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●近江八幡にて、その3
の道をたどって駅に帰るだけとなったが、18日は満月で、筆者は近江八幡のどこかでその写真を撮りたかった。ほとんどは自宅付近で撮るので、せっかく出かけたからにはその出先で撮りたい。



●近江八幡にて、その3_d0053294_15464893.jpg

だが、日牟禮神社を参拝した後は6時前で、まだ月が昇るには早い。今思い出したが、ロープウェイで八幡山の山頂に行ったのであれば、そこから満月が早い時刻に見えたのではないか。当日はかなり歩いたので、とにかくどこか涼しいところで座りたい思いがあった。それもさらに先に進んでのことではなく、帰り道のどこかだ。筆者はボーダレス・アートミュージアムに早足で向かいながら、出町に着く少し前だったと思うが、筆者の左手後方150メートルほどのところに大型スーパーの看板を見かけていた。それで、帰り道はそこに立ち寄ることにした。筆者と家内は知らない街に出かけた際、必ずと言っていいほどスーパーに立ち寄る。昔フィレンツェに行った時もそうであった。その地元にしかないようなものを探すのが楽しいからだ。スーパーなど男がいそいそと入るのは主婦じみて格好悪いという考えが筆者より年上の世代にはあるかもしれない。特に知識人はそうだろう。奥さんに先立たれたり、離婚したりすると、そうも言っておられず、スーパーの食材を買いに出かけねばならない。筆者より年配の男性をスーパーではよく見かけるのはひとり暮らしの人が多くなったからだろう。あるいは奥さんが病気で寝たきりという場合もある。わが自治会にはそういう男性がいて、毎日スーパーに買い物に行く。もう食材の買い出しをする男が格好悪いという時代ではないのかもしれない。話を戻して、近江八幡のスーパーがどう京都と違うかだが、筆者らが目指した店は彦根駅前にあったチェーン店のひとつで、どういう品揃えであるかは想像がついた。それどころか、店の形、内装までそっくりで、筆者は一瞬彦根に来ているかと錯覚した。昔なら彦根と近江八幡はかなり近くても、街並みが違う、それぞれに特色ある小売店があったろう。それが今はどの駅前にも全く同じ形で同じ品を並べる大型スーパーがある。これは進歩だろうか。「コンビニ」は「便利」を意味するが、日本中どこでも同じ商品が同じ価格で買えることは便利な反面、とても不便とも言える。店というものが大量生産のロボットのようになり、その店長も、また客もロボットじみている。それでではないが、筆者はコンビニが好きではない。おそらく1年に2,3回しか訪れない。そう言えば、筆者はロボットじみた存在がみな嫌いと言える。たとえばこれはTVで見るだけだが、あるアイドルのコンサートがあり、その会場にびっしりと詰めかけた若者がひとり残らず同じように感動し、同じように手を振るなどのマスゲームのような仕草をしている。北朝鮮にも同じような一糸乱れない集団の動きがあるが、日本も同じようなものだ。ただ、日本ではそういう集団に背を向けても少しも後ろ指さされないところがよい。だが、小中学生の世界では違うのかもしれない。小中学生が自殺することは今では少しも珍しいことではなくなったが、その異様さを誰も異様と思わず、また自殺の原因になっているいじめも減る気配はない。このいじめというのは、集団とは別のことをする、あるいはしがちな例外的人物が標的になるのだろう。つまり、日本中同じコンビニが出来尽くした時に、いじめが爆発的に増加したとの見方だ。それでコンビニは不便であると改めて思うが、コンビニの効率のよい便利さを享受しない不便さをそれなりに楽しむという生き方は個人の勝手で、筆者はコンビニがなくても全く困らない。
●近江八幡にて、その3_d0053294_1547116.jpg 話が戻るが、近江八幡の大型スーパーに行く前に、筆者がよく出かける梅津のムーギョと同じチェーン店があったので、まずそこに入った。梅津とは違って魚やまた惣菜売り場がなく、つまらないのですぐに出たが、梅津店は特別で、地元の主に高齢者向けに100円の惣菜を奥の台所でおばさんが作っている。筆者は家内が勤務している時はその100円惣菜をよく買ったが、家内が退職してからはめったに買わない。味に飽きたからでもある。さて、近江八幡のムーギョを出て、少し道を戻って南に入ったところが大型スーパーで、彦根店と同じくイート・イン・スペースがあった。しかもかなり広い。そこを喫茶店代わりに休憩することにした。そう言えば近江八幡に食堂や喫茶店をほとんど見かけなかった。そのためかどうか、イート・イン・スペースには70代の男性が4,5人たむろして、店内で買ったものを広げて食べていた。午後6時過ぎでしかも外はまだ日が高くて暑い。涼しいスーパーの店内で休みながら、何かを買って食べることにした。そうしている間に満月は出て来るだろう。