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●高熱で寝込んだ丸二日
フォームは体が勝手にやってくれる。それをいいことに頭は無茶をする。それで体の部分が壊れ、リフォームが追い着かず、老化は加速化する。



今年5月中旬に筆者は高熱で寝込んだが、一夜で平熱に戻った。油断してはならないことがわかっているのに、先日の11日は去年と同じく家内の兄弟姉妹と一緒に箕面の山手にある温泉に一泊し、去年とは違ってたくさん酒を飲んでしまった。いじましいというしかないことで、反省しているが、飲んだ後にこれまでにない経験が待っていた。65歳が20代の頃のように酒の量が多くて平気というのはあまりないことと思うが、筆者は酒の場の雰囲気につい飲み込まれて大量に飲む癖がある。もちろん楽しいからだ。11日の夜もそうであった。去年と違って別室でディナーを供されたが、料理の量はままごとかと思わせられるほどの少量で、家内の兄は3,4倍多くて普通ではないか何度か笑いながら言った。最初に出た刺身の皿は、4種盛りはいいとして、1種辺りたとえばスシローの1皿の半分、つまり1貫に使われる量よりまだ少ないだろう。中央に半透明の5ミリ角、長さ3センチほどの烏賊らしきものが1本あって、筆者は烏賊は好きなので、そのごくわずかな量を期待して口に含むと、ジャリと音がして違う味がした。烏賊に見せかけた大根で、つまりはフェイク烏賊だ。その後のどの皿も同じような量で、とにかく料理があまりにも少量で、それをアルコール類、あるいはそれが飲めない人はジュースで補う仕組みだ。ビールは全部で9本注文し、そのうち筆者は3本飲んだ。そして義兄はビールから焼酎に切り替えようと提案し、それが運ばれた。その1本の半分近くを筆者は飲んだ。そしてお開きになる時、筆者の焼酎のコップは満杯状態で、それがもったいないと思い、一気飲みした。筆者が飲んだのはロックで、ま、飲んだ量の半分ほどは水だが。さて、その後、部屋に戻ると、女性陣が男性陣の部屋にやって来て、談笑の続きが始まった。すると、義兄はバッグの中からサントリー・ロイヤルのウィスキー760ミリリットルを1本、おつまみを4,5袋取り出してテーブルに置いた。筆者はウィスキー党なので、もう充分に飲んではいたが、躊躇せずにまた義兄にロックにしてもらって飲み始めた。翌朝瓶を見ると、2センチほどしか残っていなかった。筆者だけがロックで飲み、また量も多かったので、半分以上は筆者の体内に入った。ビール3本、焼酎が瓶の半分、ウィスキーが瓶の半分以上、これだけを数時間で飲んだ。酒好きにすれば別にどおってことはない量だが、筆者はおそらく初めてそれほどたくさん飲んだと思う。酒宴が終わったのは何時頃か知らないが、家内に後で聞くと1時半頃だったとのこと。だが、筆者の記憶では女性陣がいなくなってからも飲んだはずで、たぶん2時頃かと思う。それから後の記憶がない。
 昔、漫画で夢遊病者という存在を知ったが、そんな人が本当にいるとはなかなか信じられなかった。その思いは大人になっても続いた。そんな人と知り合ったことがないからだが、20代半ばの頃、東京で飲んでいた友人が、飲み過ぎて道端で寝たことがあると話してくれた。筆者はその様子を想像し、笑い話の一種として記憶することにした。それは漫画で見た夢遊病者とは違うからだ。だが、かなり似たところがある。筆者も20代、30代はかなり無茶飲みし、電車の中で吐いたこともあるが、道端あるいはベンチで寝たことはない。帰宅出来ないほどには酔わなかった。それはまだ飲めたということだ。だが、11日の夜、いや日付が変わった12日の深夜、筆者はトイレが目的ではなしに、部屋のドアを開けて廊下に出た。そして自動販売機の前まで行き、そこで何をしたいのかわからないまま、「ま、ええか」と考えて、その前で寝ころんだ。そしてどれほど眠ったのだろう。筆者を起こす男性がいた。ホテルの人だ。ひょっとすれば監視カメラに映っていたのかもしれない。筆者は起き上がってすぐに自分が泊まっている部屋の名前をその人にいい、照れ笑いをしながら、部屋の正面まで歩き、扉を開けて、そこから20歩ほどのベッドに倒れ込んだ。早朝にベッドから落ちたことは覚えているが、這い上がろうとしたのか、片足をベッドに載せた格好で朝の8時に家内に起こされた。