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●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』
節のいい春と秋にだいた公募展は開催されるが、それに出品して落選というのはさびしいものだ。筆者もこれまで応募して落選したことはよくある。特に、とある日展系の工芸の会ではだいたい半分の年が落選したと思う。



●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』_d0053294_23074127.jpgそのうち興味を失って出品しなくなったが、今でも出品を続けている作家はもちろん多く、彼らの中からまあ1000人にひとりくらいはそれなりに後世に記憶されることになるだろう。1000人にひとりは甘いかもしれないが、ともかく最も優秀と認められる者が残る。ただし、そうした会に一切出品せずに有名になる人もあって、芸術の道で大家になるには決まった方法がないと言ってよい。それでも日本では団体展の威力は大きい。一丸となってということが大好きな国民で、独立独歩の形を好まない。義務教育の場において、みんなとは少し異色だというのでいじめるというのは、そのことをきわめてよく示している。つまり、日本では西洋的な意味での芸術家は育ちにくい。党に参加し、そこで頭角を現わした者こそが立派で、派閥が大好きであるからだ。そのため、ひとりでどこかに隠れてこっそりと製作を続け、誰にも認められずに孤高のうちに世を去ったというような芸術家は、もともとたいしたことがなく、評価するに値しないと考える。ただし、そういう画家の市場価値が上がると話は別で、目の色を変えて、つまり作品を金に見立てて、作品を探そうとする。芸術家は政治家と違い、派閥を作る必要はないと筆者は考えるが、日本では芸術家ほど政治家に似た人種はいない。あるいは芸術で名を遂げようとする者は政治家的か、その立場を求められる。団体展で頭角を現わすには、本来の芸術的才能以上に、会のために尽くす態度が欠かせない。いろんな下働きを20年ほど続けると、大きな賞の順番が回って来る。それには運も作用するが、先輩作家との人脈の方が効力がある。それは会に出品し始めた若い作家でも充分知っているが、団体展に入選すると、何となく自分が大きくなった気がし、また大勢の人に作品を見てもらえる唯一の機会なので、どうしてもそれに頼る。そうして20年、30年、あるいは死ぬまで出品し続け、死ねば最後の作品に黒いリボンが添えられて遺作として団体展に展示される。そういう人生をある人は、人生をつまらない見栄を張って人生を棒に振ったと言うし、ある人は見事な芸術家としての生き方であったと言うが、当然本人は後者に決まっているから、年に1回か2回のその出品にこだわり続ける。それで本人が自惚れを抱き続けられるのであれば、他人がとやかく言うことではないだろう。だが、団体で作品が並ぶこととは、その団体の人数の数で割った人の目にしか留まらないと思っていい加減で、団体展が有名であるから自分の力もそれに匹敵すると勘違いするのは傍目にはとても滑稽だ。
●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』_d0053294_23083913.jpg 以上のことはこれまで何度か書いた。それで筆者はよほどのことがない限り、団体展には行かないが、たまにはつき合いで行かねばならない時もある。ただし、行っても感動する作品にはめったに出会わない。あるいは1点か2点はあるが、その1,2点は後々まで印象に残っても、それ以降その作家がさらに実力をつけて立派な作をものにすることはないようだ。おそらく団体展に合わないことを悟って出品をやめるのだろう。ではそういう作家が個展を開くかと言えば、そういうケースはごく稀だ。また開いたとしても筆者にはわからない。個展はごくわずかな身内同然の人にしか見てもらえない。これも有名な画廊で金をかければ別だが、制作の費用だけでも大変であるから、作家が大金を持っていることはまずない。そこで作家は何を考えるか。