片側しか見ていないが、向こう側はどのように工事が進んでいるのだろう。連日徹夜で工事をしている割りに少しも進んでいるように見えないが、基礎をしっかりとやっているのだろうか。
今日は1週間ぶりに投稿するが、前回の写真と少しも現場は変わったように見えない。変わった点と言えば、2枚目の写真の中央奥の裏向けの看板が元通りにプラットフォーム上から見えるようになった程度で、これは金をもらって架けているものであるから、1週間前の写真のように取り外したことは、厳密に言えば契約違反になるだろう。それはともかく、あまりに現場が変化しないので、撮影の必要がないが、今日は家内とMIHO MUSEUMの内覧会に行って来たので、それに出かける前に現場前を通ったのでついでに撮影した。京都駅に出るのに今日はバスを乗り継いで1時間半かかったが、1台逃すとそういうことになる。気が焦るので、ほかのルートのバスに乗るが、それがかえってよくない。京都市内を1時間半もかかって嵐山から京都駅まで行くというのにはまるで漫画で、わが家からJR嵯峨駅まで歩き、山陰線に乗って京都駅に出ても30分はかからない。「時は金なり」を言えば、全く貧乏人は時間の無駄をする。それが強いられると言ってもよい。市バスの1日乗り放題切符が500円で、それは2回乗っては元が取れないが、今日は結局2回しか乗らなかったので、阪急かJRを使った方が安く、また時間がうんと短くて済んだ。阪急ならば四条烏丸から歩いても20分で京都駅に着くから、わが家から40分で着く。それが1時間半もかかるのは、江戸時代より文明社会になったとはいえ、不便になった点もあることを思う。バスや電車を使うと、回る必要のないところについでに連れて行かれる。わが家から京都タワーは建物が邪魔をして見えないが、渡月橋や松尾橋からは晴れた日にはかなり近く見える。自転車なら30分ほどで走って行けそうなくらいに感じる。これが江戸時代ならば、田畑の畔道を使って最短距離で行くことが出来た。それが便利はバスや電車が出来たというのに、そのルートは当然わが家から京都駅まで真っ直ぐ通じておらず、繁華な場所を必ず迂回する。そのよけいな距離のためによけいな時間がかかる。「急がば廻れ」といいう諺があるが、いつも回り道をする必要があるのはやはり不便だ。筆者はよく思うことがある。100年か200年か先には、目的地へ一直線でたどり着けるような移動方法が生み出されるのではないかということだ。たとえば大砲の弾のようなカプセルの中に人が入る。それを目的に向けてズドンと撃つと、一直線に目的にまっしぐらだ。ただし、遠方になるほどに、わずかな角度の違いで目的地まで数キロや数十キロの誤差が出るだろう。それでもバスや電車がかなり迂回していることに比べればましだ。筆者の考える理想の移動方法に似たものとして、ドローンが去年は人気が出た。あれをもう少し大きくすると、人が乗ることが出来る。だが、ドローンのような乗り物で人が空を移動することは、空での交通事故が生じ、それは地上にも被害を及ぼすから、現在のような大型飛行機かセスナ機程度以下の空の乗り物は容易に規制が外されないだろう。そんなことをあれこれ考えながら、バスが遅いことのイライラを忘れようとする。バスが遅いということの片側しか見ないでは損をするとおおらかにかまえ、遅いなら遅いで何か気づくことがあるだろうと思うことにする。