「みんなはもう大食堂に行こうとしているのに、いつまで寝ているの」。朝8時に起きる習慣は筆者にはないので、もう少し眠らせてほしいと思いながら、そういうわけにも行かない。顔を洗わず、歯も磨かずに大食堂に行ったが、食べる元気がなく、わずかに野菜類を口に運んだ。そして、チェックアウトまでにもう一度温泉に入ろうと思ったところ、9時までと言うので、仕方なくフロントに降り、家内に水を持って来させ、それを3倍飲んだ。それにしてもトイレには昨夜一度、朝に一度だけ入り、ほんの少ししか小便は出ない。大量のアルコールを飲んだ割におかしいが、事実だ。また、大便を済ましたのは10日の夕方だが、結果を言えば、これを書いている14日の夜までの4日間、小は少量を数時間置きにして来たが、大は全くしていない。それには理由がある。
 人間を焼いた時の骨は、体の悪かった部分は白ではないと聞いたことがある。体は正直なもので、経歴が刻印される。歯が痛むので歯医者に行くと、どこも悪い箇所はないと言われたことが二度ある。そして、体調が悪い時に、治療した歯の跡が痛むことがあると言われた。なるほど。もう30年ほど前のことだが、住宅ローンの借り換えに伴って銀行を変えたことがある。そしてその契約の場に筆者は素足で自転車で向かった。待ち合わせの時間に遅れそうであったので、かなり焦っていた。松尾橋のバス停前の坂を下っている時、左足の親指を地面に擦りつけてしまった。ペダルからサンダルがずれたのだ。コンクリートに親指を擦ったので当然血が噴き出る。痛みを抑えながら契約書にハンコを押し、今度はゆっくりと帰ったが、指はあちこち皮が剥けて無残な恰好になっている。それよりも、どうも親指の付け根やそれよりまだ上の部分の痛みが尋常ではない。骨折している気がしたが、病院嫌いな筆者はバンドエイドで手当てを済ました。間もなく怪我は治ったが、実は治らなかった。表向きは怪我したことがわからないが、内部の骨にヒビが入り、それが自然治癒しながら、数か月置きにとても痛んだ。それが今でもある。体調が悪い時は必ずと言ってよい。その痛みが一泊旅行から戻って来た夜にあった。12日は正午に家に戻ったが、暑いので筆者は下着姿で板張りの床に2時間横になった。その時に風邪を引いたのか、熱を測ると37・9度ある。筆者にすればそんな高熱は10年に一度あるかないかだ。2階の布団で横になる前にシャワーに入ったが、出た後、寒気がした。やはり風邪か。ひょっとすれば深夜にホテルの廊下に出て、自販機の前で眠った時に引いたか。だが、くしゃみは出ないし、寒気もしない。では高熱の原因は何か。思い当たることは深酒しかない。筆者はたまに酒を多く飲むと、翌朝は必ず便器が真っ赤になるほどの血便となる。これは、10代の終わりに痔の手術を経験しているためだ。つまり、筆者の体の最も弱いところは肛門だ。そこしかメスを入れたところはない。それで深酒すると、一時的な痔になる。
 わが家に戻った時、筆者の肛門は著しく腫れていることがわかった。そしてシャワーを浴びて布団に横になった時、尻を横に向け続けなければならないほどの痛さで、大便をすると、一時的な痔では済まない予感があった。それで肛門の痛みが消えるまで大便をしないことにした。先に書いておくと、これを1階のノートパソコンで書いているが、書けるほどに体力が戻り、また肛門の痛みも減退したからだ。そして、大便は10日以来まだしていない。12日は午後の3時頃から布団に横になり、今日の夕方までほとんど筆者は同じ格好でいた。その間、七転八倒を布団の上で何度繰り返したことか。あまりの肛門の痛みに眠られない。それは痔の手術を済ました直後と同じと言ってよい。それで筆者が思ったのは、深酒によって体を悪くし、体の最も弱い箇所に痛みが発生した結果の高熱ということだ。風邪ではないだろう。咳は出ず、吐き気は全くなし、肺や気管に異常は感じないからだ。家内はお盆休みで病院が開いているかどうかわからないので、救急車を呼ぼうかと何度も言ったが、絶対にそれは拒む。薬も一切飲まない。自分で壊した体は自己責任だ。自分の考えで直す。もちろん自然治癒だ。ただし、それがどのくらいの時間を要するかわからない。昨日の13日なって、体温は下がるどころか、逆に上がった。