顔は変わって行く。女は老化を恐れて皺や染みを隠したり、取り除こうとしたりするが、やがてその抵抗も無理と悟り、本当の老人になる。男は顔ではないと昔からよく言われる。
女より気楽だが、男でも見栄えを気にすることが多くなって来て、それにつれて強い女が増え、結婚しない若い男女が多くなって来た。男が弱くなれば女が強くなるのは自然なことだが、男に罵声を浴びせる女は嫌だ。見栄えがいいことは歓迎されるが、景色にもろえは言え、嵐山は京都でもその代表とされる。地元に住んでいると、さしてそうも感じないが、歴史的な名声の蓄積はそう簡単には崩せないし、崩れない。だが、その名声に胡坐をかいて努力を怠れば、いつの間にか裸の王様になって、「嵐山? それのどこがいいの?」という言葉に賛同する人が多くなって来るかもしれない。京都は世界一の観光都市に選ばれているそうだが、それもいつまで続くかわからず、やがて嵐山もそう混雑しない時代が来るかもしれない。そうなって困るのは天龍寺前の商店街くらいなもので、大半の地元住民は静かになって喜ぶだろう。とにかく、ここ1,2年の京都は外国人観光客でごった返していて、筆者がスーパーに買い物に行くのに、距離が同じであっても、嵯峨ではなく南東の梅津に行く。観光客にほとんど顔を合わさずに済むからだ。嵯峨に行くには松尾橋から梅津に入り、たとえばムーギョの北方の住宅地を抜ければいいが、田畑を住宅地にしたために、行き止まりが多く、道は迷路と化して、想像以上にたくさん歩く羽目になる。それで、最短距離を採るとなれば、渡月橋を越え、天龍寺前の東向きの道を真っ直ぐに行くことになるが、その道はJR嵯峨嵐山駅に連なり、いつ歩いても人だらけだ。そういう中に混じって歩くことはたまにはいいが、スーパーの買い物袋を提げて観光客に混じるのはあまりいい気分ではない。自転車を使えば早いが、混雑している観光客の中を進むには勇気がいる。ともかく、せっかく嵯峨には安い買い物が出来るスーパーがあることを知っているが、梅津に行く頻度の10分の1程度になっている。そのため、6号井堰の工事の進捗具合の撮影は、風風の湯の前の桜の林、すなわち延長された新しい自転車道路か、もしくは中の島の南端に立ってということになるが、まだそういう写真を1枚も撮っていない。工事の告知や予定表の回覧はあったが、本格的な掘削はまだで、そう急ぐことはない。
6号井堰は渡月橋から500メートルほど下流で、有名な嵐山の写真のどれにも写り込まない。その有名な嵐山の写真とは、渡月橋下流100メートルほどの左岸から渡月橋とその背後の嵐山を捉えたもので、今は使われなくなったテレフォン・カード、あるいは風風の湯のスタンプ・カードやカレンダー、絵はがきなど、あらゆる印刷物がこぞって同じ角度で撮影する。つまり、その眺めが嵐山の顔で、それさえ保全されるのであれば、その周辺はいちおうはどうでもよいというところがある。渡月橋の上で写真を撮る人も例外なく、上流に向かってカメラをかまえ、自分の背後に嵐山を収める。その反対つまり下流を撮影する人は皆無だが、それは下流側の眺めは美しくないと考えているからだ。実際そのとおりだろう。それで6号井堰はその下流側にあり、秋たけなわの時期であっても、どんどん河川内に重機が入る。当然観光客はそれに気づくが、記念撮影に必要な眺めの中にはそれは入らないから意識に上らない。だが、この6号井堰の撤去は渡月橋の下に土砂が以前よりも溜まりやすくなって来たための処置でもある。流れの急にすれば、土砂は下流へと運ばれるとの考えだ。土砂が流れて来るのは止められないが、嵐山の顔である部分を汚してはならないとの配慮だ。だが、それでは下流の梅津はどうなってもいいのかと、梅津の住民が抗議すべきだろう。嵯峨芸術大学前の川中には、堆積土砂による巨大な台地があるが、それはここ2,30年の間に高くなって来たもので、その速度がゆっくりなので、誰もそれを異常とは思わない。それでどんどん川の断面積が小さくなり、大雨の際に氾濫しやすくなる。