有名な公募展で早々と大賞を獲ればいいが、なかなかそういうことはなく、また獲ってもそれだけのことで、一種の商才がなければ後の活動の実りに続きにくい。それで作家活動をやめざるを得ない人が毎年大量にいるだろう。それはそれで仕方なく、動植物の自然淘汰と同じと考えるしかない。どんなことがあっても何らかの形で創作をしたいと考える人だけがそれを続けるが、制作費のために何かを犠牲することはたいていの作家がすることで、それがあるのでまた真剣に創作に向かうことにもなる。では制作費の心配がない人の作品はつまらないかと言うと、それもいちがいに言えないが、若い頃から作家活動を続け、ようやく多少は人並みの生活費もそれで稼げるようになった人から見れば、中年以降に暇が出来たので、趣味として創作を始めたという人の作品は侮りたくなるだろう。だが、経験が豊かであるのでいい作品を作るかと言えば、そう単純なことでもないのが芸術で、とにかくこれが正しいという判断基準はない。好きなように作って、その作品を好きと思う人があればそれで完結する世界で、作品がさまざまであることは人間もそうであるからだ。そのため、自分の作品が公募展で落選してもあまり気にすることはない。入選したところで、ほとんど誰も見ていないからでもあるし、またわずかでも見てくれる人があるからだ。
●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』_d0053294_23093904.jpg
 前置きが長くなった。今日はふたつの公募展を取り上げる。まず先月31日に京都文化博物館で見た『上野の森美術館大賞展』だ。これをお金を払って初めて見る気になったのは、四半世紀ほど前、筆者がよく知る画家Yが、これも筆者が知る画家Aが同展でいつもいいところまで評価されていると聞いたからだ。YもAも日本画家だが、Yは大学で教え、Aは当初は学校で教えたが、描くことに専念するために仕事に就かなくなった。それでも食べて行けるだけの経済的豊かさに恵まれているのだと思うが、絵の発表は1,2年に一度の個展で、もう公募展に出品しなくなって久しい。Yは有名な団体展の会員となって、年2回、100号以上の大作を描いているが、Aはせいぜい50号だ。画風も対照的なふたりだが、ふたりとも絵がまともには売れたことはない。学校で教える収入がなく、絵を売るだけで生活出来る画家は珍しいだろう。ふたりとも描き続けているが、部屋いっぱいの作品を抱えている。それらが売れなくても、死後に美術館が企画展を開催してくれるのであれば、画家としては本望だが、美術館に無料で寄贈しようとしてもまず受けつけてくれない。それでやがてはゴミと化すが、精魂込めて描いた絵がそのような末路をたどることはどの画家も考えたくない。一方では売れてほしいが、買い手はおらず、ならば安く売るかと言えば、それは自尊心が許さない。『上野の森美術館大賞展』は上野とあるので、東京でのみ開催かと思っていると、規模は縮小しているのかもしれないが、京都でも開催されることを今回知った。文化博物館の5階は天井が低く、また壁は汚れが目立って来ていて、市立美術館に比べると見栄えはよくない。出品作の画風はさまざまで、日本画、油彩、また具象、抽象、平面なら何でもありで、入選作100数十点は若手から中堅、高齢者までいるように思えた。ひとりで何点も出品できるのかどうか知らないが、2点が限度ではないか。だいたい5,6点に1点が入選し、また具象、半具象の細かく描き込んだ作品が目立った。こういう公募展では審査員が誰かによって大賞作が左右されかねないが、チケットの裏面に列挙れる審査員で筆者が知る名前は、京都市立芸大教授の浅野均、そして福田美蘭のみで、他の7名は知らない。またこれら8名はあいうえお順に名前が列挙され、浅野均が審査委員長ということではないようだ。そのため、浅野が属する創画会の雰囲気に似た作品が大賞を獲るとは限らない。受付で作品名を書いた目録をもらったが、筆者がいいなと思った作品は数点あって、チケットに印刷される大賞作の次の賞をもらった作品がとても印象深かった。それは黒い衣装を着た女性の体に金魚をたくさんまとわりつかせた日本画で、特に金魚の写生がしっかりとしていて、色彩感覚やまたデフォルメもよく、抜群の技術の持ち主だ。つまり、しかるべき作品が受賞していて、納得が行った。審査員たちの票はいつも割れるだろうが、意見を交換しながら大賞を選んでいるはずで、さすが大賞はその価値があると思った。34年目ということで、審査員は代変わりをしているはずで、時代に即した、つまり最も現代らしい、それでいて技術の素晴らしい作品が選ばれて行くはずで、歴代の大賞受賞者展がこの公募展の区切りのよい年に開催されることを期待したい。大賞は賞金が出るのかどうか知らないが、作家を発掘して育てることが目的であれば、経済的に潤う何らかの後押しをすべきだろう。
