●温泉の満印スタンプ・カード、その7
務に携わることの中でも客相手というのは神経を擦り減らす。それで適材適所で、自分に見合った仕事に就くことになるが、何かを創造する、つまり簡単に言えば芸術家でも人と会わないわけには行かない。



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江戸時代に俳諧が流行した頃、妻子を捨てて隠遁して俳諧師を目指す人があったと聞くが、そういう人の名前は残っておらず、自分の才能を過信して世間から忘れ去られてしまった。同じような人は今も大勢いるはずで、創作の世界で名を残そうなどと大それたことを考えるのは滑稽だ。本人が滑稽と嘲笑されるだけならまだしも、家族や身内が苦労するのは悲惨で、創作に邁進するなどと偉そうなことを思わないのがよい。とはいっても、する人はするので、放っておくしかないが、創作の世界で名を残そうと思ってもそれは他人が評価することであって、本人の力は及ばない。あるいは、何かの団体展に所属し、そこで長年出品してようやくそこそこの賞をもらったとしても、それは仲間うちの褒め合いであって、芸術とはほとんど関係がない。つまり、そんな団体で有名になっても芸術家として名が残る保証は全くない。それどころか、99パーセント以上は無名として忘却される。それに、仮に死後に名が伝わっても本人にはわからず、それでなおさら生きている間に団体展で受賞して有名になりたいと考えるが、その図を思うと何とも憐れな人間性が見える。それでもこのがんじがらめになっている世間を生きて行くには、それなりの息抜きが必要で、そこに芸術が求められる理由があり、また芸術家を目指す人が後を絶たない。それで、筆者はそういう人と馬が合うのかどうかたまに自問するが、芸術に関心のない人より芸術を目指す人の方がいいかとなると、そうでもない。それは、創作をする人はたいてい我が強く、自分が何事も一番物事をよく知っていて、また自分の作品は誰の物よりも優れていると思いたがっているからで、その自尊心に辟易するからだ。それで思うのだが、創作する人はみな孤独で、またそうであるから創作出来るということだ。だが、そう思った途端、前述したように、妻子を捨てて山に籠って俳諧師を目指した江戸時代の悲しい馬鹿の姿が見える。売れない作家は売れている作家のことを謗ることがしばしばだが、売れる売れないが芸術の高さ低さにどう関係するかは難しい問題で、売れていないからひがむことはないし、売れているから自惚れるのも滑稽だ。だが、死ねば自分の評価がわからないから、生きている間にそれなりの芳しい評価をほしがるのは仕方のないことで、そのために賞というものがある。それが創作の励みになるのであれば、賞を設けることはいいことだとの考えによるのだが、本末転倒があって、賞を獲った作品はみな素晴らしい芸術であると思い込むことは慎んだ方がよい。さて、書きたいことがさしてあるのではなしに書き始めたところ、以上のような展開になって来たが、今日は風風の湯のスタンプ・カードが満印になった。受付として勤務する人たち全員と顔見知りになっているが、客相手の仕事なので、大変だろうなと思う。客の中には変なのがいるであろうし、またたまに倒れて救急車を呼ばねばならない客もいる。筆者でも出来る仕事とは思うが、やりたいかと言えば、ほかにしたいことがある。そして、たいていの人はそういう考えで仕事をしていると思うが、案外そうでもなく、食うために仕方がないと諦めている人も多いだろう。それは本当にそうなのだが、食うということの基準をどこに置くかで生き方は変わって来る。衣食住を人並みにと考える人は人並みの収入を求めて働くが、衣食住より重きを置きたい人は衣食住に費やす金を削ってでもそうする。そして、そういう人が芸術家になるかと言えばそうとは限らない。ギャンブルが何より好きという人もいるからだが、そういう人は簡単に言えば狂気に染まっていて、もっとわかりやすい言葉で言えば病人だ。となると、芸術家も狂人であり病人ということになるが、全くそのとおりだ。梅原猛は芸術家を天使とたとえたが、浮世離れしている点で天使も狂人と変わらない。何事もかんじらめに動いているこの世では、発狂して創作を目指す人がいても不思議でも何でもなく、必要とされる存在だ。そのようにでも思わない限り、衣食住を始末してやりたいこと、成し遂げたいことに大金と歳月を投ずることは出来ない。本当はやりたくもないことを我慢してやる人が狂人なのか、芸術家が狂気なのか、それは個人が決めることであって、みんな放っておいてもやることはやるし、なるようになって行く。ま、そんな話が出来る相手は芸術家である必要はなく、何となく馬が合うという人と話をしている時が筆者は一番楽しい。なかなかそういう人はいないが。ましてやたまたま温泉のサウナで出会った話すような人ではなおさらだが、そんな難しそうな人生論、人間論を言わずに、気楽に当たり障りのない話を交わすだけでも気分はほぐれる。それで若者もフェイスブックやその他のSNSに没頭するのだろう。筆者はそこまで暇でも孤独でもないが。前回にも書いたが、風風の湯では訪れるたびに、湯気で曇った最も大きなガラス面に大きな円をひとつ描く。その写真を撮って「○は○か」のシリーズ投稿に使いたいと思うが、スマホやカメラの持ち込みは禁止だ。30分ほどでまた湯気で消えてしまう円相だが、それが見えている間はたいてい筆者は温泉の中にいる。これを読む人の中に風風の湯に訪れる人があり、大ガラスに筆者が描いた円相を見ることがあれば、こうしたブログの威力もあるものだと認識するが、ま、そんなことは起こり得ないし、起こったとしても筆者にはわからない。個人の造る芸術もだいたいそういうもので、作者が知らない間に知られ、そして消えて行く。
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by uuuzen | 2017-02-14 23:59 | ●新・嵐山だより


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