●『FZ PLAYS FZ』ツアー発表
ヴァレンタイン・デイに大西さんからザッパ・ニュースのメールが届いた。だが、このブログの『ザッパ関連ニュース』のカテゴリーにはその情報を掲載していない。それは、伝えられたURLが常時新情報に塗り変えられるものであるため、しばらく経ってからアクセスしても同じ情報が見られないことによる。



そこで、その最新情報について説明しておくと、ザッパ・ファミリーが正式にドウィージルとアーメットによる『FZ PLAYS FZ』のツアー情報を発表したというものだ。このツアーはフランク・ザッパは存在しないが、正式なフラン・ザッパのツアーとされている。家族であるので、そういう位置づけも出来るわけだが、ザッパの曲はどのようにアレンジされてもザッパの曲であり得る点を主張してのツアーであり、このことはかつて筆者が書いたように、ザッパの曲というものの範囲が限りなく曖昧になって、ザッパは結局は死んでいないとも言い得ることをよく示す。この点に関して詳しく書くと切りがないが、簡単に言えば、時代によって流行する音楽が変化しようとも、それらのスタイルにザッパの書いた曲が充分アレンジされ得るということだ。これは考えるまでもなくある程度は当然であるし、ザッパに限らず、今までに盛んに行なわれて来たことだ。ただ、ザッパの場合はデビュー当時から自作曲を素材にそれを顕著に行なった。そのザッパの特徴的な様式をそのまま息子のドウィージルが受け継いで父親ザッパの曲を料理するのであれば、出来上がる音楽は他人がするよりももっとザッパらしいものにはなるであろう。
 ところで、昨夜たまたま自動車の中でラジオを耳にしたところ、セルジョ・メンデスの60年代半ばの大ヒット曲「マシュ・ケ・ナダ」を黒人のヒップ・ホップ・バンドが演奏していた。どのように許可を得て作っているのかは知らないが、ヴォーカルはそのままセルジョ・メンデスの演奏を使って組み込んでいたようで、こういう例は今さら別に珍しくも何ともないが、同じことをザッパの曲でもやれると感じた。たとえば、これは筆者が自分の脳裏に描くものとして、「ピーチズ・エン・レガリア」のヒップ・ホップのダブ・ミックス・ヴァージョンがある。ザッパがもう少し長生きしていたならば、そんなアレンジで同曲を発表したに違いない。ドウィージルがまさかそれをやるとは思わないが、仮にもっと違うアレンジをしたとしても、それもまたザッパがやったかもしれないことであって、あながち意味のないこととして退けることは出来ないだろう。話のついでにもう少し書くと、昨日はぼんやりビートルズのことを考えていて、1964年の「ア・ハード・デイズ・ナイト」を1966年のアルバム『リヴォルヴァー』でもし発表していたならばどんな音になったかを想像してみた。すると、それはたちまちかなりブラックな色合いを帯びた、そしてそれなりに興味深い音楽として頭の中で響かせることが出来た。もちろんビートルズはそうしたことはしなかったが、もしビートルズにザッパのようなアレンジ好みの性質があれば、そんな曲も録音していたことだろう。ザッパの音楽のひとつの大きな特徴はそんな変幻自在のアレンジにある。そこに着眼してドウィージルとアーメットがバンドを組んで今度のツアーで繰り広げようというわけだ。CDの発売は予定されているので、このザッパ・ファミリーが打ち上げる正式なザッパ・ツアーの評価はそれを待ってからにしたいと思うが、ドウィージルの思考そのものは昔から予期されていたことであり、ひとまずは意外というほどのことではない。ザッパの曲は神聖な侵すべかざるものではなく、一番よくわかっている息子がアレンジをするのであれば、そしてそれがきわめて現在的で面白いものであれば、決してザッパは文句は言わないだろう。

●2001年9月11日(火)朝 その2
その意味で『大論』とは大きく違うのは、歌詞以外に作曲構造に立ち入った話がかなり目立つことだ。これはすべて除外しても論が成立するという単純な問題ではなく、どうしても楽典的なことに立ち入らなければアルバム本来の意義が全くわからないということがあったためだ。それは本を読んでいただければわかる。ただしザッパの曲に特徴的に用いられている教会旋法の意味を解説するにしても、それだけでもおそらく1冊の本が必要になろうし、楽典の話をどこからどこまでを書けばよいか迷いもあったが、中学生程度の音楽の知識があれば誰でも理解できるようには書いたつもりなので、そういう箇所を読み飛ばさず目を止めてほしい気がする。しかし筆者はザッパのようにギターを弾くミュージシャンではないから、オルガンで音を拾って調性を見出すにしても、本には五線紙を掲げないので、読者には理解がなかなか及びにくいかもしれない。実際の鍵盤をそばに置いて説明すればいとも簡単に伝えられることでも、それを文章でとなると、途端にどう書けば最少の文字数で最もわかりやすくできるか大いに悩むことになる。音名と階名の違いを知らない人はいないとは思うが固定ドと移動ドの違いを明確に知らない人はいるかもしれず、ハニホヘトイロやドレミファ、ABCDがごっちゃになって、どうしてもそういった話は敬遠されがちになるだろう。