●嵐山駅前の変化、その405(マンション、マンションのチラシ)
真が今日はいつもの定点撮影ではない。工事現場の中を覗くことは出来ないが、それでもどうにか塀の向こうで鉄筋を組んでいる様子が目に入ったので、20センチほどの橋の端の段差に乗って撮ったのが今日の最初の写真だ。



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去年の8月29日の撮影でちょうど1年間、曇り空だが、今日も同じような天気だ。筆者のオンボロのカメラでも季節感が写る。そうそう先日の地蔵盆の時に同じカメラを持参し、数枚撮ったが、その時、以前の会長が、筆者が首から下げるカメラを興味深そうに見た。10年ほど前のもので、今ではネット・オークションでまだ新しいものが100円で売られていることを言って笑い合ったが、扱い慣れたものはなかなか手放せない。そのため、今持っているものが壊れると、ネット・オークションで同じものを安価で買おうかと思っているが、そう考えることはもう完全な老化であろう。新しい時代には新しいものが生まれ、それに次々に馴染んで行くことが格好いい現代人ということだ。それに着いて行くことを忘れた人は、身なりも古臭いままで、梅津のスーパーに行けばそんな老人、特に男性をよく見かける。だが、いろんな人がいて、それは自然でもあり、嘲笑するに当たらない。他人は見えても自分が見えない人は多い。世の中は順送りだ。そのことが地蔵盆でも話題になった。一昨日は風風の湯に行き、また嵯峨のOさんとサウナで少しだけ話したが、その直前に隣の自治会のYさんと久しぶりに会い、露天風呂に浸かりながらしばし話をした。Yさんは毎週愛宕山に登っているが、定年退職してから登るようになったという。Yさんとはいつも登山の話になるが、温泉好きでもあるようで、前回Oさんから聞いた能勢の温泉について話すと、すでにYさんも行ったことがあるとのことで、車を持っている人は行動範囲が広いことを改めて思った。それにYさんは山歩きをするので、脳内の地図は筆者とは大きく違い、ある場所からある場所への距離感が現実の地図とほとんど変わらないだろう。筆者は地図を見ても鉄道中心で、高速道路は全く関心がない。それに山道もだが、OさんやYさんは能勢に行くには亀岡から真西へ山道を走るとすぐという感覚を持っている。筆者は能勢は一生縁がなく、存在しないも同然の土地になっているが、そのことから思うことは、人間は興味のないこと、経験のないことは、意識しない無の空間となっていることだ。それが悪いとは言わないが、もったいないことは確かだ。だが、誰しもそういう無の空間は持っている。それがない人は皆無で、人間全体を考えてもそうだ。世界のあらゆることが調べられ、研究され尽くしているとはいえ、未知のことの方が圧倒的に多く、またその未知が既知になっても、相変わらず未知は増殖し続ける。そう考えると、一生が短い人間は好きなことでその無の空間を埋めればよいし、また誰しもそうしている。ただし、学校で興味もないことを無理に教え込まれる時期があり、学校教育は壮大な無駄を強制するものと言える。そういう見方も大事だ。
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 Yさんから意外な話を聞いた。数年前、Yさんだったと思うが、地蔵盆の当日、地蔵さんの祠前での読経を頼むお坊さんがいないかと訊かれた。わが自治会は法輪寺の境内の地蔵さん前でテントを張るので、その読経は法輪寺の住職がよく通る大きな声で午前中にすることになっている。それは昔からで、誰もそのことを不思議に思わないが、古老によれば、いくら自治会内とはいえ、無料で読経をしてもらうのは忍びないと意見する。そう言いながら、地蔵盆の夜店のために作るおでん程度を持って行くだけだが、わが自治会のように寺がない自治会の方が多く、そういうところではどこかの寺から読経に来てもらわねばならない。Yさんの自治会はその隣りの他のふたつの自治会とともに、かなり以前から四条大宮の尼僧に依頼していた。そのことはYさんから聞いて知っていた。だが、かなり高齢で、そろそろほかのお坊さんを探さねばならないとYさんは言っていた。その時、筆者は法輪寺は近いし、そこに頼めば事は早いと意見した。