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●『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』その2
観光バスも昔とは違って、座席はかなりゆったりとしている。昔は補助席を使ってぎゅうぎゅう詰めで走ったこともよくあったが、今の高速道路をもっぱら走るバスには補助席はないのが普通だ。



それにどういうわけか、中央の通路を挟んで左右の座席は微妙に列がずれていて、真横を向いても通路向こうに座る人の真横が見えない。つまり、左右対称になっていない。ロジェ・カイヨワによると、人間のように高等に進化した存在ほど体の左右対称の軸数が減り、しかも最後に残る1本のそれもなくなる方向に向かうと言う。人間は外見は左右対称だが、内臓の位置はそうなっていない。つまり、左右対称が崩れている。このまま人間が進化すれば外見からも左右対称性がどんどん失われるだろう。どのような形に崩れ着くのか、何だかそれを想像すると不気味で気分が悪くなる。結局人間はアメーバのような不定型な生き物になるのではないだろうか。左右対称性があることで絶対的安定感を心に保てるが、それがなくなれば人間の左右非対称性はますます加速化される気がする。それはいいとして、バス・ガイドはあれこれとよくしゃべってくれた。美人ではないが勉強熱心な女性のようで、その点とても好ましかった。だが、以前もバス・ガイドの話の中で経験したことだが、その博学ぶりも時にボロが出る。昨日はこんな場面があった。国立公園が日本に何か所あるかという質問をガイドがした。誰も答えなかったが、筆者は家内に向かって30に少し足りない数と言ったが、答えは28で筆者の考えは当たっていた。で、その次にガイドは、「世界で初めて国立公園の指定がなされたのはアメリカの『アエロストーン』です」とはっきり言った。これは「Yellowstone」の間違いで、「アエロ」ではない。「アエロ(Aero)」は「飛行機の」という英語であるので、「アエロストーン」はもっともらしい発音に聞こえるが、これではイエローストーン国立公園のあの間欠泉の硫黄を含む泉や溶岩の土地の  自然を何ら心に思い描けない。間違ってどこかで覚えたものをずっとそのまま信じ込んでいるのだが、パック・ツアーする人の中にどんな知識のある人が乗っているかわからないし、そんな人は内心ガイドを見透かしていることもあろう。だが、わざわざみんなの前で指摘して恥をかかせることは出来ない。いつか彼女がどこかで気がつくこともあるだろう。ついでに思い出したが、もうひとつ気になることがあった。次にそれを書こう。
 添乗員は20代後半か30代前半の小柄でかわいい女性だった。バスが帰途について半ば以上過ぎた頃、アンケート用紙を配った。旅行内容を各人が採点するのだ。これはよほどのことがない限り、筆者は大体いつもみな「非常によい」に丸をつける。昨日もそうであった。そしてアンケート用紙を回収する時に、4月から9月末まで使用可能な500円の割引きクーポン券をひとり1枚ずつ配ってくれた。1泊以上の『旅物語』の旅行に使えるのだ。これを全部配り終わった途端、どうやら1枚足りなかったらしく、彼女はガイドが立つ位置に立って、「誰かに2枚配ったと思うのですが、確認して下さい」と言い、そしてまた順番に席を回った。結局誰も2枚もらってはいなかったようで、納得行かない表情をわずかに見せながら、彼女は自分の席でアンケートを整え始めた。それから小1時間ほど経って、ふたたび「あのー、何度もすいません、誰かに2枚配ったと思うのですが、確認して下さい」と同じようにやった。すると、筆者のすぐ後ろの3人のオバタリアンは明らかに不服そうな、そして小さな声で、「2枚なんかもうてへんもんな」と言った。クーポンを配る前に彼女が数えていたのを間近で目撃したが、きちんとした枚数を数えていたならば、やはり誰かが2枚受け取ったことになる。だが、誰も名乗り出ない。黙ってもらっておくと得だと考えたか、あるいは本当に誰も2枚もらっていないかだ。