファンは生まれているから、数年や10年ごとに似た内容の展覧会を開催することは必要で、似た内容の展覧会は新しい美術ファンの掘り起こしとともにすでによく知っている人をも満足させるように、多少は目新しい作品を混ぜる。コアな美術ファンはそのごくわずかな目新しい部分に納得するが、たまにはすでに知っていると思える作家や作品の中に以前はわからなかった新鮮さを覚えたりもするから、たとえ見なくてももうわかるという展覧会でもやはり訪れてみないことにはわからないことを再認識をする。筆者にとって、本展はそういう部類に属するものであった。日本にある印象派絵画のコレクションなどどうせ高がしれていると思っているし、実際そのとおりと言ってよいが、それでも日本の一企業の美術コレクションがどう可能なのか、そのサンプルを見ることは興味深い問題だ。
 ポーラ化粧品は筆者は小学生の時からよく知っていた。母が使用していたからだ。母子家庭の筆者は、近所にたくさんの子どもがいたが、あまり外では遊ばせてもらえなかった。狭い横町でボールを投げ合って家のガラスを割ることなど日常茶飯事で、母はそんなことをしないようにと筆者をやんちゃ坊主とは遊ばせなかった。と言うより、筆者がそういう遊びを好まなかった。そのためドッヂボールや野球といった球技は全く駄目で、小中を通じて通知簿の成績は体育だけがほとんど3のままであった。団体競技としての球技は駄目でも個人対個人の遊びはとても上手で、ビー玉やメンコ(大阪ではべったんと言う)は大量に集めていたし、また外で遊ばないというのも程度の問題で、筆者はとても健康体であったし、どういうわけか近所のお兄さんたちによく可愛がられ、電車や自転車に乗せられて遠くまで遊びに行った思い出が多い。野球のナイターにも2、3ど連れて行ってもらったこともあるし、自転車では早朝に大阪を発って生駒山まで行ったりしたから、今で言う引きこもりとは全然違う。家には本があるわけではなく、子どもが関心を抱くその他のモノというものも何もなかったが、そんな何もない家の中できれいな色と形、そして匂いを放って輝いていた一群のモノがある。それは母の化粧品だ。それらの瓶の形、中の液体の色はそれらにしか存在しない独特のモノとして筆者には珍しく映った。安物の化粧品であったはずだが、瓶の形がたとえば誇張した女性の体形に似ていたりしたから、瓶がまるで人の象徴のように感じられてもいた。ある日、近所の絵の上手な兄さんが、きれいな女性の顔のイラストを化粧品で描いたことがあった。それを見せられた時は女性の領域に一歩踏み込んだ大胆さを感じて驚いたものだ。母の持ち物である化粧品は瓶をなで回す程度が筆者に許されたことで、使用するなど思いもよらなかった。母は筆者を22で生んだから、筆者が母の化粧品を鏡台の前で手に取って眺めていた時はまだ20代半ばの年齢で、まだまだ女性として化粧に関心があった。ずっと生活は貧しかったが、母には知り合いが多く、またその中にはとても金持ちもいて、新しい高価な化粧品であるポーラという言葉を盛んに耳にした。母も試しに誘われて何本かを買い、化粧品ののびがよいとか、男にはわからない女性特有のそんな関心事を何年も小耳にした。ポーラ化粧品は店売りはせず、誰かの紹介といった形で個人を介して流通していたが、この商法は今でも化粧品では少なくない。宣伝をせずに口こみで評判を高め、とても商品が高価であるというやつで、これは買い手に稀少価値や特権的な意識を植えつけるのに効果がある。あまり出回っていないものは効き目が高いのではという錯覚を生む。もちろん、量産出来ず、少量をしっかりと作るので高価にならざるを得ない場合もあるだろうが、化粧品は特別の稀少原料を用いているものは少なく、どんな化粧品でも内容は大差ないと思う。要はどれだけ女性に夢を与えて錯覚させるかだ。信じ込めばそれが効き目になる。
