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●嵐山駅前の変化、その437(マンション)
り乱すことは見苦しいが、誰でも一度や二度はそんなことがあって、取り乱した人を見て哀れに思う。今日は24日に書けなかったことを書く。それは少年補導の夜回りでの出来事だ。



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23日は本年度最後の夜回りがあった。正式には「夜間パトロール」といい、その文字を墨で書いた提灯を提げた人が先頭を歩く。また懐中電灯を持って行くのがいいが、筆者のは電池を切らしていることもあって持って行ったためしがない。電池を入れてもすぐになくなるという思いがあるからだが、懐中電灯はいざという時に使うもので、電池は絶えず確認して切らさないようにしなければならない。それはよくわかっているつもりが、筆者は腕時計や懐中時計など、時計をいくつか持っているのに、電池が切れるとそのまま数年放置することが多い。これも「取り乱し」であって格好悪いことだ。さて、夜間パトロールは来年の1,2,3月はないので、今月23日が最終であったが、もうないとなると何となくさびしい。だが、これは少年補導委員でなければ参加出来ないから、来年も筆者が夜間パトロールに加わりたいのであれば、少年補導委員をもう1年担当しなければならない。また本来は2年任期だが、わが自治会では毎年交代している。これは自治連合会では例外的な措置で、ほかの自治会では2年がもっぱらだ。2年担当すると本部役員ともかなり顔馴染みになれる。だが、筆者は息子が子どもの頃に一度経験していて、当時委員であった人が今は本部役員になっている場合が多く、半分ほどは筆者の顔馴染みだ。それもあってもう1年担当してもいいと思っているが、その最も大きな理由は、夏の夜間パトロールが蛍が見えたり、秋虫の無数の音色が聞こえたりで、楽しかったからだ。ひとりで来年もそれを楽しみに歩くことは出来るが、大勢で歩くのとは違って物騒だ。
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 さて、23日の夜8時半に小学校前に集合し、夜間パトロールはいつものように参加者が二手に分かれて歩いたが、筆者は小学校より北部に住んでいるので、いつも二手に分かれるグループのうち、北部を歩くそれに加わる。南部を歩くのと距離はほとんど同じだが、やはり自宅に近いところがいい。今日の写真に写るマンションの前を通り、コンビ二に立ち寄り、そして桂川右岸の土手から嵐山公園に入り、小学校へと戻るルートで40分ほど要する。9時過ぎのこと、先頭集団に混じって公園の暗闇を歩いていると、目の前に若者が地面に座り込んで泣いている。そばに自転車が停めてあり、またそのそばにふたりのひとりの中年男性が立っていて、筆者らに話しかけて来た。その男性は散歩中で、地面にしゃがむ若い男性を見かけたのだ。そして、筆者らが少年補導委員であることを知り、後を託すと言われた。電灯のない暗がりなので、筆者は明るいところに行こうと言い、若者の自転車を押し始めた。そして少年補導委員の長やその他数人が若者を立ち上がらせ、どこから来たのか、なぜこんな場所で泣いているのかと、何度も質問を繰り返した。ところがしくしく泣くばかりで、取りつく島がない。泣いていた場所からゆっくり歩いて200メートルほど進み、土手の道路近くに来た。若者はようやく少しは気を取り直したようで、嵯峨から自転車で来たという。だが、酒の臭いが強く、委員のある者は笑いながら、「このまま橋から飛び降りて自殺するんとちゃうか」などと言う。そして、「若い頃はそれはいろいろあって、女の子に振られることもあるで」とか、若者が泣いている理由を勝手に作っている。そういう言葉に慰められたのだろう。だが、足首を多少怪我しているのか、歩みは非常に遅く、筆者が目指そうとしていた松尾大社前の交番までまだ1時間はかかりそうな気配だ。それでは少年補導委員たちは困る。そこで長が交番に電話した。すると交番の警官は事情が飲み込めないらしく、また態度がかなり高圧的なようで、怒ったことのない温和を絵に描いたような長は顔が険しく、語調がきつくなった。電話を切って5分ほどすると、土手の道を軽のパトカーがやって来るのが見えた。それとともに白バイもやって来た。婦人警官と合わせて計3人だ。若者を警官たちに委ねて筆者らは小学校前に戻ったが、もう10時近くになっていた。
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 警官がやって来てしばらく筆者らはその場にいた。警官がしたことはまず免許証を提示させたことだ。そのことで年齢や住所がわかり、すぐに自宅に電話が入れられた。母親が出たようで、警官はすぐに迎えに来いと命じた。母親はまさか息子が警察の世話になるとは思っていなかったであろう。どんな理由で泣いていたのか知らないが、少年補導委員の想像のように、クリスマス前に彼女に振られ、そして自棄酒を飲んで自転車で渡月橋を越え、嵐山公園の中に来たのだろう。そこなら思い切り泣くことが出来る。なかなか体格のよい、また男前で、気の優しそうな若者であったが、精神がまだまだか弱いのだ。それに、好きな彼女に振られるのは、いい年をした男性でも取り乱す場合がある。少年補導の本年度最後の夜間パトロールで若者をひとり助け、慰めたことになるが、こんなことはめったにない。川」沿いの公園なので、じっとしているとかなり寒い。酒もすぐに冷めるほどで、筆者らが発見しなければそのうちわれに返って家に戻ったと思うが、事件に巻き込まれる可能性もあった。彼女に振られたのかどうかは実際のところはわからないが、そのように言葉をかけても否定しなかったところ、図星なのだろう。若者が泣くのはだいたいそういう理由しかない。だが、彼女に振られることは彼女と交際したことがあることで、それはまだ恵まれているかもしれない。彼女が一生出来ずに独身で過ごす男も多い。筆者は中学2年生の時に好きだと言われた女性から1年後に交際を断たれた。お互い高校受験がある身で、勉強に励もうという理由であった。筆者にすれば自分のことを思ってくれてのことと思いはしたが、突然のことで泣いた。当時は心が大きな痛手を負ったと感じたが、それは局所がうずいただけのことで、時間が経てば癒えるものであった。そして3年生になってまた新たに彼女が出来たが、もっと美人で、また同じように優しかった。学校でも有名なふたりになった彼女だが、卒業すると自然と別れた。中学生のことであるので手もろくにつないだことはなかったが、今でもたまにそのふたりの女性のことを思い出す。ひとりは不幸な結婚をしたと噂に聞いたが、これは以前に書いたように、彼女の比較的大きな家はその後しばらくして取り壊されたようで、一家がどこに転居したのかはわからない。今日の写真は去年12月29日の撮影で、コンクリート・ミキサー車が2台現場に入っている。もうこれ以上は高くならないと思うが、コンクリートを打つ場所はいろいろとあるのだろう。筆者の中学生時代のふたりの彼女はその後一度や二度は嵐山に来たであろう。今出会ってもお互いわからない。それで筆者の記憶の中では当時撮った写真の笑顔だけがいつまでも色褪せない。それをスキャンしてここに載せたい気もするが、やめておこう。
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by uuuzen | 2016-12-30 23:59 | ●駅前の変化
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