だが、渡月橋の下に溜まるよりかは、まだ観光に直接関係のない殺風景な場所に溜まる方がましとの判断だ。ここに、美女とブスの差のようなものがある。つまり美女は得で、ブスはゴミ溜め同然に扱われる。さて、今日は家内と散歩がてらに嵯峨のスーパーに行った。6号井堰の写真を撮りたいためでもあった。もうひとつの目的は、家内がバイクの免許を警察に返上することを決めたので、そのための顔写真をプリントしに行くことだ。その写真は家の前で筆者が数枚撮った。どのくらい離れれば、Lサイズで焼いた時、免許用のサイズにトリミングしてちょうどいいかわからなかったが、予想は大きくはずれ、焼いた写真の顔はどれも小さ過ぎた。今日はカメラを持参したので、スーパーのどこか片隅ででも撮り直せばよかったが、それを思いつかなかった。もっとも、写真を切り抜いて小さいことに気づいたのは家に帰ってからだ。写真を焼いてくれる店が梅津に数年前まであったが、トモイチにあると思っていたのは勘違いで、写真を焼くために新丸太町通り沿いの大きなスーパーに行く必要があった。筆者のプリンターはオンボロで、写真を印刷することは出来ないが、昔と違って写真をプリントすることはほとんどなくなり、町の写真屋も次々と消えて行った。
それはともかく、写真を焼いて買い物をした後、往路とは違う道を歩いて桂川沿いに出た。そうして撮ったのが今日の1,2枚目だ。1枚目はズームしているが、重機は松尾橋下の進入路からやって来たもので、工事のための道を造っている。それは以前の工事で出来上がっているが、雑草の削除と、多少の改変が必要なのだろう。2枚目は撤去される6号井堰の全景だが、水深が浅いのがわかる。夏場はもっとで、向こうの桜の林から歩いてわたれる。息子がまだ1,2歳の頃、そうして遊んだものだ。それがもう出来ないことになる。この堰を取り除けば、同じ場所で水の流れがどれほど加速するかだが、それは国交省にも明確にはわからないだろう。流れが速いと、藻の繁茂もなくなり、水鳥の生態も変わるかもしれない。先日の「その418」の投稿に工事予告のチラシの裏表の画像を載せたが、表側には6号井堰の現状と、それが撤去された時の想像図の写真が横並びになっている。今はパソコンでそういう画像が簡単に加工出来るので、何だか味気ないが、堰がなくなることで水面がすっきりと見えることは確かだ。だが、想像どおりになるのだろか。工事が終わって数年すれば、予想外のところにまた土砂が堆積するということにはならないか。6号井堰がかつて造られた理由は知らないが、農業用の水の確保ということはあまり考えられなかったのではないか。今となっては資料が残っていないと思うが、井堰を造る大きな理由があったはずで、その事情が変わったということだ。だが、完全に変わったのか、一部が変わったのかで、対処の方法が違うだろう。井堰を完全に取り去ると、また新たな予想外の問題が長期的には生じるように思う。そういう自然とのいたちごっこが永遠に続く。今は渡月橋の下に土砂を溜めないため、つまり嵐山の美しい顔を保つためで、美女で言えばプチ整形みたいなものだ。その表現が悪ければ、化粧でもいい。だが、嵐山の顔も長い年月では変化があり、昔と同じように美しいかと言えば、そうではないはずだ。ただ、一生に一度か二度しか訪れない人にはわからない。あるいは地元住民でも同じで、変化の速度が人間の加齢以上にゆっくりでは、いつまでも嵐山の美しい顔はそのままであると認識される。実際は少し目を逸らせば渡月橋のすぐ下流で無粋な重機が動き回る様子が目に入り、嵐山の美しさは限りなく人工的なものであることがわかる。整形美人といったところだが、今は整形外科医が大手を振る有名人で、顔に手を加えてでも美しくなることが美徳とされる。人の意識も時代とともに変わる。何がいいかそうでないかも時代に応じて変化し、老人となっている筆者が愚痴ったところで何も変わらない。今日の3,4枚目は先日回覧があった工事概要の文書だ。この拡大図をまた次回の投稿にでも載せる。