●『IMAGINARY DISEASES』その3
別なことをプチ・ワズーのツアーで企てかかと言えば、それは9月のグラン・ワズーのツアーと比べればよいが、結果的にはグラン・ワズーの録音の方が本作の後になった。



どちらもザッパ没後のアルバム編集と発売であるので、どちらが先になってもいいようなものだが、ゲイルとジョー・トラヴァースは本作を先に出すことにした。それで現在では1972年秋のザッパによるジャズ・バンドのツアーの模様を、先日届いた『LITTLE DOTS』と併せて3枚のアルバムで聴き比べられるようになり、また20人編成のグラン・ワズーからメンバー半減のプチ・ワズーになったことで、レパートリーに変化があったことがわかる。それは何を意味するかと言えば、ザッパの飽くなき創作意欲の現われで、プチ・ワズー用に新曲を用意したことがそれに当たる。これは実験精神が旺盛であったと言い換えることが出来るが、その点でザッパは同時代のどのミュージシャンよりも芸術家的であって、ザッパが雇ったミュージシャンから敬愛される理由にもなっている。もっと言えば、何が目的で音楽をやっているかだ。それは創作と言い換えてよいが、金儲けや人気を得ることを第一義に考えず、いかにしてこれまでにない作品を作り、またそれが強固たる形を持つ、つまり普遍的であり得るかということを信念としていたかを伝える。そういう態度で創作に臨んでも、作品が正当な評価を受けるとは限らず、ザッパはそのこともよく知っていたが、人気商売を自覚しつつ、いかに大衆に迎合せず、むしろ教化するかという綱わたりのような行為を続けた。人気商売的な部分は次のアルバムを製作する資金を得るため、また生活基盤を保つために欠かせないかと言えば、これは限度の問題でもあって、人間は食べる必要があるから金は必要で、それをどこから捻出するかに関する問題となる。それでザッパにはどこかの財団から資金を得るといった道は閉ざされていたし、またそういう生き方も嫌で、自分で自分の食い扶持はどうにかするとの態度を若い頃から崩さなかった。人気商売的な部分というのは、誰にでも理解出来るわかりやすさが基本になるが、そういう部分をザッパの作品から差し引いた部分がザッパの真髄かと言えば、そうでもないところがあるのは当然で、でなければザッパの人気商売的な部分は人生の失敗であったことになる。また、人気商売的な部分は鮮度がすぐに落ちるから、ザッパがその部分のみに執着したのであれば、没後は早々と忘れさられたであろう。つまり、年月が経つにしたがってザッパらしい部分がより鮮明になり、そのことで本当の評価が定まる。その本当の評価は時代とともに形成されて行くもので、20年後は意外な受け取られ方をしているかもしれないが、そんなことをここで想像しても仕方のないことで、本作の何が最もザッパらしい部分かを吟味するのがよい。それは評価にも歴史があるとの思いによるが、ザッパの場合は特にその揺れの振幅が大きいだろう。『ロキシー・アンド・エルスウェア』は発売当時、日本の有名な音楽雑誌では平凡な評価しか与えられなかったが、現在はそれ以上に名作とされている。時代が経てば評価が変わる一例だが、半世紀後にまたどう変わっているかは誰にもわからない。
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 さて、本作はLPなら2枚組にちょうど収まるが、曲の並びがあまりよくないと書いた。1曲目「オッディエンツ」はザッパが観客を指揮して発声させている様子を伝え、これは序としてふさわしいので、1曲目は妥当であろう。2曲目「ロロ」は新曲、3曲目はザッパの音楽を知らない人にもすぐに楽しめるブルースで、4曲目でまたザッパらしいメロディの新曲、そして5曲目「D.C.ブギ」は3曲目のブルースと対になって、前述の言葉を使えば、人気商売的な部分に相当する。グラン・ワズーのツアーでもブギは演奏されたが、この曲はその名残かもしれないが、それは題名に「ブギ」があることからの想像で、実際のところはどのように違いがあったのかはわからない。この5曲目で筆者が思い起こすのは、60年代末期の空気で、言わばレトロ感覚だ。それもあってザッパ正式な曲名をつけなかったのではないか。60年代末期の感覚をもっと具体的に言えば、アルバム『WE‘RE ONLY IN IT FOR THE MONEY』のA面の冒頭曲から2曲目に移る時に響きわたるギターの音色だ。そのギター音はすぐに閉ざされるが、それはザッパがそういうヒッピー文化に根づくロック・サウンドを否定する思いが込められている。その否定したサウンドを本作の5曲目は引用しながら自分のソロを披露する場にしている。5分40秒からの転調は、アルバム『スリープ・ダート』に収録される、本作のベーシストのデイヴ・パーラートを招いてのスタジオ録音「ジ・オーシャン・イズ・ジ・アルティメイト・ソリューション」を思わせ、ギター・ソロ曲でどのように全体を多彩にするかの考えが見える。もうひとつ面白いのは、その転調部後、曲の半ばでソロを一旦終えながら、ザッパは観客に向かって語り、その後にテンポを変えて本当のブギを始めることだ。そのため、前半と後半をそれぞれ別の曲としてクレジットしてもよく、また本曲の創作部分は前半と言えるが、後半のザッパのソロもブラス・セクションを背後に自在に暴れ回るもので、またザッパのソロの基礎にこうしたブギがあることを伝える。フェイドアウトの終わりは充分演奏を堪能した気分にさせ、続く「イマジナリー・ディジージズ」が始まるのは、満腹の上にさらに無理やり食べものを詰め込まれる気にさせられるが、この6曲目がアルバムの題名になっているところは、ゲイルやジョーには最重要曲との思いがあった。創作的な部分は最初の短い、簡単なマーチ的な主題で、その後はザッパのソロに移り、それが大半を占める。主題は「グレッガリー」に使用されず、この曲のみに独立しているが、ザッパはその後この曲を演奏しなかった。海賊盤を全部知らないのでそうとは言えないかもしれないが、アルバムには収めなかった。そのため、ゲイルとジョーは埋もれさせるには惜しいと考えたのかもしれない。またスタジオ録音のヴァージョンが存在するかもしれず、今後発表される可能性はある。この曲の最後のザッパの語りから、ショーの終わりであることがわかるが、そうなれば最後の7曲目はアンコールということになる。実際にモントリオールでのステージでアンコール曲であったかどうかはわからないが、最後で前曲と同じようにおやすみと観客に言うので、ショーの最後か、アンコール曲であったことは確かだ。やはりザッパのギター・ソロ曲で、何かの曲から切り取られたかもしれない。カセット録音のために音がよくなく、少々退屈なソロが続くので、前半部のみの収録でもよかった気がするが、おやすみの言葉を入れる必要上、そうも行かなかったのだろう。明日からは『LITTLE DOTS』の感想を書く。
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by uuuzen | 2016-11-27 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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