スーパーで買ったものをその片隅で食べるという光景は、梅津のムーギョではそういう場所が設けられていないので無理だが、その斜め向かいのトモイチでは無料の茶や水が飲めるし、また同店で買ったものを食べている人は、いつも数人は見かける。若者から高齢者までさまざまだが、さすが家内はそういうところで食べることは嫌う。それは家にすぐ帰ることが出来るからでもあるが、近江八幡ではさんざん昼間に歩き、もう家に帰って料理をする気になれないという。普通ならば、どこかのレストランでねぎらうべきが、そんな店は知らない。駅前まで行っても探せる当てはなく、見つけてもたいていは酒を伴なう店で、家内は敬遠する。たばこの煙が漂うからでもある。それで、何か安いものはないかとスーパーの中を回っている間に、筆者は寿司コーナーで手頃なにぎり寿司のパックを見つけた。筆者がそれを手に取ると、そばにいた同じ世代の男性がすぐにもう1パックを取った。家内はにぎり寿司はあまり好きではないので、いなり寿司や巻寿司も買い、これで夕食の用意が出来た。レジを済ました後、イート・イン・スペースに行くと、50席ほどもあって、前述の老人たちと筆者らふたりしかいない。食べ始めると、30代の女性は子どもふたりを連れて筆者の斜め後方に陣取って、同じように店内で買ったものを食べ始めた。筆者はもっぱら前方の老人たちを見ていると、70代の女性がひとりやって来て、男性グループに加わった。どうやら馴染みらしく、買って来たものをみんなに差し出している。みんな家ではひとり住まいで、夕方になるとスーパーの片隅に集まってそうして談笑するのだろう。それはそれでこうした大型スーパーはいい場所を設けたことになる。だが、それは昔のような小売業者が困ることであって、イート・イン・スペースが出来たために、喫茶店も減って行くと思える。ま、そういう思いがあるので、イート・イン・スペースで食べることは、貧困の姿そのものと言ってもよく、便利さは貧困ということだ。つまり、日本全国に便利が蔓延したと同時に貧困も広がった。そんなことを感じながらも腹が減ったのをどうにかせねばならない。それで寿司はあっと言う間に消えたが、満腹になれば貧困は感じない。現金なものだ。スーパーにもう用はないので、最も近い出入り口から外に出たが、するともう真っ暗で、駅方向とおぼしきところに黒い雲に幾分覆われた満月が見えた。目の前の通りは、さきほど家内が店内に入る時に、そのスーパー前の店の列がどこか社会主義国にあるようなたたずまいだと言ったが、店仕舞いは早いようで、もうどの店も閉まっている。その通りの名前は、店内でパック寿司を食べながら広げて見た、先にボーダレス・アートミュージアムに向かう途中、出町のどこかで1部獲得した地元商店街を紹介する地図によれば、「サルビア一番街通り」とある。近江八幡でも特別の道のようで、黄緑色に塗ってある。だが、その地図によれば、「てんびんロード商店街」がメインで、筆者らは出町から日牟禮八幡神社まではそこを歩き、帰りもまたその道をたどって出町、そして大型スーパーへと迂回し、その地図に記される近江八幡を代表する店が並ぶ通りはほとんど歩いたことになる。
●近江八幡にて、その3_d0053294_15473259.jpg

 今日の最初の写真は八幡山ロープウェイの篭車が出発したところで、思ったとおりの写真が撮れた。西日で篭車が引かっているのがよい。駅舎の玄関上には「公園前駅」とある。その青い文字の下の扉から中に入り、2、3分ほどして外に出た。そして参道を大通り目指して歩き、左手の「たねや」に入ったり、また筆者はひとりでその和菓子店に接する北側の道を左手つまり東を一瞥した時に見えた赤い鳥居目指して写真を撮りに行ったりしながら、やがてふたりで大鳥居前の通りをわたって2枚目の写真の「白雲館」の前に立った。濠や日牟禮八幡神社を先に見ずに、この建物を見学していればまだ中に入れたかもしれない。というのは、2枚目の写真を撮った時、館内から観光客らしき、眼鏡をかけて太り気味の中年の女性がゆっくりと出て来たからだ。館内は観光案内所として使われていて、午後6時まで空いているのかもしれない。3枚目は「あきんど道商店街(仲屋町通り)」のゆるやかな下り坂を駅に向かって歩いて途中で見かけた古い郵便局だ。この商店街は「てんびんロード商店街(出町商店街)」につながっているが、筆者が得た地図は「てんびんロード商店街」が製作したもので、他の商店街については店は記されていない。それでこの古い郵便局についても情報がないが、先日紹介した「八幡堀まつり」のちらしの裏面の地図には記してある。「旧八幡郵便局」で、ヴォリーズ建築とある。NPO法人ヴォリーズ建築保存再生運動「一粒の会」が管理運営しているとのことだ。この建物を少し南下した辻を左に折れると、ボーダレス・アートミュージアムがあるが、筆者らはそこで展覧会を見た後は永原町通りを歩いて北に向かったので、このヴォリーズ建築は帰り道で見かけたのみだ。