●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』_d0053294_23103950.jpg
 次は今月4日に天王寺の大阪市立美術館で見た『春陽展』で、これはチケットを出品画家からもらった。その人はわが家の近くにアトリエをかまえ、週に一度か二度、描きに訪れる。イーゼルを立てるのはいつも嵐山公園で、描く対象は愛宕山だが、そればかりを描いているようだ。これは人から聞いた話だが、その人は経済的には困っておらず、株で儲けたようだ。本人と話をするようになったは最近のことだが、筆者と同じ年齢か少し若いくらいで、馬は合う。また、ヌードの写生教室を蹴上の国際交流会館で主宰していて、西洋人をモデルに雇っているそうだが、会員が減少し、いつも自腹を切っているという。つまり、それだけ経済的には豊かだ。若い頃から画家を目指したのか、あるいはお金に余裕が出来たので趣味として描き始めたのかは知らないが、描くことに費やしている時間はなかなかのもので、本気度が伝わる。一度部屋で最新作を見てもらったが、それとほとんど同じか、あるいはその絵を『春陽展』に出品した。天王寺まで本当に見に行ってもらえるとは思っていなかったようだが、筆者は案外義理がたい。ただし、会場に入ったのは閉まる30分前で、大急ぎで見た。本人がいないものと思っていたのに、愛宕山を描いた作品の前に立っていると、ひょいと姿を現わした。その日は当番であったらしい。それで5時までその部屋にいたが、さすが会場で見ると、見栄えがよい。そしてその絵の写真をこっそりと撮ったが、後にブログに載せていいかと訊くと、あまりいい出来ではないのでやめてほしいと言われた。せっかく撮影したのに残念だが、仕方がない。画風はセガンティーニを思わせる。肌色と水色の対照が目立っている点はモネかもしれない。嵐山公園からは決してその絵のようには見えないが、印象を描いているのであるから、色や形は実物にさほど似ていなくてもよい。『春陽展』は洋画展で、昔はいい画家がたくさんいたとのことで、岸田劉生や梅原龍三郎が最も有名だが、その後としては筆者が知るのは岡鹿之助くらいだ。だが、入選作はやはり多彩で、抽象もたくさんあった。また100から150号クラスが多いが、愛宕山の油彩画は60号程度だろう。会場では最も小さい部類であった。また、版画も多く、『春陽展』の印象は見る前とはかなり違った。93回も続いているのであるからたいしたものだが、100回展は大きく宣伝されるだろう。自分の実力を客観視するには、審査員に見てもらい、また美術館に展示してもらうのが手っ取り早いが、自作のまずいところは本人が最もよく知っている。そして、大賞をもらった作品でも気に入らないところがあるものだ。筆者も30歳頃に毎年目指していたキモノの公募展で大賞と副賞の100万円をもらったことがあるが、家内はその時のことが最も嬉しい経験であったと今でも言う。大賞は若い人に与えるべきだ。今日の写真は大阪市立美術館の地下、『春陽展』の会場前と、展覧会を見た後、長屋門の前で撮った。この写真を撮った後に「てんしば」に入った。また、長屋門の前での以前の写真は去年3月中旬、「長屋門のそばで」にたくさん載せた。
●『第34回 上野の美術館大賞展』、『第93回 春陽展』_d0053294_23131598.jpg

by uuuzen | 2016-06-25 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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