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●嵐山駅前の変化、その418(脇道沿いの空地)
に入って覗くことも、またプラットフォーム上からも見ることが出来ない作業で、一体何をしているのか、地面に掘った穴に2,3人の男が立っている。フェンスのこちら側から確認するしかないが、地下に構造物を造るのは間違いない。



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地下室ではないが、それに似た躯体を必要とするのだろう。バリア・フリーのためのスロープならばそれほどおおげさなものでなくていい気がするが、一体どのようにこの阪急嵐山駅の南端のプラットフォームに接した空地が整備されるのだろう。その観察が忙しいのに、桂川では段差が1メートルほどあるか、堰を取っ払う工事が始まる。それも定点撮影するつもりではいるが、仕事が多忙で、桜の林に出かける気分の余裕がない。もちろん桜の林とは風風の湯の前にある林だ。風風の湯に行くのはいつも午後6時過ぎで、その頃はもう真っ暗なので、ついでに堰の撤去工事の写真を撮ることが出来ない。それでわざわざとなると何となく億劫で、嵯峨に買い物に行くついでに近日中にまずその堰の現状の写真を撮るつもりでいる。それはともかく、今日の4枚の写真は昨日撮った。ムンクの木があった場所をユンボが穴を掘っていて、ムンクの木があった頃とは様相が一変している。前は鬱蒼した感じで、それはそれで気に入っていたが、嵐山は筆者が住むようになってからその鬱蒼とした雰囲気が次々に消え、今はどこも明るい。つまり、人工的な物が自然を駆逐して増殖する一方だ。まだ少し早いが、数年前までは毎年晩秋になるとわが家の3階にテントウムシが大量に巣篭りするように飛来した。アルミサッシの窓の隙間に密集するのだ。たまにその窓を開けるとバラバラとテントウムシが落下した。そのことを知って3か月ほどは窓を開けないようにした。だが、裏庭の向こうの畑が消えて家が建つと、やって来るテントウムシは激減し、その翌年には数えるほど、そしてその次の年にはもう一匹も来なくなった。変わって増えたのは自治会に新たに所属した10軒ほどで、若い夫婦が多いので、子どもが増えた。子どもが遊び回る声を畑の眺めたテントウムシの飛来のどちらがいいかとなると判断に迷う。人間はどんな動物よりも人間が大事であるから、自然が消えても人間のためになるならそれでいいという考えがある。確かにそのように言われるとそうかもしれない。だが、筆者はこうも思う。よくTVで山や高いビルから眺めた街並みの映像が映る。それは田舎であっても灰色で、緑の山地よりはかなり醜い。地面には苔が生えるが、その苔は山林や田畑と同じで、都会は怪我をした後のかさぶたのようなものではないか。あるいは癌細胞の集まりと言ってもよい。地球にとって、表面が苔としての植物であっても、またかさぶたのような都会であってもどっちでもよく、それぞれの生き物は自分が生き残ろうと必死だ。それで人間はどのような動物よりも賢くて強いので、緑が減ってますます灰色のかさぶた状の街が増殖する。客観的にその様子を思うと、筆者は人間でありながら、何となく危機感を覚える。醜い街が増殖する一方でいいのかとの思いだ。だが、それが緑の中にほとんど見えないような点的な存在であればどうかと言えば、遠目には緑が支配的でも、接近すればやはりかさぶた状の醜い家屋が視界に入り、街とさして変わらないような気がする。つまり、人間は地球にとって異物ということだ。それは頭でっかちになったからで、頭が大きいことは、賢いことと好意的に捉える向きと、その頭の大きさを持てあまして自分でどう行動するのが一番いいのかまだ自覚していない人間の悲しさというものの両方がある。
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 バリア・フリーになって身障者には便利だが、日本がそんな国になったのはまだ数十年の歴史もない。身障者はいつの時代も一定の割合がいるはずで、では昔はそうした人はどのように生活していたのかと、今の若者は思うことがあるだろうか。筆者は小中の義務教育の9年間は、一度も遅刻、欠席をしなかった。栄養はとても足りていなかったが、比較的頑健であったのだろう。風邪のために学校を休むことはなかった。家から300メートルほど離れたところに小さな時計屋があって、そこに筆者と同じほどの年齢の男児がいた。だが、その子は小学校に通わなかった。中学でも見なかったが、私学に行ったかもしれない。義務教育の小学校に通わないことが不思議であったが、そんな子はその時計屋から100メートルほど離れたタバコ屋にもいた。筆者より少し年下の女子で、知恵遅れには見えなかったが、親は外に出したくなかったのだろう。だが、子どもであるので外が気になる。筆者はその時計屋のすぐ近くの文具店で画用紙を買うことがたびたびあり、その家の前を通りがかると、たまに磨りガラスが入った扉を50センチほど開けて、その男の子が道行く人に唾を吐きかけているのをよく見かけた。