このちょっとした事件は何だか後味を悪くした。筆者はどうせ使わないはずだから彼女に返してもよかったが、みんなの手前、何となくそれをするのは彼女に恥をかかせるようで気が引けた。もし手わたすならば、バスを下りる際にさりげなくだが、そんな機会があるかどうか。そんなことをあれこれ思っていると、通路を挟んで隣に座る中年の娘とその母のうち、母親の方が急に彼女を背後からそっとつつき、振り向いた彼女に「これ、あげます。わたしら使いませんから」と言った。ところが彼女は笑顔で断った。そういうことはとんでもないことと言うのだ。それもよくわかる。自分の失態をお客さんの厚意によってカヴァーすることは、会社の方針としても許されないことだろう。そうなのだ。クーポンが1枚足りなくなったのは、最初から数が足りなかったとしても、それを確認しなかったのは非難されるべきであるし、もし誰かに2枚わたしたとしても同じようにそれはプロとしては許されることではない。だが、そんな理屈を越えて、純粋に困っている彼女をどうにか助けたいと思うのも人の心であるし、それがスムーズに実現され得ない場の空気というものが何かとても重苦しかった。「たかがクーポン1枚、彼女が500円を会社に弁償すればいいではないか」という問題ではない。そんな簡単なことで済むなら彼女もあれほど狼狽はしなかったろう。もっとシヴィアな会社という社会の現実がある。それはさておき、誰かが2枚もらっておきながら、得したとばかりに黙っているとしたら、せっかくの美術鑑賞をテーマにしたツアーも最後で不純なものが混じった気分にさせられる。それで、こう思うことにした。きっと誰かが2枚もらったに違いないが、何度確認しても自分が2枚もらったことを知らないでいるのだろうと。そのようなうっかりは誰しもよくあるからだ。そうでも思わない限り、旅の思い出も後味が悪いではないか。それもこれも結局のところ、彼女が最後の土壇場でちょっとしたミスをしでかしたからだが、それでもいつも笑顔でなかなか役目を立派に果たして好感が持てた。そんな彼女であるからこそ、クーポンがぽろりとどこかから出て来ることを祈ったが、そうはならなかった。
 旅の終わりの話を先にしてしまったが、訪れた各美術館の話はまた日を変えて順に書くとして、ここではもう少しほかのことを。まず、雪だ。4日の朝8時の梅田は大変な寒さで、風こそなかったが、30分も待ったのは限界であった。バスに乗るとほっとして、間もなく寝入ったが、高速道路をひたすら走って中国山地を山陰に向けて走っている最中に窓の外を見ると、雪で真っ白だった。それは別に珍しい光景ではないが、あちこちの山の杉の木が全部倒れていて、そのうえに雪が積もっていた。去年の台風によって倒れたらしく、少しずつ整理しているのが追いつかず、そのままになっているとのことだった。ガイドがそうした説明をしてくれなければ気にすることもなかったが、珍しい光景や過ぎ行く各土地にまつわるこぼれ話など、なかなか知識欲を刺激する内容も多かった。それらをひとつずつをここに書くことは出来ない。あまりに内容が多いからだ。それに切り絵の題材に残しておきたいものもある。そこで思ったのは、家の中に閉じこもってばかりいるのではなく、こうしたパック旅行ではあっても、たまに珍しい場所に出かけば新しい見聞も増えるということだ。その大半は雑学に類することだろうがが、雑学からでも専門分野に何らかの形で意義のある発見の糸口もあるかもしれない。それは全くおおげさな見方かもしれないが、思いもかけない場所で思いもかけない出会いは確かにあって、誰しも心当たりのあることではないだろうか。そんな例をひとつ挙げると、蒜山高原のお土産センターでのことだが、同地の土産の民芸細工に寄せて、串田孫一が書いた文章が掲げられているコーナーがあった。その文章は昭和37年12月15日に書かれたもので、かなり昔のことだ。当時串田が蒜山高原を訪れた事実、そしてその文章における博学ぶりを確認して、何だかとても嬉しくなった。山登り好きな串田が同地を訪れたのは別に珍しくもない話だが、昭和37年と今ではそのあたりはかなり変わったところが多いのではないはずで、そんな時代の推移を思うのも面白い。