●『FRANK ZAPPA FOR PRESIDENT』その3
動を求めて音楽を聴くが、現在流行っているものの方が感動しやすいかとなれば、人によりけりだが、世代の差は大きいだろう。筆者はビートルズを10代で聴いて卒業したが、20代でザッパの音楽に出会って、今なお新譜が出ると買う。



これは日々生み出される最新の音楽に興味がないためではないが、流行音楽にのめり込むということは30歳になる頃にはほとんどなくなった。そのため、解散が報じられたSMAPとやらにも全く関心がなかったので、世間が大騒ぎすることがわからない。そのことを老人特有のことと嘲笑されても否定するつもりはないが、何に関心を持つかは人の自由で、音楽がなければ生きている意味がないと思っている人が流行音楽に全く興味がないことが、常識から外れた老人特有の非難されるべきこととは言えない。流行中であろうがそうでなかろうが、自分が感動出来るものを好きになればよい。また、どのような音楽もそれが作られた時は、流行する可能性があったし、また昔の物が見直されて流行し直すことはよくあるので、作られたばかりの流行音楽を追い続けることが若さを証明することとは言えない。今の流行も知り、過去のそれも万遍なく知るというのが理想と言えそうだが、知ることから愛することへと発展するのはごく一部で、知識が増えても好きになるものは限られる。それほどに音楽は膨大で、死ぬまで過去の流行から今の流行のすべてを一度でも聴くということなど不可能だ。それでたいていの人は音楽がなければ死ぬというほど音楽を目覚めている間に聴き続けることはなく、ごく限られたものだけを繰り返し聴く。だが、そういう生活を続けると、必ず飽きというものがやって来るから、別の音楽家、あるいは別の時代の作品を聴くようになる。そういうことが10年、20年とザッパの音楽を聴き続けて来た人にはままあるだろう。92年にフランクフルトのライヴ・ハウスのジンカステンで知り合ったドイツ人のザッパ・ファンもそうで、彼はザッパが亡くなって数年のうちにザッパに興味を失った。それはもはや新作を発表し続けることのないザッパを追っても仕方がないとの思いだろう。そのことを筆者はよく理解出来るし、全く責めるつもりもない。結局、誰しも好きな音楽を好きなように聴く。そのドイツ人は、ザッパが死んだことで、心の支え的な何かを失ったとも言える、それで別の感動を与えてくれる音楽を求めた。ファンとはそういうもので、自分の人生を彩ってくれる存在が色褪せて感じられるようになると、興味を失う。色褪せるとは、流行遅れを感じるか、また新曲を生めなくなる、つまり死んでしまう場合で、人は最新の流行ということに大きな魅力を感じるものだ。それで日々流行歌が生み出され続ける。永遠にそうで、流行は時代を映す鏡と言える。若者は今この瞬間を謳歌したいから、今この瞬間に大いに流行っている音楽を求める。それがまともで、10代前半の筆者がビートルズに心酔したのも同じ理由による。それゆえ、今もビートルズがもてはやされていることがとても不思議で、またビートルズ・ファンがとても時代遅れの格好悪い連中に見える。先に書いたように、過去の流行が復活することはあり得るから、ビートルズの人気はずっと衰えないまま持続していて、それで毎年ビートルズ・ファンが生まれるということはわかる。だが、ビートルズはせいぜい高校生までの音楽で、40や50になって開眼するというものではない。とはいえ、そう決めつけると誰もが好きな音楽を好きなように聴いてよいという前言と矛盾するから、あまりこういう場所で書かないに限る。
d0053294_2350755.jpg