 ポーラ化粧品の会社が健全な経営のために今も存在し、しかも印象派の絵画を初め、たくさんの美術品を収集し続け、ついには美術館まで建てたということを今回知った。いや、ポーラが伏見人形の私家版の本を出しているということを何年か前に聞き、とても見上げたところがある会社だなとは思った。だが、伏見人形はポーラの関心事のごくごく一端で、本領はもっと本式の美術品収集にあった。それらを展示する美術館は2002年9月に箱根仙石原に開館した。今回の会場では短い紹介ビデオが流れていて、それを見た限りにおいては滋賀のMIHO MUSEUMを連想させた。どうやら日本の大金持ちによる美術館が各地に建つ時代が到来しているようだ。ポーラ美術館はポーラ化粧品本舗の第2代社長故鈴木常司が、就任直後の1950年代から40年以上にわたって収集したものを受け継いだ約9500点を所蔵し、印象派、エコール・ド・パリ、日本の洋画、日本画、アール・ヌーヴォーのガラス工芸、化粧道具、東洋陶磁などで構成される。今回は初の巡回展だ。最初チラシを見た時、ポーラと印象派絵画というのが、マッチし過ぎでいや味な感じを覚えたが、日本の絵画も収集しているのであるから鈴木常司という人物は妙な偏見はなかったようだ。それにしても半世紀の間に印象派絵画を含む9500点の収集とは、いかにポーラ化粧品が高額商品で儲け率が大きいかを伝える。女性の化粧は当然日本の生活が西洋化される前からあったが、戦後は欧米式の化粧の流行が日本全土を覆った。欧米にある化粧品のノウハウをどう日本的なものに改良するかで化粧品会社の間で凌ぎが削られたかは想像に難くない。今はそうではないが、「資生堂」は50年代はごく一般的な、どちらかと言えば安物化粧品の代表と思われていて、これは「ポーラ」という横文字の名前とは違って、いかにも前時代的なところも影響していたのではないだろうか。もちろん、資生堂以外にもたくさん化粧品会社があって、母が何を使用していたのか知らないが、「花椿」という資生堂発行のうすいPR誌がわが家によくあったところを見ると、資生堂が大半であったかもしれない。この半世紀の間に消え失せた化粧品会社がきっと少なくないはずのところに、ポーラが美術品を収集し続け、美術館まだ建てるというのは、それだけ経営の健全さがあってのことで、そのことは収蔵品の内容にも当然現われているのではないだろうか。飛び切りの優品は無理でも、日本ではあまり馴染みのない画家の作品も多少含みながら、全体にバランスのよい収集ぶりを実感させた。今回の約70点の出品以外にもまだ印象派絵画はあるはずで、その全貌を見たいと思わせる。
 会場は1「印象派前夜-ドガ、ルノワール」、2「モネ-印象派と点描派」、3「セザンヌとポスト印象派」、4「世紀末からボナール」という4つセクションに分けられていた。セクション1ではルノワールが11点と最も多く、これは化粧品会社ならではの収集で、女性に愛好されやすい画家を選んでもいる。つまり毒気のあるような絵画は収集の対象になっておらず、たとえばムンクなどは最初から考えられないだろう。そこに限界があるとケチをつけることも出来るが、ある観点のもとで集められた個人コレクションではこれは妥当かつ意義もある。セクション1のほかの画家を列挙すると、コロー、クールベ、マネ、ブーダン、ドガで、このうちコローの2点は風景の中に少女を描くが、クールベの「波」と「牡鹿のいる雪の風景」、ブーダンの2点の海景、マネの「サラマンカの学生たち」は直接には女性には関係がない。だが、印象派の流れを見るうえでは不可欠な画家であるし、そうした画家の女性を描く作品の収集の機会がないとなればこれは仕方がない。同じことはルノワールの作品でも言える。11点すべてが女性を描いたものではない。ルノワールには珍しい風景画や静物画が4、5点もあった。多彩なその才能を示すうえでもこれはよい収集の方向性だ。ドガはパステル画が4点あった。