●『FRANK ZAPPA FOR PRESIDENT』その4
休みに涼しいところで好きな音楽でもゆっくり聴くのは贅沢かどうか、筆者がこれを書く場所はわが家で最も涼しいにもかかわらず、傍らの温度計は33度を表示している。



体温より低いので、これも涼しいうちかと思うことにしよう。また、もっぱら音楽はパソコンで聴くので、せっかく買った波動スピーカーの出番が年に数回ほどしかないが、お盆休みに大音量でザッパの音楽を聴くと近所迷惑になる。いや待てよ。みな窓を閉め切ってクーラーをかけているので、聞こえないかもしれない。それはともかく、本作の全7曲はうまく選曲配置され、旧曲もリミックスや別ヴァージョンによって雰囲気ががらりと違う。2曲目「BROWN SHOES DON‘T MAKE IT」は、ザッパ・ファンからすれば、『ああ、またか』という思いがしないでもないが、ディック・カンクがリミックスを担当していて、最初に聴いた時に、オリジナルの『フリーク・アウト』ヴァージョンとはかなり違うことを感じた。リミックスの年度は記されていないが、ディック・カンクはザッパが古くから一緒に仕事をした録音技師で、最晩年まで交流があった。おそらく92年頃にリミックスを行なったのではないだろうか。とすれば、『フリーク・アウト』やまたほかのアルバムもそれをしている可能性がある。本作にこの曲を含めたのはジョー・トラヴァースの考えとして、それはザッパの大統領選出馬の意志がデビュー・アルバム当時から概念継続していることを示したかったからであろう。そして、政治家の生態を戯画化している初期の曲としては最も過激で、また最も充実しており、しかも1曲の中に多彩性と物語性があり、オペラ『アンクル・サム』の内容をある程度側面から説明すると考えたのだろう。ザッパが政治色の強い歌詞を書いたのは、60年代という時代の風潮もあるが、表現の自由が保証されたアメリカという意識が強く、また政治腐敗に人一倍敏感でもあったからと言ってよい。アメリカでは誰もが大統領になれる可能性があるが、現実的には日本と同じようなところがあって、政治家になる道は限定されているだろう。たとえばザッパはイタリア系だが、アメリカにおけるその割合はかなり少なく、マイノリティだ。今は特に西海岸にヒスパニックが急増し、最大のマイノリティとなって、英語が通用しない地域が拡大していると言われるが、そうなればいずれヒスパニックから大統領が出て来るだろう。オバマの例からすればそれは当然だ。だが、イタリア系から大統領が生まれることは今後もないだろう。それどころか、イタリア系の有力な政治家というのもあまり聞かない。イタリア系は芸能界には多くても、政治界に参入するには遅れてやって来た移民であり過ぎた。最初に入植した人種が政治を司るというのは当然としても、民主主義を国是とするのであれば、数が物を言い、ヒスパニックがアメリカを動かすことになるはずなのに、全くそうはならず、それどころか共和党のトランプ大統領候補はメキシコとの国境に壁を造り、もはやヒスパニックを増やさないと宣言している。去年亡くなった鶴見俊輔はアメリカにヒスパニックが急増していることは当然のことと見ていたが、それはもともとヒスパニックの土地であったところにアングロサクソンが入植したからで、アングロサクソンがそもそもよそ者だ。そういうよそ者が何百年単位でまた駆逐されて行くのは生物の生存競争の原理からしてあたりまえであろう。筆者が京都に住んだ頃のある年、松尾橋付近の河川敷に一斉に黄色の花を咲かせるブタクサが繁茂し、大騒ぎになった。それが数年の間に徐々に姿を消し、今ではほとんど見かけない。外来植物はある時期は大繁茂するが、やがて元からいた植物が力を盛り返し、それなりに秩序が戻る。北アメリカを見ていると、そのことを思う。アングロサクソンが作り上げた社会がほころび始め、やがて元いたヒスパニックが増加し、彼らの国土となる。それが自然であろう。鶴見俊輔はそのように考えた。
