●『IMAGINARY DISEASES』その2
人のメンバーを雇って指揮し、自らはギターを弾いて歌いもするという親分肌であったからザッパの名前が今に伝わっていると言ってよい。雇用されるのではなく、自分で独立しようとする者でなければアルバムを発表することは無理で、大きな人気を得ることも難しい。



そのためザッパのバンドに在籍したメンバーはみなザッパより小粒に見えてしまうが、これはいたし方がない。ザッパのバンドに在籍した経験があって、しかも世界的な人気者になったミュージシャンとして、ギタリストのスティーヴ・ヴァイがいるが、本作では彼が解説を担当し、ザッパのギターや作曲の腕前を絶賛している。これはゲイルの顔を立てた部分が多少は混じるだろうが、ザッパによって世に出た恩を思えば当然で、また実際にザッパの才能に敬意を表してのことだ。だが、ヴァイのファンはヴァイほどにはザッパの音楽世界について関心はないであろう。ファンの数やアルバムの売れ行きでは音楽家の才能の優劣をつけることは出来ないが、一方ではそれは全く間違いで、むしろファンの数やアルバムの売れ行きでしか音楽家の優劣をつけることが出来ないとも言える。それに、ザッパが60年代から有名であったことは認めるが、敬して遠ざけるという言葉があるように、たぶんザッパの才能は素晴らしいのだろうが、自分はほかの音楽を聴くという人はたくさんいるだろう。そういうことをザッパはよく自覚し、音楽でいくら政治的な意見を発してもごく一部の人にしか届かず、政治家になるしかないと考えて大統領選に出馬しようとしたと見れば、そのことにザッパがどう答えたかはわからない。スティーヴ・ヴァイやその他ザッパのバンドに在籍したメンバーでアルバムを発表したことのあるミュージシャンは、ザッパの音楽の才能を讃えはしても、政治的な発言とは距離を置いていると言ってよく、そこがまたザッパが親分で、ザッパに雇われたメンバーはみな小粒に見える原因にもなっているが、72年のザッパはフロ・アンド・エディというふたりのヴォーカリストを雇わず、歌詞つきの曲も書いたが、本作からわかるように器楽曲本位となって、より純粋に音楽を楽しんでいるように見える。本作のリーフレットにはザッパが「Vocals」を担当していることになっているが、これは厳密に言えば間違いで、72年のプチ・ワズー・ツアーではヴォーカルも担当したと拡大解釈すべきだ。そしてザッパの歌は『LITTLE DOTS』で披露されるが、政治風刺ではなく、詐欺師風刺の歌詞だ。またザッパにとって政治家は詐欺師同然であったが、それはザッパがせめて自分の音楽に対しては真実でいようとの思いの表われと言ってよい。また、そういう態度であれば、時に自分の行為を詐欺師的とみなし、常に自己を客観視しようとするものだが、確かにザッパにはそういうところがあった。そして、ジャズ・バンドは決して儲からないことを熟知していたのに、大小のワズー・オーケストラを編成してツアーに出、またアルバムも出すという、常識外れを実行した。芸術にはそうした一種の贅沢な狂気、侠気、凶器が必要と思っていたからだ。それも親分肌のなせるわざと言ってよい。
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 それで、72年のジャズ志向を2枚のスタジオ・アルバムとしてザッパは生前に発表したが、大小ワズーのツアー録音の音の状態に満足が行かなかったのか、『オン・ステージ』の全6集にも含めなかった。これは音があまりよくないとの考えからだと思うが、2枚のスタジオ・アルバムで収録した以外の新曲に関しては初期ヴァージョン過ぎて完成作にはほど遠い仕上がりと思ったためではないか。だが、そうしたヴァージョンが後にレコードとして発表したヴァージョンの伏線になっていて、それを後で知ることがザッパのたとえば本作を聴く楽しみになっていることは前回書いた。ここからようやく本題に入るとして、まずリーフレットによれば、本作の収録曲はザッパがミキシングをし、編集し、TWEAKしたとある。TWEAKは具体的にどういうことかと言えば、これは難しい。