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●嵐山駅前の変化、その428(脇道沿いの空地)
民体育祭が終わった後の筆者が担当している少年補導委員による大きな事業は、11月13日の土曜日に嵐山東公園で行なった「ポケモンGO嵐山東版」という催しであった。



天候に恵まれ、参加した児童は50名より多かったが、100名には至らなかった。1年生もいたと思うが、多いのは3,4年生で、女子と男子は半々だ。みんな行儀がよく、筆者も楽しく過ごせた。今年の夏はポケモンGOの話題が爆発的となり、10月まで毎月第2土曜日に実施された少年補導の夜間パトロールの最中でも、委員の間でその話題が持ち上がった。熱に浮かされるのは人間の本質だが、それは冷めるのも早い。そして、一部の人が愛好するものとなるかすっかり忘れ去られる。ポケモンGOが今後どうなるのかはわからないが、一時の加熱ぶりから比べると今は嘘のように話を聞かない。京都はポケモンGOの聖地のように喧伝され、嵐山公園の「風風の湯」の玄関前の桜の林では、普段は深夜は人気がないのに、ポケモンGOが始まった当時は連日大勢の人が暗がりにスマホを持って歩き回り、異様な光景であったそうだ。夏場であるので、涼むのにはつごうよく、またトラブルが生じなかったのでよかったが、ゲームを楽しむ人を目当てに悪いことをする輩が出没しないとも限らず、警察はやきもきしたであろう。少年補導委員の夜間パトロールは午後8時半からの1時間程度でポケモンGOを楽しむ人や不審者を見かけなかった。今月は臨時にクリスマス前にまたパトロールが実施されるが、冬場は桂川沿いなので寒さは市中より厳しく、スマホを持って寒い嵐山公園をうろつく者は稀だろう。また変な連中を見かけても、警察とは違って注意は出来ない。それはさておき、筆者は少年補導委員による行事が「ポケモンGO」とは何事かと思い、どのように子どもたちを遊ばせるのか皆目見当がつかなかったが、当日になって事情がわかった。スマホを使わず、またポケモンGOとは何の関係もない遊びだ。それを知った子どもたちはがっかりしているのかと思えば、全くそうではなく、かえって生き生きしているように見えた。スマホを使えない、持てない子どもはいるはずで、スマホを使っての遊びを少年補導委員が実施するのは無理だ。おそらく何年も同じ遊びを主催しながら、今年はポケモンGOの流行があったので、その名前を拝借しただけなのだろう。ある意味、子どもを騙しているが、子どもは大人のいわば悪乗りを面白がり、理解もしている。「おっちゃん、ポケモンGOとは全然関係あらへんやん」といった声があったのかなかったのか知らないが、それを言うのは無粋であることを子どもも理解している。子どもは時に立場が逆転して大人を優しく見つめる。子どもには大人の部分があり、大人には子どもの部分がある。そのことを象徴的に示したのが、11月13日の催しであった。
●嵐山駅前の変化、その428(脇道沿いの空地)_d0053294_17291916.jpg
 筆者は同じ自治会のもうひとりのWさんと一緒に行動した。どういう遊びか説明すると、花火の空筒を少年補導委員の6つの班がそれぞれ5,6本持たされ、そこに点数を適当に書いた紙の札を1枚ずつ入れる。子どもは2,3メートル離れた場所からその筒目がけてボールを転がす。そして倒した筒の中の点数が記録される。そうして子どもは嵐山公園内に設置された6つの離れたコーナーを順に巡り、点数を稼ぐ。上位の者には校庭で点数を発表され、景品がもらえる。数人ずつの児童が順に出発してコーナーを巡るが、筆者とWさんは公園の最北近くの土手下の芝生に陣取った。そこは他のコーナーの見通しが利き、筒を立てるのに適当な平地がある。筆者とWさんとでは人数が足りないくらいだが、ゲームが始まってすぐに、ひとつ手前のコーナーに人が足りないとの連絡が来た。Wさんはそっちに行ったので、筆者ひとりで担当することになった。6つのコーナーを少年補導の「ヒラ」の委員が担当すると、1班当たり4名の計算になるが、一方では本部役員もいるから、各コーナーは充分に要員が配置出来る。にもかかわらず筆者ひとりの受け持ちというのは、土曜日でもあり、家族サービスを選択した「ヒラ」が少なかったのだろう。