●箕面の温泉、その2
務に追われ続けていることが楽しいと思う人は、温泉宿に泊まることを退屈だと思うかもしれない。筆者はというと、ごく普通人なので、たまには温泉に浸かった後は浴衣で食事というのもいいと思う。



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だが、そういう機会はめったになく、指折り数えられる程度だ。それで、義弟から一泊旅行の話があった時は、それはそれで楽しいだろうと想像した。初めて一泊するメンバーだが、これまで通夜や法事で何度も会席して来た仲で、どういう具合になるかはわかるし、男4人に割り当てられた16畳部屋に女性4人も集まっての夜の食事は順調に進み、また筆者には幾分物足りない具合で終わった。女性は隣りの8畳部屋で寝たが、そこでも眼下の景色が存分に眺められたとのことだが、義兄は慣れない宿であったためか、深夜2時頃に目覚め、窓際に座って明け方まで夜景を楽しんだらしい。そのことを翌朝に聞いた筆者は義兄が何を思って夜景を見つめていたかを想像し、また夜景の灯がだんだんと少なくなり、それにつれて東の空が明るくなって来ることを思い描いた。義兄の内面は筆者にはわからないが、それでも何となく夜の会食で話したことに関することを初め、家族のことや自身のことなど、あれこれを思いが巡ったには違いなく、その経験は義兄の家では得られない眺望がもたらしたもので、たまには山の上から下界をしみじみ見つめることは必要だろう。それは昼間の景色よりも夜景がよい。そのことで思い出すのはザッパの曲「街の小さな灯」の歌詞だ。ザッパ家は山手にあって、その窓からは筆者らが泊まった箕面の温泉からの眺望と似たロサンゼルスの街の灯が見えたのであろう。また、その人工的な小さな灯の群れの上には星がある。ザッパはその景色を眺めながら、宇宙の中の人間の生活を思ったが、「街の小さな灯」の歌詞は人間への愛おしい眼差しではなく、むしろ陳腐な人間の孤独さに視点を定める。その陳腐な人間が小さな灯りを発しながら、街全体としては夜空の星よりはるかに目を引く宝石のような輝きを呈することにザッパは好意的な思いを致したかどうか知らないが、筆者は素直に箕面の山からの夜景は美しいと思えた。ただし、左右の視界いっぱいに広がるパノラマのどこもどうだと感じたのではない。これは不思議なことだ。今日の写真は午後9時半頃の撮影で、少しは灯りの数が減っていたが、筆者の視界は万博公園のある東の方に向いた。今日の最初の写真の左手を拡大したのが2枚目だが、青く光るのは大観覧車だ。建物とは違って円形で、また真っ青であるのでよく目立った。地平線の上に小さく光るのは生駒山であろう。この夜景はホテルが建った頃に比べてにぎやかであるはずで、それを見越してこの土地が確保されたのであろう。眺望を売りにするホテルと言ってよく、筆者は夜景が最も印象深かった。義兄もそうだと思うが、それは温泉や料理以外の贅沢であり、その贅沢は心の余裕で、またそれは殿様気分と言い代えてもよい。だが、江戸時代の殿様は夜の天守閣からは街の灯は見えず、眺望とは昼間のものであった。そこでまたザッパの「街の小さな灯」や義兄が寝ずに窓外の夜景を楽しんだことの意味を思う。それは現代の新たな楽しみであり、おおげさに言えば人間の哲学的思考を広げた。とはいえ、筆者はさして夜景を楽しまず、義弟が仲居に持って来させた焼酎をロックで飲みながら、世間話に興じ、数枚の写真を撮っただけで後はTVも観ずに寝た。哲学的というのは、その世間話の後、義兄が目覚めて夜景を見下ろしながら考えたであろうことをあれこれ想像することで、そのあれこれの詳細はここには書くことは出来ないが、幾分かは誰でもいつかは辿る道であり、筆者は義兄に自分の姿を重ねる。つまり、そういう思いにさせる効果がめったに見ない夜景にある。
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 筆者は11時頃には布団に横になったが、クーラーの音がうるさく、何度も目覚めながら、朝8時頃まで眠った。窓にはカーテンがあるが、それを引けば景色が見えないので開けっ放しにしておいたが、太陽が昇ると部屋は徐々に温室状態と化し、クーラーが効きにくくなる。つまり、夏場は冷房の効率が悪い部屋の設計で、景色が売りのホテルでは仕方がない。そう言えば昨日書いたように、嵯峨のOさんが最近行った能勢の温泉は山中にあり、眺望のよさは望めないようだ。そういう辺鄙なところの温泉では、食べ放題といういかにも庶民向きのメニューを設定する必要があるのだろう。その食べ放題は筆者らが泊まった箕面の温泉では朝食に適用されていた。食べられるのであれば、誰しも並べられた食べ物をひととおりは食べたいだろうが、それがとても無理なほどの種類があった。また朝食はパン1枚という筆者は、朝8時半にいきなり大量のものを腹に押し込むことは出来ず、すぐに満腹になった。毎朝早起きをし、そうした食べ放題の席に着いて好きなだけ食べれば、毎月体重が1キロずつ増えて行くのは間違いがないだろう。朝食であるので、凝った料理は何もないが、宿泊客全員が集まっての食べ放題であり、一種の競争意識が働いて、やはり食べ過ぎてしまう。