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●嵐山駅前の変化、その423(駅構内の改修)
レンジ色の夕日を背中に受けて帰るはずであったが、天気があまりよくなく、夕焼けはなかった。今日は茨木の万博公園内のみんぱくに家内と行って来た。その展覧会の感想はまた書くことがあるかもしれない。



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往路は阪急茨木市駅前からバスに乗ったが、帰りは家内と同駅まで歩いた。筆者は過去に二度か三度歩いているが、たいした距離ではない。家内は文句を言うかと思ったが、途中にスーパーがあり、そこで買物をすると言ったので、黙って歩いた。JRの茨木駅付近まで来るともうすっかり夜になっていたが、みんぱくでは閉館の5時直前までいた。常設展示館で多少ゆっくりしたのでそのような時間になった。出かける前に嵐山駅構内で今日の4枚の写真を撮った。曇り空で家内は傘を持参したが、それを使うことはなかった。曇天のためか、プラットフォームでは電灯がオレンジ色に光っている。時計は1時過ぎで、みんぱくに着いたのは2時過ぎ、たっぷりと見たことになる。紅葉の季節で、駅の後方北側の楓は赤くなっている。3枚目の写真からその様子がわかる。もっと紅葉を目立つ角度から撮ればいいようなものだが、このカテゴリー用の写真は紅葉の様子を伝えるものではなく、バリア・フリーの工事の進み具合がわかればよい。最初と最後のスロープの写真は、以前のスロープとどこが変化したのか、今となっては筆者にはよくわからないが、車椅子を利用するのに不便でないように、坂の角度が緩やかになったかもしれない。幅は拡張が出来ず、そのままだ。この坂を車椅子の人が利用するのかどうかだが、北端と南端のプラットフォームには鉄の柵を一部切り開き、その向こうにプラットフォームに沿ってスロープが造られつつあって、この改札口に直結している坂は使わないように思うが、そうすれば差別と言われるだろう。そのため、健常者と同じ坂を利用するもよし、車椅子専用の坂も北と南に2か所新たに設置しようということなのだろう。そうなると、健常者が差別されているような気になる。というのは、筆者は健在建築中の南側のスロープを利用したいからだ。そうすればわが家からは少しでも近道になる。またそうでなくても、新しく出来たものは、「通りぞめ」ではないが一度は利用してみたい。その点がどうなるかは、完成してみないことにはわからない。筆者が興味を抱いているのは、その2か所の坂の終点がどのような出口になるかだ。当然改札口を設ける必要があり、そのための場所をどう確保するのか、この駅を昔から利用しているだけに、どのように変化を遂げるのか楽しみにしている。
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 高齢化社会になって来て、車椅子の利用者は増加するから、こうした駅の改修工事はどこでも必要となって行く。阪急電鉄ではどの駅にもエレベーターを設置したと思うが、それも歩くのに不自由な人や高齢者にとってはありがたい。筆者が中学生の頃か、横断歩道橋があちこちにたくさん出来た。JR茨木市駅からエキスポ・ロードに入る交差点にも大きな歩道橋があり、必ずそれをわたる必要がある。普通は歩道橋の近くに信号があるが、そこでは歩行者は絶対にその歩道橋を利用しなければ向こうにわたれない。そのことを知った家内は文句を言ったが、確かにそうだ。その大きな歩道橋は万博が開催されるのに併せて設置されたのではないか。車の交通量が多いので、歩行者は安全な歩道橋を利用すればいいとの親切心かと言えば、実際はそうではなく、歩行者と車の衝突事故を防ぎたいため、車優先のためだ。今ならその歩道橋のてっぺんに到達するためのエレベーターがあってもよさそうだが、それはなく、足腰の弱い高齢者はその歩道橋を利用せず、うんと離れた信号を利用するだろう。無駄に歩かされるが、歩道橋を上り下りするよりはましだ。筆者は歩道橋は嫌いで、そのためにそれをわたったことはよく覚えている。