●『FRANK ZAPPA FOR PRESIDENT』その2
ー・サインを出したのはアーメットだと思うが、ドゥイージルは全く今回の新譜に関しては知らされず、兄弟の関係がその後どうなったのか気になるところだ。



本作は発売のためのプロデュースがアーメットとジョー・トラヴァースと記されていて、これはジョーが発案し、アーメットが許可をしたとの意味だろう。アーメットがジョー以上に父の音楽遺産について詳しく、また関心があるとは思えない。またドゥイージルも自分の音楽活動で手いっぱいで、父の古い録音の発掘に関してはジョーに任せて安心しているだろう。もちろんそれは母のゲイルが敷いた線路で、ザッパ家以外の人物が中に入らなければ肝心なことが動かないことを示している。92年にサイモンさんとフランクフルトに『ザ・イエロー・シャーク』のコンサートを見に行った時、あまりにザッパが疲弊して見えたので、もう何年も生きられないことがわかったが、サイモンさんとの間で、ゲイルはザッパ没後に大量の音源をどうするのだろうという話になった。筆者はザッパの音楽について詳しいのはファンであるから、誰か2,3人を探すかして、彼らにゲイルに助言させ、アルバムを発売し続けるのがいいと意見した。その後、ジョー・トラヴァースという人材を得て、本作に至るまで発売が続いているのは、やはりザッパの音楽をよく知るザッパ家以外の人物が必要であったが、ゲイルはアレックス・ウィンターの出会いについては、最初はかなり警戒したのだろう。ジョーのような温和な感じではなく、積極的に自分のやりたいことを主張し、また実現して行こうとする行動派だ。結果的にアレックスはゲイルが亡くなって仕事がやりやすくなったはずで、また一方ではジョーと手を結び、ますますザッパ家のみではどうにもならないことが明らかになったようだ。それはともかく、本作はジョーがアルバムとしてまとめたが、乏しい素材をどう「大統領選」にからめてまとめるかの苦労が偲ばれるし、また長年待ち望まれていた曲がふたつも収録され、筆者は本作を名実ともにザッパの最後のアルバムと位置づけたい思いにかられている。アルバムの雰囲気はシンクラヴィア曲とロック曲が相半ばして、85年の『検閲の母に出会う』に似るが、本作の方がよりまとまり感が大きい。それはもちろん「大統領」ということに絡めての曲揃えであるからだが、ザッパが大統領選に出馬していたならば、またどうしても当時本作を発売しなければならなかったとすれば、大統領選出馬という出来事から始まる新たな音楽活動のそのささやかな序となったもので、本当は本作程度ではザッパの本領はとてもわからない。そこはジョーもよくよく自覚しながら、それでも残された音源で大統領選に絡めてアルバムを1枚無理に作ればどうなるかをぜひとも実現したかったし、また筆者は本作に賛同を示したい。全7曲のうち、シンクラヴィア曲は3つ、88年の最後のロック・ツアーからは2曲、古いが新しくミキシングし直した曲がひとつと、そしてちょうど中間にザッパの大統領選出馬に関する短いインタヴューを挟む。全体で43分で、LP並みだが、LPが今後発売される可能性もあるだろう。
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 本作を手にとって筆者が声を出して驚いたのは、最初の「『アンクル・サム』の序曲」と、3曲目の「アムネリカ」だ。これらは92年の『ザ・イエロー・シャーク』公演の際に筆者は知ったが、前者は筆者がさんざんこれまで書いて来たように、ザッパはウィーンから新作オペラを書かないかとの提案を得ていて、そのための準備をすでに始めているようであった。その話を筆者はフランクフルトのアルテ・オーパの控室でザッパから聞いたが、ザッパの思いはすでにオペラ『アンクル・サム』にあった。ウィーンからいつ依頼があったのかは知らないが、かなり具体的にザッパの脳裏にはオペラの概要は出来上がっていて、そのために必要なさまざまなものを集め始めようとしていた。そして、ザッパは日本的な素材をそのオペラに使いたいので、筆者にそのために調べてほしいことがいろいろとあると言った。そのためのギャラは支払うと最初に言われたが、日本的な要素、それは相撲や歌舞伎などだが、そういったものをアレンジしてどれだけオペラに活かすことが出来るかというのがザッパの関心事であった。またそういう道具立て以外に、音楽そのものにも和楽器のみならず、世界の民族楽器を使いたい考えもあったようで、話を聞く限りでは、それまでのザッパのどの音楽よりも多彩でまた大がかりなものになる予想がついた。そして、筆者は初演中の『ザ・イエロー・シャーク』がザッパのその『アンクル・サム』にとってはほんの序幕程度に過ぎない経験にも思えたが、それはザッパも同じではなかったか。そのように考えると、本作は全く『アンクル・サム』の抜け殻にも匹敵しないもので、同オペラのために用意されるはずであった数百枚の素描のわずか2,3枚という気がして、つくづくザッパの死が惜しまれる。本当に歴史に名を残す仕事はこれからという時にザッパはこの世を去ってしまった。それはさておき、92年当時、筆者は『アンクル・サム』のための作曲がどこまで進んでいるのか全く知らなかった。それが本作では最初に15分のシンクラヴィア曲が収められ、リーフレットには1993年とあるから、ザッパは『ザ・イエロー・シャーク』公演の後に本作を録音したのだろう。癌であることを知りながら、少しでも新作に向かって邁進しようという気持ちによる。ただし、本作の1曲目は、ずっと以前に録音していた曲をオペラの序曲に使えると思って題した可能性もある。