結局その数年前の意見どおりになって、今年からは法輪寺の住職がバイクに乗って駆けつけたそうだ。歩いても500メートルほどだが、袈裟を着たまま暑い中を歩くことは様にならない。Yさんにいくらお金を包んだのかと訊くと、自治会長でないので知らないと言ったが、以前の尼僧には確か2万円と車代であったので、同じ程度であろうか。Yさんの隣りの自治会も頼んだとのことで、お坊さんにすればそれはつごうがよい。14の自治会があるので、出来ればみんな法輪寺に頼めばいいと思うが、南の方の地域はいくつか寺が山手に並んでいて、読経を依頼するのに困らないだろう。祠の前の読経はさして人が多く集まらず、形式的なものと言えるが、地蔵盆であるからにはなければ様にならない。Oさんの自治会ではたぶん大覚寺の僧侶がやって来るのではないか。地蔵盆は寺が多い京都独特のもので、古風なままを守っているところが多い。嵯峨はその部類に入るが、わが自治会はマンションがいくつも出来て、昔どおりというわけには行かなくなって来た。何度も書くように、新旧の住民の交流が問題だが、新旧の住民は老人世代と若者世代と言い代えてもよく、なおさら交流が難しい。だが、若者は遠慮するから、年配者が積極的に輪の中に入ってもらえるように笑顔を振り撒き、話しかける必要がある。これがなかなか問題で、地元に古くから住む人たちはまずそんなことは考えない。それどころか無愛想だ。筆者はその役目を積極的に買って出ているところがあると思っているが、それは自治会に住んで30数年という、新旧の間に属する世代でもあるからだ。ともかく、筆者の自治会住民でOさんやYさんと気軽に話をし、地蔵盆の状態を聞き出す者は筆者以外にいないことは確かで、少しでも参考になればとの思いが筆者にはある。いいことは真似すればいい。だが、それも筆者が会長をしていた頃ならいいが、会長が変われば考えも違うから、筆者がよかれと思って始めたことでも実施されなくなることがある。自治会というごく小さな集まりの中でそうであるから、国会となると事がうまく行かないことは明らかだろう。それでもどうにか大きな騒動も起こらずに進んで行くので、みんなは表向きは満足顔だ。Oさんの自治会は大きくて古い家ばかり、Yさんの自治会は半世紀ほど前の建売が並び、サラリーマンばかりだが、わが自治会はちょうどその中間といってよい新旧住民の混ざり具合で、それがいいのかわるいのか、その傾向は留まらない。それを示すのが今日のマンション工事の写真でもある。高級マンションなので自治会には入ってもらえない世帯がほとんどだと思うが、この駅前マンションはわが自治会の未来の姿を暗示しているようにも見える。
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 さて、今日は終日大雨で、それを察知した長さ20センチほどの巨大ムカデが2階の寝室に入って来た。家内が朝6時に大きな悲鳴を上げるので飛び起きたところ、指に冷たいものがもぞもぞしたという。筆者も経験があるので、それがムカデであることはわかる。灯りを点けて探すと、筆者のタオルケットに紛れ込んでいて、それがもぞもぞと逃げ出した。さすが足が100本ほどもあるので、とても速い。わが家ではムカデを見つけるとガムテープで捕獲する。筆者はそれを探しに階段に駆けつけ、家内は殺虫剤を取り行った数秒の間に箪笥の隅に入り込んで見えなくなった。怖いなと言いながら、筆者はまた2時間眠ったが、雨が降り続いているので同じ部屋にまだいるはずで、今夜また這い出て来て噛まれるかもしれない。今年は見かけないと思っていたが、8月も終わりという頃に巨大なのが出て来た。昼過ぎにFさんがやって来たのでそのことを話すと、裏に土が露出した物置に使っている区画があるFさん宅でもよく出て来るらしく、今年は2匹殺したと言った。Fさんがやって来たのは来月16日にまた天龍寺で開催されるシンポジウムの案内を筆者に手わたすためだが、筆者が暇なら喫茶店ででも話をしようと思ったらしい。あいにく筆者は一昨日からまた猛烈に忙しくなり、9月いっぱいはとても気分の余裕がない。そう言いながら、このようなどうでもいいブログを書いているが、世の中には筆者と同じように暇でしかもネット・サーフィンが好きな人がいるので、いつかはこの文章も人目に触れるだろう。