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●『日本の物語絵』
取り立てて関心があって出かけたのではない。1年か半年に一度程度は泉屋博古館やそのあたりを歩くのは悪くないと考えたからだ。それに紅葉で有名な永観堂に今年こと訪れようと漠然と思っていた。



●『日本の物語絵』_d0053294_16554611.jpgだが、今年は紅葉はたしいたことがなく、永観堂行きも諦めた。それに、親切なガイドと話をしながら中国の青銅器を見ていると、予定していた30分はとっくに過ぎ、慌てて館を出た。とても永観堂に回る時間はなかった。これでまた来年ということになるが、このようにして機会がないままに何年も経ってしまうことは人生においては無数に例がある。それで仏教では出会いを縁と呼び、それが何か特別のものと考えるのであろう。20代は縁という言葉は何だかべたべたしたものがまつわりついていやな感じがしたが、この年齢になるとそんな気持ちもかなり失せた。さて、こうしてワープロに向かって文章を書きながら思ったが、予め何を書くか決めているのではない。書きながら考え、それをすぐにキーで打ち、その一方で文章をどう進めようかとまた考えてこうして書いている。アドリブみたいなものだ。どのように文章が進んで行くか自分でもわからない。だが、こうしてこの展覧会について書こうとしていることについて、このブログを年に365回書くとして、そのうちの1回を当てる点を思えば、決して疎かな内容には出来ない。誰も読まないものであるとしてもだ。自分の性分として、いつも同様に思っていることを正直に書き綴るのでなければ、他の364回分に対して釣合いが取れず、それでは我慢ならない。だが、先に書いたように、この展覧会は自分で予め強い関心を持って出かけたものではないし、それに展示内容に何か特筆したいほど感動した作品があったわけでもない。それならば無視して何も書かずにおけばよいものを、昨日宣言したように、一旦書くと決めたからには書かなければならない。自分をそのようにあまり気分が進まない方向に持って行くには勇気のようなものがいる。しかし、縁ということを思ってみたのだ。自分の人生において、この展覧会を見たこともまた縁であるはずで、ならば何かそこに今はさして重要ではなくても、今後見えて来る何かがないとも限らない。どんな展覧会でも企画者がそれなりに心血を注いでなるべく多くの人に見てもらいたいと考えたもので、展覧会は企画者の作品と言うことが出来る。作品に接すればそれなりに敬意を払うべきだ。ある作品があって、それに対峙した人が「何もわかりませんでした。関心が持てませんでした」と言うのは簡単だが、それをはたから見ていると、大抵の場合、その意見を発している人が敗北者に見え、しかもそれを恥じていない点でさらに馬鹿にも見える。
 1週間前の新聞に小さくこの展覧会の紹介記事が載った。もっと早く紹介すればいいものを、記事が載ったのは、その日を含めて会期終了まで4日しかなかった。これでは予定を立てにくい人が多いだろう。いや、それを言えば、今日はもうこの展覧会が終わって2日経つから、仮にだが、このブログを公開していて、この展覧会の感想を読んで出かけたくなった人があったとしてももう間に合わない。なるべくブログでは展覧会がまだ開催中に感想を書き上げて公開したいと思っているが、たくさん展覧会に行くこともあってなかなかそういうわけに行かず、昨日も今日もますます遅れ、2週間前のことを思い出して書く始末だ。だが、このくらい日数を置いた方が、些細なことが消えてかえっていい場合もあるとも言える。ま、遅れて書くのも縁ということで納得するか。この展覧会に関しては、A4サイズのチラシが印刷されたが、図録は販売されていなかったと思う。小さな売店では今まで開催された展覧会の図録が何冊か売られているし、中国青銅器以外の有名な収蔵品をまとめた厚めの図録も販売されている。その中には有名な若冲の著色画掛軸も1点載っていて、前からほしいと思いつつ、まだ入手せずにいる。それはいいとして、その名品図録は住友コレクションの全体を網羅するものでは当然ない。先に書いた新聞記事には「住友家から約10年前に寄贈を受けた…」とあって、寄贈が断続的に今なお続いていることをうかがわせる。そんな理由もあって、図録に掲載されているのはごく一部ということになる。
