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●『DWEEZIL ZAPPA & THE OTHERS OF INVENTION―LIVE IN THE MOMENT Ⅱ』その6
り換えのような形になるが、今日は昨日の続きではなく、今日の午前中に書留で届いたドゥイージルの新作CDについて書く。昨日は予約しているザッパの『ROXY』の7枚組が届く予定であったが、注文履歴を見ると到着が10日から2週間遅れるとある。



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アメリカの大西さんによれば、カナダでは3月の下旬の発売になった。アメリカのアマゾンで注文するとカナダから届くようで、日本のアマゾンがそれより1か月早く届くことは考えにくいから、2月中旬になればまた1か月延期の表示が出るのではないか。一方、アマゾンではザッパの海賊盤の新譜CDが目白押しで、その宣伝メールが届く。録音から30年以上は経っているので合法的なのかもしれないが、ザッパ・ファミリーはその点、どのように考えているのだろう。さて今日は節分だ。1976年の同じ日、筆者は家内と一緒に大阪厚生年金会館の大ホールでザッパの演奏を聴き、その翌日は京大西部講堂でひとりで聴いた。それからちょうど42年が経つ。記憶は古びず、息子のドゥイージルの初めてのギター・アルバムを聴きながら、父親の演奏と比べ、また重ね合わせる。今日は届いてすぐに1階の波動スピーカーで通してかけた。アンプのヴォリュームは時計の9時の位置で、最大の4分の1程度だ。それでも大きな音で家内は台所に引っ込んだ。全部で67分だが、大きな音で聴くとさすがに満腹な気分になる。パソコンで聴いていた時とはまるで違う音に聞こえ、また前後ふたつのパートに分けて聴いていた時とは違って、疾走感が凄まじい。やはりこうしたロックのギターは生演奏と同じように大きな音で聴く必要がある。先日「その5」まで感想は書いたので、あまりつけ加えるべきことはないが、改めて思うことは、「ダイナソー」のように断片的な曲を次々とつないだ編集と言ってよく、もう少し長く聴かせてほしいと思いながら曲が次々に変わって行く。67分ではもう10分は長く収録可能で、1分程度の短い曲を長めにすることは出来たが、ドゥイージルはLPの発売を一方で考えているのかもしれない。またLPでも2枚組なら67分は短い方であるから、1時間少々としてまとめたことには理由があるだろう。それは当然出し惜しみではない。発表出来るヴァージョンは取捨選択に困るほどあるはずで、その中からエキスのみをとりあえずまとめたかったのであろう。ということは、ギター・アルバム第2弾の発売の可能性を思わせるが、これは本作の売れ行き次第か。また、似た内容のものを出しても面白くないので、「ダイナソー」のように本作とは別の凝った編集によるオリジナル曲を中心にするかもしれない。どの曲も父親のヴァージョンより短くしたのは、時代が違うという考えもあるだろう。ゆったり、たっぷり聴かせるという態度は今の若者には歓迎されず、またそういう演奏であれば父親のアルバムを聴いてもらう方がいいと思ってのことではないか。
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 「ダイナソー」は10分の長さがあるが、それを倍にすることが出来るような編集になっていると先日書いた。本作も67分で物足りないのであれば、リピートで好きなように何度も聴けばよく、少しでも冗漫と思える箇所はどんどん削って、時には1分少々の曲になったというのが実情だろう。だが、中にはそうも行かない曲がある。それは特に気に入っているもので、それら数曲に関しては起承転結を含むか、目立って長いソロとしたのだろう。ところで、YOUTUBEにはザッパのギター・ソロを一音ずつ忠実にコピー演奏するギタリストの映像が投稿されている。プロからアマまでいて、中にはドゥイージルのステージに呼ばれてそれを披露した若者もいる。彼らの演奏を聴くことはそれなりに面白い。忠実なコピーであれば、オリジナルを聴く方がいいようなものだが、演奏者の顔や指使いを見ながら聴くのはまた別の味わいがある。それに、忠実なコピーであっても、やはり奏者の個性のようなものが出る。クラシック音楽を聴く楽しみはそれで、同じ曲であるのに指揮者や楽団、また録音の年代、会場が違うとまるで別の作品のように聴こえる。その意味でザッパのギター・ソロ曲は古典の仲間入りをしていると言ってよいが、ドゥイージルの考えは忠実に模倣することにはない。印象深いメロディとしてのフレーズは模倣するが、それ以外の即興に関しては、その音階を探ってそれに倣って自分の個性を出そうとする。