そうであっても死ぬ直前までそのオペラの完成を目指していたことには変わりがなく、筆者はこの15分の曲だけでも本作が世に出る意味があったと太鼓判を押したい。また、この序曲の前半のライト・モチーフは、『文明、第3期』の「N・ライト」のそれと同じで、短3度の2音の下降形だが、その不協和音から現在のアメリカを文明の第3期にあると見ていたことになる。もちろんそれは同アルバムのジャケット・デザインからわかるように、崩壊のイメージだが、崩壊したものは新たに再生するはずで、最晩年のザッパが自らの癌に重ねてアメリカの没落を予感していただけではなく、そこからニュー・アメリカが生まれる期待も抱いていたであろう。またそれゆえの自らの大統領選への出馬の意志であったと思いたい。ただし、その新生アメリカがあるとして、それがドリームランドのような手放しで歓迎出来るものという楽観主義もまたザッパは持っていなかったのではないか。ともかく、ザッパのアメリカ観は『アンクル・サム』で大いに披露されるはずであったが、その片鱗は本作によって想像するしかない。
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 さて、その『アンクル・サム』だが、オペラ劇場で上演するからには管弦楽団と歌手による作品か、もしくはそれにザッパのことであるからロック色を加味し、また人間では演奏不可能な音楽もと考え、シンクラヴィア曲を含んだかもしれない。たぶんジョー・トラヴァースはそのように考えて本作をまとめたのではないか。それで、最初の曲「『アンクル・サム』の序曲」だが、これがどのような形で録音が残されていたのか、その証拠写真を提示してほしいと思う。というのは、ザッパが『アンクル・サム』のためにこの1曲のみを、本作に収録されるのと同じ形で残していたのかが誰にもわからないからだ。また、本作のヴァージョンのみ存在するならば、ザッパは序曲ではあっても、そこにおおよそオペラ全体の起承転結や全体のトーンを反映させたと考えられるだろう。それほどにこの曲は15分と長く、またいくつかのパートに分けることが出来る。本当の序曲的な部分は3分10秒までとしてよい。それはいかにも序曲にふさわしく、またオーケストラの響きを思わせるが、実際にオーケストラで演奏するにはまだまだ不充分で、素描と思う方がよい。次をどこで区切るかだが、ひとまず5分32秒までは、伝統的な楽器で言えばピアノが中心となる。これはザッパがシンクラヴィアを即興で奏でたのであろう。そのため、いささか冗漫な感じがするが、6分07秒までの30秒ほどは弦楽四重奏曲と言えばいいか、室内音楽風となる。そして、10分11秒まではまたピアノ・ソロの即興パートとなり、この5分はオペラの序曲としてはふさわしくなく、また退屈に感じられるが、実際の演奏のためにオーケストレーションする際にはヴァイオリンなど、ほかの楽器に置き変えられる可能性があり、本曲はあくまでもシンクラヴィアによる簡単なスケッチと思う方がよい。11分49秒まではまた弦楽四重奏曲風になるが、つまり3分10秒から11分49秒までは、ピアノ・ソロを中心とするパートと、弦楽四重奏曲風のパートが交互に現われ、これが序曲の中心部分を構成している。そこで思うのは、この中心部分を拡大したのが『アンクル・サム』の中心部であろうとの想像だ。ピアノ・ソロはいわば主人公のアンクル・サムの考えや行動を示した部分で、弦楽四重奏曲のパートはアンクル・サムと彼に関わる人物たちとのドラマだろう。アンクル・サムがどのように行動するかだが、没落して行くアメリカの象徴として悲惨な目に遭うのは確実視してよく、それが滑稽に描かれると見たい。11分49秒以降は序曲の最後のパートで、約3分あるが、これは最初の3分10秒とはほぼ同じ長さながら、音楽は全く違う。この最後のパートの大きな特徴は、弦楽四重奏曲風でありながら、そこにピアノ・ソロが加わり、しかもその演奏はシンクラヴィアでしか可能でないような、ザッパらしい猛速度による旋律が繰り広げられる。それはアンクル・サムが発狂したか、あるいは予想外の境遇に陥って大いに戸惑い、もはや正常に行動出来なくなった状況を表現しているように思える。以上は筆者の想像だが、ザッパが本曲を『アンクル・サム』の序曲として録音を遺したのであれば、そこにそのオペラの全体像を読み取ることはほぼ正しいであろう。ただし、それは序曲のエスキースのまとめで、オペラ全体を作曲する過程で多くのアイデアが湧き、またそのことによって序曲も書き変えられたであろうから、本曲の冗漫と感じられる部分によってその書かれなかったオペラを評価することは慎まねばならない。だが、その一方で筆者が思い浮かべるのは『ジョーのガレージ』で、その未完的ないし第3幕の一種冗漫さが、『アンクル・サム』で繰り返される可能性がなかったかどうかだ。『ジョーのガレージ』のその未完さは次作への期待を膨らませることに一役買っていると見れば、ザッパは『アンクル・サム』を軽く書き上げ、その後に多くのオペラを作曲する夢を抱いていたかもしれない。きっとそうだろう。そして、ザッパはイタリア・オペラを現代のアメリカで復活発展させた才能として歴史に刻まれたのではないか。
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by uuuzen | 2016-08-14 20:50 | ●新・嵐山だより(特別編)


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