●飛び出しボーヤ、その34
効性のあるものでも、慣れてしまえばそうでもなくなる。わが家の近くの家は、道路ぎりぎりに建っていて、道路際との隙間によく雑草が生えるので、定期的にそこに真っ白は除草剤を住民が撒く。



d0053294_01310946.jpgその量は数年前には少しだったが、最近は数倍に増えている気がする。つまり、撒いても撒いても生えて来るので、どっさり撒けば糖分は大丈夫と思っているようだ。だが、その予想とは反対に、撒けば撒くほどに雑草は抵抗力をつけ、しばらくすると前にも増して勢いよく繁茂していることに気づく。同じようなことは人間にも言える。ある薬を常用していると、効き目が減少し、より協力な薬を服用することを医者は薦める。そうなると、また新たな菌やウィルスが登場し、また強い薬が求められる。そのいたちごっこは永遠に続きそうだ。慣れは恐ろしいということだ。筆者の例で言えば、たとえばウィスキーだ。その強い酒に慣れない人はよくぞこんな辛いものを飲めるなと驚くが、その味を覚えると、ますます濃い状態で飲みたくなる。そして量も増える。そうなれば一晩で一瓶ということにもなるが、その量の増加に伴なって確実に肝臓を悪くする。舌は歓迎しても内臓は拒否しているのだが、愚かな人間は舌を優先する。そして本当に内臓が弱ってから舌も拒否するようになる。慣れは怖いということだ。何でも過激になってしまう。そしてその過激さを通の証だと自惚れたり、他者が誉める。車を運転する人もそうだろう。スピード狂という言葉は今は死語かもしれないが、信号がなく、速度制限の標識もないとなれば、運転好きはいつでも100キロ程度は出して走りたいだろう。それが許される道ばかりではいいが、大半は横断歩道があるし、またそれがない辻でも人や自転車がひょいと前方に現われる。それでストレスを抱える運転手はなおさら障害物のない高速道路を猛スピードでたまには突っ走ってみたいと思うだろう。人間がストレスを抱えてたまにダッシュするのはいいが、車ではそれが殺人の道具になる。車が人を跳ねれば運転手も跳ねられた人も不幸になるので、それを未然に防ぐために「飛び出しボーヤ」の看板が案出された。これがどの街でも同じデザインのものであれば、運転手にとっては交通標識と同じになって効き目があるかと言えば、案外そうでもないだろう。交通標識のように法律で定められたものではないものであるだけに、デザインをひとつに決めることは出来ないが、違った形があることで多少でも運転手の慣れを防止することが出来ると考えられる。だが、筆者は車を運転しないのでわからないが、運転の最中にしばしば形が異なる「飛び出しボーヤ」を各地で見ると、それに目が吸い寄せられ、却って運転が危なくなることはないのだろうか。そう考えると、「飛び出しボーヤ」の効果があるのかどうか、疑いたくなる。
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 今日も蔵ざらえになるが、今年2月初めと3月中旬に撮った写真を4枚使う。最初の2枚は3月中旬に上桂の御霊神社の近くで撮ったが、1枚目の看板は新しいもので、以前は2枚目と同じデザインのものがあった。それが壊れるかしたので、新たに違うデザインのものが据えられた。2枚目とは違って電柱の陰にあるのが控えめで、目に留まると却ってどきりとするだろう。イラストがプロの手になるもののようで、この看板は市販品かと思うが、それにしては他の場所で同じものを見かけない。それに地元のPTAの名前が書かれていて、市販品であっても半ば誂え的なところがある。板の周囲の切り取り方が少し素人っぽいので、長方形で売られている看板をPTAが加工したのかもしれない。2枚目は以前載せたかもしれないが、新しいものに見えたので同じ日に撮った。このデザインはこの校区では減少しているように見えるが、消耗品であるのでそれは当然であろう。また、同じデザインのものを作るのではなしに、数年経てばPTAのメンバーが変わり、以前とは違うデザインのものをという一種の対抗意識が出て来るはずで、それで最初の写真のものが登場して来た。