たぶん読む人は0か1,2人のはずで、筆者のブログはだいたい読まれる投稿は決まっているだろう。最も人気のないのはこの駅前の変化シリーズのはずで、地元のことをあれこれ書いても面白い内容になるはずがない。今日はスタンプが3個もらえるので、風風の湯に家内と行って来たが、大雨のために、数人しか脚がおらず、貸し切り状態の気分を味わいながら、筆者は今日のブログのことを考えた。実は最初の2段落は朝書き、「さて」から始まるこの3段落目は深夜に書いているが、そうそう、風風の湯では嵯峨のOさんはや隣りの自治会のYさんはやって来ず、さすが大雨では足元が悪いので敬遠するだろう。話をムカデに戻すと、土の中にいては大雨で住まいがびしょびしょになる。それが嫌で上へ上へと進み、わが家ではたいてい2階で遭遇する。3階にも上がっているかもしれないが、ほとんど見かけたことはない。そんなムカデであるので、殺してしまうのはかわいそうだという思いもある。筆者は蜘蛛を見ても絶対に殺さないが、風呂場にそれがいると、熱湯がかからないようにするのに往生する。そう言えば、今日は家内がポツリと言ったが、裏庭で指先ほどのアマガエルを見かけたらしい。毎年見かけるが、どこでどう繁殖しているのだろう。ムカデや蝉は土の中にいるが、蛙もそうだろうか。人間がほとんど知らない間に、そうした小動物が勝手に生まれて勝手に死んで行く。それを言えば人間も同じで、生きている間にわかり合える人はごくわずかだ。
d0053294_1304569.jpg もう一段落書く。去年の今頃、駅前マンションの2回目の販売チラシが用意された。最初のものと違う内容のものがあるので、今日それを紹介しておこう。このチラシは毎月作られ、筆者は出来る限りそれらを集めたつもりでいる。そして、異なる写真や目立つ情報が印刷されているものに限り、このカテゴリーで紹介して行く。これは阪急不動産の宣伝をしようというのではない。わが自治会内に出来るマンションであり、その販売用のチラシであれば、10年後くらいには珍しい資料になっているかもしれない。とはいえ、筆者は今日は風風の湯でゆっくりと露天風呂に浸かってひどい雨を見上げながら、ブログをいつ止めようかと思った。年内いっぱいはやるが、来年の今頃はもう書かなくなっているかもしれない。止めたところで、自己顕示欲の強いアホがひとり消えたと思われる程度だ。また、このブログを始めたのはあるきっかけがあったが、そのきっかけはもうすぐ決着がつく。となれば、ブログを続けるという拘束から解放される。止めるとして、ブログを放置するとコメント欄が荒れると聞くので、いっそのこと全部削除もいいかと思っている。この文章を読む人がそもそも0か1,2人、しかも投稿後すぐはまああり得ないから、筆者が急にブログを削除しても誰も何も気づかない。それは先に書いた小動物と同じで、ムカデや蛙は年に1,2回は遭遇するが、それ以外はみな違う生を勝手に生きていて、意識することもない。つまり、筆者もムカデや蛙程度で、いてもいなくてもどうでもいい存在だ。だが、こういう言い方は、自己嫌悪では全くない。むしろ、そうした勝手に生きている小動物が羨ましい。それで筆者もそれを真似してこうして勝手に書いているのだが、ムカデや蛙とさして変わらないのであれば、当然見つけた時に嫌悪される方が多い。ムカデならFさんがするようにすぐに殺されてしまう。そういう危険がありながら、また本能的に感じながら、ムカデはムカデで快適さを求め、あるいは危険を避け、大雨が降りそうな気配を察知すると、洪水に遭わない高みを目指す。人間に殺される確率が高いにもかかわらず、そうするのは、洪水で死ぬような目を味わうよりましであるからだろう。そんなムカデを本当は殺したくないが、噛まれると痛いし、また眠っている間にもぞもぞされるそのムカデ感は二度と味わいたくない。足の数が多過ぎるので、そのもぞもぞ感はほかの何にもたとえられない。
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by uuuzen | 2016-08-29 23:59 | ●駅前の変化


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