簡単に言えば、ザッパがライヴ録音したものを好む形に改造したことで、オーヴァーダブをしたかもしれない。それをしていないとはリーフレットに書かれていないので、その可能性は大きいだろう。それよりももっと重要なことは、ステージで演奏したままではなく、途中から収録している曲があることだ。それが「編集」に当たるが、「TWEAK」も指すかもしれない。途中からの収録が明白なのは、2「ROLLO」で、本作では3分20秒ほどだが、『LITTLE DOTS』では9分と長く、本作ヴァージョンが最後の方を切り取ったものであることがわかる。3分20秒ヴァージョンはザッパの編集によるが、これは前回書いたように、LPの片面に本作の1、2曲目を収録するには仕方のないことであった。断るまでもないが、1972年当時はLPレコードで、その片面は20分程度の収録が限度であった。饒舌なザッパはCDが向いていると言えるが、収録時間を大いに切り詰める必要のあったLPは最優先すべきことのみを収録する点で、アルバムは良質なものになった。本作が当時2枚組LPとして発売されていたならば、それはそれでザッパの新しい部分を示すものになったが、それは新曲の主題部分とザッパのギター・ソロ以外に、雇ったメンバーのソロが目立ち、ザッパが古臭いジャズ、つまり腐臭のするジャズという部分を包含して、それがアルバムの個性を弱めるものになったと思える。もちろんザッパのアルバムにはザッパ以外のメンバーの即興演奏を収録する曲はあるが、ザッパにとってその重要度は自分が書く主題やギター・ソロの後に位置するもので、よほど秀逸で個性的なソロでなければアルバムには含めなかった。それは自分のギター・ソロに対して課したことでもあって、同じ演奏を繰り返すと、それは即興ではないと考えていた。話は少し外れるが、最晩年のギル・エヴァンスのオーケストラでは、サックス奏者がどのソロでも同じ節回しをひとつのステージあるいは1曲の中に何度も繰り返し、それが耳についてせっかくの多人数の演奏が台無しに聴こえる。ザッパはそういうことを極力避けようとしたはずだが、同じキーとテンポであればソロの節回しに似た箇所が出るのはどのミュージシャンでもありがちで、それを完全に避けることは不可能でもある。それで、前述したように雇ったメンバーのソロ・パートは重要度で言えば低く、ステージはいいとしてもレコードとなると積極的には収めたくはなかったであろう。そしてそのことが本作をアルバム化しなかった理由のひとつとも思える。これもついで書いておくと、76年12月のニューヨークでのライヴは『ZAPPA IN NEW YORK』という2枚組のLPとなったが、最後の曲でザッパはメンバーのソロを消してスタジオで自分のギター・ソロを加えた。それもメンバーのソロよりかは自分のソロを重視する思いで、ザッパはメンバーのソロに関しては厳しかったと言ってよい。では、なぜ9人も雇ってツアーをしたのかだが、病床で書いた新曲の主題を実際に聴いてみたいことと、その過程で得られるライヴ録音やまた意外な経験を後に活用する思いだろう。ザッパはオーケストラという多人数が奏でる音楽が好みで、バンドは大所帯になりがちであった。そして、交響曲のようにメンバーのソロ、つまり勝手を許さない思いがどちらかと言えば強く、出来ればメンバーのソロの時間を減らしたかったであろう。メンバーに花を持たせるために、ソロが皆無ということはしなかったが、レコードに収めるのはよほどのことであった。そして、その観点から本作を眺めると、聴きどころはブルースやブギ曲ではなく、ザッパらしい書き下ろしの主題と、ザッパのソロということになる。今日で本作については終えるつもりであったが、もう1回書く。
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by uuuzen | 2016-11-25 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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