●『HALLOWEEN 77 THE PALLADIUM、NYC』その6
立つことを書くべきと思っているが、今回のボックス・セットに関しては、アマゾンでの購入者の意見は概ね同じで、内容は星5つをつけている人が大半だ。



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それはザッパ・ファンにすれば当然だろう。筆者はザッパ・ファンが増えてほしいとは別に思わないし、何事も縁のない人には縁がないもので、ザッパの音楽を聴かなくても生きて行くのに何の支障も来たさない。知るべき人は自ずと知ると、深く知りたい人も縁があれば自ずとそうなる。その縁の片棒を筆者が積極的に担ごうという気はない。なので、こうして書いていることに何かの拍子に目を留めた人がザッパの曲を聴いてみる気になっても、筆者はこうして書いていることの意味を自覚して嬉しくなるという思いは全くない。もっとも、反論を言いたい人もあるが、そういう人にはなおさら筆者は縁を持ちたいとは思わない。また、筆者の文章を含めて、他人が書いたものを読んで、「この程度のものなら自分の方がうまく書ける」と思う人もあるし、そのことを筆者に言う者もいるが、そう思うならまずは書いてみるべきで、何もしないのにそう思うようでは、誰も相手にされない。改めて断っておくと、どのような素晴らしい考えや思いを持っていても、それを文字にするか、絵にするか、あるいは音で表現するか、どんな形にでもいいが、自分以外の人に伝わる形として生み出さない限り、それはゼロだ。ゼロを少しでもプラスにするには、それなりの時間と工夫、また努力が必要だ。1のノート・パソコンでステージ6を聴いていると、家内がザッパの語りを耳に留めながら、「サーカスみたい」と先ほど言ったが、先日書いたように3枚組CDのブックレットに載っているエイドリアン・ブリューもそう思ったから、なかなか面白い。家内はザッパの音楽についてはあまり知らないが、それでもそのように感じたことは、ザッパの音楽にはサーカス性があるということだ。サーカスはみんなを楽しませるものだが、演じる者は日々の訓練を欠かさない。それは誰でも出来るものではない。それでみんなはサーカスを楽しむが、ザッパが同じように観客を満足させるために、決められたステージのためにどれほどの練習を重ねるかは、サーカスの連中と同じと言ってよい。また、サーカスは決められた演目の順番で進んで行くが、ロック・ミュージシャンのコンサートも同じで、それを各都市、各会場と、ほとんど同じレパートリーで披露し続けて行く。ビートルズはその典型で、ジョンやポール、ジョージの語りや仕草まで同じで、会場ごとの工夫はなかった。それでビートルズの日本公演を評して、せめて前座をねぎらう言葉があってよかったのではないかと当時意見した音楽評論家があった。それはもっともな気にさせる一方、ビートルズはどのコンサートでも同じ演奏と語りをすることに慣れていて、演奏に際して、あるいはその途中で、即興で日本の前座に対する感謝の言葉を述べるなど、思いもよらなかった。それほど若かったか、心に余裕がなかった。そこにザッパを対比させると、ザッパは60年代後半にニューヨークのギャリック劇場を借り切って連日コンサートを開いたので、そこで観客に向けての語りという即興がかなり上達した。それの最大の成果は73年のロキシーでの演奏であり、また本作で、舞台に上げた観客との会話がザッパの楽しみにもなっていることが伝わる。これは本作の6つのステージごとに観客が違うので、ザッパの応対も違う。それがひとつの聴きものになっているのは、ザッパのギター・ソロや他のメンバーのソロと同じで、瞬間ごとに何が起こるかわからないというスリルをメンバーも聴き手も抱く。この即興はジャズが得意としたことだが、ザッパが生きた時代のロックでは限られたミュージシャンしかやらなかった。ビートルズやあるいはその4人のメンバーのソロ・アルバムやライヴ・ステージは、みなレコードをほとんど変わらず、そのため、仮に未発表音源があるとしても、それはおおよそどういうものか見当がつく。それで昨夜は冒頭にジョン・レノンの名前を出したが、ジョンの場合はポールとは違って、もうレコード化するにふさわしい未発表曲もないだろう。そうなれば人々はジョンの存在を忘れて行く。
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 その点、ザッパの場合、40年前の演奏が今回2種の商品の形で発売され、多くの購入者が5つ星をつけるのであるから、ザッパ・ファミリーは小出しにしているようだが、ザッパのことをファンに忘れさせないというのであれば、そうするのがよい。蛇足的に話は変わるが、ザ・スミスの「クイーン・イズ・デッド」の豪華アルバムが最近発売され、筆者は値段が下がればほしいと思っているが、アマゾンの評を見ると、いくつかの種類が出たその新譜は、2枚組CDで充分だという意見に目が行った。スミスはビートルズのように即興をせず、そのためわずかな音の違いのライヴを聴いても、あまり感動はない。それどころか、やはりスタジオでしっかり収録した演奏がいいと筆者は思う。つまり、スミスの場合、音源や映像を発掘して来て発売しても、オリジナル・アルバム以上のものにはならない。ではザッパはどうかと言えば、ビートルズやスミスのように、かっちりと構成されて即興の入る余地のない曲も多い。半分ほどはそうと言ってもいい。そしてそれらは今回の新譜にも当然入っている。