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 先日も書いたが、アメリカン・ドリームは本当の夢になってしまい、今では一代で金持ちになることは昔ほど簡単ではない。ネット社会になったことで、社会の大改革の時期が訪れ、それを機に大金持ちになる人があったし、今もあるだろうが、そういう競争に参加するのは高い教育が前提となっている。つまり、日本と同じように金持ちの家に生まれない限り、金持ちにはなれないということがあたりまえになっている。そういう社会を高度に成熟していると表現する人もあるが、言い替えれば大多数の人にとっては夢も希望もない社会だ。それはさておき、アメリカでも日本でも学歴が物を言うと大学教授は意見するし、国民もそれに感化され、中学の英語や数学の知識もない者まで大学に進むというグロテスクで愚かな社会になっているが、奨学金を返すことが出来ずに苦労する者が増加し、大学という学歴が必ずしも物を言うものではないことを遅まきに知る。ザッパが生きていた時代のアメリカでも同じことはあったろう。そこで本作の2曲目だが、ザッパは学校をやめてしまえと歌う。そして、それはデビュー当時のザッパの意志の大きな柱であったが、その意見に対してノーと思う人はザッパの音楽から何も得られないので、ザッパは自分のアルバムを聴いてもらう必要はないとまで言い切っていた。学校など早々とやめてよかったとザッパは歌詞で言い、自分の好きなことで生きて行くことに邁進したが、そんな人物がアメリカン・ドリームをつかむことが出来るほどに60年代のアメリカはまだ懐が深かった。学校をやめてしまって何になるかだが、ザッパがさんざん歌詞でおちょくったように、配管工になるのが現実的でまたそれなりに儲かりもする。あるいはガソリン・スタンドで働くか。だが、ザッパはそんなことをせずに音楽家になった。これは才能があったからでもあるが、人一倍努力し、また有能なマネージャーと手を組んでエンターテインメントの世界を泳いで行ったからだ。学校をやめてせいせいしたが、それは学ぶことや努力が嫌いであったからではない。そこを間違うと、配管工になる。しかもザッパの「FLAKES」という曲の歌詞にあるように、工事し終わった翌日にまた壊れるといういい加減な仕事をする。ザッパが学校を嫌悪したのは、画一なことを強制する場所であったからで、そのことが「茶色の靴はやめておきな」の題名に表われている。そう言えば『200モーテルズ』には、緑色のセーターやズボンについての曲もあった。それらはザッパが経験したカトリックの学校でも制服だ。学校での画一化教育から真に創造的なものが生まれるかとなると、筆者も懐疑的だ。日本は小粒の才能のある人はたくさん生まれるが、破格の人物が出て来ないのは学校教育信仰が隅々にまで行きわたっているからだろう。大学の先生は必ず学校教育の重要性を説くが、それはあたりまえで、自分が食いはぐれないための方便だ。大学を出ても奨学金を返せないであえぐ若者を見て、そういう先生たちは「2,3流の大学では出ても仕方ない」と内心笑っている。つまり、大嘘つきということだ。ザッパはそういうことを10代からわかっていた。学校は自分にとっては必要はない。だが、それは学ぶことを拒否することでは全くない。自分が欲する知識は図書館で得られるし、自分は学ぶ努力を怠らない。ザッパの音楽を本当に理解して楽しむ者はみなそうだと筆者は信じたいが、残念ながら日本ではそういう者は少数派だ。いや、ごく稀だろう。