いずれにしてもザッパの作曲がいかに折衷的で、古くからの音楽の諸要素を引き継いでいるかはそこそこ実例で示し得たと思う。ザッパ・ファミリーのインターネットのホームページでは『ホット・ラッツ』の楽譜が発売開始され、以後順次他のアルバムの楽譜も出版されると告知があるが、そういった資料が充実すると楽典的な分析はさらに詳細をきわめたものになるであろう。しかし楽典的な情報というものも、何度もアルバムを聴いているファンならば理論で云々する以前に耳で違いをよく聴き知っているはずであり、それを楽典的な言葉が説明するのはあまり意味もない行為かもしれない。『ホット・ラッツ』の「ミスター・グリーン・ジーンズの息子」にしても、中間部でザッパのギターが急に調性が変わったように半音階的になる部分があり、それがまた元に戻る部分はいつも聴いていてスリルがあるが、そうしたことは結局楽譜に起こしても耳で知っていたことを確認するだけで、いささかも大発見というほどのことはない。だが論を一歩進めて、なぜザッパがそうした音階を混ぜるのかという地点に立つと新たな視野が広がる。筆者が注目したのはそういうところであって、『ホット・ラッツ』のような楽譜が完備しても、それで事態が完全に解き明かされたことにはならず、むしろそれはさらなるザッパ研究への単なる出発に立つに過ぎないということだ。
 それはどういうことかと言えば、ヴァレーズならヴァレーズが好む音程というものがあり、それがザッパのそれとどう関係するのかといったことや、大バッハの半音階的作品とザッパのそれとの間にはどのような距離があるのかといった興味だ。ザッパが偉大であるとするならば、実際はそういう問題の追跡にこそ意味があるし、それ以外にはないと言ってよい。その意味で楽典的な記述は無駄どころか、本当はそれのみに価値があると考える立場もある。その第一歩として『大論2』がごくささやかな序になっていればと思う。筆者にもまだまだわからないことが多く、ザッパのアルバムを順次つぶさに見て行く過程で初めて知ることも多い。それはぼんやりとは昔から気づいていたことを今頃になって、理論面からももっとよく分かるようになって来たと言えばよい。筆者は息子が小さい頃は自分で作詩作曲して息子に歌って聴かせたことがよくあり、息子は大きくなるまでそれが父親の作曲とは知らなかったほどで、今はそんな楽しみもなくなって少々さびしいが、もっと作曲という行為が誰にでもできることだと認識される時代が来れば、ザッパの作曲に関する研究はさらに深まるだろう。またザッパの作曲の分析を通じて現在という時代の文明のあり様にも言及したいという思いがあり、それは今後の課題に残している。アルバム『文明、第3期』を当初は『大論2』の最後で採り上げるつもりであった。しかしあまりに問題が拡散し過ぎて、とても1冊の本には収まらないことが途中でわかった。それはまた別の文脈に置いてじっくりと論ずる必要がある。そのように積み残した仕事は多いのに、50歳になったばかりの筆者はどうも時間に追われている気がして、正直なところザッパ論の今後は今の段階では全く何も考えられない。これは石原さんには言ったことはないが、ぼんやりとは全4巻で完結したいという思いがないでもない。だが、本が売れてこその工作舎からの続編依頼であるし、また筆者の経済状態の危機をどうするかがそもそも第一義で、完結への道は広くて辛い。ビデオアーツの紙ジャケ・ザッパの購入者特典はCDを収める箱になるようだが、先日の電話では石原さんは『大論2』の予約特典か何かに同じように本の箱でもということを語っていた。これは以前Uさんに書いたことだが、『大論』が全4巻で完結するのであれば、最後にその4冊を収める箱があればいいと考える。それをUさんがファンが喜ぶデザインにすれば、本の売り上げにもつながるかもしれない。筆者なりのアイデアもあるが、ま、専門家に任せた方がよいものができる。しかし目下のところそれは遠い夢であり、とにかく『大論2』が読者に歓迎されることが第一だ。それが転倒すれば、箱どころの話ではなく、本は倉庫に積まれたまま埃を誇ることになる。
 さて少々書き疲れたが、ついでにUさんのことも書いておこう。ザッパの紙ジャケCDの盤面デザインはいち早くUさんから見せてもらった。当初のアイデアから進展してなかなかの出来映えで、欧米のファンに見せてもきっと気に入るに違いない。マニアでしかもイラストレーターのUさんのその仕事はビデオアーツからの提案もあって、協議が何度も持たれたようだ。その意味からすると筆者のライナーは枚数制限だけで気が楽な仕事であったろう。何しろ原稿枚数が少ないので、ファンには期待外れかもしれないが、その分Uさんのレーベル・デザインなどの仕事が充実していてコレクターを満足させると思う。もうそろそろと実物が完成する頃で筆者の手元にも見本盤が届くはずだ。限定2000枚は少ないのか多いのか、なかなか微妙な部数だ。