●『SUMMER ‘82 : WHEN ZAPPA CAME TO SICILY』その1
やかに記憶しているのは子どもの頃のことだ。そんなことを多く思い出すのは老年に達したからとよく言われる。認知症がまだ最悪な状態にはなっていない筆者の母は、5分前のことを覚えられないのに、子どもの頃のことは鮮明に細部まで覚えていて、筆者が初めて聞くこともある。



d0053294_00535899.jpgそんなことならもっと以前に多くのことを訊ねておけばよかったと思うが、それでは母は思い出せなかったかもしれない。筆者の記憶は母のそれとは違い、また誰とも違うが、そう考えると誰でも書くことは無限にある。それで、書く時間がないので、思いや印象に強いことを優先する。さて、昨日はヤマハのKさんから、ネットにザッパの今月27日に発売されるDVD『シチリアのザッパ、82年夏』の広告が出たとのメールが届いた。この作品は輸入盤の予約が1か月ほど前か、アマゾンで始まった。今はその価格が3643円で、日本盤は3371円と安い。これはブルーレイとDVDの違いもあるからだが、日本盤の価格は予約した場合だ。輸入盤は今月18日の発売で、英語に堪能で、また解説を不要としない、また少しでも早く見たいファンはそれを買ってもいいが、安い方がいい。筆者はこの映像を7月の初めに見た。Kさんから鑑賞後の感想を聞かせてほしいと言われたのだ。それを参考にヤマハから日本盤を発売するかどうかを決めるとのことで、筆者としてはザッパ作品はみな日本盤が出るべきと思っていることもあったので、内容がどうであれ、出すべきと意見するつもりでいたが、実際に見ると、絶対に出すべきと確信した。そうして4か月経った11月の初め、またKさんからメールが来て、発売が決まったので字幕の翻訳と解説を書いてほしいと言われた。その作業を1週間ほどで終えた。その後に細部の訂正を何度か繰り返し、完全に手を離れたのは29日だ。解説は字数の制限はなかったので、思う存分書くつもりであったが、多少は書き残した部分がある方が、DVDを買った人にいろいろと考えさせることになっていいのではと思うようになった。それでぴったし1万字で書いた。初稿の9日から最終稿の29日までの間、何度か盛りたい情報が増え、そのたびに書き換えたが、1万字は変えていない。同じ字数のまま内容の密度を高める作業は、いわばザッパのアルバム作りに似ている。そして、今回のDVDもカット数がとても多く、凝った編集がなされているが、それもザッパからの影響だ。1万字の解説に書いたことをこのブログ書いてはまずいので、解説の補足と、別角度からの思いを今日を含めて3、4回に分けて投稿するが、日本盤を買って解説を読み終え、この投稿を再読した場合にまた何か得るものがある内容にしたいと考えている。
 本作の邦題をどうするか。これはKさんと相談のうえ、最終段階で決めた。ザッパはアメリカ人で、またその文化や政治についての曲を書き、意見したが、シチリアの血を引くことはあまり取り沙汰されたことがない。シチリア生まれでないのであるからそれは当然と言う意見があるだろうが、父親がシチリア人で小さな頃から家の中でイタリア語が飛び交い、またカトリックの学校に行ったからには、イタリアないしシチリアの文化の影響を受けていると言ってよい。だが、それが実際にはどういうものかはなかなかイメージしにくい。ザッパ自身がシチリアについて多くを語らなかったからだ。だが、それはシチリアを嫌悪してのことではない。全く逆で、そこではそれなりの豊かな生活があることを知っていた。そのことは『自伝』にも書かれる。本作はそういうザッパのシチリア人的なところを探る。監督がシチリア人でしかもザッパの大ファンだ。彼にしか作れなかった作品で、またこれまでほとんど光が当てられなかったザッパとシチリアの関係が描かれる。それはザッパの音楽の根源的なことだ。シチリアと言えば映画『ゴッドファーザー』を想起する人が多いと思うが、幸いと言うか、その映画は3編ともザッパが生きていた時に上映され、ザッパは88年の最後のツアーでそのテーマ音楽を演奏した。