いずれも踊り子を題材にしたもので、これも華やかな女性のイメージに連なっていて、収集に力を入れるべき分野の絵だ。セクション2はモネが15点もあった。「バラ色のボート」は特に大きな画面で、やや荒いタッチは間近で見ると未完成的でムンクの晩年の作風を思わせるが、ボートのうえにピンク色の衣装を身につけた女性がふたり乗っており、全体に明るく派手な印象がある。これはポーラの社長がぜひとも入手したかったものではないだろうか。今回の最大の見物はモネで、その絵は女性とは直接に関係はないが、モネ特有の絵具使いは女性の化粧をどこか連想させもするところがあり、一方で日本でのモネの絶大な人気を思えば収集が増えるのは当然であろう。「ルーアン大聖堂」(1892)はノートル=ダム寺院のファサードを描いた30点の連作のうちの1点で、よくぞ入手出来たと思う。同様のものとしてヴェネツッアを描いた「サルーテ運河」(1909)もあったが、木立の前に昼間の積み藁を描く「ジヴェルニーの積わら」(1884)、ロンドンの国会議事堂をバラ色や黄色、青でシルエット風に描く「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」(1900)もともに似た作品が各国に所蔵され、モネ収集家としてはぜひとも押さえておきたい作品だ。モネ以外ではシスレーが5点で、これも見応えがあり、ギヨマンの「ロバンソンの散歩」(1878)はなかなかの秀作で印象派絵画特有の楽しさを文句なしに伝えて印象深い。
 点描派との橋わたし的画家としてピサロが次にあり、3点のうちの2点は1884年から住んだノルマンディーのエラニー=シュル=エプトという村を題材にしたものだ。3点ともその人柄がうかがえるようないい作品であった。ピサロは1886年の印象派展にスーラやシニャックを推薦して展示させるが、それだけ新しい絵画の動きを認識する柔軟さを持ち合わせていた。点描派は新印象派とも言われるが、ピサロに続いてスーラ、シニャック、そしてアンリ・エドモン・クロス、イポリート・プティジャンの裸婦像2点といった、日本ではあまり知られない点描派の作品が展示され、フランス近代絵画の歴史を網羅するような収集が続けられたことがわかる。次はゴーギャンの3点があった。タヒチに最初に滞在した時期の「小屋の前の犬、タヒチ」(1882)、静物画の「白いテーブル」(1886)、「ポン=タヴェンの木陰の母と子」(同)というように、ゴーギャンの特質がよく分かるように異なる題材で集められている。セクション3はセザンヌが6点で、肖像画、宗教画、風景画とこれもなるべくいろんな画題のものが選ばれている。ゴッホが2点あったのは少し驚いた。どちらも比較的小サイズだが、「草むら」(1889)は緑色の草むらだけを描き、習作風ながらゴッホらしさがあった。「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」(1888)は派手な赤や水色などがゴッホ特有の荒いタッチが描かれ、改めて戦後の日本がこのようなゴッホ作品を入手出来るほど豊かな社会になったことを感じさせる。センクョン4はボナールの6点が中心で、大画面が目立った。ボナールは裸の妻を室内に置いてよく描いたが、その点では「化粧」という要素と一脈通じ、積極的な収集の対象になったことは充分納得出来る。ボナールの次にヴィヤールを誰しも想像するところで、実際「画家のアトリエ」(1912)があった。踊り子や娼婦を描いたロートレックの2点、そして最後はルドンの「日本風の花瓶」(1908)で締め括られていて、一企業の半世紀ほどの収集にしては充分過ぎる内容を思わせた。いずれ印象派以外の美術品の巡回展も開催されるだろう。
by uuuzen | 2006-03-23 18:19 | ●展覧会SOON評SO ON
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