 さて、ザッパの最新作の本作だが、先ほどアマゾンで調べると、中古で500円までで売っている。出たばかりのアルバムがそのような安さとは、本作の売れ行きが芳しくないことが想像される。それはまた、ザッパがビートルズのようには人気が持続せず、ほとんど忘れ去られている過去のミュージシャンという現実も多少は示すだろう。先に書いたように、ザッパが死んでから熱烈なファンをやめた者があって、その数は世界中ではかなりの数に上るだろう。だが、新たなファンも生まれているであろうから、今後は世代交代をしながら、ある一定数のファンが存在して行くと予想される。そして、そういう世代はザッパを過去に流行した音楽と捉えるから、これも前述したことから言えば、若者よりもどちらかと言えば過去の流行を一応は知っておきたいと分析的に聴く中年以降が中心となるのではないか。日本に限らず、世界中どこでも10代や20代の若者は生まれたばかりの流行の最先端の音楽を聴こうとする。そして、ザッパの音楽はそういう範疇にはほとんど入らない。ザッパは時事問題を曲によく盛り込んだが、それは自分の音楽を流行曲とみなしていたと言えるだろう。旬な時に聴くべき音楽で、レコードは出してすぐにヒットしなければその可能性がどんどん減って行くものであることを知っていた。この時流に乗らねばならないという宿命をザッパは半ば嫌悪し、また半ば歓迎もしていたであろう。時流に乗れば大金が転がり込むが、そうでなければまたあくせく働き、次の時流を待たねばならない。そうして毎年2作ずつアルバムを出していると、世界中にファンは生まれるし、ステージは歓迎される。だが、流行に乗ってなんぼという人気商売は危ういもので、若さが勝負であることをザッパは知っていたから、早い段階で人気とはあまり関係のないところで作品を売って生きて行く方法を模索した。それが管弦楽曲のための作品ということになるが、それはステージでロックをやるには老い過ぎるという年齢になった頃にその分野で生きて行きたいという、いわば先行投資で、ザッパは時流を睨みながら、自分の年齢も意識していた。そして、それだけ慎重であったにもかかわらず、病には勝てず、ロック・ミュージシャンから管弦楽曲やオペラの作曲家への転身が完成しないままに世を去ったが、そうなると、生前の大多数のアルバムは流行を意図した部分が大きかったので、それだけ忘れ去られる可能性が大きかったということになる。生前のザッパのステージを見たことのあるファンがザッパの死後にファンであることをやめてしまう、あるいは死んでしまうことは不可避で、それに危機感を抱いたゲイルは息子のドゥイージルに父の音楽のカヴァー・バンドを結成させたとも言える。つまり、若い世代から新たなファンを積極的に作り出そうとの思いだ。それはある程度成功したようだが、本作が500円で早くも売られている現状を見ると、ザッパ・ファンの数は尻すぼみに減少していることを思ってしまう。
 それが正しいとして、たとえば相変わらず熱心なファンはどうすべきか。筆者はそんなことを深刻には考えず、昔と同じように、好きな音楽を好きなように聴くだけで、ザッパの新譜を買い続けることは、20歳になった頃にザッパの音楽を聴き始めた昔と全く変わらぬ、今の流行に触れたいという思いによる。ザッパは93年に死んだのに、なぜザッパの音楽は今も流行していると言えるのかだが、これは初めて聴く録音であるからだ。もちろんそれは93年以前の録音だが、未知という点で新鮮さがあり、それが今発表されることは、相変わらず流行の最先端と同じ思いがする。また、ザッパは確かに60年代から90年代に音楽を書いたが、流行に乗ろうと思っていたとして、それは誰かが作った流行に便乗するというより、自分で新たな流行を作るという態度の産物だ。そのため、60年代の曲は60年代風ではあるが、そこからはみ出たような部分を含む。これは時流に乗ろうとしながら、時流特有の人気のあるものを模倣しようとしなかったためで、ザッパの音楽によって、たとえば60年代や70年代が、思いのほか広がりがあったことを感じる。これはたとえば壁の染みを星座にたとえればよい。ある場所が特に汚れているが、そこは誰もが知る流行曲つまりヒット曲が群がる空間だ。だが、その集中した汚れから眼を逸らすと、ぽつんと目立つ小さな染みがある。それを見て、『ああ、こんなところにまで汚れが広がっているな』と思うのだが、汚れの範囲が意外に広いことを実感し、またその一点の染みに意識を集中させると、汚れが集中している場所が意外に狭く、またさして意識に上らない。ザッパの存在はそのように集中した汚れの星雲からやや離れたところに目立つ染みで、その染みを認識したことで、星が存在する宇宙の広大さを実感する。そのようにしてどんどん眼を逸らせて行くと、これまで遠くに見えていた全く別の星雲にも注意を向けることになる。ザッパは10代の頃にそういう広大な音楽の宇宙があることを知っていた。そして、星雲の中のひとつになるより、ぽつんと離れたところで輝く独立した星となることを夢想したところがある。さて、今日も本作について少しは書いておかねばならないが、もうひとつのシンクラヴィア曲について書く。6曲目「MEDIEVAL ENSEMBLE」と題される6分半の曲だ。「中世のアンサンブル」という題名だが、ザッパはバロックどころか、ルネサンス以前の古楽曲の楽器の響きをレコードで聴いていたか、あるいはそういう音を想像し、その音色で現代風の曲を書こうとしたのだろう。一聴してわかるのは、アルバム『検閲の母』に入っているシンクラヴィア曲との雰囲気の共通性だ。実際この曲は1985年とクレジットされている。つまり本作はシンクラヴィアを使った初期作と最晩年の作とが収録され、ザッパがシンクラヴィアでどういうことをやりたかったのかの端的な見本になっている。「中世のアンサンブル」は、ザッパがロックやジャズとは全く何もかも似ていない曲を脳裏に響かせていたことの好例だが、前述したように、時流、流行とは無関係なところで新たな流行を作り出そうという意欲の産物だ。そして、それは大きな流行には決してならないことを自覚していたが、代わりに時流とはほとんど無関係に創造されたものが内蔵する「時流を越えた感覚」をより持ち得ると自信はあったであろう。筆者はそこにとても鼓舞されるし、またザッパが格好いいと思う。もっと言えば、85年に録音された「中世のアンサンブル」の背後に、どれほどの未発表のシンクラヴィア曲が眠っているのかという途方のなさだ。ザッパは死んだが、まだまだ未知の曲、録音が埋もれたままになっている。これはザッパの音楽が消費し尽くされず、また流行遅れになり切らないことを意味している。そういう迷宮然としたザッパの音楽世界から抜け出て行くファンがいる一方、新たに入り込んで来る若者もいるだろう。そしてそのことは実はザッパの生前から変わらない。
[PR]
by uuuzen | 2016-08-15 23:50 | ●新・嵐山だより(特別編)


●『FRANK ZAPPA F... >> << ●『FRANK ZAPPA F...
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
ご指摘どうもありがとうご..
by uuuzen at 12:22
Frank zappa ..
by ザッパ at 08:30
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.