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●アルバム『シーク・ヤブーティ』にちなむ時事雑感
山田脩二展では80年代のニューヨークのマンハッタンが撮影されていたが、まだ現在ほど高層ビルが建て込んでいないように見えた。高度からしてヘリコプターかセスナに乗って撮影したと思うが、当然2塔の貿易センター・ビルは健在で、モノクロ写真ながら、それがよく目立っていた。



これは筆者の記憶違いの可能性があるが、このビルは60年代半ばには計画が終わって建設されることが決まっていたように思う。それでも21世紀に入ってとんでもない事件によって跡形もなくなってしまった。同じ形のものを復元する意見は通らず、今はグラウンド・ゼロとして新たに人を集める場所になっている。この9.11の事件を最初にNHKの夜のニュースで見た時のことはよく記憶している。その後に書いたのが、今回、下方に紫色で紹介する文章だ。先ほど目を通すと、「一気」という言葉を3回も使っている。普段ならあまりこういうことはしないのに、突飛過ぎる事件に動揺していたのだろう。10時のニュースが始まった途端、ツイン・タワーの片方から炎が上がっている映像が映った。大変な事件が起こったな思っていると、すぐにジェット機が水平に飛来して突っ込んだ。一時期はこの時の悲惨な映像がTVで盛んに繰り返し流された。だが、ある時期からぷつりと見なくなった。興味本位を慎もうという自粛の気分が支配的になったからかもしれない。この事件以降、世界はさまざまなことがあった。日本の自衛隊がイラクに派遣されることになったのもそのひとつだ。そんなさなか、去年愛知万博を訪れた際、イスラムのどこかの国のパヴィリオンで無料のパンフレットをもらった。「相互理解をめざして イスラーム 世界宗教の教えとその文明」と題するもので、京都の荒神口上ルのイスラーム文化センターが発行している。このあたりにしょっちゅう歩くが、2005年1月に出来たこのセンターの存在には気づいたことはない。小さな施設なのだろうか。この冊子によると、日本にイスラムが伝来してほぼ1世紀経つという。全24ページで、ちょっとしたイスラム案内書になっていて、持っていて損はない内容だ。最後のページにはこんな記述がある。「2001年9月以降、日本でも欧米でも、イスラーム世界に関する報道が急増しましたが、その大半は、世界各地での紛争や過激な行動に焦点を当てるもので、ややもすれば誤解を助長し、あるべき相互理解を阻害するような内容になっています…」。まさにこのために冊子が人の多く集まる万博会場で配付されたわけだが、先日来のイスラムの開祖ムハマンドの風刺画事件を思うと、相互理解は好転しないどころか悪化しつつあると言える。
●アルバム『シーク・ヤブーティ』にちなむ時事雑感_d0053294_13471256.jpg これで思い出すのが、ザッパのアルバム『シーク・ヤブーティ』のジャケット写真だ。ザッパはイスラム教徒ではないのに、まるでその装いで写っている。これはザッパの希望であったのだろうか。それとも訪れた写真スタジオにさまざまな衣装が揃っていて、戯れにその中から適当に選んで着用したのだろうか。筆者は後者だと思っている。つまり、先にアルバム用に面白い写真を得て、後からそれに合わせて『ヤブーティ酋長』と訳せるアルバム・タイトルを考えたとしたい。なぜなら同アルバムにはイスラムに関しての特別の歌詞は現われないし、アルバム・タイトルを持つタンゴのリズムの曲も、歌詞のないギター・ソロ曲で、これはアルバムを編集する間にどうにかこじつけた感じが強いからだ。アルバムのジャケットと曲内容が必ずしも関連していないことはザッパには少なからずあって、関連は元々ないのに、ファンが何かを詮索することをザッパが面白がっているところがある。だが、ザッパがイスラムと関係ないかと言えばこれは間違いだ。『自伝』にも書かれているように、ザッパにはアラブの血が流れている。となれば、ザッパがイスラムの、たとえば音楽に関心を抱いて不思議ではないどころか、ごく自然なことだ。実際ザッパの特徴的なギター演奏にはイスラム的なメロディは少なくない。そうなると、前述のアルバムのタイトルは最初から意図したものではなかったとは一概に断言出来ない。それでもなお筆者は写真スタジオでたまたま衣装を見つけたと考えたいが、ザッパがその衣装に出会ったことは起こるべくして起こったことで、偶然の出会いでありつつもそれは必然であった。もしザッパにイスラムへの関心がなければ、イスラムの衣装を見つけてもそれを選ぶことはなかった。したがって、ザッパはイスラム人に扮したかったことになる。このイスラムへの扮装は次のアルバム『ジョーのガレージ』における黒人への扮装につながっていて、ザッパ自身が自分の内なる要素を主張するために、イスラム、そして黒人宣言をしたとも言える。それはさておき、もしザッパが生きていたならば、先頃のムハマンド風刺画事件をどう思ったことか。『シーク・ヤブーティ』のジャケット写真にはイスラムの風刺の思いは込められず、むしろそれは賛美であったと思うが、現在のアメリカとイスラムとの関係をネタにザッパがどのような一家言を成したか興味の湧くところだ。それは一方でユダヤ系アメリカンのチョムスキーが9.11の事件に絡んで盛んに意見を発していたこととも関係してのことで、複雑なアメリカの人種問題にザッパが何を思ったか、しばし想像してみたくなる。しかし、結局のところザッパは音楽に戻っての発言行為であったはずで、イスラムにしろユダヤにしろ、その音楽性の観点でさらに複雑な仕事を試みたに違いない。そして、主に90年代以降、ニューヨークを拠点に1世代後のジョン・ゾーンが盛んにユダヤ音楽の新たな創造性に挑戦し続けて来ているから、そうした動きにザッパがどう対処したかの想像も湧き起こる。ザッパの過去の曲を現在の音楽の言語に置き換えて演奏する試みも意義のないことではないが、動いている政治、経済、文化、宗教を意識しながら、リアル・タイムでどんな新曲を書くかにザッパの真骨頂があったから、その最も創造的な部分が途絶えてしまったことはさびしいの一言に尽きる。