アメリカにアル・カポネというマフィアの大物がいたことを筆者は小学生の頃に知ったが、たいていの人はシチリア島からアメリカにわたった移民はマフィアのようになったと思っているのではないか。あるいはフランク・シナトラのような芸能人となったかだが、それは在日朝鮮、韓国人のほとんどが日本のやくざになり、あるいは芸能界に入ったと主張する人と同じだ。実際は全くそんなことはなく、やくざや有名芸能人として生きる者が目立つだけで、大多数の在日はごく普通に生きている。あるいは在日に由来し、日本に根づいたものもあって、日本は他国の血の流入をあまり否定的に見ない方がよい。人口減少一途の現在、外国から労働者がやって来なくてはもはや成り立たない業種がある。それは増えることはあっても減ることはない。豊かになった日本は貧しい外国人労働者を蔑みがちだが、日本でも成功を夢見て海をわたる人はとても多かった。満州やブラジルやハワイへの移民は誰でも知る。そういう移民の子息としてザッパを捉えることは重要だ。ザッパのバンドにいかにもイタリア系の名前のテリー・ボージオやスティーヴ・ヴァイが在籍したのは、彼らが同じイタリア系としてザッパを尊敬したからだろう。
 ザッパがシチリア系はみなマフィアのように乱暴者と思われたくないために、真面目に音楽に取り組んだかと言えば、それはわからない。だが、血がどうであれ、何が出来るかという才能を重視したことは明らかだ。音楽の世界は才能が優れた者ほど生き残ると思っていたであろう。だが、現実はそう簡単ではない。ただ真面目にこつこつとやり続けると成功が待っているかと言えば、誰でもそれは違うことを思い知る。運や人脈、あるいは権力者にどううまく取り入るかなど、アメリカン・ドリームは真面目だけではかなわない。日本でも同じだ。それでも基本は真面目だろう。真面目にこつこつと多くの作品を生み出さねば、まずは評価の土台に上がることはない。それを尽くして、後は天命を待つといったところだが、ザッパはそのように考える暇もなく仕事に没頭し続けた。何がそうように駆り立てたのか。それがザッパについての一番大きな謎だ。だが、答えのひとつがレコードであることは確かだ。そこには音が詰まっている。そしてそれは商品で、どこへでも持ち運びが出来る。そういう商品を自分も作りたい。それにはどうすべきか。音楽を作ることと、演奏すること、そして録音技術を知ること、さらには商売人としての自覚。これらを同時に行ない続けたのがザッパで、かくて膨大な録音や映像が残された。筆者はビートルズのシングル盤が発売されるのが待ち遠しい少年時代を送った。成人後はそれがザッパに変わったが、ザッパの没後も残された未発表音源が発売されることがとても楽しい。そのため、中学生の頃と同じように今でも一種ミーハー的なわくわく感で次のザッパ作品を待ち続ける。ザッパに大感謝だ。そして、今回の作品のように筆者が字幕と解説を担当することになるとは、72年にザッパの音楽を初めて聞いた時には想像も出来なかった。それもザッパの導きと思うと、胸が熱くなる。それはともかく、ザッパはシチリア島に一度だけ訪れた。観光ではない。ツアーの依頼があったのだ。ヨーロッパ・ツアーはデビュー頃から毎年のように行なって来たが、イタリアで演奏することはなかった。それが82年7月は最後にシチリアのパレルモで演奏することになった。日本公演でもそうであったが、ザッパはホテルからホテルへと移動するだけで、ツアー中は観光をしなかった。ツアーは仕事であったからだ。その間に物見遊山など出来ないという思いがあったのだろう。その禁欲性はカトリック教徒として育ったからではないか。父の国であるシチリアで演奏するのに、会場とホテルしか知らないではもったいない話だが、そこに助っ人があった。ザッパは演奏当日に父の故郷へ赴く。本作ではそのことが描かれる。
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by uuuzen | 2017-12-07 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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