比較的若い母親ならばそれはやむを得ない。それに本部役員は学校で待機し、それなりの作業がある。ともかく、筆者ひとりで受け持ったコーナーは、次々に数人の子どもが走って来ては順にボールを転がすから、点数を確認し、花火の筒を立て直すのに忙しかった。2メートルほどの距離であれば、1個のボールで2,3本の筒を倒せそうだが、芝生のため、ボールは思ったようには転がらない。それに低学年はボールの扱いが下手で、とんでもないところに転がし、なかなか筒に当たらない。当たる方が珍しいほどで、5,6年生の男子でも難しいようであった。筒に当たってもそれを倒すほどの力がなく、ひとりで5,6回はチャンスを与えた方がいいと思ったが、それをすると後がつかえる。そんため、せいぜい3回だ。各コーナーでそれは委員の裁量に任されたが、筆者は低学年には時におまけをした。小さな子が点数0ではあまりにかわいそうではないか。
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 点数は各コーナーで自由に書いてよかったが、0点から10点という範囲が常識かと思えば、たとえば1000点、100点、50点、10点、1点という開きを設定した班もあった。これではせっかく筒を倒してもあまりにも点数の開きが出てしまうが、児童全員が同じ条件でその班でもボールを転がすので、機会は平等との考えだ。それに、児童たちは各コーナを一度ずつ訪れるだけで、どのコーナーに高額点の紙が入っているかは知らない。子ども相手のボール転がしをさせながら、筆者は縁日の露店商を思い出した。そこでは100円玉をにぎりしめた子どもが目立つ景品ほしさにゲームに興じる。お金が不要な分、筆者は罪悪感を覚えなくて済んだが、それでも筒を倒せなくて点数が稼げなかった子どもがとても憐れであった。仕方ないと言えばそれまでだが、1年生と6年生とでは体の条件が違う。低学年にはハンディキャップがあるので、予め点数を与えてもいいのではないか。だが、子どもたちは点数を取ることは二の次のようで、大人が番をするコーナーを順に走って行くことに忙しく、またそのことを楽しんでいるようであった。気になったのは、あるコーナーに委員がひとりもおらず、子どもたちが右往左往したことだ。そこには本部役員が最初はいたそうだが、誰かを呼びに行ってそのままになったようだ。詳しくは聞いていないが、当日は児童の母親も一緒にゲームに参加し、そういう人が委員役を手伝ったのだろう。改善すべき点はたくさんあると思ったが、来年もほとんど変わらないことが行なわれるだろう。またそのことでさして苦情も出ない。子どもがもうひとりもやって来なくなってから、筆者は担当したコーナーから30メートルほど北にーゼルにキャンバスを据えて油絵を描いている男性に近づいて声をかけた。6月4日に大阪市立美術館で見た『春陽展』に出品したTさんだ。出品した作品にまた手を入れているように見えたが、別の作品かもしれない。愛宕山ばかりを何年も描いているので、たぶんそうだろう。その絵を見ながら、筆者は率直な感想を言った。「近景としてこの低い水平線が描かれていますが、これではこのすぐ脇にある土手の道路には見えないので、いっそのこと、この水平線の右端などに自転車に乗る人や歩行者を数名点在させてはどうですか。その方が愛宕山の大きさもわかりますし、鑑賞者は絵を現実的なものと感じますよ」「それも面白いかもしれないですね」。だが、動かない山を描くのとは違って、近景としての人物を描くことは難しい。Tさんは筆者の助言にきっと耳を貸さないと思うが、筆者は目の前の絵のどこにどのように筆を入れればよいかを想像し、そしてすぐにその絵を頭の中で完成させた。それを6月4日に『春陽展』の会場で勝手に撮影したTさんの作品の写真に、画像加工の技術で作り上げることも出来るが、それをすればTさんに嫌われる。今日の3枚の写真は昨日撮った。
●嵐山駅前の変化、その428(脇道沿いの空地)_d0053294_17301461.jpg

by uuuzen | 2016-12-04 23:59 | ●駅前の変化
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