●梅雨入り前の白花、その5
り言と同様のこのブログ、字の間違いはごくたまに家内が指摘してくれる。だが、文章の中身が面白いとかそうでないとかの意見はほとんどない。



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こちらもそれを期待して書いているのではないので、肩透かしを食らう気分でもないが、面白いと言われるとやはり嬉しい。ところで、最近はホームページやブログというものが流行らなくなり、フェイスブックやツイッターが幅を利かしているとのことだが、みんなスマホでネットにつながっているからだろう。フェイスブックは数年前に甥から誘われたが、実名その他個人情報を連ねることに抵抗があり、筆者はやっていないし、今後もそのつもりはない。気に入らない点は、「盛る」という言葉があるように、いろんなことを詐称している人があり、またそれが他者にはなかなかわからないことだ。虚言が飛び交うのがそもそもネットの世界と言えるかもしれないが、虚言つながりをしてまで親しくなる人を求めたい思いは筆者にはない。孤独で充分というのはないが、そう簡単にネットで親しい人が出来るとは考えていない。またネットが入り口で、それから実際に会うということもあり得るし、そうして人とつながることが今ではごく普通になっているのかもしれないが、そこから離れている筆者はもう時代遅れの老人ということで、その現実を受け入れている。ツイッターに関しては、どういう仕組みなのか完全にはわからないが、筆者がこのブログを投稿した瞬間、その題名がツイッターに投稿される。それでごくたまにそれに対してリツートがあるが、その後で筆者がそれに対してどうすればいいのかわからず、リツートのメールが来てもすぐにそれを消している。そして、筆者は他人のツイートに全く関心がない。それどころか、何度も書くように、他人のブログもほとんど見ない。筆者は大洋に浮かぶ離れ小島の狭い土地にひとりで暮らしているようなものだ。そういう独居老人を自治会などでは見守ってくれる人があるが、筆者のブログではおそらく間違って訪れる人が大半で、やって来てもすぐに去って行く。それで、瓶に文を詰めて海に流すような感じで今日もブログに投稿するが、去年からコメントやトラックバックを拒否する設定にしたので、孤立の具合は深まった。だが、文盲同然のアホが侮辱を書き込むことが出来ず、気が楽でもある。意見を求めないのであればブログを書く必要はないとの意見があり、このブログも非公開にすれば、筆者が毎日投稿しても自分ひとりが読むことになる。それもいいと思うが、公開することで筆者の昔の知人が筆者が独居老人としてまだ生きていることを知る可能性はある。自分は他者のブログを読まないのに勝手な思いだが、筆者は勝手な人間だ。それに、思うことと書くことには微妙な差があり、書きながら思うと、普段は思いつかないことが湧き起こる。それがブログの効用と思いたいが、その湧き起こったことは、声を出しての話では単なるでしゃばりで、言わない方がよかったと後悔することもたくさん混じるだろう。だが、それも他者の意見がないのであれば、筆者はほとんど自覚しない。これは問題老人かもしれないが、ネット上の意見はみな同じようなもので、ゴミ処分場所とほとんど変わらない。
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 さて、今朝は21日に家内と岡崎に出かけた際に撮った路傍の白い花の写真を整理した。撮るほどに撮っていない花の数が減るから、たぶんまだ撮っていない花かと思って撮ったのに、そうではない花が多く含まれる。たとえば、白いツツジの蕾の花を先日載せた。ツツジはわが家でも開花しているが、別の場所で白いツツジの開花を撮っても、それは採用することは出来ない。その一方、筆者が名前を知らない花の場合はもっと厄介で、撮ったことを忘れているのでまた撮ってしまう。名前を知らないとはそういうことになりやすい。どんなものにでも名前があるのは、記憶する、注意するためだ。特に後者は大事で、危険なものに近寄らないためにもそれを名づけておく必要がある。