●『CHICAGO ‘78』その1
を成す今後の新譜という予感がある今回の3アルバム一斉発売は、まず一昨日に、今日から感想を書く『シカゴ ‘78』の2枚組が届いた。アマゾンの配送の関係で残り2枚は後日と報せがあったが、明日届く予定だ。



3枚はみな毛並みが違うので楽しみだが、まずは本作だ。ステージ丸ごと収録シリーズで、前回の『カーネギー・ホール』からは5年も間隔があった。これは異例のことだろう。ゲイルの病気のせいであったと思うが、昨年ゲイルが亡くなり、ヴォールトマイスターのジョー・トラヴァースはゲイルの意思を継ぎつつ、横槍が入らないことになって仕事がしやすくなったのではないだろうか。そのために今回の3枚同時発売でもある気がするが、来年はもっとたくさんのアルバムが出るかもしれない。ユニヴァーサル・ミュージックに発売権が移り、これまでゲイルが自社で通販していたアルバムも順次再販され、アマゾンで買えることになる。送料が安く済み、ファンにとってはありがたい。何よりそうなのは、着くかどうか心配しないで済むことだ。数回に一度はトラブルに見舞われていたから、アマゾンで安く確実に買えることは嬉しい。だが、そういう時代になったにもかかわらず、ザッパは20世紀に死に、今の若者が新たにファンになっても、ザッパが生きていた時代とは熱烈度が違うだろう。ビートルズはそうではなく、宣伝の力もあって、若いファンを生み続けているが、ザッパがあまりそうならないのは、ビートルズのようにアルバム数が少なくないからでもあろう。ビートルズの10倍ほどの枚数のアルバムとなると、耳を疑う音楽ファンが多いのではないか。それが今の調子でアルバムが発売され続けると、ビートルズの20倍といったことにもなりそうだ。それだけ枚数が多ければ、聴く時間が大変、金もかかるで、敬遠されがちだ。それをあえてすべて聴くことに挑戦しようと考えるのは、ザッパに似た気質であるかもしれない。いつの時代でもそういう人は一定の割合はいるはずだが、今はCDがあまり売れない時代で、新譜が3枚同時発売されると聞いても、ファンが列を成してCD店に並ぶことはあり得ない。それはともかく、若い世代に聴き続けられるかどうかは筆者にはあまり関心がない。人を説得することは疲れるし、また説得されて聴き始める人が筆者と同じ考えで聴くとは限らない。むしろ、批判的になるだろう。そしてそれでいいのだと思う。そのため、こうして書くことは、筆者の独り言に過ぎず、賛同を得たいためではない。暇がなければ書けないものであり、また読むのにそれなりの時間を要するから、やはり暇な人が読むのであって、そんな人は稀であろう。
d0053294_01592186.jpg
 さて、どうでもいい前置きから本論に移るが、本作は丸ごとステージ集の中でも一種の出がらしのような味わいが濃い。まずジャケットが薄っぺらくて金がかかっていない。これまでのこのシリーズに倣ったデザインにはなっているが、CDを収める中袋がなく、またジャケットのザッパ写真はいいとして、デザインが海賊盤っぽい。これは何を基準にしての思いかと言えば、豪華な作りであった『ハマースミス・オデオン』と比べてのことだ。同作は本作の8か月前の演奏で、メンバーは変わったが、レパートリーは大幅には違わない。ハマースミス・オデオンでの演奏はザッパ一家が会場に参加し、またザッパ・ファンは最大限の賛辞をザッパに贈って展示会なども開かれた。そうした一種の頂点にあったザッパがその後、バンドの形を大きく変えてまたツアーに出るというのは難しかったのかもしれない。ハマースミス・オデオンで収録した音源を最後として、ザッパはアルバム『シーク・ヤーブーティ』を作るが、その発売は本作の半年後で、本作で披露されたわずかな新曲は『ジョーのガレージ』に収められるが、ハマースミス・オデオンのライヴが『シーク』に強く結びついている割りには、本作のメンバーでのライヴからはいわゆる名作と呼べるアルバムが出来なかった。また、ハマースミス・オデオンでの演奏が好評であれば、ザッパはその路線を進もうという気になったであろうから、本作はどうしても似た音になるし、実際そうだ。これは簡単に言えば。多彩なヴォーカルを中心としたロックで、そこにザッパの長いギター・ソロが点在する。管楽器を揃えたジャズっぽいサウンドに回帰していれば、ザッパの78年後半期以降はかなり味わいが違った、また豊穣な成果を得たように想像するが、実際はそうはならず、78年のサウンドは数年続く。そして、レパートリーはヒット曲ないしファンに歓迎された曲をひとつの柱とし、それに新曲を加えるが、メンバーがみなザッパの意思を忖度する小粒あるいはロボットという印象が強くなり、バンドとしてのあくが減退する。初期のザッパには濃厚にあったその味わいは、新たな若いザッパ・ファンを生んだが、逆に言えば初期からのファンは去った者も多かったのではないだろうか。
d0053294_01594992.jpg
 また、78年、79年はザッパはワーナー・ブラザースとの訴訟を抱え、マネージャーのハーブ・コーエンがいた時代に比べて創作に没頭する時間や気分がかなり割かれた。それが若者に歓迎されるロック・バンド色を強めた理由のひとつであろう。ザッパ自身が歌うのは相変わらずだが、歌詞は辛らつさを強め、容易に人を信じない態度をあからさまにする。その毒舌ぶりがザッパで、初期から少しも考えがぶれなかったと言うべきだが、音楽に癒しを求めるという普通の音楽ファンの心理からすれば、敬遠したくなるところがあったと思える。ザッパの強いカリスマ性に魅せられて長年聴き続けたが、ザッパが亡くなってしばらくすると、憑きがとれたようにザッパを聴かなくなったというファンもいる。そこには、ザッパが死んだ以上の年齢になり、世の中の見方が少し変わったという理由もあるが、一番大きなことは、癒しを求めるのであれば、ほかにもっといろんな音楽があるという思いだろう。ザッパの音楽に普通の意味での癒しが少ないかといえば、決してそうではないと思うが、筆者もザッパ以外に好きな音楽があり、それはまた誰しもそうだろう。そして、そのことをザッパは否定しなかったと思う。音楽が素晴らしいのであって、ザッパの音楽のみ素晴らしいということはあり得ないし、ザッパもそこまで自作のみが音楽だとは思わなかったはずだ。なんだかまた前置きのような話になっているが、結論めいたことを書けば、本作はザッパが生きていたならば絶対にアルバム化しなかったように思う。お茶の出がらしのようだと書いたのはその思いによる。では、出来が悪いかと言えば、光っている曲はある。それは当然だが、アルバム全体となると、よく聴き慣れた曲が多く、正直なところ、『またか』という気もする。だが、全米をツアーする際、過去の人気曲をたくさん取り入れないことには不評を買ったであろう。熱烈なザッパ・ファンのみが来場するのではなく、ベスト・アルバムに収まるような曲だけ知っているという人も大勢いる。そして、席が完売に近くなければ、次年度はツアーが出来ないかもしれない。そういう人気商売の怖さをよく知りながら、一方では絶えず新曲を披露し、先のアルバムを思い描く必要がある。そしてザッパは当時まだ30代で、創作意欲の衰えを知らない若さがあった。
[PR]
by uuuzen | 2016-11-16 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


●温泉の満印スタンプ・カード、その5 >> << ●嵐山駅前の変化、その422(...
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
ご指摘どうもありがとうご..
by uuuzen at 12:22
Frank zappa ..
by ザッパ at 08:30
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.