●飛び出しボーヤ、その37
人のような雰囲気になって来た母で、初期段階の認知症ではあるが、話せば何でもよく通じる。だが、耳が遠いので、筆者は新聞紙などを丸めてメガフォンのようにして母の耳に近づけて話す。



d0053294_00495959.jpgするとよく聞こえるのか、急に表情が明るくなり、また返答も素早く、的確だ。老いて耳が遠くなるのはよくあることで、それは神の采配だろう。長生きすることはそれだけ嫌なことも多く経験するから、面白くない話は耳にしたくない。面白くないことを聞いて気分が悪くなれば損で、人間は面白くて明るい人の方に向く。筆者はそのことをよく自覚しているつもりだが、時としてこのブログに立腹を撒き散らしている。それでは読む人が面白いはずがない。他人からどう思われてもいいようなものだが、他人を不愉快に巻き込むのはやはりよくない。それでなるべく普段から笑顔でいたいが、筆者は家内に言わせると昔からつんと澄まして近寄り難い雰囲気らしい。それを「ツンデレ」というそうだが、筆者には澄ましている自覚はあまりない。ただし、筆者のやっていることや考えをろく知りもしないで批判する人は相手にしたくないので、澄ましていると思われて接近してほしくない。筆者は母と父のどちらにより似たかと思うことがあるが、父のことはほとんど記憶にないので、影響を受けたとすれば母だが、顔や仕草は父と瓜ふたつだそうで、そのことを前提に筆者は若い頃に女には注意しろといったことを言われた。これはそれなりに守っているつもりで、もう65歳になってしまった。さて、今日の最初の写真は、今日の投稿回数と同じ「37」番の市バスに乗って今年5月に母に会いに行く途中、近くの出町柳商店街の西側の出入り口で見かけた。以前にも見かけて撮影し、その写真は「その24」の2枚目として載せた。それを撮影した時には今日のものは気づかなかった。同じ出入り口の南の支柱で、その頃からあったものかどうかはわからない。「その24」のものと同じ人物が手作りしたものであることはわかる。また女の子の表情は口元が今回のものは笑顔ではない。京極学区、つまり小学校のPTAが作ったのだろう。とても出来栄えがよく、また女の子であるところ、母親の手になるか。小学生の母親となると、まだ若く、こうした看板を作るほどの気力はある。「その24」ではパン屋かケーキ店の看板かと書いたが、女子が学校の制服を着ているので、学校のPTAの作ったものだ。 d0053294_00504988.jpg「飛び出しボーヤ」の看板は板にペンキを塗ったもので、車に当てられなくても消耗する。毎年立て変える必要はほとんどないが、4,5年経てば老朽が目立つだろう。わが自治連合会では2、3年前に数個の新しいものが設置されたが、それより古いものもあって、老朽化のひどいものから数年に一度は交換しているようだ。そして、今年はまた新しいデザインのものが表われた。以前のものに筆者は愛着があったし、またそれらを撮影してこのシリーズに写真を載せたことがあるが、塗装が剥げかけると運転手に注意を促す看板の役目をあまり果たさないと思われているようで、新しいものに代えられる。塗装をし直せばいいかもしれないが、支持体がベニヤ板ではそれは心もとない。そして、新品と交代させるならば、全く新しいデザインをと考えるのは時代の流れだ。交通標識ではなく、運転手の目につけばつくほどによく、新しいデザインであれば効果的だろう。「おやっ、形や色が変わったな」と意識すれば、運転手の意識の中に安全運転の思いが強化される。その一方、少子高齢化時代というのに、その少ない子どもが老いて増えた老人に轢き殺される事件が増加している。これはある意味では必然で、自分を過信する高齢者に考えを変えるように言っても、深刻な事故を引き起こすまでは考えを改めない。老化は硬直化で、それは植物を見てもわかる。筆者は車の免許を持っていない分、子どもを轢き殺す危険からは無縁だが、筆者の代わりに誰かが運転して便利さを社会に供給しているので、高齢の運転手をあまり責める気にはなれない。従姉の旦那さんは80歳になったと思うが、至って元気で車の運転もするし、自転車で数十キロも遠出をする。そうした外出が気晴らしになり、認知症になることを遅らせていると思える。子どもたちは10年以上前から危ないから運転はやめろと言い続けているが、耳を貸さない。これが素直にしたがうようになると、恍惚が始まるかもしれない。好きなものは一生続けることがよい。ただし、やはり車の運転は他者を事故に巻き込む可能性がある。筆者は好きなことはいろいろとあって、どれもあまり他者を傷つけないと思っているが、母は筆者の書くことが凶器になる場合があることを自覚すべしと言う。
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 話を戻す。今日の2枚目は7月下旬にわが自治会内で撮った。キモノ姿の女の子を象り、これでは「飛び出しボーヤ」の緊迫感がないが、京都らしさを考慮し、運転手をはっとさせるよりも和ませる方法を選んでいる。これの原型かイラストがあって、それを模倣しているのかどうか知らないが、黄色の帽子を被り、両手に標語を書き込む扇を持つところ、プロのイラストレーターが描いたものを改変模写したように思う。同じ看板を別の場所でまだ確認しないので、何とも言えないが。3,4枚目は郵便局に向かうまでの小川沿いの道でつい先日撮った。同じ電柱の裏表に架けられている。緑色は2枚目のキモノ姿の女の子に通じるが、こちらは蛙で、これは小学生の学校からの帰り道を思ってのことだろう。「無事に帰る」から蛙の石像が神社などによく設置されているが、それと同じ考えだ。やはり黄色い帽子を被り、微笑ましさがある。キモノ姿の女子と同じ作者に思えるが、ならば参考としたデザインがあるのではなく、絵の上手な母親が描いたのかもしれない。また、時代は「飛び出す」ではなく、「ゆっくりにっこり」に変化して来ているように見えるが、これは今の小学生よりも親の考えが反映しているかもしれない。「飛び出しボーヤ」の新型としてはバロック時代に突入したような感じで、今後はさらに意表を突くデザインが出て来るかもしれない。それはさておき、今日は小学校で嵐山東学区の体育祭があり、筆者は少年補導委員としてフライド・ポテトを販売した。それを全部売り切った後、校庭に行って自治会のテントをたたむことに協力し、それが済むとまた少年補導委員が陣取っていた校舎前に行って模擬店の後片づけを手伝った。この模擬店の経験は7月30日の夏祭りから二度目だが、思うところがあったのでいずれそれを書きたいと思っている。子どものことではなく、大人のことだ、だが、母から言われたペンが人を殺すこともあるという言葉を一方で思い出し、どうしようかと思案している。子どもでも大人でも、嫌なことは予想のつかないところで飛び出すことがある。そのことに予め注意することは出来るだろうか。それは嫌なことに対してどう反応するかという問題だ。無視して平気というのが理想だが、それは逃避となる場合もあって、常に正しいとは限らない。車は運転しなくても、自分をどう運転するかは難しく、またそのことが車の安全運転にも直結している。そのため、教訓として、突発的な嫌なことは「飛び出しボーヤ」の看板を思い出してやり過ごすのがいいかもしれない。
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by uuuzen | 2016-10-09 23:59 | ●新・嵐山だより


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