39・2度になったので、この調子では40度まで行くかと他人事のように思いながらも、筆者は病院に行くことを全く考えなかった。「ああ、飲み過ぎですね」。こんな診断のため数千円支払えるか。それに肛門の痛みがひどくて布団で体の向きを変えることも大変な苦労を要する。服を着替えて病院まで行く元気がそもそもない。それで冗談に「医者を連れて来い」と家内に言ったが、家内にすればそういう冗談を言えるほどまだ元気と思っている。昨日の午後は旅行に一緒に行った義妹から電話があり、小1時間ほど家内は話したが、話題は終始筆者のめったにないダウンで、義妹は何が何でも病院に連れて行くようにと念を押し続けたという。というのは、義妹の旦那は筆者と同じ年齢だが、3年ほど前に胃癌の手術をし、それが治癒しながら、最近また再発したからだ。それに義妹も病弱だ。筆者は健康があたりまえと思っているが、収入の多く病院に支払う必要ある人もいる。それがわかっていながら、若者と同じような大量の酒を飲んで体を壊しているようでは、よほどの大馬鹿野郎だ。
 義妹は、高熱が続くと脳に悪影響を及ぼすことがあるとも言ったそうだ。そう言われるとドキリとするが、丸2日の間、顔を洗わず、歯も磨かずにほとんど布団に横になりながら、また眠っている時以外は、筆者はかなり思索した。日付が13日になってからの深夜、遠くでバイク集団の暴走音が聞こえ始め、それがやがてわが家の裏手の方にやって来て、また遠くへ去って行った。そのことを俳句にしようと思い、「熱帯夜 暴走族の遠雷や」などと詠みながら、やはり才能はないと自覚し、その一方で3000首近く詠んだ蕪村はどういう努力をしたのだろうと感心した。次に思ったことは今のこの苦痛がいつまで続くかだ。いくら何でも15日の昼間までには平熱に戻る、また戻さねばならない。なぜなら、すぐにでもやってしまわねばならないことがある。そうしたことはざっと5つある。いつまでも布団に横になり続けることは出来ない、その5つには含まれないが、今書いている文章も、肛門の痛みが治まれば真っ先にやろうと思っていた。とにかく肛門が痛いので座ることが出来ないのだ。その痛みは旅行からの帰りの電車内で多少感じ始めていた。シャワーに入る際、脱いだ下着を見て家内はパンツに血と粘液がこびりついていると言った。「大便はないはずやで、まだやってないしな」。そして、13.14日と下着を着かえるたびにパンツに同様に血と体液が染みついたが、つまりは大便しなくても自然に肛門が炎症を起こして出血し、またその部分を直そうと、白血球が固まったのだ。発熱はそのためのものであることは間違いない。昨日は38度台に下がり、今日は37・8度になった。少しずつだが治癒している。だが、それは自然治癒もあるが、家内が数年前に買った肛門用の軟膏を塗ったからだ。シャワーに入るたびに家内に綿棒でそれを肛門に塗ってもらったが、どうもそれが効いたらしい。今日は午後8時に36・7度になり、これは筆者にすれば少し高めだが、もう平熱と思ってよい。肛門の痛みがなくなるまで大便はしないと決めていたことと、食欲がさっぱりないことのために、旅行から帰って来て今まで8回の食事は、パン1枚かいなり寿司2個、ソーメン1束という少量で、さすが空腹を覚えるが、今日の午後は1階のソファで横になりながら、ステレオで音楽を2時間ほど聴く気分の余裕が出来た。そして、明日かと思っていた投稿を深夜になって書く気力が湧いて来た。それにまた酒がほしいなとも思っているが、もう大量に飲むことはない。肛門の痛みで苦しむことはいいとしても、夢遊病者のように全くの自意識なしに動き回り、どこででも眠ってしまうようでは、命がいくつあっても足りない。一昨日か、日本の豪華列車が初めて人事故を起こしたというニュースがあった。酒に酔った人が線路内で寝たのだ。筆者はホテルの部屋の前の廊下でよかった。酔って線路内に寝るような大馬鹿野郎は生きている価値がないどころか、他人に迷惑をかける。そのことを胸に刻んで深酒はしない。酒に酔って路上で寝ることが筆者にもあり得ることを、この年齢になってようやく納得出来た。
by uuuzen | 2017-08-14 23:59 | ●新・嵐山だより
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