●『CHICAGO ‘78』その2
足するための曲として、DISC2の半ばに収録される「YO MAMA」がある。これを3階のステレオで聴かねばと思いながら、パソコンはまだ1階の最も涼しいところに置いているので、3階に上がる気がしない。ついでに書いておくと、3階のステレオのプレイヤーの調子が少しおかしい。



たまに使うとなおさらそうで、毎日鳴らすに限るが、夏は3階では暑すぎて仕事が出来ないので、ステレオを鳴らすこともない。それでもっぱらパソコンで聴くが、たまに脇にある波動スピーカーで鳴らすこともある。それでもけっこう大きな音がして、家の外に出ると音が洩れているのがよくわかる。話を戻して、本作は1978年9月29日、イリノイ州シカゴのアップタウン・シアターでのライヴで、SHOW2とある。SHOW1のレパートリーとどう違うのかは記されていない。ファンジンを調べればSHOW1の内容がわかるかもしれないが、3階にそれは置いてあるのでこのまま書き進む。DISC1が53分、2が67分と、かなり差があるが、ジョー・トラヴァースがリーフレットに記す情報によれば、ステージ丸ごと収録のために3つの録音からまとめたとある。それぞれのテープは音質に差があるはずで、それを違和感のないように本作としてまとめるには、最先端の技術が使われているが、そういうことは普通のザッパ・ファンにはほとんど関心がない。だが、ジョーがわざわざそれを記すのは、ザッパならそうしたであろうとの思いによるだろう。ザッパは録音テープやその速度、トラック数などにこだわりが強かった。迫力のある音をレコードに詰めることは、レコードの商品価値を高めるとともに、聴き手への配慮のためであった。それはザッパに録音技師的な才能があったこと以上に、やはりファンを大事に思う考えによる。ジョーはそのことを思って、遺された音源のアルバム化に関しては最高の品質に仕上げることを常に念頭に置いているであろう。そのため、本作をパソコンのしょぼい音で聴くことはもったいないの一語に尽きるが、なかなかゆっくりと音楽を楽しむ余裕のない現在の筆者には仕方がない。さて、前回はジャケットの写真が海賊盤っぽいと書いたが、見開き内部のステージの様子は、全員が写っていることと、またドラマーのヴィニー・コライータが上手に陣取り、ザッパの方を向いているのが興味深い。前回のテリー・ボージオはステージ後方中央にいたが、それではまずいことをザッパは感じたのであろうか。70、71年のフロ・アンド・エディ在籍時代でもドラマーはステージ前面の右手にいたから、その頃に戻ったということも出来る。ヴィニーのドラムスをザッパは雇ったドラマーの中では最高の技術であると絶賛していたが、本作の見開きジャケットの写真からは、ザッパの息遣いをすべて瞬時に把握しようとかまえるヴィニーの姿が伝わって来るかのようだ。
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 また、このバンドではベースのアーサー・バーローがまとめ役としてザッパから任されていたが、彼もザッパに対峙するようにヴィニーの横に立っている。後方の壇上には右がアイク・ウィリス、左がデニー・ウォーレイで、どちらもギターとヴォーカル担当だ。デニーは目立たないメンバーであったが、スライド・ギターを弾くブルース歌手だ。またアイクはレイ・ホワイトの後釜で、ザッパは黒人の歌声を欠かせないものと考えていた。アイクは79年の『ジョーのガレージ』の色合いを決定するほどに重要なヴォーカリストとなるが、本作が『ハマースミス・オデオン』と最も異なる点は彼の声の登場と言ってよい。そのためか、なおさらデニーの存在がかすんでいる。キーボードのトミー・マースとピーター・ウルフは引き続いての参加で、またパーカッションのエド・マンもそうだが、この3人が本作と『ハマースミス・オデオン』の色合いを似たものに仕上げているとも言える。バンドの色合いは何と言ってもリード・ヴォーカルによって決まるが、その点は新人のアイクの参入があったので、ザッパとしては楽器の全体的な色合いは半年前のツアーと同じでもいいと考えたのだろう。それに、キーボードがふたりで、ドラムスのほかに打楽器奏者も加えるという大所帯は、ツアーをなるべく完売にしなければ、経営としては苦しいだろう。どんなことでも妥協の産物と言えるが、ザッパはメンバー編成に関してはけちらなかったと言うべきだ。これは画家で言えば、高価な質のいい絵具をふんだんに使うのと同じことで、一級の作品を目指すには、材料にけちってはならない。