 だが、アメリカでも似たようなものだろう。イタリア系が数パーセントしかおらず、ザッパはアメリカでは少数民族の部類に属したが、そういうザッパが自分の思いの丈を歌詞にしたところで、大多数の人の賛同を得るはずがない。ましてや日本ではなおさらだ。ま、日本の話は今日はやめておこう。そういうザッパがアメリカで人気を得たのは、変人というイメージづけの成功によるが、その変人がとてつもない努力家であるということを知るギャップが面白いと認識されたからでもある。ただの変人だけならば日本でもたくさんいるが、ザッパは一方ではとにかく真面目な努力型であった。そういう努力を認めるところがまだアメリカにはあり、今もそうだと思うが、ザッパが奇人を売りにしたとして、それは芸能界で生き残って行くための策略であり、またイタリア系のマイノリティのせめてもの許された範囲でのことではなかったか。ザッパがカトリック系でもアイルランドの移民の子であれば、音楽家になっていたであろうか。もっと早い段階で政治に目覚め、ケネディ大統領に次いで大統領になることを考えたかもしれない。だが、アイルランド系に比べてイタリア系は貧しく、また政治への道はザッパ世代では閉ざされていたであろう。その恨みのようなものが「茶色の靴はやめておきな」に込められているのではないか。最初のマザーズはヒスパニックやインディアンを含み、まるで少数民族混成バンドで、社会から疎外された者たちの怨嗟を発言することを旨とすることを宣言していた。戦時中に日系アメリカ人が砂漠の中の建物に隔離されたことをザッパは歌詞の中にさりげなく書いて歌ったが、イタリアは日本と同盟を結んでいたので、本来ならイタリア系のザッパも同じように危険分子として政府から睨まれたはずだが、ザッパの父が政府の毒ガス製造の人体実験に進んで参加するなど、アメリカへの忠誠が認められ、砂漠の中の一種の監獄には収監されることはなかった。だが、10代のザッパが暮らしたランカスターは砂漠の中の新興の地で、すぐ近くに空軍基地があって、ザッパは同じアメリカ人でも人種の差によって異なる生活が強制されることを知っていた。戦時中の日系人のキャンプ収容生活だけではなく、黒人の生活を見ればそれは一目瞭然で、少年ザッパが醒めた目でアメリカの矛盾を見つめていたことは想像に難くない。そういう矛盾を多くの人々に知らせるには音楽が最適ともやがて思ったことが、「茶色の靴はやめておきな」の歌詞からわかる。そこに描かれるのは、まずは考えることが苦手な配管工になるような若者の生態だが、そういう連中はザッパの音楽をもともと聴かないし、聴いても理解出来ない。これは全く日本でも同じで、これ以上書くことはないが、流行音楽とは日本では特にそういう連中のために書かれ、また歓迎される。そしてそれはすべてTVのおかげだ。その次の歌詞では、「秘密の渇望の世界は、みんなの法律を作る人たちを悪用する」とあって、為政者への不信が露わにされる。そして、市庁の見えないところでなされている行為が描写されるが、それは13歳の女子が、奥さんがいない間の市長と性行為に励むことで、そこでは13歳の女子がむしろ誘導的だが、現在の日本でも同じ年齢で性を売る子はいるはずで、日本もアメリカに半世紀遅れで追い着いた。さて、歌詞はどんどん卑猥かつ滑稽になって行き、その13歳の女子が自分の娘なら何をさせたいかという話になる。これは市長の妄想と考えてよい。ホワイトハウス前の芝生でチョコレート・シロップを全身にまぶして縛り上げたいと、父娘間の近親相姦を夢想する男だが、歌詞の最後は「市庁から世界に走る」で、これは大統領になるという意志の表われで、カリフォリニア州知事になって間もない頃に大統領選に出馬したレーガンを彷彿とさせる。「チョコレート・シロップを全身にまぶす」は『ジョーのガレージ』のジャケット写真を連想させるが、これは黒人の暗喩だ。つまり、大統領になれば、見せしめのために、黒人を含め、気に入らない奴にリンチを加えるという差別主義者の思いを示していると考えてよい。レーガンがハリウッドの映画業界人の赤狩りに協力したことは有名だが、元俳優のレーガンがそのようなことをするとに対し、ハリウッドにほど近いところに住んだザッパがレーガンの共和党を嫌悪したことは当然だろう。
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by uuuzen | 2016-08-16 17:56 | ●新・嵐山だより(特別編)


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