もちろん筆者にもかけて来る。その時のその子の陰険な表情は今でも忘れない。だが、名前を知らず、話したこともない子どもが唾を吐きかけるというのは、10歳にならない筆者でも頭がおかしいためということはわかった。それで腹も立たず、また憐れむこともしなかったが、その後その子がどのように成人したかと思う。筆者が中学生になった頃、その子から一度だけ声をかけられたことがある。同じように扉の隙間から道行く人を眺めていたが、表情は随分穏やかになり、また唾も吐きかけなくなっていた。そしてある日、筆者に声をかけたのだが、どのような言葉であったかは記憶にない。「ああ、少しは平常になったのだな」と思っただけで、お互い名前を知らない間柄であった。当時は特殊学級があって、普通の子どもと同じように勉強出来ない子どもはそこで特別の先生から授業を受けた。だが、親の中には自分の子をそこで学ばせることを拒否し、自宅に半ば監禁して育てる場合も当時はあって、また許されたのだろう。今なら、そういう子どものための義務教育はもっと手間と費用がかけられるようになったと思うが、日本がまだ貧しい時代は、そういう子どもは親の勝手にさせることが多かったのだろう。それは今に比べて野蛮かと言えば、筆者はさほどそうは思わない。筆者に唾を吐きかけた子がいつの間にかそれなりにまともに話せるようになって行ったのは、親の努力があってのことであろうし、義務教育に通ったからといって、心身ともに健全になるとは全く限らない。それどころか、昔には考えられなかった陰湿ないじめが増えて来た。衣食住や教育が満ち足りた結果、かえって何かが退化して来ている。
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 バリア・フリーと称して、阪急嵐山駅に車椅子に便利なようなスロープその他が出来るようだが、それが出来て車椅子の利用者は必ずそのスロープを使うだろうか。それは却って差別のような気もする。これは家内が勤務していた頃の話だが、車椅子の若い女性とよく同じ車内に居合せた。その女性は、降りる駅が近づくと、真っ先に扉の前に陣取る。すると、扉が開いてしばらく経たないと、他の客は乗り降りが出来ない。そのことを知った家内は捌の扉に立つことにした。その車椅子の女性のために電車を逃し、遅刻する恐れがあったからだ。阪急の乗り換えで1台遅れると、今度は京阪電車ではもっと遅れる。だが、その車椅子の女性は同じ扉を利用するとは限らない。車椅子のまま電車に入るから、なるべく扉の近くに陣取るが、車内が空いている時は、空いていそうな扉に移動する。それは自由なので、仕方のない話だが、家内は彼女はプラットフォームに下りてもどっちみち乗り換えるのに時間を要するから、真っ先に下りようとせず、通勤客が下りてからにしてくれればいいのにと言った。だが、もちろんそのようなことを実際に本人に言うと、差別だと訴えられるだろう。身障者であるから何でも許されるというのはおかしな話で、また身障者でもいろんな性質の人がいて、自分は身障者であるから、真っ先に下りるのは当然と思う人もあるだろう。それはともかく、車椅子の人が通勤時間帯の混雑した電車の中で扉の前に陣取って真っ先に下りるとすれば、車椅子用の特製のスロープや改札口が出来たとして、そこを利用するだろうか。自分はみんなと同じ料金を支払っていて、みんなが使っているのと同じプラットフォームや改札を使うと主張すれば、そのことを駅は拒否出来るか。阪急の京都線の3つの駅が同時に改築工事が進行し、身障者に優しいスロープや特別の出入り口が出来るのはけっこうなことだが、それは前述した家内の思いを大勢の人が共有し、意見を寄せた結果であることも考えられる。ならば、通勤客の混雑を避けるために、車椅子専用のスロープなどを設けることは、表向きは優しいが、裏は面倒な存在を区別して排除しようというのと変わらない。筆者が子どもの頃に唾を吐きかけた時計屋の息子の親は、知恵遅れの子を世間に晒すことを恥じたというより、他人に迷惑をかける可能性が大きいので、そのしつけを長年かかって家族でやろうとしたのだろう。筆者に話しかけた時のその子の目つきは全く陰険ではなく、ごく普通の表情になっていた。日本は裕福になって、他人に迷惑をかけるという意識は希薄化したのではないか。恥知らずな政治家や教育者が多くなったからだろう。いじめにしても、迷惑をかけた方を元気がよいと誉める教師もいるほどで、他者のことを慮る人はいとも簡単に迷惑を考えない者に吹き飛ばされる。街、都会が上空から見れば灰色であるのは、人間の本質が醜いからだ。
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by uuuzen | 2016-11-01 23:59 | ●駅前の変化
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