 さて、アルバム『シーク・ヤブーティ』の最後に収録される「YO MAMA」が本作ではライヴとして収められ、聴き比べが初めて出来るようになったが、『シーク』ヴァージョンはこれ以上はないという最高の音質で、昔筆者は同曲を何百回と聴いたが、いつも一種違和感があったのは、序破急という3部構成がそのままライヴ演奏されたものではなく、異なるステージの演奏をつなぎ、またオーヴァーダブも施すというスタジオでの加工品であったことだ。それはいわば仮想現実の演奏で、その手の内、つまりソースをザッパ自身が明らかにしなかったこともあって、曲全体として完璧と言えるほどの迫力を持ちながら、どこか煙に巻かれたような気分が拭えない。その点、本作のヴァージョンは『シーク』ヴァージョンと同じく序破急の3部構成でありながら、すべて一回限りの演奏となっていて、音質は格段に『シーク』よりは劣るが、生々しさは上と言ってよい。そして、不思議に思うのは、『シーク』ヴァージョンの最後でにあるザッパによるメンバー紹介で、それは『ハマースミス・オデオン』のメンバーで、「YO MAMA」は本作の新メンバーではなく、半年前の旧メンバー時代にレパートリーとなっていたのかという疑問だ。また断っておくが、筆者は資料本など見ないでこれを書いている。そのため、忘れていることや記憶違いがあるかもしれない。話を続けると、『シーク』ヴァージョンの序破急のザッパのギター・ソロは旧メンバー、つまり本作の半年前のツアーから得られたものだが、そのオーヴァーダブを施さないオリジナル・ヴァージョンは公表されておらず、本作のヴァージョンとの聴き比べが出来ない。ライヴで得た素材をレコードという商品にするために、ザッパは化粧を施すことが多かった。それをザッパが好きな虚飾という言葉で表現してもいいが、ザッパの理想はライヴ演奏にオーヴァーダブを施さないことのみにあったとは言えない。過剰なオーヴァーダブが大好きで、その一方で演奏のミスがなく、一回限りの優れた演奏をそのままレコードにすることも望んだ。『シーク』の「YO MAMA」は整形手術を施した虚飾の作品と言えなくもないが、世間ではそのような美女があたりまえという時代にあり、またそのような美容整形を率先して発展させたのは戦後のアメリカで、100年もすればザッパは最もアメリカ的な音楽家であったと評されるかもしれない。
 『シーク』の「YO MAMA」の虚飾を全部除去した素の姿をジョー・トラヴァースはすでに聴いているはずだが、その元にライヴ・ヴァージョンがどのようにしてレコード・ヴァージョンになって行ったかを考えるに、それまでのザッパの常套手段として、あちこちフレーズを削っていることは確実だろう。また、別のステージでのソロを継ぎ足してもいるかもしれない。本作のヴァージョンは仮に演奏ミスがあってもそのまま収録したであろう。そのため、『シーク』ヴァージョンとの比較は無理というものだが、それでも比べると大きな違いがあることに気づく。それは『シーク』ヴァージョンにはあるキーボードによる長いフィードバックの音だ。本作にもそれに似た短いフレーズはあるが、ザッパは本作の演奏の後、『シーク』を編集する段になって、フィードバックの音によってその後のギター・ソロの味わいを変えることを思いついたのではないか。このことに関しては海賊テープでわかるかもしれないが、筆者がこれまで聴いた「YO MAMA」の他のライヴ録音は本作よりソロがもっと短い。そのテープを探すのが面倒なのでこのまま書くが、本作以前の演奏と思う。また、半年前のツアーで本作ヴァージョンと同じようにギター・ソロが3部構成になっていれば、ザッパはこの半年後のライヴでやりたかったことは何かという疑問が湧く。もっと言えば、本作の価値はあるかだ。『ジョーのガレージ』で発表される新曲がいくつか収められているが、それは主役級とは言い難い。そこで思い出すべきは『シーク』では「YO MAMA」のみがギター・ソロの意欲作ではないことだ。アルバム・タイトル曲の「シーク・ヤブーティ・タンゴ」がある。それは本作から半年前のドイツでのライヴ録音だが、元は「住み慣れた小さな家」のソロ、あるいは同曲が終わった後のソロと言ってもよい。そしてその曲に相当するソロは、DISC2の2曲目の中間部にあって、「アイム・ビューティフル・ガイ」が終わった直後に演奏されるが、ベース・ラインは同ヴォーカル曲のもので、「シーク・ヤブーティ・タンゴ」に最初の方は似つつも、その破天荒な味わいはない。そうなると、この78年秋のツアーは何が一番の収穫であったのか疑問になる。半年前のドイツでの演奏は有名な海賊盤になっていて、それが正式に発売されるかどうかは疑問だが、異国での演奏ということで、日本公演と同じようにザッパは平均以上の能力を発揮したようだ。書き忘れたが、本作の「YO MAMA」で筆者が最もよいと思う箇所はキーボードがブギ風の伴奏を始める頃だ。序破急で言えば、それは急が始まった頃になる。そのブギ風の伴奏は『シーク』ヴァージョンにはないものだ。また序に当たる部分のドラムスが入って来る前のギター・ソロも『シーク』ヴァージョンにはなく、ザッパは同ヴァージョンを半年前に得ながらも、何か新たな試みをしていた証拠になる。筆者はそれだけでも満足だ。
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by uuuzen | 2016-11-18 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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