たとえばそのお土産センターは「ヒルゼン高原センター」と言うが、まるでヨーロッパの俗悪なキッチュそのもののお城の外観を呈していて、すぐ裏手にはジェットコースターや観覧車などを設けた小遊園地になっていた。串田が訪れた当時はそれらは全然存在せず、もっと鄙びたよい味わいであったことだろう。それに高速道路もなかった。雪ばかりが、つまりは自然だけがほとんどそのままだ。大阪から2時間ほどで辿り着ける便利さを入手した代わりに、俗悪きわまる光景も見せつけられる羽目になったわけだが、それもまた時代の流れだ。しかし、串田が訪れた当時のことを想像してみる。今よりうんと苦労して訪れるのであれば、それだけ場所に対する感動も大きかったのではないだろうか。簡単に手に入るものには人間は感動はしないものだ。
 もう少し続けよう。バスの運行は帰りはさらに大変であった。フロントガラスの先をずっと見続けていたが、雪がしきりに降って視界が利かなかった。地面と空の境界が見えず、車の轍も真っ白で、とにかく前方は白一色で、何を頼りにして運転手はハンドルを握っているのかと思った。遠くに車のテールランプが小さく見えていたから、その後を忠実に追っていたに違いない。雪がたくさん降ると、あれだけ一気に世界が真っ白になるとは知らなかった。しかし、その雪もある山を過ぎるとぱたりと消え、積もっている場所も見られなくなった。まるで別世界にワープした気がした。日本海から吹き寄せる風雪が山肌に当たって、それ以上越えて南下しないためだが、山陰山陽とはよく言ったものだ。本当に山の南北ではがらりと雪の降る度合いが違う。雪のためにのろのろ運転を強いられ、へたをすると大阪に着くのが深夜になるかと予想されたが、車がほとんど走っておらず、実際は予定より早く到着した。それは運転の見事もあるが、つくづく高速バスの運転手の技術には感心した。串田孫一、それに山間部の雪と話が来たので、ついでに大山(ダイセン)についても書いておこう。大山を見たのは今回が初めてだ。帰りはあまりの雪のため視界が悪く、見ることは出来なかったが、往路ではじっくりと走る車内から遠くに眺められた。白い大山は美しかった。そこだけがあたりより一際高く聳えるため、本当に大きな山がそこにあるという感じがありありとした。見慣れている京都の比叡山や愛宕山は、なだらかな峰続きの中でやや抜きん出ている感じで、孤立した大きな山という気がしない。ただし、せっかくの雄姿もバスの後方に姿を消す頃には急速に頂上部をかすめていた。天気の移り具合が激しく、どんよりとした空の一角に青空が見えたかと思うと、ものの5分も経たないうちにまた濃い灰色に覆われる。そんな冬の大山でも、写真を撮るつもりが、バスは高速で走るので、すぐにいい角度から遠ざかり、ついに思っていたシャッターチャンスを逃した。下に掲げるのは、撮った2枚のうち、いい方をどうにか山だけトリミングしたものだ。断っておくと、フィルム・カメラであるので、やたらシャッターを切ることはしない。
●『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』その2_d0053294_13551525.jpg
何だか少しも話がまとまらないが、大山つながりでさらに書く。話はアメーバのごとく取りとめがない。これは進化の形か? 鳥取の大山あたりではジャージー牛乳とやらが有名で、脂肪分が多くて濃いそうだ。休憩で立ち寄った高速のインターチェンジのサービスエリアやヒルゼン高原センターにも売っていたのに、買うのをためらった。1リットル瓶だったか、大きなものでは荷物になるし、飲むにしても多過ぎて困るからだった。その代わり、宍道湖畔のホテルでは朝食のバイキングで牛乳をたっぷりと飲んだ。ジャージー牛乳ではなかったようだが。
by uuuzen | 2006-01-06 23:58 | ●新・嵐山だより
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