この音階に倣うことは、時にその音階に含まれない半音を交えるから、同じ音階を用いながらも全然印象が違う即興演奏をすることが出来る。忠実なコピーとそれとどちらが簡単化と言えば、どちらにも難しさと簡単さはあるだろうが、父のギター曲に解釈を加えることは、最初はそれなりに忠実なコピーの過程は必要だろう。だが、その向こうに広がっている自由さを求めることが肝心で、分析的なコピーを通じて次にはそれを基盤とした創作への思いを抱くことが作曲家の役割だ。ドゥイージルは父と同じようにギタリスト兼作曲家で、模倣だけで満足出来る才能ではない。話が変わるが、先日のTV番組で京都の仏画家が紹介された。筆者と同じほどの年齢で、また若い頃は西陣の帯の図案を描いていた。その仏画家は、過去の有名な仏画を忠実の模写してなお残るカスのようなものが個性だと言った。前述のことで言えば、YOUTUBEに投稿されるザッパのギター・ソロの忠実なコピーだ。忠実に模倣しながら個性が出ることは、人間の手技であるので当然だ。またその原本とのずれすなわちカスのようなものが、どれほど面白いかそうでないかの判断は鑑賞者の自由だが、原本に忠実とはいえ、国宝級の作品を忠実に模倣出来るはずがなく、必ず技術の及ばない下手くそな箇所が目に入る。それは文字どおりカスであって、そんな個性をありがたがる眼力のある人はいない。それでもその不可避的に表われる作者の人間性を好きになる場合があるが、モノが仏画であればそれは作者の欲が絡んで難しい問題だ。前述の仏画家の作品は忠実な模写の域に及ばず、原本を意味なく改竄している場合もあって感心しなかった。
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 ザッパのギター・ソロは、アルバムで発表する際に部分を切り取ることが多かった。冗漫と思える箇所や、またレコードの収録時間の制限もあったからだが、そうしたソロを忠実にコピーすることにどれだけ意味があるだろう。即興演奏はその場の一回限りの閃き、輝きが命だ。それを後でゆっくりとなぞる行為は、仮にオリジナルとほとんど区別がつかない演奏が出来たとしても、何かが違う印象を与える。そのことをドゥイージルはよく知っているはずで、もとから父のソロを忠実に複写したアルバムを作る気はない。重要なのは同じく一瞬の閃きと輝きで、父の曲と同じ地平に立つには、同じような過酷な練習と客を前にしての本番が欠かせない。もっと早い時期にギター・アルバムを発売していてもよかったようなものだが、真面目な性格ゆえ、充分満足出来るものを仕上げるには、父のソロに学ぶ以外にあらゆるギタリストの個性を研究し、また他のギタリストとの共演など、他流試合の必要も思ったのだろう。父の音楽をコピーして演奏するというバンド活動の根底には、父の音楽が充分現在通用するとの思いがあるからだが、それはやはり過去のもので、今は今の求められるギター演奏があることを自覚しているだろう。それが具体的にどういうものかはドゥイージルにも明確にはつかめていないと思うが、自分が最も得意とするギターを使った音楽でこれまでにないことをするには、失敗作と言われることも多々あるはずで、道のりはたやすくはない。父は他のギタリストの奏法を学ぶことよりも自分の内面の欲求にしたがって演奏したが、ドゥイージルに最も大きな意味を投げかけているのはそのことのように思う。父と同じように自己の内部の声に耳を傾けるだけでいい時代なのかどうか、また傾けるべき何かが自分の幼ない頃の経験の中にあったのかどうかだ。ドゥイージルは最初はヴァン・ヘイレンに心酔したが、その影響は拭い去れないものだろう。今は個人の本当の意味での個性を伸ばせばそれがひとつの存在として広く認められた時代ではない。溢れ返る情報の中で誰もがその多寡を誇るか、あるいはそういう競争から早々と抜け出てひとつのことを深めるかだが、後者は時代遅れとして無視される可能性が大きく、ドゥイージルは前者の道を歩んでいる。またそれはギタリストという枠組みでのことで、それを外しても音楽家であることは出来るから、ドゥイージルは本作を契機として、ギターにこだわらない活動へと進むのではないか。そのことは『ザンマタ通り』に表われている。ともかく、本作の大洪水のように流れるギター・ソロの連続は、父の紛れもない遺伝子を受け継ぎながら、演奏技術の頂点に達していて、次の新たな活動を期待させる。
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by uuuzen | 2018-02-03 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)
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