それでも食べる量は知れたもので、食事を提供する側にとって、ビュフェ・スタイルはあまり手間がかからずに得なのだろう。客が食べた頃合いを見計らって次々に料理を運んで来るというのは、日本のおもてなしの精神に見合ったものだが、ひとりで食べるならいいが、必ず食べるのが遅い人と早い人とがあって、ある人の前には器がひとつふたつしかないのに、別の人には10個ほど並び、もてなす側は次の料理を待つ人を慮って、食べるのが早い人に合わせて料理を運ぶしかない。筆者は食べるのが早く、次の鉢をいつも待つが、自治会長をしていた頃の料亭で数十人が集まっての食事会では、ざっと見たところ、7割に人が料理を半分ほど残していた。中にはほとんどどの料理にも手をつけない人がいて、それらが残飯になることを想像してもったいないと思ったが、箸をつけていない器の料理を勧められても、筆者の腹はいっぱいになっているので、とても無理だ。懐石料理は若い者には物足りないが、70代以上には充分過ぎて、しかも同じ料金を支払うところは不公平感がある。それで懐石料理もビュフェ・スタイルにすればどうかとの考えが出るだろう。それに似た食べ放題もないことはないが、やはり食べ放題は何となく下品で味気ない。ビュフェでも会席でも、食べ物のロスが出るのは見込み済みで、そのロス分を上乗せした料金となっていることを誰もが知っているから、それでビュフェではなおさら必要以上に食べてしまうというさもしい心が顔を覗かせる。
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 さて、朝の食事が終わった後、チェックアウトまで1時間ほど残っていて、義弟は記念写真を撮ることをフロントに問い合わせた。文字入りでなければ1枚400円で、10分ほど待っていると仕上がるが、デジタル時代の賜物だ。8人揃って何を背景にして撮ればいいかだが、若いカメラマンが3つほど場所を挙げてくれた。玄関前はホテルの名称が入ってわかりやすいが、筆者は大阪平野を背景に撮ることを勧め、みんなは同意した。昨日の最初の写真の右端に椅子やテーブルがいくつかあるテラス状の土地が写っている。真夏はそこに出てくつろぐ人はいないが、秋なら気持ちがいいだろう。山小屋風の古風なインテリアの喫茶室を通り抜けるとその場所に出ることが出来た。出た途端、筆者は意外なことに驚いた。それまで部屋の中から眼下の街並みを見ていると、街の音は全く聞こえなかった。それがガラス窓の遮りがないため、下界のあらゆる音が騒々しく響く。マイクで何やら叫んでいる声が特に大きく、その次は大勢の人の歓声、そして車の往来の音で、街のパノラマが広がることはそれだけ人工的な音に満ちていることでもあって、ザッパの「街の小さな灯」の歌詞は、昼間の騒音を一方で想像してのものであったのだろう。下界に街並みが広がらない場合は野鳥の声に満ちているはずだが、それは全く聞こえず、箕面の山辺は人間の阿鼻叫喚を遠くに聴く人間臭い土地であることを実感した。送迎バスで箕面駅に着いた時、マイクのうるさい声や歓声が何であるかを悟った。家内は団扇をひとつもらったが、そこには「箕面市誕生60周年記念」や「第31回箕面まつり」の文字が印刷されている。当日はまつりの様子はなく、これは古い団扇だろう。駅前では選挙が近いのか、議員が立ち代り演説をしていた。政党ごとに時間が割り当てられているようで、議員が去るとまた違う支持者たちが集まって来ていたようだ。筆者ら8人はそのまま解散ではもったいないので、別の場所で昼を食べようということになった。それで駅前の喫茶店でその店を探すことにし、梅田その他いくつか候補が上がって義弟は電話したが、どこも予約出来ないほど満席であることがわかった。それで、梅田よりも閑散に便利は高槻がいいとの義兄に意見によって、みんなで高槻に向かった。結局去年10月に家内の誕生日を祝ったがんこ寿司に行き、満員ながらどうにか席が取れた。朝食をたっぷりと食べたので、みんなさほど食は進まない。それでもあれこれ注文し、阪急の高槻駅前で解散した。筆者と家内が改札を入った時、目の前の時計はちょうど午後3時を指していた。それは昨日の集合場所と時間と同じで、そのように決めたわけでもないのに、ちょうど24時間の小旅行となった。今日の3枚目の写真はホテルの前で送迎バスに乗り込むところだ。バスのすぐ向こうで記念写真を撮る意見もあったが、それがあまり見栄えしないことはこの写真からわかるだろう。4枚目は送迎バスがホテルの敷地から府道に出て、箕面駅に向かって方向転換した時に撮った。人が歩くのは危険な道だが、サイクリングをする人はけっこう多いようで、ホテルに向かう時も数人の同じような人を車窓から見た。地図によれば箕面駅から歩いても行ける距離だが、歩道が設けられておらず、車に跳ねられる危険が大きい。また、それがなくても急な坂では筆者はとても歩き気にはなれない。地図で想像するのと実際とでは大きく違う。
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by uuuzen | 2016-08-21 23:59 | ●新・嵐山だより


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