それは2枚目は全部手作りであるのに対し、手抜き感が漂うが、イラストが新しいので新鮮さはある。それは地元の運転手にもわかるだろう。その意味で慣れによる見過ごしを防止する効果がある。PTAがそう思って新しいデザインのものにしているのかどうかは知らないが、時代が変われば違うものになるという現実からして、2枚目の写真のものが少なくなって行くのは仕方がないだろう。だが、同じ校区のすぐ近くであるのに、デザインの異なる「飛び出しボーヤ」が立っていることに、デザイン不統一の醜さも多少は漂う。ただし、まだ破損していないものまで新品に交換するのは資源の無駄だ。そのため、町並みと同じように、古いものと新しいものが同居し続ける。ある校区で「飛び出しボーヤ」が毎年新たに作られるかと言えば、筆者の見たところ、梅津や嵐山、上桂では数年に一度の割合だ。おそらく看板を作るのに人件費はかからないとしても、板やペンキ代、また鋸などが必要で、それらの費用の捻出のために毎年は無理だろう。それにその必要もない。毎年破損するほど交通量の多いところでは、もっと別の何かが必要だ。だが、梅津の梅宮大社の参道と四条通りの交わった角にあった「飛び出しボーヤ」は何度建て変えられても破損し、ついに設置されなくなった。そしてその代わりにもっと効果のある何かが用意されたかと言えば、何もない。おそらく何もなくて信号と横断歩道だけの方が安全と認識されたからだ。そう思いつつ、筆者はムーギョへの往復でいつもそこに新たなデザインの「飛び出しボーヤ」が出現しないかと思い続けている。
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 3枚目は1,2枚目と同じ日に撮った。飛び出すボーヤのデザインを有名な市販品を引用していて、元のデザイナーから訴えられないのだろうか。その元の「飛び出しボーヤ」は商品であり、そのイラストをそのまま使うことは、権利を侵害している。「飛び出しボーヤ」は善意のものであるから、そう細かいことは言わないようにとの、作り手側の勝手な思いがあり、また元のデザイナーも抗議しにくい雰囲気がある。ならば、その元のデザインの市販品を購入して設置すればよけいな心配をしなくて済むと思うが、この長方形の看板に小さく見える「久世交通対策協議会」が、自分たちの存在を主張したかったのだろう。市販品ではそういう文字を入れる空白がない。無理やりイラストの上に文字を書いている場合もあるが、久世交通対策協議会は「久世メモリアルホール」から宣伝費を受け取り、それで看板を作ったと見える。また、この「メモリアルホール」の文字はかなり強烈な印象をもたらす。飛び出す子どもを車で跳ねると、次に待っているのは葬式の会場ということで、久世交通対策協議会はよくぞそういう施設から広告を取った。これと同じ看板はこの地域にもっとあっていいと思うが、筆者が自転車でもう少し南の地域まで何度か往復したところ、これ以外に見かけない。印刷されたものなので、ひょっとすれば最初の写真のものと同じように市販品で、そこに広告を入れ、設置団体名を入れられるようにしているのかもしれない。そうであれば、このイラストを考案したデザイナーの権利を侵害していないことになる。4枚目は2月初め頃に東山の白川近くの古い商店街に通じる横道で見かけた。全部手作りで、なかなかうまく出来ている。車の往来が少ない道で、また速度も出さないが、それだけにこの道は子どもたちの遊び場になっているのだろう。念は念を入れて子どもを自動車事故から守ろうということだ。かなり古くなって町に溶け込んでいるので、運転手はすっかり慣れっこになっていると思うが、壊れておらず、また邪魔にもならないのでそのままにしているような雰囲気だ。このまま保存されると、いずれ重文になったりして。
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by uuuzen | 2016-07-05 23:59 | ●新・嵐山だより


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