 これも先日の新聞記事にあったが、今京都国立博物館では「和歌と美術」と題した特別陳列をやっていて、「古今和歌集」を描いた断簡や「三十六歌仙」を描いた歌仙絵の国宝や重要文化財を展示中だ。そうした有名な作品はどのような画集にもよく掲載されるもので、実物を一度を見ておくことも人生の縁としては悪くないことだ。だが、世の中には国宝や重文の周りに無数と言えるそれに類する作品があって、それぞれがそれなりに趣のある価値を持っている。国宝、重文ではないから見る必要がないと割り切ってしまう人もあろうが、人の下した価値感にすぐ感化されて、自分で価値を作ることの出来ない人には美術品を味わう資格はない。いいものとそうでないものを見分けるためには、まずいいものを徹底して見続けることが大切であることは言うまでもない。だが、いいものを国宝と重文だけに限定してしまうと、いいものを見分けるための物差しがかなり小さなものになってしまう。国宝や重文ではなくてもいい作品は無数にあり、それらも折りに触れて見ることを続けない限り、目は肥えない。その点で、今回のような展覧会は画集に紹介されず、また図録も用意されず、あまり広く知られないままに伝えられて来た作品が主となっていて、博物館の国宝とセットで見ておいて損はないものだ。同じような機会は、たとえばここ10年ほどで一気にその機会が増えた骨董市であるとも主張する人があるだろう。だが、あまりにも玉石混淆でしかも石の多いそうした場で玉を見出すのは簡単なことではない。それに対し住友コレクションは、戦前の財閥である住友家がそんな一般人を相手にした骨董市で買い求めたのではない、それなりの粒揃いのものが集まっているであろうことは誰の目にも明らかであるし、その点で安心して鑑賞出来る、一種の由緒正しいものであるという感覚が館内に満ちてもいる。これは入場無料の骨董市に足を運んだことのある人ならば自然とわかる感情だ。財閥の住友が金にあかして買い集めたものと言えば聞こえが悪いが、何度も書くように、美術品とは元来そういうもので、時には国をも越えて自在に移動して行く。
 さて、縁あって出会った作品について書いておこう。新館の展示室は鉄筋コンクリート造りの平屋建てだ。逸翁美術館の離れの展示室と同じで内部は壁に仕切られず、ワン・ルーム・スタイルだが、こっちは天井がかなり高く、またもっとゆったりして広い。ただし、自然光が入らず、照明もぐんと落とされてうす暗い。壁際周囲全部が造りつけのガラス陳列ケースで、部屋中央には大きい平台のガラス陳列ケースが4つばかり置いてある。京都国立博物館の常設展示室ひとつ分程度と言ってよい面積なので、たくさんの作品は展示されず、今回も17点に過ぎない。だが、大きな屏風や長い巻物が目立ったので、それでも充分な量と思える。京都国立博のようにあまりに作品が多いと、見るのにとても疲れてしまうが、今回のような小数展示でもそれなりに印象が深いので、展覧会は数が多ければよいというものではない。どこからどう見てもかまわないが、筆者はどんな会場でもいつも時計と反対回りに見るため、今回もそうした。すると、すぐ右手の壁にひとりの若い眼鏡をかけた女性と、新聞か雑誌の記者らしき若い男が長く陣取って話をしていた。正直な話、かなり迷惑であった。これもまた縁であったと諦めるしかないが、いくら鑑賞者がまばらな館ではあっても、そうした関係者の事務仕事は、一般人からは見えないところでするのが常識と言うものだ。女性はこの館の学芸員であろう。どうも新任らしいことが話の内容から伝わった。男の方は、ガラスの照りがあるのでどう撮影すればよいかなどと言っていたが、取材や撮影は鑑賞時間外でも交渉でどうにでもなるものであるし、そうすべきが筋だ。とにかく展示室の出入口から内部を見て右側の壁面はそのふたりが盛んに移動しながら長く話合っていたため、まともに鑑賞出来なかった。
 ふたりが盛んに話していた右側の壁面には、チラシにある「大原御幸図屏風」、それに初公開となった伝俵屋宗達筆の「伊勢物語図屏風(左隻)」などの6曲屏風がいくつかあった。「大原御幸図屏風」は桃山時代の作だ。同じ図の屏風は江戸時代に入っても例があり、原図は土佐光茂の創作とする説があるとのこと。人気のあった作品が何度も再生産されたことは当然なことだが、桃山時代の遺品で保存状態もいいとなればやはり価値はある。「大原御幸」は平家物語の最終段の物語で、壇ノ浦で生き残った建礼門院(平徳子)が隠棲する大原寂光院を、後白河法皇が突然訪れ、平氏一門の最期の話を聞くくだりだ。「伊勢物語図屏風」は、125段から成る短編物語集のうち、およそ9段分を取り上げて描いたもので、元は襖であったものだ。同じく6曲の右隻も展示されていたが、伝宗達の左隻とは霞の描き方などが違い、別の時期に描かれたことは歴然としていた。