人間でも同じで、名前を知るとうんと親しくなる。風風の湯のサウナ室がそのいい例で、お互い名乗ると距離がそれ以前に比べて縮まる。それで家内の場合はどうかと訊くと、同じくサウナで話す人が多いが、名字を言わずに下の名前だけ言う人があるらしい。あるいは名乗らないかだ。そのため、家内がよくサウナ室で話す女性の話題では、筆者が渾名をつける。たとえば宝塚から通っている女性は「ズカさん」だ。本当の名前がわからないのでそのように呼ぶしかないからだが、渾名であってもあった方が話は弾む。花の名前も最初は各地域で渾名のようにして名づけられたものがほとんどだろう。そして、よく名前が知られる花ほど、目立って美しいか食用になるか、あるいは毒かだ。それ以外のどうでもいいような雑草にも名前があるが、たいていの人はそれを知ろうともしない。筆者も同じで、そのため、先日撮ったことも忘れる。そうそう、ブログのコメントもそれに似て、たいていの名前は記憶に残らない。それに書き込む人は渾名を使うから、よけいに実態はわかりにくい。筆者もネット用の渾名を持っているし、たまにそれを使うが、実はその渾名は姿を隠すためのでっち上げではない。話を白い花に戻すと、昨日は数枚程度しかないと思っていたが、21日に撮った花で以前に撮った花は2種のみで、それ以外は初めてであることがわかった。そして23日に大阪で1枚、今日は雨であったが、近隣を歩いて2,3枚撮った。今日の4×4の写真のうち、3枚目の右上はわが家で開花し始めた白い牡丹だ。写真では薄紫色がかっているが、実際は真っ白で、雨が降るので花は閉じている。毎年10個ほどの大型の花を咲かせるが、今年は少し勢いが弱いように感じる。秋と開花前に鶏糞を与えるのを忘れたからかもしれない。
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 今日はこれらの白い花の画像を加工しながら、白い花のみで染色の絵巻か屏風を作ると面白いかと考えた。そして同じ思いはずいぶん前からあって、白百合、白牡丹、白芍薬の3種を振袖に染めたことも思い出した。ということは、友禅の仕事は今は休んでいる形だが、その仕事のためのネタを無意識に探しているのかもしれない。また、筆者が白い花に関心があるのは、若冲の『素絢帖』の影響かと言えば、そうではない。友禅がらみで今日の白い花の話をすると、4×4写真の3枚目の左下はヴィオラ・スミレで、先日は白いパンジーの花の写真を載せたので、本当は具合が悪いかもしれないが、筆者の思いの中ではパンジーとヴィオラは異なる花だ。そして花が小さな後者を筆者は好み、友禅のキモノを作り始めて数年経った頃にそれをしばしば題材にした。それで今日は2×2の写真を3枚にするために、裏庭の牡丹の花を撮ってすぐ、傘を差して風風の湯から桂川右岸の土手の道を歩いた。ヴィオラは風風の湯の玄関脇にもたくさん咲いていたが、黄色や紫交じりのものがほとんどで、白のもあったはいいが、中央部の黄色がやけに目立った。それで撮影しなかったが、土手の道路からわが家に向かう途中、民家の玄関脇でまた見かけた。そしてそれが中央部の黄色が少なく、筆者にすれば真っ白のヴィオラであった。阪急の線路沿いの道路に入ると、嵐山駅のプラットフォーム沿いに植えられる遅咲きの八重桜が満開であった。大阪の造幣局の桜を思い出したが、それはもう終わってしまった。八重桜も雨の日に見るとまた風情があっていい。そう言えば、白のヴィオラを撮影した家のすぐ近くに、真っ白な桜が咲いていた。散り初めといった感じだが、撮影すれば花が散っていない部分をトリミングすることが出来る。だが、白の桜は嵐山公園で咲いていたものを撮って昨夜載せたので、眺めるだけにした。その代わりに八重桜で、これは真っ白な品種はないだろう。あるおいは造幣局にはあったかもしれない。
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by uuuzen | 2017-04-26 23:33 | ●新・嵐山だより


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