京都にも同じような、人を信号でわたらせないために設置された歩道橋がある。そういうものを全部撤去して、人が車に優先するか、せめて同じように扱われる社会になるべきだが、道路は車のためのもので、人間が歩くものではないとの意識が日本では強い。そして、車を持たなくていいような人までそれを持つから、ますます道路をたくさん造ろうということになる。その一方で高齢化社会であるから、認知症の運転手による交通事故が増えている。筆者は歩道を歩いている時、駐車場に乗り入れする車に出会えば、その前や後ろを通るのに神経を使う。まず運転席を見て、高齢者かどうか即座に確認する。高齢者であれば、ブレーキとアクセルを踏み間違え、筆者目がけて車が突進するかもしれないからだ。それほどに歩行者にとっても車道際の歩道を歩くことはストレスがある。車道際の歩道と書いたが、歩道のみの道というのは山道以外にないもの同然で、散歩することは車に気をつけると同義で、高齢者はますます散歩したくなくなるだろう。また、車の出し入れの際に人を轢き殺すことは、高齢者に限らず、若い母親が小さな子どもを跳ねてしまうことも多い。つまり、車の前や後ろを通過することは歩行者にとってはストレスなのだが、運転手の方も歩行者を跳ねないかと心配するだろう。車にまつわるそうしたことを思うと、狭い日本に車が異常に氾濫し、それを醜悪とも思わない人間の愚かさ、野蛮さを思う。
●嵐山駅前の変化、その423(駅構内の改修)_d0053294_01242422.jpg
 阪急嵐山駅は終着駅なので、プラットフォームで待っている間に通過列車に跳ね飛ばされる心配はほとんどない。人身事故はこれまでなかったのではないだろうか。だが、バリア・フリーにすれば車椅子の利用者は増え、そうした人が駅に入って来る電車の前にプラットフォームから落下する確率が増える。プラットフォームに扉を設置してそうした事故がこらないような工事が東京や大阪では増えているが、阪急嵐山では今後どうなるだろう。プラットフォームは狭いので、そうした扉を設置する余裕がないかもしれないし、また乗降客の数にもよる。朝のラッシュがある駅では経済的に釣り合っても、桜と紅葉シーズンしか大勢の人が利用しない嵐山駅では、宝の持ちくされと思われるかもしれない。バリア・フリーの精神をどこまで推し進めるかの問題は経済性が大きく絡む。9月に久しぶりに京阪の深草駅に行ったが、以前とは違ってプラットフォームが建物で覆われていて驚いた。その建屋のために、プラットフォームに立った時、以前のように東や西の風景が見えなくなった。また、外から見ると異様な雰囲気で、大きな壁が出現したようで無粋だ。ただし、プラットフォームにいても以前のように風に吹かれずに済むという意見があるだろう。おそらくそうした考えによって建屋で覆ったのではないか。以前は市電の毛の生えたような雰囲気で、筆者はそれが気に入っていた。建屋が出来れば立派な駅に昇格したことになるのだろうが、そういう考えが一般化するところが精神的な貧しさではないかとも思う。とはいえ、時代に応じて何事もどんどん変化する。嵐山駅の次の変化は、駅ビルが建つことではないかと筆者は思っている。現在の鄙びた風情は松尾駅と共通するが、松尾駅も今改装中で、どのような形になるか想像がつかない。しゃれた現代風が求められる時代なのか、あるいは電鉄側が勝手にそんなことを思っているのか、嵐山には京都らしい雰囲気がよく、どこにでもある現代風はいただけない。だが、風風の湯が出来たこともあってか、そのすぐ南の道路は車の往来が最近目立って増えたように感じる。そのため、信号機が必要では内科と思うほどだ。40年ほど前は砂利道で、車もほとんど通らず、車道と歩道の区別もなかった道が、今はすっかり舗装され、また歩道と車道が分離され、信号まで必要なほどに車が切れ目なしに往来する。歩行者は邪魔で、車優先の時代だ。そう言えば車椅子も車の部類か。
●嵐山駅前の変化、その423(駅構内の改修)_d0053294_01250995.jpg

by uuuzen | 2016-11-19 23:59 | ●駅前の変化
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