この建物がある一帯は、出町商店街よりも上品で落ち着いた雰囲気がある。出町商店街が作成した地図を見ると、戦後から昭和30年代に撮影された出町商店街の白黒写真が10枚ほど載せてある。これがなかなか味わい深く、大型スーパーでパック寿司を食べながら、見入った。また、そういう写真を載せる理由は、出町商店街の店が今は激減し、かつての5分の1以下のさびしさで、最もにぎわっていた頃を回顧するためであろう。もう昭和30年代の活気は日本のどの地方都市でも望めないだろう。東京のみがますます人が集まり、それに反比例して小さな街の商店街はシャッター通りと化している。近江八幡の出町商店街も例外ではなく、したがって四つ折りのそれなりに豪華に出来た商店街の地図を作製する費用もどう捻出したのかと思ってしまうが、出町商店街はさびれてはいても汚れておらず、住民はそれなりにどうにかやりくり出来ているように感じた。これが大阪の下町であれば、もっと疲弊した雰囲気が漂っているが、近江八幡は上品だ。出町商店街と言った方がいいかもしれないが、人が住まずに荒れ放題になった空き家、あるいは更地が目立つことはなかった。
●近江八幡にて、その3_d0053294_15475761.jpg 満月を撮った後、駅に向かおうとすると方向がわからない。もうすっかり暗くなっていて、前述の商店街の地図を広げてもよく見えない。街灯か何か、そういう灯りの下に移動して確認すると、前方に広がる暗闇を迂回して、その暗闇の向こうに行けばいいことがわかった。ちょうどその時に起こったことは先月のムーンゴッタの投稿で書いた。丸坊主頭のなかなか男前の高校生ふたりが自転車で差しかかったので、家内は彼らを呼びとめた。すると、ぼくたちも駅まで行きますとの答えで、しかも迂回せずに前方に広がる暗闇に入って行こうとする。そこは市役所で通れないと思っていたが、敷地内に細い道があり、それが利用出来るらしい。そんなことは地元の人にしかわからない。迂回してもさほど距離は変わらないが、家内はうきうきして高校生と話しながらもう筆者を置いたまま、さっさと前方に歩いて行く。市役所の敷地の中を越えると、見慣れた道が前にあった。それは先ほどボーダレス・アートミュージアムに急ぐ時に歩いた道だ。特徴があるのですぐにわかる。駅に近い、いわば駅前商店街と言ってよく、新しい店がぽつぽつとあり、道路も少し雰囲気が違う。出町商店街とは違っていかにも平成の感じで、駅前に近いほどにそういう雰囲気が増えていることがわかる。駅の向こう側もそうなっているかもしれない。家内は大型ドラッグ店で何か買いたがったが、その店は駅の向こうにあるのが大きな看板塔でわかった。ということは、駅の東西ともに多少は繁華なところがわずかにでもあるようだ。結局駅の東側には行かなかったが、駅に着くともう早速帰ろうという気になったからだ。高校生はひとりが自転車に乗っていて、もうひとりは徒歩だったが、ふたりはじゃれ合いながら、時々後ろを振り返る。筆者らに気を使っているのだ。その様子を家内はしっかりと見ていて、ふたりを誉めた。本当に駅まですぐというところに南北に走る車道路があるが、その手前で一台の車がヘッドライトをつけずにこちらに走って来た。ほとんど車が通らない道のようであったので、筆者は道路の中央を歩いていたが、20メートルほど向こうに、こちらに向かって来る自転車に乗った70代の男性が怒鳴っている。脇を車が通り過ぎたのだが、ヘッドライトが点灯していないので、それを注意しながら、その運転手を怒鳴っていたのだ。筆者はすぐに建物際に寄ったが、運転手は眼鏡をかけた30代の女性であった。前方が真っ暗なことに気づかないのだろうか。それなりに速度を出していたので、誰かを跳ねる恐れは充分にある。ヘッドライトが壊れているのだとすれば、そのまま走るのではなく、すぐに修理工場に行くべきだろう。あるいは点灯していると勘違いしているのであれば、いつかまた同じことをして、誰かを跳ねることは充分にあり得る。南北を走る道路に出た時、とても騒がしい雀の大群の声を聞いた。信号待ちの間に前方を見ると、電信柱などに、おそらく1000以上の数が留まっていた。そんな大群を見たのは初めてだ。夕方の街路樹に集まることはよくあるが、そのような適当な木がなく、目立つところに鈴成りになっている。そういう場所では糞が落とされる。それで筆者は走ってその区間を通り抜けたが、高校生が自転車を停めた駐輪場の真上辺りでは電線に群がっていた。そのごく一部を撮ったのが今日の4,5枚目の写真だ。それで、近江八幡の最後の印象はこの雀の大群で、彼らはおいしい近江米で生きているのだろう。
●近江八幡にて、その3_d0053294_15482293.jpg

by uuuzen | 2016-09-04 23:59 | ●新・嵐山だより
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