ザッパのCDは何度も発売され直しているし、同じ音内容のものをどれだけマニアが歓迎するかは蓋を開けてみるまでわからない。ましてや21作が2か月にわたってまとめて発売されるから全部買うとなると数万円の出費で、その分『大論2』も売れにくいだろうと予想してしまう。Uさんには手紙や電話、ファクスでいろいろと意見交換をしているが、最新のものは9月7日夜のファクスで、それは筆者が『大論2』のサプリメント的なおまけをどのような内容にすればよいだろうという意見を求めたことに対する返答だ。Uさんの意見をそのまま以下に引用する。一、1968年-1976年の8年間について、主に音楽を中心に様々な事を大山さんの視点で自由に総括した文章。特にザッパには関連づけた内容にはしない。二、ビートルズやジョン・レノンのことだけこれまた大山さんの視点で好きな様に書く(本文とだぶりますかね?)。三、フィルモアの飛び入りをめぐるザッパ、ジョン、ヨーコを主役とした事実と妄想いりまじりの短ぺん小説風。または架空ドキュメンター。四、大山甲日がコンピレーションする想像上のザッパのコンピレーションCD。今回の本に連動した形で大山さん自身が選曲してコンピレーション盤を作るとしたらどんな内容になるか。現行のザッパ音源からセレクト。というCDがあったとしたらの、そのライナーノーツ(イマジナリー・ライナー・ノーツ)、どういうタイトルで、どんな選曲、曲順になるのかだけでも本のサブテキストとしては興味深い情報になるのでは。読者の方はそれをもとに手持ちのCDやレコードからテープに編集して聴いてもらう。何なら架空のジャケットも印刷してフロッピーのパッケージに使用。とりあえずこんな感じで。でも実際のところ前回の特典の文章を読んだこきがなくて、今そっちを読んでみたいって思っている人も結構いるみたいです。
 なかなか示唆に富む話で、上記のいずれかでサプリメントを用意してもいいようにも思うほどだ。だが、どれもそれなりに頭をひねる必要があって、今のこの気ぜわしい状態ではちょっと荷が重い。『サプリメント』はやはりまだ読んでいない人は多いだろう。その文章内容を工作舎のホームページ内に掲げるという話もあったようだが、その後石原さんの準備のための時間がないのか、そのままになっているようだ。久しぶりに『サプリメント』を製本したものを今ぱらぱらとめくってみると、たいした内容ではないにせよ、本来は『大論』に組み込むつもりで書いたものだけに、やはり『大論』を一読した人が目を通すとそれなりに得る内容もあるかと思う。こうして書いているいわば『サプリ2』も『サプリ』の続編でもあるので、よけいに『サプリ』をもっと簡単に読める状態にした方がいいと感ずる。しかし、こうして書いている『サプリ2』も結局100人程度しか読まないことになる可能性が大きい。筆者がパソコンを所有してホームページを開設すれば、そこで公開してもよいが、もし筆者がパソコンを買えば、おそらくザッパ関係のことにはタッチせず、本業専用に使用する。著作権の問題を考えるならば、他人がそれをホームページで掲示するのはまずいだろうし、かといってザッパ・ファンのネットワークもすべてがつながってはおらず、あちこちに小グループが点在する状況と推察するので、一見簡単な資料でも思ったより伝わりにくいのだろう。ある見知らぬ人がもうひとりの見知らぬ人に何人の知人を介在させれば到達できるかを実験している大学の研究グループがあるが、だいたい4、5人で到達できるそうだ。ザッパ・ファンも同じような状態ではなかろうか。ビデオアーツがザッパ・クラブだったか、とにかくマニアにダイレクト・メールを送付できるようにと名簿のような住所録を整えたことがある。その後ザッパの新作がなかなか出ないこともあって開店休業のような状態が長らく続いたそのクラブだが、今回の紙ジャケCDの発売に際して久しぶりに封書を届けるという担当者の話であった。その人数は700人強との話で、それがマニアの代表とは一概には言えないが、いずれにしてもその程度の数がザッパの作品に熱心に注目しているファンと考えてよい。若い世代で少しずつは増えているはずだが、逆にファンを止める人も同じようにいるはずで、いつもだいたい数は同じ程度であろう。インターネットで自由に自分の意見を発することができるので、そうした熱心なファンの中には個人的にホームページを開いている人が何人かいる。筆者が面識を得たのはそのひとりの垂水に住むHさんだが、先日百貨店の無料インターネット・コーナーで少し覗いてみると、アクセスした人の数のカウントが表示されていて、3万台であったろうか。同じ人が10回くらいアクセスしている場合がほとんどのはずで、そうなるとやはり3000人程度のファンの数か。

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by uuuzen | 2006-02-20 13:38 | ○『大論2の本当の物語』 | Comments(0)


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