ヴォーカル曲がそれに当たるとは限らず、たとえば「ブラック・ページ#2」だ。そのいかにもザッパらしいぎくしゃくしたメロディの曲は、後年は中間にギター・ソロを入れることになるが、まだ出来て1,2年の77年では精確に演奏することがザッパの思いで、そのために6つのステージではどれも全く同じと言ってよい。しっかり聴き比べていないがきっとそうだ。そしてそれと同じことがヴォーカル曲にも言えるが、そこにザッパのギター・ソロが含まれる場合、それはステージごとに違うのでファンはヴォーカル・パートもひとまずは聴くことになる。それで、6つのステージで全く同じヴァージョンないし、その部分を含む演奏を省くと、全体の半分近くの量になるのではないか。つまり、先日書いたが、ボックス・セットの購入者は変わり映えしない演奏を半分は聴かされることになる。それはビートルズ的な部分と言ってよいが、ザッパの即興にも程度があり、やはり77年のハロウィーン・コンサートと限定すると、それはどれも似た演奏になる。そのことを自覚していたザッパは、演奏の時期や場所が違えば、慣れているレパートリーに含まれる曲の改変可能な箇所は積極的に変えた。そこがまたザッパの音楽を聴く楽しみだが、今回の6ステージは最初の4つが10月28、29日の2日で収録されたもので、大きな変化を求める方が無茶だろう。また、1日2回のステージとなると、重ねた練習どおりにまずはこなすものになる。だが、ハロウィーンが近づくにつれ、またザッパは演奏に慣れたのか、最初の4つのステージとは違う曲を演奏するようになる。30、31日は1回ずつで、演奏曲も多くなったが、これは30日の午前中にメンバーと協議し、また練習したのだろう。1回削ったおかげで優れたステージになった。簡単に言えば、ザッパが得意とする即興部分が増した。そしてそれはやはり練習の賜物で、6つのステージには含まれないザッパとメンバーたちのやり取りを筆者は想像する。それは今回6つのステージがまとめて収録されたことによる楽しみだ。
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 さて、昨夜はボックス・セットに含まれているライナー・ノーツの最初のページから順に4枚目までの画像を載せた。今日はその続きだが、3枚組CDとは違ってエイドリアン・ブリュー以外の人もたくさん書いている。語りを文字に起こしたような文章もあり、エイドリアンのものと同様、さして珍しいことは誰も書いていないようだが、エド・マンの文章にはザッパがハロウィーンに合わせてか、各メンバーの衣裳合わせを特別に依頼した。ザッパはエドにはルース・アンダーウッドの髪型を強要したが、エドは恥ずかしかったのか、そのような格好では演奏を間違ってしまうと拒否した。ザッパは納得し、そしてエドは上下黄色でまとめたという。ジャネット・ザ・プラネットも書いていて、彼女は会場の2階の最後尾の席しか入手出来ず、それで友人とともに少しずつ前に移動し、コンサートの終わり近くには最前列に陣取ったという。立ち見席であったのでそのようなことが出来たようだ。翌日彼女はザッパと楽屋前で出会うと、ザッパは覚えていたというが、それ以降は伝説で、77年のハロウィーン・コンサートでは観客から有名人がひとり生まれた。ライナーを全部読んでいないが、明日の投稿には残りについて触れたい。未発表のポラロイド写真がたくさん載せられていて、これは40年も前のことであるのに、よくぞ発掘して来たと思う。今回はザッパがステージで何度も観客に話すように、録音し、また映画用に撮影したので、写真もたくさん撮っておいたのであろう。76年に収録された同じニューヨークでの『ザッパ・イン・ニューヨーク』と本作を比べると、熱気が大きく増しているが、これ以上は無理という雰囲気があり、ライヴ音源が全部発売されてはいないが、この後は二度と同じような熱いステージはなかったと言ってよい。ザッパはハロウィーン・コンサート、しかも相性の合うニューヨークでは特別に燃えたのだろう。ファンを楽しませるという、いかにもサーカスらしい雰囲気が伝わるが、ではザッパはそのことのみに熱意を抱いたかと言えば、それは違う。つまり、ザッパはサーカスの支配人ではなく、娯楽を提供する一方で、何よりも自分への楽しみを考えていた。それは日本公演にも楽譜を持参した管弦楽団用の作品の実演だ。その思いは77年、78年にも深く進行し続け、80年代に入って日の目を見て行く。ザッパの考えた娯楽は本作に代表されるようなロックだけではなかったことになるが、アメリカの観衆がどれほど新しい管弦楽曲を欲しているかとなると、目を覆いたくなる現状であったのは今と変わりはないだろう。それは世界に5000人もいないかもしれない。ではザッパは絶望していたかと言えばそれは違うだろう。ザッパは自分がまず聴きたいために管弦楽曲を書いた。それが芸術かあるいはサーカスのような娯楽かは他者が決めるが、そのことにあまり関心はなかった。謗るのであれば、『ではあんたの作品を見せてくれ』と思ったであろうし、またそんな才能はどこにもないから、『黙って自分のやるべきことをやりな』と言い変えたか。
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by uuuzen | 2017-11-10 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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