●2001年9月12日(水)夕
昨日は夜に続きを書こうとしたが、10時のNHKのニュースが始まったところ、いきなりニューヨークのマンハッタンでのとんでもない事件の映像が飛び込んで来た。ハイジャックされたジェット機が貿易センター・ビルに2機も突っ込んで、特撮映画さながらの画面を映し出した。続けて見ているとペンタゴンも燃えている映像が飛び込んで来た。そんなニュースを午前3時までぶっ続けで食い入るように見続けて、今朝は寝不足だ。予想どおり朝刊はゲンコツほどの大活字がずらずらと並んでいた。死者やケガ人がどの程度なのか、いっこうに情報が入らないのが不気味だ。しかし、今届いたばかり夕刊を見ると、望遠レンズで撮ったセンター・ビルの写真には、縦縞模様の外壁の各隙間にびっしりと多くの人々が救助を求めてひしめいている姿が写っている。それが飛行機の衝突によって火を吹くビルの写真より何倍も生々しく胸に迫る。とにかく大震災以来のショッキングな大事件が起こってしまった。阪神大震災の時は筆者はMSIからの以来で『文明、第3期』の解説を書いていた。その時同アルバムのジャケットが何とも地震の惨事そのものの象徴のように思えた。そして昨夜もまた同じジャケットの絵を思い出した。大きな建造物と、どこでも飛び交う乗り物があれば、誰しもそれが爆弾的に建物に追突するイメージを思い浮かべてしまう。そもそも飛行機が発明された時、人間はまず軍事目的に活用して、戦争が一気にとてつもなく悲惨なものに変わる時代を迎えた。それから考えるならば、テロか何か知らないが、飛行機が都心に落ちるというのはいくらでもあり得る。香港のような都会の上を飛ぶ飛行機が落ちないのが不思議な気がするくらいで、便利なものがいつでも恐怖の武器になり得るように文明が発達して来たのが人間の運命であり、人間自体にどこか根本的な欠陥があるのではと思ってしまう。いずれペン程度の持ち物に巨大な爆弾の威力を詰め込む技術を人間は開発するだろうが、そうなればいつでもどこでもテロが簡単に生じて、人間は一気に滅亡に向かう。技術の発展が人間を滅亡させるという見方もできる。ザッパが『文明、第3期』のジャケットで炎上するピアノ型の巨大建造物を描かせた時、どういう考えがあったのか、今回のような悪夢の事件をすら予想していたようなその眼差しにいやな予言が的中する21世紀の幕開け年を思う。犯人がもしイスラム原理主義の過激派とするならば、改めてザッパの『シーク・ヤブーティ』のジャケットに写るザッパを考えなくてはならないし、キリスト教のアメリカ対イスラムのアラブという対立を論じる必要がある。『大論2』にはその点はほとんど触れていないが、それでも音楽の中での差異については簡単に述べておいた。アメリカ黒人のブラック・ムスリムの問題や湾岸戦争といったことも絡めて、またいつかザッパ論をしなければならないだろう。
 それにしてもマンハッタンに勤務する昨日にも書いたOさんはどうしているだろう。ニュージャージーにファクスを送信しても届かない。マンハッタン南部は閉鎖になって、しかも飛行機も飛ばず手紙も届かない。しばらくは混乱状態が続くはずとして、さて今後こういう事件やもっとひどいことがまた起こらないとも限らず、ネガティヴなムードがたちまち日本にも色濃く襲うことを想像してしまう。そうでなくても不況の話で持ちきりであるのに、それに輪をかけて沈滞感が強まって日本国内にも変な事件が続発するかもしれない。そう思うとこんな呑気な文章や『大論2』など書いている場合ではない気もする。これを書き始めた時から、憂鬱だと言って来たし、計り事についても書いたが、まさか大規模なテロが用意周到に計り事にされて、それが一気に世界中に憂鬱を撒き散らすとは夢にも思わなかった。先日は夢の話をしようとして、それを止めて「狂気」について書き出した。全く人間は狂気をやらかす存在で、そこに正気が加われば芸術なのだが、宗教にがちがちに凝り固まると、狂気のみ増殖し、清く広く人間を愛するではなく、自分たちとは考えの違う人を何とも思わなくなる。いつでもどこでもそうなりかねないのが人間で、それは以前のオウム事件でもそうであった。非寛容はいかんよーと言っても聞かんよーなので期間要なのだが、いつまで経っても聞かん奴は聞かんから、復讐合戦が永遠に続いて、モア・トラブル・エヴリィ・デイだ。戦争が勃発してそれが世界各地に飛び火しないことを祈る。泣くのはいつも普通の市民だ。宗教のことについて日本では無関心になりがちだが、ザッパの音楽を理解するには宗教は欠かせない。『大論2』ではあちこちにそういう問題に触れておいた。ザッパがもし生きて昨夜のニュースを見たならば、どういう考えを抱いたかとファンなら誰しも思ったことだろうが、イスラムとアメリカの対立といったことに関しては70年代から注目していたはずのザッパであるので、起こるべくして起こった問題と考えたであろう。今一度ザッパのアルバムに内在する予言性といったことに注目するのがよい。

by uuuzen | 2006-02-28 02:30 | ○『大論2の本当の物語』
●『グランド・ツアー 美的観光... >> << ●『白い恋人たち』

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