岩佐又兵衛派の6曲1双の「源氏物語図屏風」もあった。これは右隻は物語冒頭の源氏が元服して後、さまざまな女性に出会う十代を、左隻は主に30代を描いている。「大原御幸図屏風」とよく似た雲によって画面を区切り、俯瞰的に各場面が描かれる。展示室突き当たりは、伝土佐永春の南北朝時代の作品「是害房絵巻」で、これはなかなか面白かった。是害房(ぜがいぼう)は中国から来て比叡山の僧侶と力比べをするが、あえなく負けてしまい、賀茂の河原での湯治など、日本の天狗の介抱があって回復し、送別の歌会まで催してもらう。そんな様子が順に描かれている。「今昔物語」の巻20にある天狗譚を下敷きにしてあるとのことで、中世以前の「是害房絵巻」はほかに僧侶の手になる曼殊院所蔵の2巻があるが、こちらは貴族階級用の正統的なやまと絵絵師の手になるものだそうだ。天狗など、羽もそのままついた鷹の被りものをしているとしか見えない褌姿の男たちを、墨と茶系統の色で生き生きとした漫画タッチで描き、印象に強いものを残す。だが、有名な『鳥獣戯画』のような抜群の画才とは言えない。
 次に中央のケースだが、重文指定の佐竹本「三十六歌仙絵 源信明」、松花堂昭乗の「三十六歌仙画帖」(1616年)、「竹取物語絵巻」などがあった。「歌仙絵」は平安時代中期の歌人、藤原公任(きんとう)が選んだ「三十六歌仙」を描いたものだ。似絵が盛んに描かれるようになった鎌倉時代以降に作例が増えた。佐竹本は現存最古のものだ。13世紀前半の鎌倉時代、藤原信実作とされている。元は2巻の巻物で、秋田佐竹侯の所蔵であったが、ひとりずつ切り離されて掛軸になった。「三十六歌仙絵 源信明」には「こひしさはおなしこゝろにあらわすとも こよひの月をきみみさらめや」と、いつの時代でも変わらぬ恋心を歌っている。佐竹本「三十六歌仙絵」は前述したように現在京都国博にも展示されていて、和歌に関心のある人ならば、さほど離れていない別々の場所で同時に鑑賞出来てよい機会であった。「竹取物語絵巻」は江戸時代の無名の絵師の手になるもので、保存もとてもよかった。婚礼調度や贈答品として流通したもので、似たものはたくさんあるのだろう。向かって左壁には掛軸が主に展示されていた。「紫式部、黄蜀葵、菊図」は狩野常信(1636-1713)の3幅対の作品で、法眼に叙せられた宝永元年(1704)以降の作。中央に当然紫式部を描いたものをかけるが、右は黄蜀葵(トロロアオイ)、左はススキを配した菊を描いて秋の風情をかもしていた。次に、同じく江戸時代の「浮舟図」は、「宇治十帖」の一節を描いたものだ。哀切を帯びた味わいが迫り、色合いもそうだが、構図の巧みさに見入った。同じ構図が岩佐又兵衛(1578-1650)の「和漢故事人物図鑑」に見られるとのことで、あまりに有名なこの場面がいかに繰り返し描かれて、人々にある一定の共通した思いを伝達して来たかがわかる。夜更けに宇治を訪れた匂宮は浮舟を伴い、一面雪の中を小舟で漕ぎ出し、月明かりに浮かぶ橋の小島で不変の愛を誓うのだが、そうした逢瀬の場をいかにドラマティックかつ情緒豊かに描くか、昔から画家をひどく刺激させたことはよく想像出来る。そしてこういう絵を味わうには物語をよく知っておく必要があるが、一旦それがわかれば、後は誰しも自分の恋の思い出に照らし合わせて限りない夢想を貪ることは出来る。その意味においては、恋愛も全く即物的になってしまった現在でも、こうした王朝の華やかなりし頃の物語はそのまま生きていると言える。「二十四孝図鑑」は、伝住吉広行作で、孝行を題材にしたものだ。子どもが老いた姿を親に見せると親はさらに老け込むので、子どもであるような変装をしてまでも親孝行をするといった話が描かれていて、さすが何事も徹底して行なう中国では親孝行ぶりもここまで徹底していたのかと驚くが、これは理想を言っているのであり、それほどまでに恩のある者に対しては「孝」の態度が求められたということだ。それがそのまま江戸時代の社会システムに取り入れられ、身分制度の枠組もあって、人々は「孝」を無視しては生きて行けなかったと言ってよいし、それがまた「情」に結びついて、さまざまな人間ドラマもあった。今は「孝」が限りなく消え、また「情」もうすれた。物語絵の突きつけるものをこうした機会で顧みるのは、文学愛好家にも美術家にもいい機会と思える。
by uuuzen | 2005-12-14 23:53 | ●展覧会SOON評SO ON
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